桜色ノ詞








            静かだ。とても。

            ここはイルカ先生の自宅。
            目の前の立派な桜の木が、たくさんの花を咲かせている。
            そして隣にはイルカ先生。

            イルカ先生はうっとりと、桜に魅入りながらズズッと渋茶を啜っている。

            ……なんか老夫婦みたいだな。

            せっかくの桜を見もせずに、チラチラとイルカ先生のほうを窺いながら、俺はそんなことをつらつらと考えた。

            陽の当たりのいい、ぽかぽかとした縁側。
            何を話すわけでもなく、ただゆっくりとした時間の流れを楽しんで。
            片手には渋茶と煎餅。

            これは老夫婦以外の、何物でもない気がする。
            でも退屈なわけじゃなくて、すごくゆったりと、シアワセ。

            俺の今まで生きてきた時間の中で、今が一番安らいでいる時間かもしれない。

            イルカ先生は不思議なひと。
            いつでも、ちょっとした瞬間に、俺に安らぎを分けてくれる。
            今まで『安らぎ』なんていうものは、言葉として知っているだけだった。
            イルカ先生に出会って、俺は本当に理解できたような気がする。

            このひとの言葉には、裏がない。
            だから安心して、このひととは付き合える。
            このひとの全てに、俺は癒されてるのかもしれない。



            「あっ…」

            あまりにもゆったりとした時間を過ごしていたせいか、俺が座ったままうつらうつらとしていたとき。
            イルカ先生が、素っ頓狂な声を上げた。

            どうしたんだ…?
            不審に思って、目を開ける。

            「あぁ、すみません。起こしちゃいましたか…?」

            俺に謝りながらも、その顔はどこか嬉しげに綻んでいる。

            「大丈夫ですよ。それよりどうなさったんですか?」

            「いえ、大したことじゃないんですけどね。桜の花びらが俺の湯呑みに入って…。ほら」

            差し出された湯呑み茶碗の中には、確かに桜の花びらが一片、浮かんでいた。

            「だから何だと思われました?」

            「…ハイ、ごめんなさい。ちょっとそう思ってしまいました」

            正直にそう言うと、イルカ先生はうふふ、と小さく笑った。
            その表情は、今のこの状況にすごく合っていて。可愛くて。
            俺は小さく息を呑んだ。

            「俺はね、こういう小さな偶然を嬉しがったりする人間なんです」

            顔をうっすらと染めながら、ちょっと照れたように鼻の傷をポリポリと掻いた。

            わかった。
            このひとは、小さなシアワセを見つけるのが上手いんだ。
            だから周りの人間に、少しづつ安心感みたいなものを分けてあげられるんだ。

            あぁ、やっぱり俺はこのひとのこと、好きだなぁ…。

            しみじみと、そう思った。
            そう思う自分がひどく可愛く感じられて、少し照れくさくなってごまかすように俺も笑った。



            少し肌寒くなってきた頃、突っ掛けを引っ掛けてイルカ先生は庭に降りた。
            何をするつもりだろう、とその姿を目で追っていると。
            ぷちっ、ぷちっと桜の花を摘み始めた。

            しばらくしてから、イルカ先生は戻ってきた。

            「そろそろ寒くなってきましたねぇ。中に入りましょう」

            「はい。…あの、それどうするんですか?」

            イルカ先生の手のひらには、立派な桜の花が五つほど載せられていた。
            無闇に花を摘んだりするひとじゃないはずなんだけど…。

            「あぁ、これですか?塩漬けにして、桜湯にしていただこうかと思いまして。せっかく綺麗に咲いた花を
             摘んじゃうのは、忍びないんですけどね…。やっぱり季節物として外せませんから」

            「…桜湯?」

            俺は余程怪訝な顔をしていたのだろう。
            イルカ先生は吃驚したように、俺の顔を覗き込んだ。

            「カカシ先生、桜湯ご存知ないんですか?」

            「…お恥ずかしい話ですが。美味いんですか、それ?」

            「う〜ん、美味いというか何というか。目で楽しむもの、ではありますけど…。俺は好きですけどね」

            イルカ先生は困ったように、目を宙に遣る。
            でも何かを思いついたみたいに、パッと顔を輝かせた。

            「あぁ、そうだ。少し薄いとは思いますけど、夕飯のあとにお出しますよ、桜湯。一度は飲んでおくべきですよ。
             …さぁ、もういい加減寒いですからね、中で話しましょう?」





            すっかり腹一杯になってしまった。
            イルカ先生の手料理は素朴だけど、とても温かい味がした。

            これが家庭の味、ってやつなんだろうか。

            今までそういったものにあまり縁がなかったから、その疑問をイルカ先生にぶつけてみた。

            「こんな料理を家庭の味、とか言っちゃいけませんよ」

            苦笑いしながら、目の前のひとは答えた。
 
            そんなもんなのかな?
            俺にはやっぱりわからなかった。
            でも俺の家庭の味は、イルカ先生の料理ってことにしちゃおう。
            そのほうが何となく、嬉しいから。


            「カカシ先生、お待たせしました。これが桜湯ですよ」

            そう言って差し出された湯呑みには、桜の花が一輪だけ湯の中に沈んでいた。
            湯の色は桜の色がうつったのか、淡く色づいている。

            「本当は八重桜を塩漬けにするんですけど。うちには山桜しかないから、ちょっと見た目は悪いです。
             どうぞ、召し上がってみてください」

            口元に湯呑みを近付ける。

            すると仄かに桜の香りが。
            味は湯に塩を混ぜた味?
            でも一瞬後には、口の中いっぱいに桜の香りが広がった。

            ふ〜ん、これが桜湯。
            確かに春っぽい、かもね。

            「いかがですか?」

            イルカ先生は心配そうに、そう問うた。

            「う〜ん、特にめちゃくちゃ美味いとも思いませんけど…。でも季節を感じるのには、すごくいいですね」

            「そうでしょ、そうでしょ?やっぱり春になったら、これを飲まなきゃいけませんよ」

            「うん、結構さっぱりしてるし。食後にはいいかもしれませんね」

            「よかった、不味いって言われなくて」

            心底ほっとしたように呟くと、イルカ先生は自分の分の桜湯に口をつけた。

            しばし沈黙が広がる。
            でもやっぱり重苦しくなくて、ほっとする感じ。
            すっかり和んでしまって、すごく居心地いいなぁとか思った、その時。

            「来年も、桜湯を御一緒できるといいですね」

            微笑みながら、イルカ先生がぼそりと漏らした。


             ―――来年も、桜湯を御一緒できるといいですね―――


            いいんだろうか。
            忍として生きている俺たちが、来年の話なんてしてもいいんだろうか。

            でも微笑んで俺を見ているイルカ先生を見れば。
            本当にそう思ってるんだなぁ、って顔をしていて。

            「……そうですね。来年も是非、一緒に飲みましょう」

            俺はそう言うと。

            ちょっと冷めてしまった、ほんのり桜色染まった液体を、一息に飲み干した。
            一滴も残らないように、最後のひと雫まで。



            イルカ先生の言葉をそのまま、逃さないように。













                                                ― 桜色ノ詞 終 ―





              こちらも「ソラマメ」の四葉様より20000hitのお祝いとして頂戴いたしました。

              ゆったりとした穏やかな時間の中で、小さな幸せを見つけて二人で大事に分け合う姿が何とも言えずツボで。

              最後、ちょっぴり切ないのですが、来年またこの木の下で二人が楽しく過ごせることを祈ってしまいます。

              そっと見守ってあげたいっていう気にさせられる、素敵な作品でした。

              あ、あと、ラストでカカシが桜湯を飲んだシーン。

              『最後のひと雫』これには思わず一人で悶絶してしまいました。

              「こいつぁきっと四葉さんが意図的に入れて下さったに違いねぇ!」などと勝手な妄想にふけっております。(笑)


              四葉さん、本当に有り難うございました。


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