『ごまんしゅくの日』








  「奇遇ですね。」と背中越しにひとつ声を掛けると、髪紐を丁度解きにかかっていたイルカが肩を僅かに上下させて振り向いた。

  「ああ、カカシ先生もひと風呂浴びに?」

  イルカは声を掛けて来た男がアカデミーの元問題児で、今では立派に下忍として活躍するナルトを始めサスケとサクラの3人

  を率いるスリーマンセルの師、はたけカカシであることに気付き安堵した。

  ー「安堵した。」というのも、滅多に無いとはいえ偶に「久し振りですね。」や先のカカシみたく「奇遇ですね。」から始まるナンパ

  に何度か四苦八苦した経験があるのだ。




  「偶然ですね。」や「また会いましたね。」は時として計算された経路の先に成り立つものでも、ある。とイルカは経験上一つ

  学習した。



  アカデミー帰りのイルカを忍び足でつけていたら、幸か不幸か『木の葉大浴場』に辿り着いたカカシが二、三の深呼吸で間を

  取って、然も偶然とばかりに少々滑稽にも見える眉をクイと上げた驚きの表層を態と作り声を掛けたなんて、人の好いイルカ

  が疑う由も無い。

  「今日は残業無いんですか?」

  と、真っ裸の腰にタオルを巻きながらカカシは訊いた。

  「いえ、今日も急ぎでは無いんですが片付けておきたい資料が一つ机の上で待っているんです。」

  独特の温柔な笑みを浮かべ、イルカは「急ぎじゃないって分かっていても気になってしまうんです。ー貧乏性なのかな?」と結構

  広い『木の葉大浴場』の高い天井に目線をやり、鼻梁の傷を掻いた。

  二人は洗面用品を手に持つと仲睦まじく並んで大浴場のガラス扉を開き、仲睦まじくかけ湯をして、カカシは左足からイルカは

  右足から湯船に浸かると、これまた仲良く一寸の狂いも見えないタイミングで同時に伸びをした。

  それが己の事ながら妙に可笑しくて、イルカは欣快を表した。そんなイルカの屈託無い表情を間近にすると、脂下がったカカシ

  の心に更に花が咲くということを知ってか知らずか、湯に浸かり身も心もリラックス状態のイルカは、けして屈従ではなく心から


  カカシとの湯船でのコミュニケーションに親近感を覚えた。

  「ところで、カカシ先生も此処を利用していたなんて知りませんでした。」

  「今日の任務は溝掃除でしたからね。」

  勿論、カカシの仕事は「溝掃除をするスリーマンセルを監督し、監視」することだから、己が溝臭くなることなどけして無い。

  「本当は、サクラは兎も角・・・ナルトとサスケも誘ったんですが、あいつら用があるみたいで。」

  嘘も八百。カカシは如何にも残念だと言いたげに苦笑いをして、湯船の中並ぶイルカを覗き込んだ。

  心が狭い大人だと言われようが、折角のイルカとの裸でコミュニケーションを全身でイルカ先生大好きを表すナルトと、何だか

  んだ言ってさり気なくイルカを先生としても1人の人間としてもヒイキしているサスケに邪魔をされたくない。それなのに偶然の

  悪戯とは時として酷いもので、残念な表情を浮かべるカカシにイルカは

  「ああ、それなら大丈夫ですよ。あいつらの用事って俺と此処で待ち合わせしていることだと思いますから。」

  と、屈託の無い笑みを見せたのだった。




  急に元気が無くなった銀髪の男を横目にちらりと捉え、イルカは自分が何か上忍でさえ落ち込んでしまう発言や行動をしたのか

  と自問した。−が、どれだけ考えても思い当たる節がない。

  イルカは何か楽しい話の種でも落ちていないかと広い大浴場を、タイルの壁に描かれた悪趣味極まりない色合いをした高峰の

  風景画や聞いた事のないメーカー名のシャンプーボトルなど、興味を持てない資料を通覧するが如くざっと見回した。

  当たり前だが、浴場内を見渡してもそう簡単に話の種が落ちているわけが無い。仕方なくイルカは

  「あれ、あの風景画・・・ビックリするぐらい趣味悪いですね。特にあの色使い・・・あれがもし有名な作家の絵だっていうんなら、

  俺の方が絶対に絵の才能ありますよ。」

  と最初に目に付いた高く聳え立つ山の絵を指して一笑した。

  「あー、確かに趣味が悪いかもしれませんね。・・・ハハ、ハハハ。」

  大浴場にカカシの渇いた笑い声が響き渡った。

  ーイルカは知らない。カカシの自室の壁にはこの大浴場に描かれた風景画と一寸も狂わぬ同じ絵が縮小版が堂々と飾られてい

  ることを・・・

  先程より、益々元気が無くなったカカシに困惑して、イルカは再び何か面白い話の種が落ちていないか周辺をキョロキョロと見渡した。

  何も別に浴場内で面白い話を探さなくても、イルカのプライベート情報を二つ三つばかり隣で背を丸め湯に浸かるカカシの耳元で囁け

  ば、それだけで元気になるなんてこと知る由も無く、一所懸命に話題を探すイルカがカカシは内心おかしくも可愛いくて仕方がない。

  実際には大して落ち込んでなどいないのだ。別にイルカがナルトやサスケに恋心を抱くなんて危惧しているわけでもなし、イルカが「趣

  味悪い」と評した高く聳え立つ山の絵も確かにカカシの部屋に飾っているが、けして自ら購入したわけではなく愛読書でもある『イチャ

  イチャシリーズ』のアンケート葉書を編集部に送ったら何故かあの絵がアンケートの御礼として届いただけだ。ー編集部曰く、あの高く

  聳え立つ山は「いつまでも現役」を表しているらしい・・何が現役なのかがあえて記さないが。ーそれ以上でもそれ以下でもないが、カ

  カシ自身一度たりとも壁に飾った聳え立つ『高峰』を悪趣味だと思ったことは無く、邪気も悪気の欠片もない満面の笑みをその表情に

  晒して「趣味悪い」と言うイルカに対して、一人こっそり差し含んだのは曲げようのない事実である。




  充分に体が温まると、イルカは湯船から其の血色の良い裸体を惜し気もなく晒して洗髪するべく椅子に腰掛けた。

  慌ててカカシも湯船から飛び出、イルカの隣に腰を掛け

  「イルカ先生、シャンプー借りますね。」

  言いながら、チラリとシャワーの湯を勢いよくい頭上に浴びるイルカを盗み見た。

  洗髪するイルカを珍しそうに横目に捉えながら、返事を待たずイルカの手前に置いてある携帯のシャンプーボトルを手にとると、

  遠慮の欠片もなくカカシは手の平にたっぷりシャンプー液を零した。

  そんなカカシの行動を気にするでもなく、鎖骨や首筋に纏わり吐く濡れ髪を首の後ろで一纏めにして二三度ギュッギュと絞ると、今度

  はリンスのボトルを手に「良ければリンスもどうぞ。」と銀髪を泡だらけにしているカカシに一声掛けた。

  「ども。・・・イルカ先生ってリンスしてたんですね。」

  「・・・失礼ですね。リンスもすりゃ時々ヘアパックだって勿論、トリートメントだってしますよ。−俺だってお年頃ってやつですから」

  「お年頃・・・ところでイルカ先生は彼女とかいるんですか?」

  イルカを真似て、首の後ろで纏めた髪を搾りながらカカシは恐る恐る伺った。−今まで、イルカを好きになって今の今まで一番

  訊きたくて一番訊けなかった質問を口にして、内心ビクビクしているなんて手を軽く伸ばせば触れる位置、隣同士、肩を並べて

  座っているのに今のイルカにはけして伝わらないだろう。げんに、カカシの「彼女いるんですか?」という質問に「彼女が七人い

  たら、一週間丸つぶれですね。」とふざけてホラ吹くばかり。

  カカシの勇気を振り絞った質問をまるで枝葉末節だとばかりに通り過ぎてしまった。

  これにはカカシも意気消沈。

  「はあ、そりゃあモテてモテて困るってやつですよねェ。」と、イルカ曰く「趣味の悪い聳え立つ山の絵」を背に只でさえ猫背の背を

  更に縮こまらせた。

  言葉にしていない想いを行動のみで伝えるのは簡単なようで些か難しい。−そう分かっていても

  (少しぐらいは気にしてくれてもいいデショ?)

  と、直ぐ隣で豪快に顔を洗うイルカに嗟嘆の意を抱いてしまうカカシが此処にいる。


  嫌味を込めたカカシの褒め言葉を真っ直ぐ文字通りに受け取って照れるイルカに、それとなく同性を好きになることについてどう

  思うかを訊いてみたけれど

  「そうですね・・・うーん、そういうのもアリなようでナシなような・・・あんまり深く考えたことないですね。」

  と安易な笑みを零すだけのイルカを大らかじゃなくて大雑把な人なんだと嘆かずにはいられなかった。

  カカシは思った。イルカは自分とは対極的な性格の持ち主なのだと。それを是認している、そういうのもありだとも、だからこそ惹か

  れるのだと。−まるで、対極同士引かれ合う磁石のように。

  悲嘆に届きそうで届かない半端な憂いの中、何処ぞの何某が

  「男は精神的な部分では、みーんなマゾ。だから従順で何でも言う事を聴くような女よりも、何処か毒のある一筋縄にゃいかない

  女に惚れ易いんだ。」

  と毒舌を振り撒いていた知ったかぶりの猿飛何某という男の言葉を・・・

  (あの時は理解出来なかったけど・・・今なら何となく分かるかも)

  カカシは長嘆した。




  暫くの間、カカシとイルカは湯に浸かりながら取り留めの無い話に花を咲かせた。

  「先日ガイ先生と此処に来たんですが、その時に何故か湯船に薔薇の花弁が浮いていたんです。」

  「・・・浮いてたのは薔薇ですか?ガイの野郎が浮いてたんじゃないんですか?」

  「?赤や桜色、オレンジの明色の花弁がね、湯船一面にこれでもかってくらい浮いているんです。」

  「それって・・・嬉しいですか?」

  「いえ、全然・・・ところで、カカシ先生。」

  正面を向いていたイルカが、カカシの顔を覗きこんだ。

  「ん、何ですか?」

  間近に迫ったイルカの視線に愛好崩すカカシに、イルカははにかみながら「カカシ先生って格好良いんですね。俺、面食いなんで

  惚れちゃいそうです。」

  そう言って

  「なんつって、なーに言っとるんでしょうね。こやつは・・・」

  と己を指し、照れの篭もった笑壷を浮かべ、ゴボゴボと鼻梁まで湯の中に顔を付けてカカシを見上げながら

  「ゴブ、ゴボボボゴバボブ、ゴバボ?」

  「・・・何ですか?」

  残念ながらイルカの水中言葉を上手く聞き取れるほど器用ではないカカシが借問した。

  プハーっと湯船から顔を出すとイルカは

  「『だってカカシ先生ってば、いつもこうやって口布で顔を隠しているでしょう?』って言ったんです。−だから、今の今までカカシ先生

  の素顔を知らなかったんですよね。−そういうの、何だか寂しいですよね・・・同じ里の仲間なのに・・・あ、いや。」

  軽率な発言でした。すみませんと謝るイルカに、カカシは別にいいですよ。と手を顔の前で左右に振って見せた。

  「イルカ先生が寂しいと仰るのなら、男はたけカカシ。−幾等でも貴方に素顔を晒して見せますよ。貴方だけ、特別にね・・・ささ、良け

  ればどうぞ、もっと間近で堪能して下さい。」

  カカシの冗談の皮を被った本気の台詞を受け取って、湯にのぼせたわけじゃない、耳まで真っ赤にして視線を逸らした思い人に

  (もしかして満更じゃない?)

  と逆上せ上がったカカシの内心を「あいや待たれ!」とばかりにー




  「イルカせーんせー!うっずまきナルト見っ参!!だーってーばよォ。」

  と聞き覚えのあり過ぎる声が大浴場内に響き渡った。そのタイミングの良さに

  (やっぱ一筋縄にゃいかないかも・・・)

  と、カカシは落胆せずにはいられなかった・・・。

  そんなカカシの心情を更に重くしたのは、

  「あー!カカシ先生もいるってばよ。ププっ変な髪形!ベターってなってるってばよ、ベターって。」

  という、無遠慮極まりないナルトの台詞だった。

  「・・・思い切り失礼な子だね・・・」

  「す、すみませんカカシ先生。−コラっナルト!カカシ先生に謝りなさい。」

  「だって、本当のことだってばよ。」

  「世の中には、たとえ真実でも言っていいことと悪いことがあるんだ。分かったか?」

  「・・・・・・イルカ先生、アナタの台詞の方が俺にはよっぽどイタいです。」

  掛け湯を終えたナルトがイルカの隣、湯船に浸かると同時にガラス扉が開いた。

  入ってきたのはサスケやシカマルを始め、小生意気な下忍たち。

  勿論、ナルトたちより二年早く下忍になったネジとリーもいる。ガヤガヤと入ってきた子供たちに、

  「何々、いったい何なのよ。」

  と、カカシは如何にも迷惑だと言いたげに眉間を寄せた。

  元々他に客は居るにしろ、カカシにとってはイルカと二人きりで過ごす楽しい一時を邪魔されたのだ。如何にも迷惑だと言いたげな

  面持ちで子供たちを迎えてしまうのも仕方が無いだろう。−些か大人げないが。

  「今日は、遅ればせながら『伍萬祝』の日なんです。」

  ハキハキとした元気な声で、カカシの嫌味混じりの問いに答えたのはリーだ。

  「ごまんしゅく?」

  湯船に浸かるよりも先に身体を洗うリーは、同じく先に髪を洗うサスケと肩を並べながら湯船のカカシを振り返り言った。

  「えっとですね、本来なら七月十九日が『伍萬祝の日』だったんですが、イルカ先生も僕達も今年は忙しくて・・・当日に祝うことが出来

  なかったんです。−あ、ちなみに『伍萬祝』というのは下忍になって3年目までの忍の勇健を願って、アカデミーで担任を受け持ってい

  た先生が『伍饅』を作って皆に振舞う日なんです。」

  「イルカ先生の作った『伍饅』、今年は食べられないと思ったってばよー。」

  リーの説明に頷きながら、ナルトはお腹を両手で押さえた。

  「『ごまん』って?」

  カカシの中に生まれた新たな疑問に、

  「上忍って意外とものを知らないんだな。」

  と先程のカカシよりも思い切り嫌味を込めて、サスケは冷笑を浮かべた。

  「コラっサスケ、曲がりなりにも先生に向かって、そんな口の利き方をするんじゃない!ー本当にすみません、カカシ先生・・・ナルトも

  サスケも揃って口が悪くて・・・」

  そう言って二人の代りに頭を下げる、まるでサスケとナルトの母親のようなイルカに対して

  (・・・あんたもね)

  と、カカシはこっそり忍び泣きした。




  リーとイルカの丁寧且つ正確な説明によると、『伍萬祝の日』とは先程のリーの説明どおり、下忍になって3年目までの忍の勇健を

  元担任が『伍饅』を振るまいながら願う、比較的新しい行事で『伍饅』とは正式名『伍饅頭』といって、小判型に平たくしてペースト状に

  した空豆を混ぜ合わせた二枚の餅の間に、ほんのり柚子の風味を利かせた白餡を挟んだものだ。

  イルカは職務や任務の合間をぬって作った手作りの『伍饅』を

  「俺の愛情こもった雫がたーっぷり入ってるからな。」

  と満面の笑みで皆に振舞うのだ。

  そう言って振舞えば、素直な子供たちは自分もイルカにとっては掛け替えの無い特別な生徒たちの中の一人であったことを思い出し

  嬉々として饅頭を頬張るのだ。それはけしてクールなネジや本来は甘いものが苦手なサスケも例外ではなく、恩師が忙しい時間の合間

  を縫って作った手料理は、たとえ簡単に出来るものだとしても「手作り」というだけで充分に嬉しいもの。

  特に、ナルトやサスケ・・・一人の孤独に慣れた振りをして自分は大丈夫だと嘯く子供たちには、必要不可欠なものかもしれない。




  三代目火影が考案した『伍萬祝』

  才能も勿論大事かもしれないけれども、一番大事なのは日々五体満足に過ごせる事だと常日頃から言っていた火影らしい行事。

  お風呂の中で真っ裸。クールも熱血も明も暗も全て真っ裸で同じ湯に浸かって、他愛の無い御喋りを弾ませて、湯上がりの牛乳と恩師が

  作った『伍饅頭』




  「イルカ先生、俺もソレ食べていいですか?」

  「・・・『十萬祝の日』まで我慢ですよ、カカシ先生。」

  「とまんしゅくの日?それは何をする日ですか?」

  「『十萬祝の日」というのは、いつも任務で頑張ってくれている上忍の皆さんに感謝の意を込めて、受付業務を任されている事務員を始め

  とするアカデミー職員一同で祝う行事です。」

  「その時にも、饅頭が出るんですか?−たとえば十饅頭とか。」

  「いえ、『十萬祝』の日は饅頭ではなくて『十漫談』といってアカデミー職員の中から選ばれた十人の有志による漫談大会が開かれるんで

  す。」

  「・・・はあ。」




  カカシは思った。饅頭だろうが漫談だろうが何でもいい、いつかはきっとイルカ先生の愛情がたっぷり入った・・・たっぷり入った・・・

  「はたけカカシ26歳、独身。イルカ先生の愛情の雫を絶対に独り占めしてみせるもーんね。」













                                                 ごまんしゅくの日 −終−



     「momentary!」のemincoさんから、5万hitのお祝いにと頂戴しました。

     うふふふ、皆様はこの作品の中で、幾つ隠しキーワードに気付かれましたでしょうか? 
     私はその言葉に行き当たるたびに、くすぐったくて嬉しくて悶えておりました。

     それにしても髪を洗うイルカ先生の、何と色っぽいことよ・・・。(惚)
     その艶やかな漆黒の髪は、日々のお手入れの賜物だったのね。

     二人のアツイ戦闘シーンならぬ銭湯シーンと巧妙な仕掛けの数々に、すっかり釘付けになって読み耽ってしまいました。

     「私の『十萬祝』の日はいつ? そしてその時には、アカデミー職員の誰かさんが、私に漫談など囁いて下さるのかしら?」
     などと、更なる妄想は尽きません。(笑)

     emincoさん、本当に有り難うございました!


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