妙な遊びが、男達の間で流行り始めていた。

 それは日を追う毎に熱を帯びてゆき、いつしかアカデミーに関わる若い忍の大半が熱中する程にまでなっていた。
 ただこの場合、それが本当に「遊び」といえるのかは、甚だ怪しかった。
 とはいえ、上からの任務の依頼でない以上、これは間違いなく遊びなのだと、『良識ある』木ノ葉の忍達はみな認識を同じくしつつ、それに熱中した。
 当然任務は今まで通り確実に遂行し、尚かつその「遊び」にも持てる全ての情熱を傾ける。
 彼等はその「遊び」と「任務」が両立出来ている事にも、ある種の喜びを感じているようだった。
 普段から死との間際でギリギリの攻防を繰り広げる事の多い上忍達でさえ、それには夢中にならざるを得なかった。
 何故ならその「遊び」には、己の高いプライドがかかっているからだった。




 
千年愛して




「……ギャ――!!!」

 闇をつんざく長い悲鳴が、今夜も隠れ里に響き渡る。
「――ん? …なんだ、今夜は……オウケイ、か…?」
 騒がしい立ち飲み屋の店先で、アスマのコップ酒を持つ手が止まった。
 聞き耳を立てた時、少し傾けた顔の半分に煙草の煙がゆらりとかかり、無意識にそちら側の目を閉じる。
「あの頭脳明晰なキレ者のオウケイまでやられちゃったんじゃ、アスマに回ってくるのも時間の問題なんじゃないの?」
 向かいで同じくコップ酒を傾けながら、紅が妖艶な笑みを見せている。
「はっ、しゃらくせぇ。大体オレにゃ関係ねぇよ」
 アスマは目を閉じた側の顔だけを器用に歪め、嘲笑いの表情を浮かべている。
「あーらステキ。随分自信たっぷりなのね。――あっ、おじさんコレ、もう一つ追加ね! …そんな事言ってる人に限って、すぐに寝首を掻かれるんだから」
 欠片もステキとは思っていないような言い草で、紅は空のコップを顔の前でゆらゆらと振ってみせる。
「おぅおぅ、俺もまた随分と過小評価されたもんだな。じゃあもしも俺が最後まで無傷で残ったら、紅、お前俺に何してくれるよ? ん?」
「何してくれる、って…なに、賭けようっていうの?」
「お〜〜いいねぇ」
「ふーん、アスマまでこのバカバカしい遊びに熱くなっちゃうわけ?」
「で、何してくれんだ? やるもやらんも、まぁそれによるな」
 男は自信たっぷりの目で、珍しく真正面から挑戦してくる。
(へーえ、面倒臭がり屋のアンタがねぇ…。面白いじゃない。そうくるなら受けて立ってあげるわよ)
「何でもいいわよ。勝ったら何して欲しいわけ?」
「…ん…そうだなぁ…じゃあたまには外メシやめてよ、お前んちで何か作って食わせてくれよ」
 少し考えるような仕草の後、髭面の男は臆面もなく言い放つ。
(こっ、こいつ……初めからそのつもりで話を振ったわね?! 全く食えないったら…!)
 即座にアスマの芝居を見抜き、不埒な下心を一瞬で嗅ぎ取った紅だったが、表面上は顔色一つ変えずに上目遣いで言う。
「いいわよ〜。じゃあ私が勝ったら、向こう一ヶ月の呑み代、全部アスマ持ちね」途端、僅かだが巨体が「うっ」と仰け反った。
 いつもは割り勘か、時折アスマが奢る程度だが、もしそれが全部他人持ちとなったなら、この女は微塵の遠慮もなく、途方もない量の酒を顔色一つ変えずに呑み干すに違いない。
「――はっ、いいだろ。負けねぇがな」
 アスマは灰皿に煙草を押しつけながら、盛大に煙を吐いた。



 同じ頃。
 ゲンマとイビキも薄暗い盛り場の隅で、少なくなった肴を間に挟んで向き合っていた。
「…しかし、まさか『あれ』がここまで盛り上がるとは思わなかったぜ」
 ゲンマの銜えた長楊枝が、口の動きに合わせてゆらゆらと揺らめく。
 ゲンマの言う「あれ」とは。
 今、アカデミーの中だけで流行っている、一種のゲームの事だ。
 『寅の印をいかに多くの者の背後(ケツ)(ケツ)にキメるか』という、単純かつ馬鹿馬鹿しいにも程があるそのゲーム。
 元々はアカデミー学校生あたりから始まったらしく、最初はただそれだけの幼稚な子供の遊びだった。
 しかし時間を経るにつれ、増加の一途をたどる参加者達の間で暗黙のルールが作られだすと、それはまるで生き物か何かのように大きく蠢きだし、不穏な成長を始めた。
 するとすぐにその魅力に取り憑かれた者達の間で爆発的に広がりだし、当初の幼稚な遊びとは随分とその様相が違ってきていた。
 だが、ルール自体は至極単純明快だ。

 ・最終的により格上の、強い者の背後(ケツ)を獲った者の勝ち
 ・相手に(千年殺し以外の)深手を負わせない
 ・任務は今まで通り完璧にこなし続ける
 ・女と年寄りと火影には手を出さない

 それ以外の掟は何もなかった。
 しかしそれ故に、恐ろしいほどに何でもアリなのもまた事実だった。
 コミュニケーションの一環として挨拶代わりにやろうが、個人的に常日頃から良く思っていない相手へ復讐しようが、格上の背後を獲って名声を得たかろうが、それこそ動機など何でもいい。
 一人で大勢を狙おうが、徒党を組んで個人を狙い撃ちしようがお構いなし。年齢も、階級すらも関係なかった。
 解釈次第では、自宅での不意打ちも、尋問も、寝返りも、人質を取る事すらもOKというルールになっているのは、そんな事など、実際の任務においてはごく当たり前に起こっているせいでもあった。


「あれでも結構、奴等にはいい勉強になっていると思うがな」
 言うと、イビキは大きなごつい手で小さな猪口を持ち、クイと一気に傾ける。
「勉強…ねぇ」
「そうだ。まず、分かりやすいところでは相手の後ろを獲る修業だな。狙われる側は当然それを未然に防ぐ修業になる。それから周囲の状況をよく観察し、自分はいつ、誰に狙われる可能性があるのかを常に予測して、常にそれに応じた行動をする必要が出てくる。まだあるぞ。アカデミーの人脈や人間関係を諜報したり、きっちりとそいつらの性格を読む技量も求められる。ただ忍術に長けていてもだめだって事だ。更にチームを組んで狙う場合なんぞは、そいつらがどれだけ信用できるか、また己を如何に信用してもらうかという問題も出てくる。こいつはもう子供の遊びなんかじゃないぜ。場合によっちゃあ下手な任務よりやっかいかもしれねぇな。まぁこれらは全て実戦においても重要な技術ばかりだし、今のところ任務にも全く支障は出てないんだ、暫くはやらせておけばいいんじゃねぇか」
 蝋のように白い顔が仄暗い中でにやりと笑うと、顔の縦横に走る傷が尚更凄惨に見えた。
「ところでゲンマよ、お前もこのゲームに参加してるんだろ? 今日オレを呑みに誘ったのは何か、あわよくばオレの後ろを獲ろうって魂胆か?」
 すると、つまみを取ろうとしていたゲンマのしなやかな指先がぴたりと止まる。
 銜えた楊枝が、イビキにすっと近付いた。
「まさか。あんたの後ろを獲れるなんて思っちゃいねぇよ。ただ、ターゲットを落とすためにちょいとね、手を貸してもらえないかなと」
「ほォ。一体誰を落とすんだろうな」
 イビキも細めた目で油断なく辺りを見回しながら、耳を近づけた。




「おい、聞いたか? 昨夜はオウケイがやられたってよ!」
 翌朝、アカデミーの裏庭では、数人の中忍が集まってこそこそと情報交換をしていた。
「んな事もうとっくに知ってるよ。お前、情報遅えぞ」
「やったのはハヤセだってな」
「やっぱそうか! あの二人、ずっと学問のライバル同士だったもんなぁー。しっかしあの頭脳派の二人がこんな形で決着つけるとはなぁー」
「おい、それよりゲンマ特忍がイビキ特忍を狙ってるって話、本当か?」
「えぇーっ? マジかよ〜。もうそんな所までいっちゃってんの?俺らもうぜんっぜん歯が立たねぇじゃんか!」
「噂だよ、う、わ、さ。…ったくビビってんじゃねぇよ」
「大体一人じゃもうこれ以上格上を狙うのは無理なんだよ。これからはデキる奴と組んでかないと、とてもやってけねぇ」
「じゃあよ、オレ達四人で組もうぜ、なっ!」
「やなこった、お前と組んでも裏切られるのがオチだ」
「なんだよー、ちったぁ協力しようぜぇ。大体お前、オレの後ろ獲っといてその言い草はねぇだろ?」
「だから言ってんだよ。バカ」



 アカデミーではもうここ何日も、ピンと張りつめた不穏な空気が流れていた。それはある意味、心地よい緊張感と言えなくもない。
 しかし、その空気の異変に全く気付いていない、恐ろしくマイペースな男も中にはいた。


「イルカ先生。今日、お宅にお邪魔してもいいですか?」
 耳馴染みの良い声にうみのイルカが振り返ると、見慣れた上忍がすぐ後ろに立っていた。
 この上忍の完璧な気配の消し方には、毎回少なからず驚かされる。
「カカシ先生! …はぁ、構いませんが…。でも昨日も、一昨日もその前の日も一緒に呑みに出掛けたのに?」
「ご迷惑でしたか?」
「いえ、そういう意味ではなく…。今までこんなに続いてご一緒する事も無かったんで、ひょっとしてどうかされたのかなと…。何か…その、悩み事でも…?」
「いいえ〜、どうもしませんよ」
 相変わらず男の目元はニコニコしている。
「そうですか…。まぁ相変わらず大したおもてなしは出来ませんが、宜しかったらどうぞ」
 書類の束を片づけながら、斜め後方を見上げつつ頷いた。

(あーあー、この様子じゃ、まだ何も、本当に全くなーんにも気付いてないな)
 カカシは少なからず目眩を覚えた。が、その反面、心底安堵もした。あまりのイルカらしさに、尚更愛おしさが募る。
 カカシは後ろから思い切り抱き締めたい衝動を、何とか押さえた。
(いいでしょう。こうなったら全身全霊を賭けて守り通しますよ? イルカ先生)
 周囲で一連の様子を見ていた事務の中忍達が怯える程の、針にも似た威圧感を背中からあからさまに発しつつ、カカシはイルカの背後にぴったりと付いて事務室を出ていった。


 ドアが閉まって暫くすると、中忍の一人が誰にともなく口を開く。
「――イッ、イルカを狙うのは…やっぱ、止めとこうな!」
「…あぁ、後がマジでヤバそうだもんな…」
 誰からともなく、引きつった声がした。












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