「なにィ、刺殺だとッ?!」
「ええ、来るそうなんですよ。大名が〜」
 子豚を抱いた黒髪のくノ一が、至極のんびりとした調子で応える。
「ハァ? 大名ォ? ――あぁ、なんだ「視察」か…。んなもの適当に理由付けて断っとけ。次ッ!」
 巻物や書類の山に囲まれた巨乳のくノ一が、これ以上ないというくらい面倒くさそうな顔をして、顔の前で一度だけぶんと片手振った。ちなみにもう片方の腕は、机に肘を突いた格好で顎を支えている。
「もうっ、ダメですよ〜、就任早々からそんなことじゃー。こういうことは最初が肝心なんですからね!」
「あ〜も〜、そんなに里が見たいんならシズネ、お前に全部任せるから、勝手にその辺に案内しとけ。次ったら次ッ!」
「なに言ってんですか! 案内は里長である綱手様がするに決まってるでしょう? 他に誰が居るって言うんですか。大体見せ方によっては、里に割り当てられる活動資金の増額交渉だって楽になるかもしれないですし、逆に下手をしたら来期の減額だってあり得る大事な日なんですよ!?」
 生真面目な上忍のくノ一は、全く退く様子なく食い下がる。
「あぁー、まったくもうーー、このクソ忙しい最中に余計な手間を掛けさせてくれるな〜」
「でも来たいと言っているものを断って、わざわざ心証を悪くする必要もないと思いますよ。大名との折り合いが悪くなるのも、それはそれで後々手間なんじゃないでしょうか? それなら今後良い方に転がっていくよう早めに顔見せをして、今から良好な関係を結んでおくというのが里長としての務めだと思いますが?」
「――はー……ったく仕方ないな。わかった、受けてやるよ。でもこちとら命張ってんだ。もし物見遊山や経費削減前提で来ようもんなら、その場で資金の増額交渉をして返り討ちにしてやる。見てな!」
「その意気です! でもそれには日々真面目に任務に臨んでいる所を見せないといけませんよ? 向こうは隙あらば予算を削減しようとあらを探しに来ている一面もありますからね。それなりに目端の利く、口うるさい連中が来るんじゃないでしょうか?」
「ぁァ? 別にウチのヤツらはいつも通りちゃんと任務をこなしてるが? アラなんざどこ探したって何一つ……って、――ちょと待て。……もしかして…「あれ」のことか?」
 綱手がふと何かに思いついたようにシズネの目を見る。
「ええ。まず一番最初に目に付くのは、恐らく「そこ」だと思われます。出来れば今週末の視察までに改善しておくのが得策かと」
「チッ…そうか。確かにそこにこだわられると面倒なことになる可能性はあるな…。仕方ない、早速今日から始めて当日までに改めさせるぞ。シズネ、今から適任者を手配しな!」
「はい!」
 シズネの懐にいた首に真珠を下げた子豚が、ブッヒーと鼻息を荒げた。




  
千年愛して 散





 マイト・ガイがアカデミーの庭を歩いていると、聞き覚えのある軽やかな男の声に呼び止められた。振り返ると黒髪を高く括った、あの人当たりのいい中忍だ。
「おう、イルカか。なんだ、報告書ならさっき別の者に出しておいたぞ?」
「あいえ、そうじゃないんです。書類はちゃんと拝見しました。ありがとうございます。…ええっと…あのですね、実は…」
 イルカは言いにくそうにもごもごと口籠もりながら、俯き加減に一生懸命言葉を探している。
「なんだ、遠慮してないで言ってみろ。オレで出来ることなら、何だって力になるぞ。男に二言はないッ!」
 ビシィと太い親指を押っ立てて見せる。
「はい…。では…」
 イルカが真剣な眼差しで、真っ直ぐに小さな瞳を見上げた。




「――しかし本当にアイツが責任者で良かったのか?」
 窓の外を覗いていた里長が、背後のくノ一に声を掛ける。
 眼下の庭では黒髪の中忍が、グリーンの派手なスーツをまとった上忍に何やら熱心に話しかけており、見上げられているおかっぱの上忍はどこか戸惑い気味だ。
「ええ、大丈夫だと思いますよ。彼なら真面目に取り組んでくれると思います。それに仕方ないじゃないですか、命令を出す側の長である綱手様自らがそんな格好してるんだから。号令かけたって全然説得力無いから、お手本となるような人物をわざわざ立てないといけないんですよ? 分かってます?」
「…ッ、そういうお前だって、当日はちゃんとベスト着用の標準装備でいるんだよ、シズネ!」
「ええ、もちろんです。ですから綱手様もその格好は止めて、火影の正装でお迎え下さいね?」
「…あぁもうっ、分かった、分かったよ! 次だつぎッ!」




(あーあ、イルカ先生と呑みに行きたいなぁー。今夜とかどうだろう、夕方誘いに行ってもいいかな? それともまだかなり忙しいんだろうか。里の復旧作業の目処は立ったけど、まだ低ランクの雑多な依頼も多いだろうしな。ん〜でもそういう時だからこそ、会って少しでも労ってあげたいじゃない…?)
 銀髪の男が誰もいない待機所のソファに寝転んで、そんなことをつらつらと考えていると。
「よう」
 アスマとゲンマが揃って入ってきて頭側と尻側に別れ、まるで挟み打ちにでもするかのようにこれ見よがしに同時にドサリと座った。
「――…なに?」
「いいやー、別にィ」
 頭側に座ったアスマが、明後日の方向を向いたままマッチを擦り、手慣れた様子で煙草に紅い火を灯している。
「シートなら向かい側も後ろも、開いてるでしょ」
「オレはここが気に入ってるんでね」
「何それ? どっかの三下じゃあるまいし。なんか言いたいことがあるならハッキリ言えば? 相変わらず素直じゃないねぇ〜」
 尻側に座っていたゲンマが、長楊枝を銜えたままクッと噴き出す。
「っッ…! じゃあ遠慮無く言わせて貰うがな」
 寝転んでいた横顔に、上から盛大に白い煙を吹き付ける。
「おめぇの連れ、あれ何とかしろ」
「…ツレ?」
 紫煙直撃攻撃を黙ってやり過ごしていたカカシのとろんとした目が、気持ち見開かれる。
「あいつも上からの命令だから仕方なくやってんだろうがな。正直こっちも閉口してんだ」
「なんのこと? あいつって?」
 のろのろと起き上がり、指無しの手袋をはめた手指で豊かな銀髪を後ろに掻き流す。
「カカシお前、里内の情報に関してはやたらと疎いのな」
「んーそうねぇ〜、大抵本読んでるから」
 確かにイルカと長話をする機会なら一年ほど前からかなり増えていたが、彼はどんなに話に熱中していても、決して他人をあからさまに批判したり噂したりしないために、入る情報はごく限られている。単に彼の耳にその手の情報が入らないだけなのか、入ってはいても興味がないのかは分からない。だがオレは、そんなイルカとの前向きな時間がとても気に入っている。
「じゃあそのエロ本好きの上忍様に、忙しい俺がかいつまんで説明してやるがな。――例の中忍センセイが、今朝方風紀委員に選ばれたんだ」
「ハァ? フウキ? ふうきって…風紀?」
「あぁ、恐らくは来週末にある大名視察、あれでいいとこ見せようって腹なんだろうけどな。こちとら今まで服装やら生活態度やらでやいやい言われたことなんざ一度もなかったしよ、そもそもやるこたぁちゃんとやってる連中ばっかだから、突然降って沸いたようなお咎めに不満が広がってると、まぁそういうこった」
 紫煙が立ち上って消えていく先を、鳶色の瞳が見るともなく見つめている。
「はー…要するに綱紀粛正ってやつね」
 だとすればその指導徹底役として、真面目で人当たりも面倒見もいい、服装や生活態度の見本のような中忍が選ばれたのも十分納得がいく。
「ったく女ってのは、どうしてそうまでして外見にこだわるんだろうな」
 ゲンマの長楊枝が揺れる。
「愚にも付かねぇ新たな局中法度を掲げてこなかっただけまだマシと考えられないこともねぇが、指導に従わねぇヤツは減俸もあり得るまで聞かされっと、どうも尻の座りが悪くていけねぇからよ。カカシおめぇ、ちょっと行って諭してこいや」
「ちょっ…なんでオレ?! やだね、絶対お断り! 大体そんなに文句あるなら直接長に言いに行けばいいじゃない。それにイルカ先生に注意されるようなことしてる方が悪いんであって、あの人には何も罪はないんだし。視察まであと六日くらいなんでしょ? その間くらい大人しく言うこと聞いて真面目にしてたって、罰は当たんないでしょうが〜」
「ったく分かってねぇな。反発してる連中ってのはよ、どいつも己の技量や忍としての生き様にプライド持って必死にやってきてるヤツらなんだぜ。明日をも知れぬ中で、任務を果たしながら精一杯自己表現してるっていうのに、それを頭っから否定されたうえ減俸なんかされてみろ。そりゃ文句の一つも言いたくなるってもんだろうが」
 指先で煙草をつまんだまま、髭男は珍しくよく喋っている。
「はぁ…? でも忍として重要なアイデンティティの上位が見た目っていうのも、どうかと思うけどねぇ? …あ、わーかった。アスマお前、服装指導された紅に『何とかしてくれ』って泣き付かれたもんだから仕方なくオレんとこに来たんでしょ? やー動機が不純だねぇどうも〜」
「あーあー、もうバレちまいやんの。はえーな〜」
「げっ、ゲンマ、てめぇは黙ってろって言っ……あ〜〜もうどいつもこいつも〜!」
 髭男がガックリと垂れた頭を大きな手の平で覆う。
「それにアスマ、あんたは特に大名を守護する立場にあるんだからさ、本来なら大名達の立場に立って、里の連中の風紀の乱れを正す側に回ったって良さそうなもんだけど?」
「……ッ!」
「猿飛の旦那ァ、どうにも雲行きが悪くなってきやしたぜ?」
 ゲンマが悪戯っぽく茶々を入れる。
「とっ…とにかく、上のやってることは逆効果もいいとこなのは確かだ。イルカにも大目に見るように言っとけよ」
 とその時、待機室のドアをノックする音がして「失礼します」と、実直そのものといった明るい男の声が聞こえ、カカシは大好きな思い人の言葉に「はい、どうぞー」とのんびりした声ながら即座に応える。
 直後、両脇に座っていた大の男二人が、まるで体に虫でも走り出したかのように落ち着きを無くしてそわそわしだした。
「お邪魔します…、あ、カカシ先生」
「どーも、イルカ先生。今夜あたり呑みに行けないかなと思ってたところです。久し振りに、どうですか?」
 カカシが目尻を下げながら、指で輪を作ってくいっと傾けてみせる。
 その横では、アスマが大慌てで煙草を踏んづけて火を消し、ゲンマが長楊枝を投げるように背後に隠したかと思うと、独特の結び方で金髪を覆っていた額当てをぐるんと前に回した。そのスピード、まさに上忍級。
「それが…、実は追加で別の任務が入ってしまって…」
 歩み寄ってきたイルカは、カカシの前で心持ち俯いてしまっている。口にこそ出さないが心底残念そうだ。別の任務というのは、例の風紀係というやつだろう。その様子を目の当たりにした途端、ようやくカカシも(上は何て余計なことをしてくれたんだ)と不満に思うに至る。
「…ほらアスマ。いい機会じゃない? 『服装チェックなんて逆効果だから大目に見ろ』って、今言っとけば?」
 腹立ちついでにカカシが髭面の横顔に耳打ちすると、髭男が無言のままジロリと三日月型の右目を睨んだ。


 結局、休憩時間を使って服装チェックをしにきたらしいイルカだったが、三人とも規定の範囲内だったらしく、何も言わないまま「いえ、何でもないんです、失礼しました!」と朗らかに出て行った。
 パタンと静かにドアが閉まると、一呼吸置いてアスマとゲンマの唇から小さく溜息が漏れ、かくんと肩が下がる。
「――ぷっ…くくく…今のあんたら…も、サイコー。コピーして里中にばらまきたいかも…っくく…」
 カカシが伸びやかな体を丸めて苦しそうに笑いだすと、二人はあからさまに顰めっ面になった。
「ったくー、口布以外、特にポリシーないヤツはいいよな」
 背後から取り出した長楊枝を銜えなおした金髪男が、ガラス窓を見ながら額当てを後ろに回している。
「…くっそー、カカシてめぇ…覚えてろ」
 アスマが新しい煙草に火を付けながら立ち上がった。
「あぁ、覚えとくよ。――お前達がイルカ先生を気遣ってくれたこと」
「―――…」
 言いながらソファに沈んだ男は、尻のポーチからさっきまでは読んでいなかった愛読書を取り出して、いそいそと開いている。
「ぁっ、てっめ…! さては風紀委員の件、知っててトボけてやがったな?!」
 すっかり勢いを削がれて渋々背を向けかけていたアスマが、バッと振り返った。
「ん? 知らなかったよ? ――風紀委員なんて嫌な役回りになったイルカ先生のことを、二人がどう思ってるかまではね」
「…ふっ、こりゃ一本取られたな」
 ゲンマも立ち上がってドアへと歩いていく。
「おめぇなんざ、エロ本読んでるとこイルカに見つかってこってり絞られりゃいいんだ、…ったく!」
 アスマの苦笑いを含んだ捨て台詞にちょいと片手を上げて応えると、カカシは愛読書に視線を落とした。














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