「ね、あれってガイ先生じゃないですか? ほら、後ろ?」
「ぇッ…」
「あ…女の人と、一緒だ…」
「…………」
 その瞬間から、オレは何だか嫌な予感がしていた。
 予感なんだから外れることもあるだろう、とも思った。
 だが、オレはやはり『腐っても上忍』だった――



  
炎 の 恋




「珍しいですね、ガイ先生が女の人と一緒だなんて」
 イルカ先生は向こうが余程気になるらしく、何度もオレから視線を外しては盛んに様子をチェックしている。
(ちぇっ…)
 オレは軽くふて腐れた。
 これから酒が入って二人きりで盛り上がろうっていう、最高にイイとこだったっていうのに、何だか面白くない邪魔が入ったような気がした。
 週末の混みあった居酒屋。
 オレはイルカ先生を殆ど無理矢理に仕事から引っぺがし、ようやくこの場へと連れてくる事に成功していた。
 それなのに、『お疲れさまでした』と一度乾杯したと思ったら、直後にこれだ。
 先程ほんの一瞬振り返って見ただけだが、写輪眼など使わなくとも、一発でその様子は脳裏に記憶されていた。
 ガイはいつもの怪しげなレッグカバーに支給服姿。女の方は二十歳過ぎくらいで、黒のストレートロング。あまり見ない顔だが、全く知らない顔でもない。一応同胞という程度の認識はある、下忍のくノ一だ。
 しかし、どうにも大人しすぎる。女は椅子に腰掛けたまま、俯いてうんうんと頷いているだけ。向かいのガイが一方的に大声で喋っている、そんな感じだ。
 あぁしかし、そんな事なんかもうどうでもいい。出来ればそんなシーンなど一刻も早く忘れてしまいたかった。
「まっ、あっちはあっちで宜しくやってるみたいだから、こっちもこっちで。ねっ、イルカせんせ!」
 三日月目で笑いかけるが。
「……えぇ…」
 駄目だ、生返事。ぜんっぜん聞いてない。
 何としてもイルカ先生の視界を遮るべく、ガイとの間に割り込むようにして、オレはわざと座席の位置を移動してやった。
 そしたらものの見事に、イルカ先生のほうからスッと座席を逆方向へとスライドされてしまった。そして視線は相変わらず、ガイと女の方をチラチラ…。
「イルカ先生っ! そんなに露骨に見ちゃバレますよ。幾らアイツが筋肉バカだって、いい加減気付かれますって!」
 小声で先生をつつく。
「きっ?! 筋肉って…、まったくもう、親しい間柄でも礼儀は必要ですよ? そんなこと言うもんじゃありません!」
 がーん…逆に怒られてしまった。しかも子供に諭すのと全く同じレベルで。こんなのってありか?
 仕方なく、出したくもないアイツの話題を振ることにする。くそ、何だか納得いかない。
「ガイのあのテンションに付いていける女なんて、居るはずないですよ。例えそれがどんなくノ一でもね」
「でも現にほら、ああやって楽しそうにデートしてるじゃないですか。ガイ先生も隅に置けないなぁ」
(どうでしょ…)
 オレから見る限りは、ガイをつまみに酒を飲んでるイルカ先生が、一番楽しそうに見えるけれど。
(んな他人の恋路なんて、どうだっていいじゃないですか。ましてやあのガイの色恋沙汰なんて〜)
 オレは頭の隅の、そのまた隅で、一瞬モヤッと想像したただけでも相当げんなりした。
「大体あいつが、一方的に喋ってるだけじゃないですか」
「確かに今はそうですけど、だからって相性が良くないとは限らないでしょう? ガイ先生も結構楽しそうですよ? ん? …あれっ? …ぁ……」
 突然イルカ先生の真っ黒な瞳が釘付けになったのを見て、オレも堪らず振り返ってしまう。
 そこには、米つき虫みたいに何度も忙しなくお辞儀をしたかと思うと、まるで逃げるように戸口へと走っていくガイの連れの女の姿があった。
(あらま)
 そして後には、中腰ガニ股の情けない格好のまま、呆然とするオカッパ男だけが残された。彼女を呼び止めるために上げられていた右手までが、こちんと固まったままになっている。こんな時でさえ、無意味に目立つことだけはやめられないらしい。

「――まっ、状況からしてたった今フラレたってとこですか。だから言ったでしょ。アイツのテンションに耐えられる女なんて居ないんですよ」
 速攻正面に向き直ると、届いたばかりのつまみを勢いよく頬ばった。そこにイルカ先生の声が被さってくる。
「カカシ先生って、ガイ先生の話になると、いつも途端にすっごく冷たくなりますよね?」
「んぁ?」
「何でですか?」
「ゃっ、何でって、言われても…」
 オレは返事に詰まった。別に意識して奴に冷たくしてるつもりはない。出来ることなら、可能な限り意識したくないのだから。
 とにかく今はただ、折角苦労してお膳立てした彼との二人きりの時間を、一秒でも早く取り戻したいだけだ。お願いだから他の誰も見ないで。目の前にいるオレだけを見ていて欲しい。
 だがしかし。
「理由は無いんですか? 無いんですね? だったら仲良くして下さい。今、ここに呼んできますから!」
(イッ?!)
 言うが早いか、彼はもう立ち上がって数歩踏み出していた。慌てて手を掴もうとしたが、こういう時のイルカ先生は恐ろしく素早い。とても内勤の中忍とは思えない俊敏な動きを見せて、まんまとオレの守備範囲の外へと行ってしまった。
(――サイアク…)
 オレは額当ての上から頭を抱えた。



「よぉ〜っ、ご両人! 相変わらず仲のよろしいことで! 青春(フィーバー)してんなぁ〜ッ!」
 イルカに連れられてやってきたガイは、相変わらずのテンションの上、たかが居酒屋のシートに腰掛けるのに、一旦両手を大袈裟に広げてから組み直し、更に右足をバッと頭近くまで差し上げ、そのままシートに倒れていきながら、その足を左足に組みつつストンと座った。
 するとすぐさま(何が嬉しくて、忍がそこまで目立たなくちゃいけないわけ?)という心の中の突っ込みが、ついついトゲのある言葉に形を変えて口から出てしまう。
「お前んとこは、仲が宜しくないようで……ぃでッ!」
 いきなり襲ってきた足指の痛みに、思わず顔をしかめた。見ればテーブルの下で、オレのつま先の空いている部分を、イルカ先生の靴が思い切り踏みつけているではないか。
(そこはッ、そーゆー事するために開いてるんじゃないでしょー?!)
 平静を装いつつ踏んだ張本人をチラりと見るが、黒髪の中忍は素知らぬ顔でもって、ガイにいそいそと酒なんか注いでやっている。
(あなたもあなたですよ…)
 あんな奴に返杯されて、やたら嬉しそうにニコニコしちゃってまぁ…。
 まったく面白くない。
 でも、このまま二人だけにして帰るわけにもいかず、オレは手酌でグラスに強い酒を注ぐと、そのまま一気に呷った。
 本当に不味い酒だと思った。


「ガイ先生、元気出して下さいね」
 居酒屋を出ながら、酔って足元が怪しくなったイルカ先生が、ガイを励ましている。まったくこの人は、どこまであの男の世話を焼いたら気が済むんだか。思わず溜息が出る。

 結局、今し方の居酒屋では、イルカ先生がガイを気遣って盛んに酒を勧めるために、その返杯分が彼本人にもきっちり回ってきていて、かなり酔ってしまっていた。
 更にガイは、イルカ先生のろれつが怪しくなってきたとみるや、今度は脇で傍観を決め込んでいたオレに向かって「どっちがより呑めるか勝負だぁッ!!」などと、何ともくだらない事をふっかけて来る有様だ。
「ヤケ酒なら一人で呑みやがれ!」と速攻断ろうとしたら、赤い目元のイルカ先生にきつく睨まれたので、仕方なくワンショットづつ交代で、火の付きそうな強い蒸留酒を呷りあった。
 結局二十杯づつ呑んでも互いに何の変化もみられず、流石のあいつも馬鹿馬鹿しくなってきたのか止めてくれたが、支払いは何故か全額オレ持ちだった。ふざけんな!
 とにかくオレは一刻も早くコイツと別れたかった。あまりにもテンションが合わなさすぎて、酷く疲れていた。コイツといると、自分の中の何かが吸い取られるような気がしてならない。
 足もとのおぼつかないイルカ先生を送ったら、さっさと家に帰って風呂に入って寝たい。もうそれだけだった。
 しかし、脇では尚も何気に凄い会話が飛び交っている。
「また三人で呑みに行きましょうね! ね、そうしましょう、ガイ先生!」
「もちろんだァ! 次回はオレの馴染みの店を紹介するからな。どんなに冷えたハァトも熱く揺さぶられて、心の底から人生を謳歌(フィーバー)出来る、それはもう素晴らしくイカした店なんだ。全ての客と、時を忘れて青春を熱く語り合えるゼ! 楽しみにしておいてくれ!」
「はいっ! うわぁー、すごいなぁ〜。どんな店なんだろう? 楽しみだなぁ〜」
 ガイのハイテンションが伝染したのか、イルカ先生も大乗り気になって、次回の日程まで話し合っている。
(も…、オレの意向なんて、どーでもいいんだ…イルカ先生…)
 オレは二人に、ただでさえ低めのテンションの全てを吸い尽くされて、地面にめり込みそうなほど項垂れたまま、とぼとぼと歩を進めるしかなかった。




 オレとガイは、ふらつきながらも何とかして両者の仲を改善しようと奮闘するイルカ先生を間に挟みながら、人通りの少ない住宅街へと差し掛かっていた。
 季節は霜月に入り、深夜となった今は一段と寒さが厳しくなってきている。北西からの強い風が三人の間を次々と吹き抜けていき、酒で得た熱を容赦なく奪っていく。
 繁華街の派手なネオンが住宅街の灯りへと変わり出す頃、ぽつりとガイが言った。
「んん〜冷えるなぁー。こういう時こそ、寄り添える熱い魂が欲しいものだな!」
 へぇー。アイツでも、女にフラれたのが少しは堪えてるんだろうか? そんな素振り、今の今まで微塵も見せなかったくせに。
 ずっと項垂れていたオレだったが、あいつのテンションがようやく下がってきたのを幸いに、一発茶化してやろうと口を開いた。
「どこかの一座にでも一緒にプレイしてくれと頼んでみるか? ――まっ、暫くは教え子にでも抱っこして貰うんだ…な……ん?」
「…バカ者ォ、何が悲しゅう…て……ん…?」
 ほぼ同時に聞き耳を立てた上忍二人が、突然立ち止まる。
 イルカ先生だけが数歩行き過ぎて、不思議そうに振り返る。
「…あれ、どうしたんですか、お二人とも? …何か? えっ? えっ? な、なにーー?!」

 赤い顔をきょろきょろさせるイルカ先生をその場に残し、オレ達二人は気配のする方向へと無言のまま一気に走りだした。
(何か…燃える臭い? ……火…か?)
 強い北西風に乗って流れてくる臭いは、明らかに何かの焦げた臭いだ。
 走り始めて幾らもしないうちに、それにうっすらと煙が混じりだし、続いて遠くからガラスの割れる独特の嫌な音が響きだす。
 その方向を見やると、黒いはずの夜空が赤黒く染まりつつあるのが、もう夜目を効かさずともはっきりと見えだしていた。
(間違いない)
 火事だ。しかも大きい。
 オレは隣を走るガイと素早く目配せすると、一気にその足を早めた。












          TOP     書庫     >>