つりあい



 その諍(いさか)いの切っ掛けは余りに些細すぎて、いきり立って熱くなった二人には、最早どこが始まりだったかさえ思い出せない程だった。
 敢えてその取るに足らない些細な発端を辿るとするならば、「サンドイッチを作った後の、パンの耳を揚げて砂糖をかけたやつって、妙に美味いですよね〜」とイルカが言ったところからだったのかもしれない。
 それを聞いた上忍が「えぇ〜、そんな油っこくて甘ったるいものが〜?」とソファで何気なく呟いた瞬間、恐らく彼等の頭上では「カーン」とゴングが鳴っていたのだ。

 それでも最初の頃は初々しい恋人同士らしく、子犬のじゃれ合いみたいな感じだった。互いにちゃんと一定の距離を取り合って、時に笑いながら教師らしく、紳士的にジャブを交わしていた。
 なのに次に気付いた時には、完膚無きまでに相手をやり込める事を前提とした、本格的な口喧嘩へとすっかり取って代わっていた。


「――大体ナスが好きなら好きで、徹頭徹尾、終始一貫して好きってことにして下さいませんか? 天ぷらにしたら急に嫌いって、おかしいですよ。天ぷらだってナスはナスなんですよ? あなたの好き嫌いが今度こそ治るようにって毎回作ってるんですから、わがまま言わないで一口くらい食べてみたっていいじゃないですか」
「いーじゃないですかー、別に天ぷらぐらい嫌いだって〜。あなたの作った他のものは、何だって全部食べてるでしょ? オレだってガキじゃないんだから、今更そんな余計なお節介必要ないですよ。それより混ぜご飯が嫌いって何ですか? 別々なら食べられんのに、混ぜたら急に食べられないってどういうこと? そっちの方がよっぽどおかしいでしょ?」
「よっ…余計なお世話ですっ! どうせ俺は昔から稼ぎが悪くて、何でもかんでも混ぜご飯にしてしか食えなかったですよ。あなたみたいに生まれついての天才でお金持ちで、パンの耳なんて食べたこともない人には、俺の気持ちなんて絶対分からないんですから、あれこれ首突っ込まないで下さい!」
「――あ、今本気で噛みましたね? オレだってパンの耳くらい食べたことありますよっ。なのに何でそんな意地の悪い言い方されなくちゃいけないんですか? アンタ一人で勝手にひがんでケンカ売らないで下さいよ!」
「本気にもなりますよ! 折角こっちが冗談で済ませようと思ってずっと下手に出てたのに、そっちこそいい加減度が過ぎてやしませんか。付き合ってるからって調子に乗らないで貰いたいですね! 親しき仲にも礼儀ありっていう言葉、知らないんですか? あぁ知らないですよね、その様子じゃ知ってるわけないですよね!」
「うわっ!今の痛かった、すっごい痛かった。オレが気ィ遣って手加減してあげてんのに、仇で返した!」
「あぁそうですか、それはよございました。でもそれもこれも、あなたが上忍のくせに頭の悪いこと言うからですよ? 大体外でまで恋人ヅラしないで下さい。迷惑なんです」
「あーーらら、こりゃまた随分なこと言ってくれるじゃないですか。いつどこでどんな迷惑がかかったって言うんですか。毎晩アンタを腰が立たなくなるくらいアンアンよがらせてあげてても、迷惑かけた覚えなんてこれっぽっちもありませんよ! なのにこっちがお願いしてる立場だからって、そんな偉そうに言うことないじゃないですか。アンタだっていっつも十分楽しんでるでしょ!」
「…そッ…!そういう恥知らずさが迷惑だって言ってるんですよっ! あなたには配慮とか思いやりってものがないんですか!? あなたがあちこちで俺とのことを吹聴して回ってるせいで、俺がどんだけ恥ずかしい思いしてると思ってんですかっ! やれ『美女と鈍重』だの、『ギャグ玉の腰』だの、挙げ句の果てには『何一つ釣り合ってないのに図々しい』だの言われ放題なんですからっ!」
「ハッ、くっだらない。そんな馬鹿どもの言葉なんて、いちいち気にしなきゃいいでしょ! それはね、片っ端から全部まともに相手しちゃってるアンタの方が間違ってますよ!」
「なッ…人ごとだと思って…! あなたは上忍で誰にも何も言われない立場だからそうやって呑気にしてられるんですよ! まぁ一介の中忍の気持ちなんて、おいそれと理解して頂けるとも思ってませんけどっ!」
「あぁ分かんないね、そんなひがみ根性分かりたくもない!」
「ひが………あぁもう嫌だ、耐えられない。――別れましょう」
「どーぞどーぞ。好きにすればー」
「ええ、好きにさせて貰いますとも。じゃあこの際だからついでに洗いざらい言わせて頂きますけどね。人ん家に来るたんびに、ポケットに入ってる小銭を全部出して、わざとらしくテーブルの上に置いてかないで欲しかったですね! 俺そこまで金に困ってませんからっ。あのお金、出て行く時に全部持ってって下さいよ!」
「なーんだ、一体また何を言い出すのかと思ったら…。そんなつもりで置いてないでしょ! ただ重いしジャラジャラうるさくて邪魔だったから、たまたまそこにあった空きビンに入れてただけじゃない。もー曲解するのも大概にしてよね〜。そもそもそんなにその金が気になってたんなら、アンタがさっさと使っちゃえば良かったんですよ。オレは別にアンタが何に使おうが、とやかくなんて言わないんだからさー。そんなかさばる重いもの勘弁してよね。置いてくから好きにすればー?」
「だーかーらッ、そういう余計な同情とか深情けが嫌いなんだって、さっきから言ってるじゃないですか! じゃあ…じゃあそこまであなたが言うんならね、お望み通り使って差し上げますよ! そんな手切れ金みたいなの、一晩で思いっ切り下らないことに使いきってやる! あっという間に洗いざらい、跡形もなくすっからかんにしてやるんだからっ!」
「ハイハイ、どーぞ!ご自由にっ!」

「……でなきゃ…っ……忘れ…られない…っ……」





「――ごっ、ごめ…。ちょっとその……言いすぎた。謝るから、…許して?」
「…っ!……触るな…ッ…!」
「ね? オレが悪かったから。まさかそんな、泣くほど辛かったなんて思わなくて…。――アンタの言う通り…その、調子ん乗ってた。だからこの通りっ。ね?…ね?」
「…………」
「もー冗談に決まってるデショー? ね、ジョーダン。全部ジョーダンだから」
「…………」
「その…てんぷらも、何とか頑張って食べるようにするからさ。――ま、一口くらいなら?」
「…………」
「もう絶対に周りに自慢したりしないし、小銭も置いてかないから。ね、それならいいでしょ?」
「…………」
「そんな怖い顔して突っ張ってないでさー、ほら、こっち来なよ。仲直りしよ?」
「そっ、そんな手にはもう乗りません! 毎回毎回っ。俺そこまでバカじゃありませんからっ!」
「え〜〜だってさー、イルカ先生との喧嘩って、ある程度必要な行事でしょ?」
「ハ?………はァ…??」
「だってあなたって、幾ら嫌な事があってもいっつも何ともないような顔してるじゃない。思いっ切り怒らせたらやっと何もかも喋ってくれるから、オモ…いや、仕方なくね。でも何で? オレってどうしてそんなに相談しにくいの? 頼りないの?」
「――だ、だって…その…」
「その、なに?」
「……あっ…あなたに、いちいち全部話して…その……嫌がられたく、ない…から…」
「アハハ〜、なぁんだ、そっか〜。でもオレはね、イルカ先生とだから喧嘩も仲直りもしたいと思ってるけど?」
「え…」
「だってー、一人ぼっちじゃ何にも出来ないじゃない」
「――ぁ……はい…。ごめんなさい、俺もついカッとなっちゃって…あなたに酷いことを……すみません」
「良かったぁ。そういやまだ玄関のドアも直してないしね」
「…そっ、そうですよー。あれ早く直して下さい! いつまでもほったらかしにして、不便じゃないですか!」
「だって〜あそこきちんと閉じちゃったらさー、ホラ、オレの自慢が……ってやっ、ウソウソっ、なによそんな怖い顔しちゃって〜。冗談に決まってるでしょー。もーー何もかもマジに取らないで下さいよ〜」

「そこにある金で直せっ! 今すぐッ!!」









                      「つりあい」  終



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