見つけた



「ちょっ、ちょっと! 幾ら何でも酷いじゃないですかッ!」

 今は無き三代目謹製の護符を貼ったドアを強引にブチ破った上忍が、勢いよく自宅に押し入ってくると、流石のイルカも腹を立てて叫んだ。
「あぁ、こりゃすみません。ちょっと夢中になっちゃって…。確かにやり過ぎました、ごめんなさい。もちろんこれはちゃんと弁償しますんで。――あ、でもね、ドアっていうのは、元々開けるためにあるんですよ?」
 この男はどうしてこう一言余計なんだろう? その一言に毎回笑わされたり感心させられていることも忘れ、イルカは怒りにまかせて喚く。
「ふっ、ふざけんのもいい加減にして下さいッ! ドアはあんたみたいな礼儀知らずを閉め出すためにあるに決まってるでしょう?!」
 両の拳を握り締め、肩を激しく上下させながら、イルカは向かいの上忍を睨みつけた。その男の背後にあるはずの扉は蝶番が全て外れて倒れ、哀れ男の足の下に踏みつけにされている。
 ドアを踏んでいる男は「やーすみませんね〜」と後頭部を掻いていたが、イルカの形相を見るや、慌ててドアを形だけ元の枠に戻した。
 そして「イルカ先生を怒らせるつもりは無かったんです。ただ何を考えてたのか、その…知りたくて…」と、上目遣いで見つめてくる。その鼻の下には、先程キレイに決まったカウンタのせいで赤いものが一筋流れはじめているが、本人はまだ気付いていないらしい。
(上忍なんだから簡単に避けられたはずなのに、わざとまともに受けるなんて…っ)
 彼との圧倒的な力量差なら、数えだしたらキリがない数々の手柄話はもとより、日々の報告書などからも嫌と言うほど見知っている。それだけにイルカは憤懣やるかたない。
「だからっ、なんで、そんなものっ…! さっきから知らないってあれほど言ってるじゃないですか!しつこい人は大っ嫌いですっ! 大体そんなに知りたきゃ人んちのドアなんか壊さずに、さっさと写輪眼でも幻術でも勝手に使えばいいでしょうっ!?」
「え〜、それじゃあ意味ないじゃないですか〜」
「なんのッ?!」
「――いやそのー、ほら〜、……何でしょう…ねぇ? アハハハー」
 カカシは鼻血を垂らしたまま、憎らしいくらい整った顔を崩す。
(……まったく…もう…)
 イルカの肩が、大きな溜息と共にカクンと落ちた。

「も…いいから……拭いて下さい」
「へ?」
「鼻血」
「……あぁ?」
 上忍は何度も鼻の下を擦ってはスンと鼻をすする。そのまるで飾らない、喧嘩した後の悪戯坊主みたいな顔付きを見ていると、イルカの中で突っ張ったり尖ったりしていた固いものが、急速に勢いを無くしてくたくたと萎んでいくのが分かる。
(…ほんとにもう…、あなたって人は…)
 やがて曲がったまま無理矢理立て掛けられているボロいドアや、カカシの悪戯小僧顔がなにやら急に可笑しく思えてくると、もうダメだった。怖い表情なんて元々無理矢理作ってるのだから、とても維持出来やしない。そのまま勢いよく吹きだしてしまう。
「え、なに? どしたの?」
「…いえっ、別に……ふふふ…その、顔っ…くくくっ…」
「顔? 顔が…どうかした?」
「…あぁいえ、なんでも…くっくっく……だって…、だって三代目が「何かの役に立つこともあるじゃろ〜」とか大真面目な顔して寄越した護符が、一瞬でぶっ飛んでっ……なんか、バッカみたい…、あぁやられた〜…絶対一杯食わされた〜〜、あはは、アハハハ〜!」
 何がそんなに可笑しいのか皆目訳が分からず、でも中忍につられて半分へらへらと笑っている上忍の前で、イルカは文字通り腹を抱えて笑った。
 やがて発作みたいな笑いが収まってくると、もうすっかり(ドアなんてどうでもいいや)という気分になる。
 いつの間にか、彼に向かって心の扉が一杯に開いている。
 そう、いつもと何ら変わらず。


「イルカ先生って、ホント面白い人だよねぇ」
 写輪眼でも絶対先読み出来ないよ、と近付いてきた上忍に言われ、まさか〜と頭を掻く。
「でっ? さっきは何を言いかけてたワケ?」
 今し方、バカ笑いと共に過去に流したはずの話題を、再び目の前に笑顔と共に突き付けられて、イルカは思わずうっと仰け反った。
「ごっ、…ご想像に、お任せします…」
「え、じゃあオレの好きに解釈していいの?」
「………はぃ…」
「その解釈が違ってても、絶対怒んない?」
「――…は…ぁ…?」
「良かったー。イルカ先生のパンチ、キョーレツだったからなぁ〜。まっ、お陰で一気に目が覚めたけど」
「すっ、すみませんでしたっ!」
 慌てて頭を下げた。思えばあんな大通りの真ん中で、世にも名高い上忍先生の顔面を、派手に殴りつけてしまったのだ。どう考えてもコミュニケーションの域は軽く超えている。
 
「…でもっ、カカシ先生だって簡単に避けられたのに、わざと殴られたりして…ずるいですよ。お陰で明日は上に呼ばれて、たっぷりお説教決定じゃないですか」
 里は忍同士のいざこざに関しては厳しい。下手をすると訓告処分だけでは済まない可能性がある。もし減給などということになったら、生活自体がおぼつかなくなってくるのだから、唇だって自然と曲がろうというものだ。
 しかし金銭や肩書きに頓着のない上忍は、至って気楽なものだ。
「だぁいじょぶ、だいじょぶ」
「何が大丈夫なもんですか。人ごとだと思ってー」
「なら、こうすればいいでしょ」
「?!」

 人というのは余りに予想外な事が起きると、何のリアクションも取れずに、なすがままになってしまう生き物らしい。
(今カカシ先生に唇を重ねられている)と頭では分かっているのに、そこに銅像のようにただ呆然と突っ立っている事しか出来なかった。その間にも上忍は舌先で咥内を撫で、歯列をなぞり、舌をゆるゆると吸い上げては唇を甘噛みしてくる。
「――好きです。…恋人になって」
 途中、頭上の遙か高いところでそんなような声が小さく聞こえた気がしたけれど、頭の中はすっかり白くなっていて、自分が何と答えたかさえろくに思い出せない。朧気に(やばい、すごい気持ちいい…)と感じた以外は、それこそ何もかもカカシに持って行かれたらしい。

 その後も興奮醒めやらぬ様子の上忍が、再び鼻血を垂らしながら自分のものを口一杯に頬張っているのを見たり、尻の間に未だかつて無い物凄い異物感を感じた瞬間は、流石に驚いて意識が束の間ハッキリしたけれど、後はもう何が何だか…。
 「その間」は、まるで洗濯機の中にいるような感じだった。洗濯が終わった頃には、自分はびしょびしょのくちゃくちゃになって、底の方でくったり溜まっているという…。

 ようやく、本当にようやく自分が戻ってくると、素っ裸の自分の隣で同じく素っ裸の上忍が、鼻の下の流血跡も生々しいまま、やたらとすっきりとした呆け顔でこちらを見ていた。
「――…あぁ、ども…」
 他に言葉が見つからないのだから仕方ない。酷く間抜けな挨拶だということは、嫌になるくらいよく分かっているのだけれど。
「ね、ホントにホントに、恋人になってくれるよね?」
 カカシは、それでもまだ確かめてくる。
「…………」
「術なら使わないよ。使えるわけないでしょ」
「…………」
「ねーねーイルカ先生〜、どこ行っちゃったの〜、返事して下さいよー」
 今日のカカシは今まで見たことがないほどしつこ……いや粘り強かった。
 まぁ俺自身も、余りに予想外な出来事の数々ではあったけれど、正直なところそれらを一度も夢想した事がなかった、……といえば嘘になる。ただ、夢想と現実の間に、ここまでとんでもない乖離があったなんて、思いもよらなかったけれど。
「ね、オレってもう、どこにも自分探しに行かなくていいんだよね? ね?」
「…………」
 思わず照れがぶり返してきて「だからそれは人に聞くものじゃなくっ!」と言おうとしたけれど、直前で口を噤む。
(ったくここまで好き放題しといて…。「一緒に探しに行こう」くらい、言ってくれたっていいと思いますけど?)
 今朝替えたばかりのシーツの汚れを怒る気力も失せた俺は、口先を尖らせたまま小さく頷いた。


 上忍の鼻血の味を、再び強引に味わわされている最中。
 ベッドサイドのテーブルに、先程自分が店に置いてきたはずのしわくちゃの札が、ひっそりと置いてあるのが目の端に映った。
「ぁ…、さっきの酒代…? 俺も払います」
 体を捩ってカカシの腕を振り解き、札に手を伸ばす。
 こういう間柄になったからって、飲み代が全部上忍持ちになるなんてなんか嫌だ。そういうのは違うと思う。
「いいのいいのっ!」
 すぐに寝技がかかってベッドに戻される。
「何言ってんですか、全然良くないですよ! 今までだってちゃんと割り勘だったんだから払いますっ」
 色々気恥ずかしくて、近付いてくる男の頬をぐいぐい押し返すものの、その顔半分押し潰された表情はニコニコとしていて、随分と機嫌が良さそうだ。
「や、今日の分は、オレの必要経費だから」
「え?」
「自分探しのね、旅費」








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