自分さがし



「はぁ〜〜っ」
 里を代表する名高い上忍が、魂まで抜けるような大きな溜息を一つ吐いた。
 居酒屋の一枚板のカウンタに両肘をつき、両手で自分の頭を支えた格好で、何やら浮かない顔をしている。
「どうしたんです?」
 如何にも『どうしたのかと聞いて欲しそうな』様子に、イルカが素直に応えてやると。
「自分というものがね、よく分かんなくなってきちゃいまして」
 などという答えが返ってきて、イルカは勢いよく流し込んでいた酒を、危うく詰まらせそうになりながら懸命に呑み下した。
「…だっ、大丈夫ですよー。きっと影分身のしすぎか何かですって〜。暫くすれば、そのうちどれが本体かなんてすぐに分かりますから。はは、はははー」と返すと。
「イルカ先生って、案外デリカシーないんですね」
 とジト目で言われた。

(…ったく…)
 中忍は心の中で小さく溜息を吐く。
 だって他里の忍からも通り名で呼ばれているような、誰もが認める木ノ葉最強の男に、そんな思春期の青少年みたいな悩みを打ち明けられたって、まともに受け取れる訳がない。
 それともこんな他愛もない悩み(?)まで、うだうだとくだを巻きつつ相談してくれるまでに親しくなったことを、素直に喜ぶべきなのだろうか。
 イルカは眉間に皺と眉をぐぐっと寄せつつ、男の方を見る。
「…で? どうして自分というものが分からなくなったんです? 何か心当たりでも?」
 すると、萎れていた男は待ってましたとばかりに身を乗り出して、にわかに喋り出した。
「だってねー、オレって最近五代目には『同じ本ばかり読んで面白味のない男だ』とか言われるし、ガイには『青春が足りない』だの、弟子達に至っては『威厳なんて元から無かった』まで言われてるんですよ? そりゃオレだって自分が面白い出来た男だなんて思っちゃいませんけど、どこかちょっぴりでも向上するどころか、この頃どんどん評価が墜ちてるっぽくて、それってどうなんだろうとか思ったら、何か止まらなくなっちゃったっていうかー」
 男は唇を尖らせて、浮かない顔で訴える。
 その目の醒めるような二枚目が作った困り顔に向かい、半ばわざと酒を吹かずよく堪えたと、イルカは内心自分で自分を褒め称えた。
(い、いや、十分面白いと思いますけど…)
 すっかり酔いの覚めてしまった中忍の頭は、今の上忍にとってはある意味無慈悲だ。
 隣の男は、イルカからなかなか思ったようなリアクションが返ってこないと見るや、酷く投げやりな調子で大袈裟な溜息を吐き続ける。
「あーあ。ヒマ貰って、自分探しの旅でもしてこようかなぁー」
「自分探し? 旅って…どこへ?」
「別に決まってません。そんなのどこだっていい。任務で大抵の所には行ったから、特にどこに行きたいっていう希望がある訳でもなし」
「…………」

 もう何杯目になるだろう。これ以上絡まれても困る自分が一滴も注いでやらなくなったため、カカシは自らの手で杯に透明な液体を満たすと、くっと一息で呷った。勢いが余ったことで口端から零れる滴りを、ぐいと乱暴に手の甲で拭う。その目元は、写輪眼の輝きの余波かと思うほどに赤い。
(自分探し、ねぇ…)
 カカシには悪いが、何となく胡散臭い言葉だとイルカは思う。一見前向きで真面目そうな言葉に聞こえるものの、よくよく考えてみると、どこか他人を煙に巻くような響きを孕んでいるように思えなくもない。

「自分を探すなんて、本当に必要あるんでしょうか? 探す、なんて」
「え?」
「あなたなら、ちゃんと居るじゃないですか」
「へ?」
「俺の目の前に」
 顎の下で組んだ手から、右の人差し指だけをぴっと男に向けると。
「――あぁもう〜〜、そういうんじゃなくて〜」
 一拍後、カカシは両手でもって灰色の頭をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「何言ってんですか、そういうことですよ。――まったくもうー、その探しているとかいうカカシ先生が、その辺の草葉の陰にでもにころんと転がっているっていうんなら? 俺だって一緒に探して差し上げなくもないですけどね。安易に居場所だけ変えたからって、その理想のご自分とやらが必ず見つかるとでも?」
「――ぁ? あぁ……ぅん…」
「そんな影分身より遙かに実体のないものなんか探してないで。…なっ、何というか、ですね……、もっと他に探すべき大切なものが……ほら、あるでしょう?」
「は? …例えば?」
「ぁ……いや。…しっ、知りません」
「――えッ? なに?! ちょと、今のナニ?! イルカ先生!」
「知りませんっ!」
「ウソ! 今何言おうとしたの? ね、ね、教えて?」
「だだ、だからそれはっ…、それこそ自分で探すものであって、安易に人に聞いたりするものじゃないでしょう?!」
「でも聞きたいの! 今知りたいの! ね、聞かせて?」
「ごっ、ご馳走様っ。俺はこれで失礼しますんで! ――あそうだ、これ俺の分っ。おつりはいいですから! どうぞごゆっくり!」
 くしゃくしゃになった札を尻ポケットから無造作に掴み出すや、カウンタに三枚を置き去りにする。そのまま逃げるようにして、急ぎ足で出入り口へと向かった。
「あっ、ずるい! 待ちなさいよ! こらっ!」
 背後から上忍の声が追いかけた。


 その後、道々イルカにしつこく付きまとってあれこれ質問攻めにした上忍は、とうとう往来のド真ん中で彼から強烈な右ストレートを食らったものの。
 少しも怯むことなく、中忍宅のドアをこじ開けるや中に押し入ったという。(目撃者・下忍N談)








                     「自分さがし」  終



         TOP    文書庫    <<   >>