紅さんによると、その日は主立った常連客の殆どが集まった日だったらしい。
「おうなんだおめぇ、こないだと随分雰囲気変わったな」
「そっ、そうですか?」
 辺りがすっかり暗くなった頃、迫力満点のビジュアル&排気音でやってきたアスマさんに開口一番聞かれたものの、紅さんとアンコさんにやって貰ったとも言い出せない。ははーと誤魔化し笑いをしながら後頭部を掻く。…と、その部分がまるで自分のものじゃないみたいな手触りになっていて驚いた。バイクの小さなバックミラーでは、頭がどうなっているかいまいち分からなかったが、かつてない事になっているのは確かだ。

「あー来ちゃったようるさいのが〜」
 トラックから持ってきた箱入りの饅頭を頬ばっていたアンコさんが、やれやれといった様子でふたを閉じて立ち上がっている。
「あ、帰るんですか」
「ああ。雲行きも怪しいしね」
 そろそろトラックを動かさないと、「チョークを持った怖いお姉さん達がもう一度回って来る時間」なんだそうだ。
「あははーそうですか、気をつけて…ええっ?!」
 笑って挨拶をしたまさにその時、国道から乗り入れてきたライムグリーンの腰高なバイクに跨がった男性の出で立ちに、呆気にとられて目が離せなくなった。
(ギプスしたまま、走ってる…)
 左足は脛の部分に鉄板の付いた、膝まである黄色いブーツを履いている。だが右足は、膝から下が眩しいくらい真っ白なギプスに覆われていて、はだしの爪先が妙に生々しく映る。同じ運転するのでも、ギプスで車に乗るのとバイクに乗るのとでは、全く違うと思うのだが…。しかもそのつくねみたいになった白い足を頭よりも高く振り上げながら、「お揃いだな、諸君ッ!」と激濃ゆい挨拶をしている。
「いつも思うけど、よくあんな格好で走れるよなぁ」
 隣では流石のアンコさんも呆れ顔だ。――っていつもー?!
「やっぱりライディングテクニックという点で言うなら、上手いは上手いのよ。ただ、やろうとしてることがそれを超えてまともじゃないだけで」
 聞けば少し離れた所でのんびりと煙草を燻らせているアスマさんも、「まともじゃない」部類らしく。以前『0→400m』の加速を競うドラッグレース用のジェットエンジンを積んだバイクに試乗したところ、ブレーキングのタイミングを誤って緩衝材に突っ込み、最近になってようやく店に来れるようになったのだという。
「そっ…、そうなん、ですか…」
 大人って。
 いや、ライダーって。

 バイクと揃いのライムグリーンのヘルメットの下から、もう一つ黒いおかっぱヘルメットで現れた男(失礼!)の姿をまじまじ見ていると、ぱちりと目が合った。すかさず「こんにちは。足、大丈夫なんですか?」と挨拶をする。
「ああ、三週間後にはショー本番だからな。何としてでも外すぞっ! いま新技の開発をしている真っ最中なのだ。やはり前方二回転宙返りを披露しなくては、会場も盛り上がらんだろう!」
「??は?前方? 宙返り?」
 男はその間にも「後方二回転は出来るのに、前方が出来んわけがないのだ」などと、わけのわからないことを言っている。
「あのー、それは後ろに…転ぶって、ことですか?」
 幾ら素人でも、「バイクは前に進むもので、バックが出来ない乗り物」だということくらいはわかる。よって後ろに転ぶ場面というのが想像できないが、転べばそりゃあ骨折の一つもするだろう。
「ガハハッ、それでは見ている方も面白くないだろう。空中を後ろ向きに二回転して、タッチ☆ダウンだ!」
「なっ、えええ?!」 
 プロテクターの付いたごついグローブの指先が、「クルクルと二度回って着地」という、何かの冗談のような軌跡を描いていて眉が寄る。
 先週カカシさんの後ろに乗っていて、思わず目を閉じてしまった時、何が起きたかわからなくて『まさかバイクがバイーンと空を飛んだ、なんてことは…?』などと荒唐無稽なことを思ったことがあったが、現実に、しかも二回転付きで飛ぶ人が…いる?!
 どう考えても担がれているとしか思えないが、見せて貰った携帯電話の待ち受けに『空中でバイクと人間が逆立ちしている』という摩訶不思議な写真があり、疑惑はますます深まっていく一方だ。
「えぇ〜〜? これってCGじゃなくて〜〜?!」
「ヨーーシ! それなら招待状を渡すから見に来い! 驚くぞ!」
 なんでもその日は、彼…ガイさんとそのチームの国際ショーデビューの日だそうで、世界中から超一流の凄いライダー達が集結するらしい。
「へぇー、じゃ帰って早速行き方調べます!」
 会場は山の中らしいが、丁度休みだ。思わぬところから休日の予定が埋まりだしていることに言葉に出来ないくすぐったさのようなものを感じながら、受け取ったチケットを見つめた。


 その後夜八時を回り、普通ならどこの店も閉店になる頃、ショップとその周辺スペースは今日一番の賑わいになっていた。
 ゲンマさんのゴールドメタリックの大型スクーターが、「ジェンマ」という車名だと聞いて、何だか双子みたいだと笑ったり、紅さんが現役のレースクイーンで、「近くで見てるうちに何となく乗ってみたくなっただけなんだけど、すっかりハマッちゃって」という話に「ほへぇー」となったり。
 更にナルト達のポケバイレースが来週に迫っていて、綱手さんらと共にお立ち台独占を狙って参戦すると聞いて、店の外で夕食のコンビニ弁当を広げつつ、少年らとも話は尽きない。
 綱手さん達がせっせとバイクをいじる中、そんな和気あいあいとした空気が店内に満ちていた時だった。

「あのー、三代目」
 それまで常連客らとカタナを挟んで話をしていたカカシさんが、修理中のバイクの前に来ると、そこに屈んでいた猿飛さんに背後から声を掛けた。
「なんじゃの」
「カタナのタンデムステップ、取り外したいんですが」
(ぇ…)
 途端、ペットボトルを取ろうとしていた手が止まる。
「あァ? タンデムステップだァー? んなもの外してどうしようってんだい」
 三代目が何かを言うより早く、脇から綱手さんのぴぃんとした声がかかった。それまで敷地のあちこちでめいめいに話していた人達も、会話をやめて彼を注視している。
「どうもしません。要らないんで」
(カカシさん…)
 タンデムステップといえば、先週俺が足を乗せていた場所だ。ナルトと話しながらも、その横顔を見ずにはいられない。
(あれ、外すんだ…)
 誓って何かを期待してここに来ていたわけじゃない。なのに、「二人乗り用のステップを取り外す」という彼の言葉が、いま灰色の薄もやとなって、すっと胸の奥に広がったような気がする。
「――ならその辺の工具使って、勝手に外しな」
 綱手さんは、「そんなことくらい自分で出来んだろ。こっちは忙しいんだ」と言ったかと思うと、さっさと背中を向けて再びオートバイをいじりだした。その様子を見ていた三代目も、何も言うことなく工具を握り直している。
 だが、カカシさんが「じゃ、お借りします」と小さく言って工具を選びだしたところで、いきなり綱手さんの檄が飛んできた。
「ナルト、サスケ! いつまで油売ってる気だい! ガキはさっさと帰って寝なッ!」
「えぇぇ〜〜まだいいだろォー。明日はサイジツだからガッコー休みだぜぇー…って、あぁもうわかったってばよ、バァちゃんのケチィ〜!」
「誰がバアチャンだってぇ!」という声に、隣りにいたこっちまでが首を竦める。ナルトのヤツ、よくあの人に婆ちゃんなんて平然と言えるなと、その度胸に感心する。
「ちぇっ、なんだよー、いつもは『休みの前は遅くまでいていい』って言ってるクセによ〜」とナルトがブツブツ言うなか、脇ではサスケが「アイツの機嫌に逆らったってムダだ。帰るぞ」と冷静に促している。この二人、互いに対抗意識を燃やしてはいるけれど、なかなかにいいコンビだ。出来るだけ応援してやりたいと思う。
「今日は話し相手になってくれてありがとな。俺も次のレース、応援に行くから」
「え、ホントか! ぃやった! マジ約束だぜ?!」
「ああ、約束だ」
 何かしら問題があるとすれば、やはり交通手段だろう。だがナルト達だって免許は持ってないのだ。彼らと待ち合わせて一緒に行けばいい。
「サスケ、どっちが寮まで先につくか、競争だってば!」
「よし」
「こーら、競争はレース場だけにしとけ。怪我して出場出来なくなったら何にもならないだろ?」
 軽く諭して見送ってやると、二人は渋々ながらも大人しく帰っていった。

「綱手さん、三代目、俺もそろそろ失礼します」
 戻ってきて挨拶をする。何だかんだで随分と長居をしてしまったが、来て良かった。ひょんなことから興味を持ったオートバイが、例え免許がなくても楽しめそうだってことがわかっただけでも大収穫だ。
「あぁ、ナルト達が世話になったな。また来とくれ。――カカシ!」
 ぴんとした声が飛ぶと、カタナの傍らで工具を持って屈んでいた男が頭を上げている。
「イルカを送ってやんな。場所は知ってんだろ」
(えっ)
 機械油が頬に付いた、それでもなお凛とした綱手さんの横顔を見つめる。
「ゃ、でも」
 いまカカシさんが言わんとしていることなら、聞かなくてもわかる。だっていま彼は…
「気が変わった。――タンデムステップの取り外し工具レンタル代、100万だ」
「「はぁっ?」」


     * * *


「すみません、ありがとうございます」
 カカシさんに頭を下げて、一度は返却したはずの店用の白いヘルメットを被る。編み込みをしているせいか、前回より若干キツイようにも感じるが、高く括ったときのように痛むことはない。彼女達曰く、「脱いだとき髪が乱れにくいからいいのよ」なんだそうだ。
(うー、それにしても…)
 どうにも気まずい。車だとそこまで距離が近くないからまだいいが、バイクは相手の体にしっかりと掴まらないといけないのだ。ここまで科学が進歩した昨今、気まずいと乗りにくい乗り物なんてものがあったとは。
 銀髪男からは、さっきから何の返事も返ってきていない。でもそれも当然だろう。綱手さんにいきなり「100万!」と言われて、今まさに取ろうとしていたタンデムステップが外せなかったばかりか、また俺を送る羽目になってしまったのだ。そりゃあ不機嫌にもなるだろう。
 バイクが国道へと出て行く際、ショップの皆がめいめいに陣取っていた場所から片手を上げて挨拶してくれたが、どの表情にもカカシさんに対する同情の念が浮かんでいた…ように思う。あぁ…


     * * *


(少しは、乗り慣れてきたか)
 さっきから後ろで黙って乗っている男に、意識を振り向ける。前回乗せた時はうるさいくらい喋っていたのに、今日は随分と大人しい。
(髪型が変わって、気分でも変わったか)
 年頃の女子中生じゃあるまいし。
 紅も紅だ。アスマに見せ付けたいのなら、こんな回りくどいことなどしなくてもいいものを。
(ったく…)
 あぁいやわかってる、これは八つ当たりだ。彼女達はそんなこと考えてもいないだろう。考える必要がない。
 自分の後ろに誰かを乗せて走るなんてこと、もう二度とないと思っていた。例えそれがどんな理由であれ、乗せたならその瞬間「責任」の二文字が生じる。例え事故らなかったとしても、極力そんな重たいものに煩わされたくなかった。何にも縛られることなく、自分が走りたい時、走りたいように走る。それが本来のオートバイの魅力のはずだ。そのためには、後ろは常に開けておくに限る。
 今思えば、札付きの暴走族に囲まれていたとはいえ、あそこまでしてやる必要もなかった。男が言っていたように最寄りの駅か、さもなくば空きタクシーの隣りにでも降ろせば良かったのだ。なのにあの男を後ろに乗せた途端、長いこと頑なに守り続けていた己との約束が、どこかに消えてしまっていた。
 まあ新しいバイクを買ったばかりで、自分でも気付かないうちに興奮していたのは確かだ。でも、だからこそ、後ろに人を乗せるのは、これきりにしておかないといけない。
(――カタナか…)
 股の下でドクドクと鼓動している空冷4ストのエンジンが、信号待ちで止まるや、熱い空気をまき散らしだした。
 まるで『そんなに冷めて、何が面白いんだ』と嘲笑うかのように。





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