「――はぁ〜終わった終わったァー。お陰で今日の仕事はもう済んだようなもんさ。恩に着るよ」
 綱手さんが少年達にお金を渡し、「好きなの買ってきな」と全員分の飲み物を用意させて、みんなでドーナツを囲んでいる。…と思ったら、子供達はあっという間に自分の分を平らげたかと思うと、外にいる大人の常連客と身振り手振りを交えながらレースの話をしだした。どうやら彼らは、この店のマスコット的存在らしい。
「ポケバイに、夢中なんですね」
 あそこまで活き活きしてる子供が、果たして塾にいただろうかとふと思う。
 彼らに写真の説明をされている時も大変だった。
「これな、これな、オレ! 思い切りキバをちぎったとこな!」
「うわ、ホントにバイク小さいなー。リュックに入りそうじゃないか。しかもお前、こんなに地面が近くて怖くないのか?」
「ぜんぜん! でこれがな、サクラちゃん!」
「そうかー応援に来てくれてるサクラちゃんにも、いいとこ見せないとなぁー。…おっ、表彰台にいるの、これサスケじゃないのか?」
「…ぁぁ」
「すごいじゃないか、もしかしてお立ち台常連なのか?」
「でなっ、でなっ、こっちはなっ!」
「イルカ、次ッ!」
「はいっ!」
 綱手さんのピィンとした声が飛んできて、慌てて続きを訳す。…とまたナルトが話しかけてきて、再び…の繰り返しだった。
 でも楽しい。全くのバイク素人なのに、こんなに楽しんでしまっていいんだろうかと思うくらいには。バイクに乗る人って、乗らない人に対してどこか一線を画しているようにも思っていたけど、どうやら勝手な思い込みだったようだ。

「最近のポケバイレースは、親子で始める所も多いんじゃよ。バイク好きの父親がメカニック、母親がピットクルーになっての」
 外の賑やかなやりとりを眺めていた三代目が、油で真っ黒な手でマイ湯飲みを包み込みながら喋っている。陽に焼けた穏やかな目元に、何とも言えない味わいがあると思う。
「ああ、そうなんですか、そりゃあいい」
 塾で子らと話していると、時々彼ら親子の間に「共通の話題」が少なすぎるのでは、と思うことがある。でもこのスポーツなら、普段は見ることの出来ない親父の格好良さや、母親の逞しさまでが何も言わなくてもいっぺんに伝わって、またとない休日になるんだろう。いいな、俺もそのレース、見に行ってみたい。
「だが、あいつらにはその親がいない」
(え…)
「カカシが『あいつらにポケバイの面白さを教えてやってくれ』って言いに来た時にゃ、このクソ忙しいのになんてことを言い出してくれるのかとはた迷惑に思ったもんだが……はっ、何だかんだ言いながらも、やってみりゃそれなりに面白くなってくるもんさね」
「そうなんですか…」
(あの、カカシさんが…)
 彼という人を一つ知るたび、一つわからなくなる。――だからまた、知りたくなる。なんたかそんな気がする。俺に言わせれば、彼こそ「何者?」って感じだ。
 ちなみに、あの時彼が持ち帰った店用の白いヘルメットは、まだ戻ってきていないとのことだった。


「おっ? さすがだってば。もうドーナツの匂いにさそわれて来たぞ〜」
 店の奥のトイレから出てきたナルトがけらっと笑うと、雑誌を読んでいたサスケがぼそりと「ドカだな」と呟いている。道路のほうを見やると、バスの陰から出てきた一台の真っ赤なバイクが、店のほうに入ってくるのが目に入った。
(へぇ〜)
 どうやらここのショップに出入りしている常連は、その姿を見なくても、バイクの音だけで誰が来たかが分かるらしい。うん、いかにもマニアの店に来てる感じがしていいぞ。
 だがその迫力のあるエンジン音を一帯に轟かせるバイクに乗ったライダーに、目が釘付けになった。
(うわ、もしかして…?)
 前傾姿勢で乗る大柄なオートバイは、かなり戦闘的なデザインだ。けど、でも、そのシートに跨がっている、曲線の多い凹凸のはっきりしたグラマーな体は…?
 バイクのエンジンが止まり、真っ赤なヘルメットを脱いだ途端、よく映画で野郎が冷やかしの意味でピューッと口笛を吹いてみせる、あの気持ちが分かった気がした。
(すーげぇー、女の人だ〜)
 しかも男なら、十人が十人振り向くであろう美人。
 黒い皮のブルゾンにジーンズ、ブーツという出で立ちだが、すらりとした長いジーパンの脚の部分に、更にもう一枚、セクシーな黒い革製のカバーを装着している。
「それ、カッコイイですね、西部劇みたいだ」と話しかけると、「ああこれね? チャップスっていうの」
 冬の防寒具だから昼間はまだちょっと暑いけど、あるのと無いのとじゃぜんぜん安心感が違うのよ、と赤いグローブを外しながら独特の艶やかな笑みを浮かべている。
「ねぇ、カカシが連れてきた人って、あなた?」
 だが今の今まで「イタリア製のドカティってバイクよ。可愛いでしょ」と真っ赤に輝くタンクを愛おしげに撫でていた彼女…紅さんに、逆にたずねられて、「へっ?」という間抜けな声が出た。
「連れて……ええまぁ、はい?」
 その表現だと、「単なる通りすがりの一見客」という意味合いとは少し違うような気がする。でももう二度目の訪問だから、彼女の表現が当てはまるようになってしまっているわけだが。
 どうやら自分のことが、知らない人にまですっかり伝わっているらしいことに気恥ずかしさを覚えつつも、こんなにスタイル抜群の綺麗なお姉さんと差し向かいで話す機会なんて、まず滅多にない。内心どぎまぎしながら答えていると、ナルトが「イルカせんせぇ、紅のねーちゃんはダメだってばよ〜?」と意味ありげなニシシ笑いをしている。
「なんだ、ダメって?」
「ナルトは余計なこと言わないでいいの」と紅さんにたしなめられながらも少年が面白がって話すには、アスマさんと「いい仲だから」だそうだ。うっ、そうか。確かにめちゃくちゃ似合いのカップルではある。


「ねぇーーっ! ドーナッツ、まだ残ってるぅ〜?!」
 紅さんがメールを送信してから一時間後。国道を行き交う車の殆どがヘッドライトを灯して走っている中、大きな10トントラックが歩道に半分乗り上げる格好で店の前に止まったかと思うと、中から自分と同い年くらいの女性が降りてきて目を丸くする。
「ふふ、きたきた。あるわよ〜一つだけ残しておいたから」
 紅さんと仲がいいらしい彼女はアンコさんというそうだが、「見ての通り、10トントラックの運転手さ!」と元気一杯だ。
 ところがラストワンのドーナツを幸せそうに頬ばりながら、「あー良かったぁ〜途中渋滞にハマッちゃってさー。本気で車の上に乗り上げそうになっちゃったよ」という言葉に、てっきり何かの冗談だと思って流そうとしたところ、普段は『本当に乗り上げている』らしいことに耳を疑う。えっ? どういうこと??
「トラックじゃなくて、バイクで、だけどねー」
「や、ますます、意味が分かりませんが」
 質問魔としては、是非ともドーナツ分くらいは説明して貰わないといけない。
「トライアルって競技なんだけど、知らない? 知らないか〜。バイクに乗ったまま、どんな高い所でも狭い場所でも、足を着かずに上り下りする競技なんだけどさ。その辺の車に乗っかるのなんて、わけないよ」
「…はぁ…?」
 余りに突拍子もない話に、想像が追いついていかない。車が倒れたバイクの上にでも乗るというならまだ分かる。けど、止まっている乗用車の上に、バイクが乗る?? しかも足も着かずに〜?? なんだそりゃ? イリュージョンかなんかか?
 でも俺が何も知らないと思って、二人して担いでいるというわけでもないらしいのだ。
 登る際の邪魔になるため、そのバイクには公道を走るための一切の保安部品が付いていないそうで、ナンバーはもちろん、座るためのシートや、自立するためのスタンドすらないという。そうして不要なものを限界まで削ぎ取ったバイクと、ドライバーの飽くなき探求心(?)により、最近ではガイさんの新車が「洗礼を受けた」とかで、彼女がトライアルバイクを持ち込みそうな時は、パーツ屋の営業車も怖がって近寄らないという。
「もうね、トライアルにハマッてからは、見るもの全てが『登れるか基準』なんだよね。だから道路に車が詰まってるの見てるとさ、無性にムラムラするんだなーこれが〜」
「ははは〜、そうなんですかー」
 どうやらナルト達は、日々突拍子もない社会勉強をしているらしい。

 そうはいっても、二人はやっぱり年頃の女性だなと思う。紅さんの編み込みを見て、何の気なしに「こないだ髪を結んだままヘルメットを被ったら、途中から頭が痛くなってきてえらい目にあいましたよ」と言ったら、「イルカも、編み込みしてあげよっか?」と振られて驚いた。アミコミ?!
「ええ? やっ、いいです!」
 ドーナツのお礼と言われたが、慌てて手を振る。男海野イルカ25才、そんな頭で電車に乗って帰るって…どうなんだ?
「まあそう言わないで。アンコの練習台になってあげてよ」
「いつもは私がやってあげてるんだけど、ここじゃ練習台になる女の子がなかなかいないし、かといって手が覚えないと一人じゃきれいに出来ないのよね」と紅さんに言われ。
「…はぁ…じゃあ…」
 結局彼女の真っ赤なバイクに横座りした格好で、屋外美容室が始まってしまった。俺髪の毛多いから、編み込んでくの大変じゃないかと思うんだけど。

「ここに来るヤローどもは、どこ行っても何しててもバイクのことしか話さないからさぁー、ほんっとつまんないんだよねー」
 紅さんに手ほどきを受けながら、アンコさんが髪を取っていく。生まれて初めての摩訶不思議な感触を頭に感じながら、「はーそうなんですか〜」と答える。店に来た男性客がこちらを見ながら、何とも言えない表情ですぐ目の前を通り過ぎていく。顔が熱い。
「ふふっ、言えてるわね。折角バイクに乗ってるのに、あれ食べに行こうとか、あの宿が良かったとか、男連中ってそういうの不思議なくらい全然ないのよね。一体何しに行ってるのかと思っちゃう」
「そうそう。こないだも軽井沢に行ったとかいうからさーあ、いい店あったかーって聞いたら、『ずっと山走ってて、コンビニとパーキングエリアしか寄ってない』とか言うし。バッカじゃないの〜って思うよねぇー」
 そんなちょっぴり愚痴っぽいことを、でもとても楽しそうに喋りながら熱心に人の髪をいじっていて、確かに女の人は面白いなと思う。
「はー、そうなんですか〜」
「イルカは? どこに行ってみたい〜?」
「え、だって俺、免許持ってないんで」
「そんなの平気よ。今は高速だってタンデム出来るんだから。なんなら私が乗せてあげるわよ?」
「ええ?!」
「こーら、動くな。そーだなぁ、アタシもイルカならいいよ」
 他の連中はお断りだけどね、という言葉にも、「はあ…ありがとうございます」と言ったものの、その先何と続けたらいいものやらだ。
(女の人の後ろに乗るなんて…)
 それこそどこに掴まっていいかわからなくて困りそうだから、遠慮しておくことにする。

「なに言ってんの。この人こう見えても結構コワイよ〜」
(ぇ、カカシさん?!)
 声のした方に振り向くと、片手に白いヘルメットを持った男が立っていて、いつの間にか丸まってしまっていた背筋を伸ばす。
「あぁもう、動くなって! あれーカカシ、いつ来たんだ? …ってげぇーなんなんだよあのバイク〜!」
 アンコさん、人の髪を放り出して大笑い。
「ぇなに、カカシあなた、またバイク変えたの?!」
「別に、いいじゃない」
「ほんっと浮気性だなぁ〜、何人目だよ〜」
「ほっといて」
(ぁ、なんだか今日は、明るい…?)
 そりゃあこんな綺麗な女性相手なら当然かもしれないけど、少しホッとする。
「こんにちは。こないだは、どうも」
 またアンコさんに怒られないよう、目と声だけで挨拶をする。
「この人ね、誰もいない夜の貯水湖の駐車場で、阿華都鬼の連中とたった一人でやり合おうとしてたんだから。丸腰なのに」
「ええぇ〜〜? マジでー?!」
「うそ、信じられない」
「ゃっ? えと、はははー? つい…カチンときちゃったと、いいますか…」
 いきなりの暴露話に最初のうちこそどぎまぎしたものの、もう過ぎた話だ。こんなネタだって、みんなで笑えるならもうそれで。
(あぁでも…良かった)
 ここにきて、この一週間自分の中で何が引っかかっていたのかが、彼の声を聞いた途端ようやくわかったような気がした。
 彼は、俺が思うほどひとりぼっちじゃない。
(多分、な…?)
 それなら、良かった。
 こちらに視線をよこすことなく通り過ぎていった後ろ姿が、視界の端からゆっくりと消えていった。





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