大型免許を取る前から、世に数あるオートバイの中に、自分とどことなく似たようなバイクがあることには気が付いていた。
 最初に言い出したのは、中学の頃から一緒に原付レースに出るなどしてつるんでいたヤツだ。「なんだかお前によく似た変なバイクがあるぞ」と言われて、渡されたバイク雑誌を見た。
「は? なにこれ。ちょっと…いやかなりヘンでしょ?!」
 最初の印象は、すこぶる良くなかった。初めてモーターショーに出た当時も、世界中で賛否両論だったとある。
「だから変だって言ってるだろ」
 「でも似てるぜ」と、ちょっとしつこい所のあるそいつは譲らなかった。そのバイクが大ヒットして、街中を走るようになると、「おーい見ろよ、カカシが来たぞ〜」などと下らないことを言った。
 だが所詮中坊なんてまだ子供だ。そうやって何度も同じことを言われているうち、だんだんとその気になりだして、いつしか自分でも気付かないうちに思い入れを深めていった。
 学校の規則で、高三にならないと免許取得の許可が下りなかったから、オレは大型二輪の免許が取れる十八になった秋にまず車の免許を取り、その足でそのまま試験場に行って、限定解除の一発合格を果たしていた。その頃すでに教習所では大型二輪の教習も行われていたが、金と時間のない学生にそんな回り道をしている余裕はない。合格率三パーセントの「落とすための試験」と言われていようが関係なかった。
 それからはアルバイトにも精を出し、春休みが終わる頃には一台の国産バイクを手に入れていた。但し中古、しかも思い入れて憧れていたカタナでもなかった。カタナはちょうどその頃から価格が高騰し始めていて、とても親戚宅に居候している貧乏学生に手が出せるような値段ではなくなっていた。
「くっそーー、いいなぁ大型〜」
「いーでしょ」
 それでも念願だった大型二輪だ。嬉しいは嬉しい。早速そのバイク仲間に自慢だ。
 彼は当時、原付の免許は持っていたが、レースでも転倒ばかりしていた、いわゆる『しんがりホルダー』だった。教習所での中免の見極めにも三回連続で落ちていて、当時かなり凹んでいた。最近はバイトも許して貰えないとかで、ガス代がないから後ろに乗せてくれと度々言われたが、オレは頑として首を縦には振らなかった。
「ダーメ。二輪にはね、免許取ってから一年以内は後ろに人乗せちゃいけないっていう、ルールがあーんの!」
「えー何だよその取って付けたようなルール〜、ウソくせぇ〜!」
 彼はなかなか信じようとしなかったが、もちろん本当だ。しかも一年間の初心者期間に違反をしてしまった場合は、より厳しい罰則が適用される。そんなのは御免だ。
「悔しかったらさっさと免許取りな。…あぁでも、サーキットなら後ろになら乗せてあげられるかもね?」
「え、マジで?! いいのか?! 乗りたい、乗せてくれ!」
 サーキットは公道でないため、道交法が適用されない。オレ達は当時入り浸っていたサーキット場の管理人に直談判して話をつけ、時間外に三周だけ回らせて貰うことになった。
「まっ、これも五年連続で三部門総合一位のオレだから許可が下りたんだからね。有難く思ってね」
「くっ…くっそう〜、…ハイハイ、ありがとよッ!」
 そうして二人を乗せたカタナはコースに出たが、カートやポケバイ向けに作られた非公式コースのため、一周の距離はもちろん、バックストレートもとても短く、しかも全体的にかなり入り組んでいる。
「うははっ、うほっ?! いーゃっほーーい! いいぞいいぞォーー!」
 もちろんそんな難コースだからって、転ぶようなオレじゃない。その時生まれて初めてバイクの後ろに人を乗せて走ったが、不具合はすぐに修正できていた。試験場での一発試験に是が非でも合格するため、陰で嫌になるほどの現地見学とイメトレ、そして練習を繰り返したその成果は体の奥深くに染みついて、最早バイクの運転は息をするのと大差なかった。
 何よりヤツと長年一緒にレースに臨んでいたお陰で、お互いに走りのクセを熟知していた。オレの背中ばかり見て追いかけてきていたアイツが、オレのコーナーリングに合わせてリヤシートで体重移動をすることなど、雑作もないことだった。

「どお?」
 息つく間もなく三周を終えてバイクから降りると、アイツはすっかり興奮して声高に喋りまくった。
「いやーははは! 参った、やっぱスーパースポーツのトルクはハンパねぇな! つーか四〇〇なんかより全然いいじゃねぇかよ! あぁくっそう〜俺も早く中免取って、とっとと限定解除目指すぞ!」
「そ。頑張って頂戴」


 だが別々の大学に進学して、暫く経ったある日。
 何の前ぶれもなく「彼が亡くなった」と、元レース仲間から連絡が入った。
 死因は、バイク仲間とのタンデム走行中の事故。
 彼はまだ中免取得中で、彼を乗せていた者にも過失はなかったという。




「なに、考えてたんですか?」
「…いや、……別に」
 前回とは別の道を使い、近道をして辿り着いた男のマンションの前で唐突に出された問いに、ハッとしつつも咄嗟に答える。
 だが男は何を思ったか、バイクから降りた途端、「あの、ちょっと待ってて」と言ったかと思うと、どこかに走っていっている。
(――ああ…自販機)
 戻ってきた男に、「温かいのがまだなくて」と、缶コーヒーを手渡された。ブラック。ひょっとしてこないだファミレスに入った時、人の飲み方を見てたりしたんだろうか。
 いずれにしても、こいつを飲むためにはメットを脱がなくてはいけない。この男、そこまで計算に入れていたのであれば、なかなかのものだ。偶然とは思うが。
「…別に、寒くないし」
 最近のライダー専用のウェアは、実際よく出来ている。
 革の手袋越しでは、手に取ってみたところでそいつが熱いか冷たいかもわからない。
 ヘルメットをハンドルに掛けると、プルトップを引き起こし、缶に押し込んだ。

「カカシさん、ナルト達のポケバイのレース、見てやってるそうですね」
「…あぁ」
 マンションの前のガードレールに腰掛けた黒髪の男が、意を決したような表情をしたかと思うと、急に話しだした。後ろに乗っている時何も話さなかったから、こっちこそなにを考えているのかと思ってはいたが、この男の表情は分かりやすい。それは時としてこちらが困惑するほどだ。
 その表情で、「一つお願いがある」という。
「? なんの」
「俺も…その手伝いをさせて欲しいんです」
「は?」
 思わず間抜けな声が出た。
「ナルト達に聞いたんですけど、レース当日だけでもやらなくちゃいけないことが結構あるそうですね」
 それを、やりたいのだという。
(ったく、ナルトのヤツ…)
 いや、こういうことはむしろサスケの方なのか。二人ともたった半日で随分とこの男に懐いていたようだが、二人は何をどこまで話したのか。
 確かにレースに出るためには、資金調達以外にもやるべきことが山積している。まず早朝から二人とバイク二台、それに大量の工具類や資材を乗せて会場に行き、現地で場所取りや手続きを済ませる必要があるが、その後もパドック設営、車体準備、アドバイス、ラップ計測、飲食の用意、撤収作業、帰宅…と切れ間なく続いていく。しかもそれら全てが二人分となると、容易なことではない。こちらも仕事で毎月のようには参加できないことから、その場合はその日店に出ない方の三代目、もしくは五代目がたった一人で行ってくれているが、メカニックとの兼務では、一旦車体にトラブルがあるととても手が回らなくなる。どうやらその辺のことを、子供らなりに気に掛けていたらしいのだが。
「夏は暑いし冬は寒い。雨も降るからかなり大変だ。やれるの?」
 つい一週間前まで、オートバイには興味も縁も無かったはずの男の目をチラと見る。
「一通り、二人から話は聞きました」
「それだけじゃ、ね」
「だから、お願いしています」
(現地で教えろ、か)
 溜息を一つ吐く。少しあからさまに。
「ねぇ」
「はい」
「なんで、そこまでしたいわけ?」
 その場のノリや物珍しさから参戦したいと言い出しているのなら、迷惑でしかない。早々にコースアウトして貰わないと。


「――――」
 白いヘルメットを脇に抱え、空き缶を二つ手にして歩道に立っている男が、加速と共に遠ざかっていくのを、バックミラー越しにチラと見る。
 男は短く、「自分も、両親いないんで」とだけ答えていた。
(―――…)
 その問い以外に、何か取りたてて聞きたかったことがあったわけでもなく。
 残っていたコーヒーを一息に煽り、差し出された手に空き缶を渡すと、待ち合わせ時間だけ告げてエンジンをかけていた。
「わかりました。朝五時半にここ、ですね」
 頷くかわりに、上げていたスモークシールドを下ろした。なんだかあれこれ喋る気分じゃない。

(――別に…逃げてるわけじゃない)

 背後を目視確認して車線変更をすると、男の姿は小さなバックミラーからあっさり消えていった。


     * * *


 開口一番「おはようございます!」と挨拶すると、銀色のバイクのシートに横座りしていた銀髪の男が、黒い革手袋をはめた右手をちょいとあげている。
(うん、快晴、の予感!)
 彼とバイクを照らしている光が、秋のそれのように澄んでいる。頭上には朝焼けに輝いている雲がまだ幾つかあるけれど、現地に到着する頃には、昇ってきた太陽と風が運び去ってくれそうだ。
「え、なにその荷物」
 カカシさんが俺の背負った大きなリュックを、気持ち眉を寄せながら不審そうに眺めている。いや、そんな危険なものは入ってないんだけど。
「へへ、弁当です」
「弁当〜?」
「ええ、いつも近くのファミレスとかコンビニに並んでるっていうから、作ってみました」

 実はあれからまた一度だけ、ショップに足を運んでいた。主たる目的は、借りていたヘルメットを返すためだ。
「なんだい、日曜にサーキットに行くなら、そのまま使ってりゃ良かったじゃないか」
 まだ店に来たばかりで、シャッター前にバリケード用として(?)置いてあった数台のポンコツバイクを、三代目と手分けしながら移動させていた綱手さんが、呆れたような声を上げる。
「いえ、もう自分のを、買おうと思って」
「あぁ、そういうことかい」
 だが何を思ったのだろう。急に真面目な顔付きになってこちらを見上げてきてはっとする。
「こないだはウチの甘ったれなガキ共があれこれ好き勝手言ってたみたいだが、無理はするんじゃないよ。ここには高級取りが一杯来るんだ、いざとなりゃそっちからたんまり頂くさ」
「タンデムステップ取り外し代、一〇〇万とか?」
 途端、小さな赤い唇が片方だけきゅっと上がる。
「ふふん、ありゃあ良かったろう? …まぁでもなんだ、あいつもああ見えてあれこれ考えすぎて、何でも一人でやりすぎちまうきらいがあるからな。たまにはいい思いもさせてやっとくれな」
「はい!」

 なのに、それで思いついたのが「野郎の弁当」っていうところが、我ながら微妙だなとは思うのだが、少なくともナルト達は喜んでくれるだろう。サスケは握り飯が好物だと言ってたし。
 カカシさんは「今からあんまり甘やかすと、後々大変よー?」と言ったが、頭から反対ってわけでもないみたいだ。まずは良かった。
「んじゃ、いきますか」
 エンジンをかけると、一声クォンと啼いたカタナが、リズミカルな鼓動を刻み始める。
「はい」
 頷いてタンデムステップに片足をかけ、先週とはなんとなく雰囲気の違う、どこか吹っ切れたようにも感じられる背中に片手を掛ける。
 バイクのリアシートにまたがる際、どこにも掴まらないで乗るなんてことは無理だ。必ず前のライダーを支えにしないと、うまく跨がれない。ただ傍目には取るに足らないようにも見える、その言葉のないほんの一瞬のコンタクトも、バイクという乗り物に命を預ける者達にとっては、結構大事なやりとりのようにも思える。
 最後にもう片方の足を回し、リヤシートに腰を下ろした。





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