(ブッ…しっかしなんだこれ〜)
 生まれて初めて生で現物を見たが、思わず内側で吹いていた。何というか…『徹底的にオートバイというものからかけ離れたものにしてやるぜ!』という意図があることは何となく分かるが、そのことによってバイクの色と形が織りなすバランスというバランスがことごとく崩壊しきっている。人の背丈の倍近い所にヘッドライトがあるって、ある意味凄くないか? むしろよく運転出来るなと感心する。立木の下なんか通ったら、すぐに引っかかって転んでしまいそうだ。怖ろしく煌びやかで有機的な色形は、笑ってしまうほど手作り感満載で、見ようによっては伝説の首長獣にでも乗っかってるように見えなくもない。それでもよく見ればみな似たようなトンガリ具合なことから、崩し方にもある一定の伝統? というかルール? みたいなものがあったりするようだが、これを他の乗り物の何より格好いいものとして、爆音付きで乗りたいという感覚は俺にはない。
(いや逆に、このバイクで真っ昼間から安全走行してたら、それはそれでカッコイイ、のかもな?)
 そんなことを考えつつ、暫くは呆気にとられて眺めていたものの、ハッと我に返る。
(あぁそうだ、時間がなかったんだった)
 確か次が終電だったはずだ。急がねば。
 駅に向かって、今まさに踵を返そうとした時だった。こちらを見ていた男の一人が、口に銜えていた煙草の吸い殻を指先でピッと弾いたのが目の端に映った。
「わっ?!」
 暗がりの中、真っ赤な赤い光が勢いよく自分に向かって飛んできて、反射的に体を反らす。が、避けようと先に出ていた手の平に焼けるような痛みが走った。
「…ッ!」
 殆ど反射的に相手をキッと睨んだ。――途端、全てのバイクのライトがサーチライトのように一斉にこちらを照らして、余りの眩しさに顔を歪める。
「あァ? なんだ、掃除のおばちゃんじゃねぇのか」
 煙草を捨てた短髪の男が気怠そうに言うと、周囲の者達が短く鼻で嗤った。全員揃いの黒っぽいツナギを着ているが、誰一人としてヘルメットを被っていない。
「――お前が、自分で拾って、捨てろ」
 そいつらに向かって、まだ赤々と灯ったまま、アスファルトに落ちている煙草を指さす。自分でも、こんなに冷えた低い声が出るなんて思ってもみなかった。
「やれやれ、ゴミ箱の前にボサッと突っ立っておきながら、何を寝ぼけたことをいってるんですかねぇ」
 光の向こうから呆れたような声がして、首だけ動かして背後を振り返ってみる。と、確かにすぐ後ろにアルミ製のゴミ箱がある。
「それがどうした。だからって火の付いた煙草を人に向かって投げていい理由にはならないぞ。――お前が降りて捨てろ」
 だが言い終わるかどうかという刹那。
「ッ?!」
 額に何か固いものが勢いよく当たって、驚きと痛みで短い声が出た。アスファルトに派手に転がったものを見ると缶コーヒーだ。茶色い中身がどくどくと溢れている。
(――くっそ…!)
 顔や服に降りかかったコーヒーの匂いが立ち上ってきて、それにあからさまな嘲笑が重なると、自分の中で押さえていたはずのものがいとも呆気なくぷつんと切れていた。なぜか子供の頃からこの手のいざこざには縁があった。ここまで大ごとになったのはこれが初めてだが、時としてどうしても自分を抑えられない時があるのだ。そして俺は、そいつを我慢しない。
 更にコンビニの袋に入ったゴミと思しきものが次々と投げつけられる中、ゆっくりと缶コーヒーの方に歩いていって拾い上げる。
 もしも煙草だけだったら、まだ収集がついていたかもしれない。もし連れがいたなら、何とか押さえられた可能性はある。
 でも。
「――誰だ、いま投げたヤツ?」
 男達の「お前が」「捨てろ」コールが山々に響き渡る中、逆光の中で缶を握り潰す。
『男なんてのは、学生時代に喧嘩の仕方を覚えるものだ』なんていうけど、幸か不幸かそんな機会は一度も巡ってこなかった。よってやり方など知ってるわけがない。でも引き下がるつもりもない。
「ハァ〜イ、オレ〜!」
 黒っぽいブルゾンの金髪オールバックの男が、悪びれる様子もなく高らかに軽い声を上げている。
「バイクを降りろ。そいつに乗ってないと、ビビッて何も出来ないのか」
「ヒャホウ! 遠慮すんなよ〜、轢かれたいんだろッ!」
 オールバックが一声雄叫びを上げたかと思うと、いきなりバイクのエンジンを猛烈にふかしはじめた。それを見た周囲の者達が、バイクごと後ろに下がり始め、場所を空けている。
(なっ…、なんだ…?)
 エンジンが焼き切れそうな高回転で呻りを上げ続ける中、男が跨っているバイクの後輪から真っ白い煙が上がりだし、車体が前輪を軸にゆっくりと、まるでコンパスのように回り出した。どうやら前輪は強力なブレーキをかけてガッチリ止めているらしい。後ろのタイヤだけが猛スピードで回転していて、背高い男が器用にバイクを回していくと、アスファルトに真っ黒なタイヤの溶け跡が丸く残った。排ガスとゴムの焼ける不快な匂いに、思わず咳き込む。
(こいつら…)
 まともじゃない。彼らが奇妙な改造バイクに乗って徒党を組んでるというだけの理由なら、悪者扱いする気など起こらなかったろう。だが、結局話してどうにかなる相手じゃなかった。
「儀式用ステージ完成〜!」
 オールバックが叫ぶと、いきなりどん、と背中を押されてたたらを踏んだ。見るといつの間に背後に回ったのか、長髪を金色に染めた小柄な男が立っている。
「さっさと円の中に立ちな。オレ達の芸術的なマシンで、愉快なショウを見せてやるよ。うん!」
 ゴミ捨てのマナー一つ守れないような連中なのに、そんなチームワークだけはいいらしい。もうはや俺を取り囲むようにして、駐車場をグルグルと回り始めている。一帯は凄まじい騒音だ。例え息のかかる距離で俺が声を張り上げてみたところで、連中には一言も届かないだろう。
(バッカ野郎…)
 腹の奥で毒づく。はた迷惑なコケ脅しで時間ばかり食ってくれたお陰で、すっかり終電逃しちまったろうが。
(責任とれよ、あァ?)

「やるのかやんねぇのか! さっさと一人目! 来いよ、ホラァ!!」
 両手を広げて、喉一杯に叫んだ。


     * * *


(――ナルホドね。カタナというのはこういうバイクか…)
 一つ一つ、丁寧にカーブをクリアしていきながら、フルフェイスヘルメットの下で口元を僅かに歪める。
 新しいバイクを買った。前のは国産の新車だったが、メーカーが満を持して発表したスマートさとオールマイティさが、かえって飽きを早めたように思う。
 ちなみにその前は、南ヨーロッパの古い外車だった。乗り心地は暴れ馬宜しく確かに面白かったものの、いかんせん壊れすぎた。交通量ゼロの山中で真夜中にエンコしたり、高速を走っている最中にいきなりエンジンが止まるなんてのは、あれっきりにしておきたい。
 その前はマニアにフルチューンされた、バリバリのレーシングタイプだったが、峠に一度行ったきりで所持日数の最短記録を大幅に更新することなって、周囲を大いに呆れさせていた。それら三台も含め、今回で何台目のバイクになるか数えたことはないが、やれと言われれば順に車名を挙げて特徴を言うことくらいは出来るだろう。ま、あくまで訊かれればの話だが。
 そんなこんなで今回新たに手にしたのは、発売当時一時代を築いた、今でもプレミア付きで取引されている人気マシン、通称「KATANA」だ。コイツが世に出て走りだしたその年、オレは生まれた。つまり同い年だ。だがこの型(タイプ)はもう生産中止になって久しく、そのせいで「またこんな金のかかるバイクを買いおって…部品調達は難しくなっていく一方じゃぞ」と年老いた店主に言われたが、元々そんなに長くは乗らない…ような気もする。おそらく多分、今回も。

(っと…そろそろ帰らないとな)
 ショップには「どんな感じか、その辺を一周してくる」とだけ言って出てきていた。とりあえず前のオーナーがつけたらしい、おかしなタイヤの片減りのクセは、ここに来るまでに一通り剥いてノーマルに戻してある。が、ふと気がつけば、いつの間にか数十キロも離れた山中の湖畔まで来てしまっていた。もちろんそのまま家に帰ったところで心配する者がいるわけではないが、後日「支払いもせずにフケるたぁどういうことだ! あァ?」と、もう一人の店主である綱手さんにどやされるのは間違いない。ここはそろそろショップに戻った方が賢明だろう。

(?)
 だがUターンするつもりで走ってきていた広い駐車場をチラと見たものの、入ることなくそのまま通過していた。
(ん…?)
 あれは………か?
 濃いスモークシールドの下からでもはっきりと確認できた、黒地に赤い雲の刺繍がトレードマークのツナギ連中。流行にはとことん疎いオレですら、今時流行らないデザインだと思うのだけれど、十年以上も前にほぼ廃れた暴走族の精神やスタイルを、いまだにクールと称して継承し続けている札付きのグループだ。趣味以前に色々と問題も多い。
(綱手さん、支払い待ってくれるかなぁ)
「…ま、何とかなるデショ」
 対向車が来ないことを確認して、Uターンした。


「――あ、ケーサツさん? あのね、阿華都鬼っていう暴走族、いるでしょ。あーかーつーき。うんいるの。あれがねー、いま湖の駐車場で……そーそー、そこでね、ハイカーらしき男の人囲んでカツアゲだか殺しだかしようとしてるみたいだから、急いで頂戴。あれよ、いま挟み打ちで来たら、周辺住民にも迷惑かけずに袋の鼠に出来るかもよ。そう地理的にね、イイ感じかもね〜」
 じゃ宜しくー、とほぼ一方的に言って緑色の受話器を置く。とはいえ公衆電話だから、発信位置は特定されたはずだ。急がなくては。
(――おっと、その前に…っと)
 跨りかけた足を下ろして、ナンバーにちょこっと下準備。これでヨシ、と。
(んじゃ、行きますか)
 カーブ二つ向こうで煌々と輝いている光を目指して、アクセルを開いた。


「あーあ〜」
 狭いヘルメットの中で、思わず溜息を吐く。
 どういう経緯でそうなったかは知らないが、あの黒髪の男、むちゃくちゃだ。絵に描いたような札付きの暴走族集団に向かって、丸腰のまま両手を広げるや、思い切り啖呵を切っている。
(やれやれ…)
『オレ達はワルです危ないです』って、わざわざあんなに堂々と大書きしてあるってのに、これではまるで猫の集団に向かって、ネズミがたった一匹で「弱虫猫どもめ、かかってきやがれチュー!」とやっているようなものだ。当然阿華都鬼の連中は大喜びで盛り上がっている。彼らにとっては、こんなに簡単に暴れる理由が出来ることもそうそうないだろう。
(しっかしまぁよくやるというか、ただのバカというか…。ねぇ、フツーそこ、何のブレーキもかけずに突っ込んでいく?)
 人生ってのは、真っ直ぐな道ばっかじゃないんだよ?
(転んだら痛いじゃない、ねぇ?)
 なのに。
(あの男は――怖くないのかね?)
 この先どうなるかくらい、容易に想像できただろうに。
(…ふん)
 そう思ったら、口を真一文字に結んで周囲を睨み付けている男に、ほんの少しだけ興味が湧いていた。
(ま、湧かなくても通報はしてたけど)
 だって阿華都鬼たち暴走族のお陰で、我々正統派バイク乗り(便宜上そういうことにしておく)は、どうも昔から風当たりが宜しくないのだ。まぁ連中に限らず、「ルーレット」や「峠」など、他にもはた迷惑な族は多々いるけれど、最近になってそれらが下火になってきたことでようやく逆風が収まりだしてきたというのに、また「面白そうだから復活」とかいうの、本当に勘弁して欲しい。
 もちろんオレは、痛いのはノーサンキューだ。触らぬ狂気に祟りなし。バイクなんてものに乗っちゃいるけれど、こう見えても絵に描いたような安全運転をしてる優良ライダーだ。一時停止だって必ず守る。当たり前デショ。焼きたてのサンマだって、必ず一度ふーふーしてから食べる主義だ。
(まっ、そうなんだけどー)

「――行っちゃうんだな、これが!」

 自分こそあの族以上にどうかしている。
 ヘルメットの下に浮かび上がってくる薄笑いを堪えながら、族車がぐるぐる回っている輪の中心に向かって突っ込んだ。




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