鳴 神 ノ 瞬 キ





 真っ昼間から窓という窓を全て閉め切り、ぴったりとカーテンを引ききった部屋は、夜間窓を全て開け放ったそこより何倍も明け透けだな…、とイルカは頭の隅で思う。

「――どうしたの…?」
 息のかかる近さでこちらを向いて横になっている男が、すぐに声を掛けてきた。それは「もっと行為に集中して」というごく遠回しな催促なんだろう。
(…そう、言われても…)
 イルカは半ば無意識のうちに逸らしかけていた意識を利き手へと戻す。その中に遠慮がちにそっと握り込まれている熱い滾りは、向かいの男のものだ。彼はこの部屋に入ってきて、他愛もない世間話を二度三度と交わした後……恐らく服を脱ぐ前からこうなっていた…ように思う。対する自分はとてもそこまでの反応をするはずもなく、毎回そんな男の気配をうっかり目にするたびに、ただただ慌てて目を逸らしてしまっていた。こういう時、男同士というのは分かりやすい作りなだけに困る。
 二人がこういう間柄になって半年近くが経つが、まだ一度も行為の最中にまじまじと自分の手の中のものを見たことはない。彼もこちらに気を遣ってくれているらしく、向かい合って一つのベッドに横になると、いつも一枚だけ薄い掛け物を胸元まで引き上げてくるのが常だ。最初の頃はそれを見るたび(生娘みたいだな。それとも寒いのか?)などと、この真夏の最中に勝手かつズレたことを考えていたのだが、それが他でもない俺に対しての気遣いだったことには、その後幾らもしないうちに気付いた。お陰でこの先も、肝心な部分を目の当たりにしないで済みそうなのは助かる。加えてこの上忍が何一つとして命令めいた言葉で行為を強要してこないことに、俺はまだまだ不安定で狭いながらも何とか居場所を見出そうとしていた。

(でも、カカシ先生は…この先に進みたいとか、少しは思ってたりするんだろうか…?)
 まるで自慰をしているような気分で、目の前にいる彼の固い根っこを壊れ物でも扱うかのようにそろそろと扱く。と、向かいの片方だけ開かれた灰色の混じった右目が、何もない一点を気持ち良さそうにぽうっと見つめだす。
(思って、るんだろうな…)
 でもその先のことは、何かの拍子に聞きかじった事柄を寄せ集めることで何とはなしに想像出来ている程度で、はっきりとは分からない。
 そういえば二人が初めて一つのベッドに入った時、彼が背後から胸をぴったりと合わせてきたことがあった。
 だがその直後、腿の後ろにぐいと無造作に押し付けられた、ギョッとするほど猛った熱いものの感触に、同じものが付いているはずの俺は、訳もなく総毛立って思わず全身を強張らせた。
 それは丸裸の上、階級も実力も下である自分にとって、暗がりの中でいきなり背後からクナイを突き付けられた感覚にも等しく、とても平静など装えるものではなかった。
 それまで二人で楽しく話をし、旨い酒を酌み交わし、ゆっくりと啄むようなキスをされ続けただけで床からふわふわと浮き上がっていたような、未熟で隙だらけのだらしない男が、突然頭から冷水をぶっかけられた格好だった。
 彼はすぐにその反応に気付いて「ごめんね」と言って離れていったものの、自分は酷く動揺してしまい、暫くの間は向き合っていても腰が引けてしまって、何をどうリードされても上手く動けなかったのを覚えている。
 今でもその時に彼が何度となく繰り返し言っていた「大丈夫、もう何もしないから。深呼吸して」という言葉が、耳の奥にこびりついていて離れない。
 とにかくそれ以来、彼は決して同じ行為を仕掛けてこなくなり、こうして向き合ってつかず離れずの距離を保ったまま、互いを高めるやり方に落ち着いている。

 自分でも拙いとはっきり自覚しているぎこちない手の動きに律儀に応えるように、掛け物の下で己のペニスが彼の手によってゆっくりと上下に扱かれだすと、自分のそれなどとは比べ物にもならない巧みな手指の蠢きに、すぐに何も考えられなくなっていく。
「――ふっ…ぅんっ…、ぁっ……ぁ…」
 だが自分がたまらなく気持ちいいとき、相手も同じなのかというと、このやり方に限ってはそうもいかない。
 ふと気付くと、すっかりおろそかになってしまっていた自分の利き手の上から、上忍が空いている左手を重ねて、文字通りの「手助け」をしていた。
(ぁ…)
 自分の快感に溺れきって相手を思いやる余裕を無くしていたなど、同性ゆえに余計に恥ずかしくて情けないが、この補助なしで彼が満たされたことはまだ一度もない。
「…っ…すみ…ま、せ…」
 ただひたすら、与えられる刺激にだけ従ってまっすぐに埋もれていきたいのに、ようやく剥き出しになってきた本能に無理矢理水を差しながら、どこかに追いやられて消えかかっていた理性を必死にかき集めて、手の中で脈打つ熱いものを上下に扱き続ける。自分のものも同じように刺激されていて、薄い掛け物の下で交互に独特の水音が響く。
(手、が…)
 手の中が怖いくらい熱い。掛け物が熱い。向かいの男が吐いている息が熱い。
「…っ……ん…っ…」
 駆け上がりきるのを何とかして堪えようとすると、自然と体がくの字に折れ曲がっていく。いつだったか、気付いたら彼の胸に自分の頭を強く押し当てていて、死ぬほど恥ずかしかった。それからはなるべく意識して、こうして布団に顔を埋めるようにしている。
「ん…っ、…ぁぁ…っ…」
 もう頭や手といったパーツは自分から遠く乖離しだしていて、あの部分だけのごく単純な存在になりかかっている。手の中の塊が他人のものなのか、自分のものかさえも酷く曖昧だ。もうどっちだっていい。どっちだって。
「…ぁ…あぁ……あ…」
 この人には本当に悪いと片隅では思うのだけれど、今すぐに何もかも放り出して吐き出すことだけに没頭したい。
 そんな不実な右手を、彼の左手が辛うじて動かしている。
「――すごく…うまい、よ、気持ち…いい…」
 知ってか知らずか、それでもこの人はベッドの中で必ず俺を褒めてくれる。いやどんなにおろそかで不味くとも、褒めることしかしない。こんなに手淫の上手い男が、俺のそれで満足出来ているはずがないのに。
 そうやって褒められるたび、心の片隅で申し訳ない気持ちになるけれど、もし逆に真っ正直に下手くそと言われたら、きっとベッドに入るのはもちろん、彼の家に来ることさえ尻込みしてしまうだろう。
 牡としての自分はそこそこガタイがいいだけの、まだまだ臆病で勝手な青すぎる存在で。
 でも、だからこそ。
(……カカ…シ、先生はっ、なんで…っ…)
 こんな遠回りをしてまでこんな未熟な奴と…? という甘痒い疑念が、今日もまた階級も性も教師という立場をも跳び越えて、昼間から一つのベッドで向かい合う不思議な力を育む。


「…ッ…! はっ…、ゃっ、あ、ごめん、なさ…っ!」
 とはいえ、どんなに歯を食いしばって頑張ってみても、先に登りつめてしまうのは必ず自分の方だ。服を脱ぐ遥か以前から静かに昂ぶっていたような相手よりもまだ我慢のきかない己が、男として情けなくて悔しくてしょうがないのだけれど、こればっかりはどうしようもない。
 上忍は、二人の間に置いてあったタオルを手にとって「いいよ、出して」といつものようにそっとあてがう。
 その二人の体熱で温まった柔らかな中に、俺はほんの短い声にならない声と共に、数度にわたって白いものを吐き出した。


 実は二人で向き合って高め合う際の一番の問題は、案外ここからなのかもしれない。
(えーっと〜…その…)
 暫くは口もきけずにぐったりとしていたものの、やがて出すものを出して一気に、そしてすっかり素に戻ってしまった俺が、まだ山の中腹辺りをゆっくりと登っているらしい上忍と向き合わないといけないからだ。
(カカシ先生…あんまりこっち見ないでくれると、助かるんだけどな…)
 男同士であることが、突然今までの何倍も照れ臭くなりだす瞬間だ。彼に失礼だろうと思いながらも、なかなか向かいの男を高める行為に集中出来ない。
 幾ら「一人の人間として、あなたという人が好きになった」などとある日突然上忍に告げられ、最終的にはその言葉を手探りしながらゆっくり受け入れていったとはいえ、達した後に否応なく襲いかかってくる、牡特有の『嫌になるくらい突然我に返る』感覚までは防ぎきれない。
(やっぱこの刀傷って結構深いよな? 当時はかなり痛かっただろうなぁ)などとぼんやり考えていると、薄い色の睫毛に縁取られた右目がぱちり、ぱちりと意味ありげに二度三度と瞬きをする。
「?」
 その右目に意識を集中すると、微かに寂しそうな色の滲んだ、けれど男の俺でもハッとするような艶っぽい笑みを浮かべた男が、「やっと、こっち見た」と気持ち舌ったるい声でささめいた。
「――すっ…すいませんっ」
 だがハッとしておろそかになっていた利き手を動かしだした途端、上忍の整った薄赤い顔が銀髪の陰でくっと歪む。どうやら力を入れすぎたか、特別無防備で敏感な所を不用意に掠めでもしたらしい。慌てて「ごめんなさい、すみません」と何度も謝る。
「大丈夫……んっ…気持ちい…。――ね…キス…して、いい?」
「ッ? …え…っと〜…」
 思わず返事に詰まって口籠もった。そんなもの、わざわざ伺いを立てずとも何も言わずにしてくれればいいのに、何を考えてか彼は必ず一度、中忍の元に賽を投げて寄越す。
「――そのっ……はぃ…」

 十数分かのち。体の奥が甘く痺れだして朦朧とした頭の奥で(俺はこのまま、この人に呑み込まれてしまうんじゃないだろうか)などと遠くで思い出した頃、彼はようやく頂きに達した。
 それまでは何度も繰り返し(今回こそは自分がカカシ先生の出すものを処理しなくては)と意識していたはずなのに、向かいの男の喉の奥で短い呻き声がして「その時」なのだと気付いた時にはもう、手の中のものがどくんと一際大きく脈打って、彼自身がタオルで受け止めてしまっていた。
(ぁ…)
「…ありがと……死にそうなくらい、気持ち、よかった…」
「…………」
 ちなみに空いていたはずの俺の左手は、シーツを握り締めてしわくちゃにしていただけで、何の役にも立っていなかった。













         TOP     裏書庫     >>