(――こっ…この人…?!)
 強い…!
 ようやく追いついた、と思ったときには、もうはやその数は半減していた。この暗部の男、相当できる。
 九尾事件から三年。時に闇の中を彷徨うような心を持て余しながら、何とか中忍になったが、ここまであからさまに桁の違う忍を目の当たりにしたのも久し振りだった。
 更に目の前で土遁が発動して、一人が倒れていく。残り二人。
(あっ?!)
 違った、残りは三人だ。彼の背後に潜んだ男が、腕に仕込んだ暗器を構えはじめている。


「――よーしっ、今度こそ、あと二人っ!」
「バカっ!! なんでついてきた!!」
 今にも暗器を発射しようとしていた男を昏倒させて加勢を宣言すると、もの凄いスピードで「挨拶」された。
(知るかよ!)
 言いたい気持ちをぐっと呑み込んで、「もう少しだ! 構うな、集中しろ!」と今まさに叫ぼうとしたときだった。
「!」
 新たな所属不明の一団が樹上から飛び降りてきて、一瞬我が目を疑った。敵は目の前の二人から、一気に十人を超えるまでになり、状況は振り出しどころか完全に逆転して、急速に悪化の一途を辿りはじめている。
(まずい…!)
 こんなときは、弱い者から順に狙っていくのがセオリーだ。瞬く間に一斉攻撃を食らいはじめて、それを交わすだけで精一杯になる。
(くっそォ…!)
 何が悔しいって、暗部の男が急にこちらを気にしだしていて、彼がそれまでのように上手く動けなくなっているのが何より悔しい。
 仲間達の役に立ちたい。ただその一心で、中忍になったというのに。
 自分が囮になりながら倒せるのは、せいぜい二人程度だろう。
 もしもその先、この人の足手まといになるくらいなら。
(この中の一番強いヤツと、刺し違えてでも…)と巡らした時だった。
「っ、うわあっ?!」
 爆発するような真っ白な光の放射に、一体何が起こったのかわからず、身構えたまま立ち竦む。が、その光の軌跡が通ったあとに立っている敵忍は一人もいない。
「な…っ、なんだ、今の…?!」
 速すぎて、何が何だか。
 なのに、もうはや次の「光の爆発」が煌々と始まりだしている。
 


     * * *



「…っ、はあっ、…どう、にか…っ…」
 言葉が続かない。が、余力を使い切る前に、何とか全ての敵を鎮圧していた。奇跡だ。奇跡としか言いようがない。
「…やっ…た…!」
 だが諸手を挙げて喜ぶのもまだ早い。

 あの無敵に見えていた暗部の男が、戦闘の最中に突然ぶっ倒れていた。凄まじいチャクラ光を四度放って八人を倒すと、五度目の光を作ろうとした途端、まるでどこかのスイッチでも切られたみたいにがくりと膝が折れていた。そのまま地面に頽れると、あとはどれほど大声で揺すろうともぴくりとも動かなくなっていて、その瞬間いよいよ本物の窮地が訪れていた。
 その後、まだ生きてはいるらしいものの、微動だにしなくなった彼を守りながら三人を倒すのは、いまでも言葉に出来ないくらい骨が折れていた。
 でも自分がやられれば、この暗部の男も即座に殺されてしまうのだ。
 そう思うたび、自分でも不思議なほど腹が据わり、力が湧いていた。間違いない、自分が助かったのは、彼がそこにいてくれたからだ。
「へへっ…やったぜ…なぁ、おい…!」
 地面に倒れ伏したままの男の脇にぺたんと座り込むや、赤黒い刺青の浮いた白い肩を叩いた。



     * * *



「ああぁーーくそっ! ほっせぇクセにむちゃくちゃ重いなお前〜!」
 まだ幾らも歩いていないというのに、背中にのしかかってくる予想外の重量に、思わず情けない声を上げた。これでも重い防具や刀は全て戦闘現場に置いてきたというのに、男の意識がないために重さが倍増していた。
 でも今後、敵の増援が来ないとも限らないのだ。出来るだけあの場を離れたくて、里に向かって決死の移動を試みていた。



    * * *



「――っ、はあっ、…きゅ…きゅう、けい…っ」
 男を大木の根元に凭れかけさせるようにして下ろすと、その場に頽れるように膝を突いた。あれから何度転んだかわからないが、それでも背中の男が起きる気配はまるでない。
(でもまだ、温かい…)
 剥き出しの肩を触って確認する。足の怪我のほうは応急処置をしたから、目が醒めたなら少しは自分で歩けるだろうが、起きないのだからどうしようもない。
(あー参ったなー)
 救援要請はとうに出しているが、全てが上手く繋がったとしても、合流できるのはまだ当分先だろう。
「――つっ…かれたぁーー…」
 とにかく疲れた。その一言に尽きる。脇にいる彼が聞いたら怒りだしそうだけれど。

(それにしても、すげぇ銀髪だな…)
 実はさっきからずっと、面の下が気になっていた。いや、本当はいっとう最初に頭上を飛び越えていった時から、その見事な髪色に何となく引っかかるものがあり、どうしても後を追いかけたくて仕方なくなっていた。
(面を外さなければ、いいよな?)
 少し考えて、顔の横の方からじっと隙間を見つめてみる。
「――うーん…?」
(そんな見えるわけ、ないか)
 でもそこまでやっても、狗を象った白い面を外すことはルール違反のような気がして、どうしても出来そうになかった。相手は完全に自失しているというのに。
(いや、違うだろ)
 何となく自失した原因が、自分にあるような気がしてならないでいる。男があの青白いチャクラ塊を、急に乱発しだしたからのような気もして…。
(でも、あの時の声)
 記憶を辿ると「なんでついてきた!」と叫んだあの時の声にも、聞き覚えがある、気がする。
 でももう、三年も前の記憶だ。定かではない。
 当時の未曾有の惨禍に人々は散り散りになって、いまだにその傷は癒えていない。
 ふと脳裏に「お前の家は、みんな人間スキスキだもんな」と言われた記憶が唐突に過ぎって、何とも言えず複雑な気持ちになった。
 好きになっても、また好きになろうとしても、みんな端からいなくなっていく。そんな三年間だった。
「なぁ、あのカカシって子は? まだ里にいるんだよね?」と聞こうにも、彼の師匠も仲間も、そして自分の両親すらいなくなってしまった。
「―――…」
 木に凭れたまま微動だにしない男を見ているうち、白い面も相まって、まるで糸の切れた人形のようだなと思う。
 あれから三年、時間は自分を迂回するようにしながら、どこかへと流れ続けている。
(なぁ、あんたは? あれから進んでるのか?)
 面に向かって、訊ねてみる。
(でも、確かに体はでっかくなったよな。お互いにな)
 両の手足は長く伸び、赤黒い刺青が浮いた剥き出しの白い肩は、強靱な筋肉によって形づくられている。防具に守られた胸板は厚く、全身が華奢なラインを描いていたあの頃の面影は、もうどこにもない。
(顔以外は、…か)
 そう考えたところで、もう一度男に近寄って、仮面の隙間からチラと覗いてみる。今度はさっきの倍の近さで。
「…………」
 すると、すっきりと整った彫りの深い輪郭と、古い記憶の中にある面影が結びつきだして、次第に確信は深まっていく。
 当時彼は左目を負傷して、退院したばかりだと言っていた。ずっと額当てに隠されていたそこを直接見たことはないけれど、いま面の左の穴から大きな刀傷がはっきりと見えていて、それはまるで、本人の特徴を全て隠そうとする世界に向かって無言のうちに抵抗する、当人の変わらぬ意志のようにも思えた。
 あの術だってそうだ。あんな目立つ大技、個人を特定してくれと言わんばかりではないか?
「そう、か…」
 時間は、止まってなどいなかった。
(あんたも前に…進んでたんだな)
 ふと脳裏に、「ふん、斜め後ろにね!」と、ちょっと皮肉混じりに笑っている少年の姿が浮かんできて、その昨日のことのようなリアルさに思わず口元が綻ぶ。
(そうか…よかった…。……よかった…)
 古い記憶も、辛いことばかりじゃない。

(そうだな、俺ももう一度、進んでみよう)
 起き上がって尻を払い、苦労の末に、目覚める気配のない男を再び背中に担ぎ上げる。

 もしもこの先、進む方角が分からなくなったとしても大丈夫だ。

 俺達二人の向いている方向が、きっと前だと信じる。



     * * *



「…ふん。この数を、たったの二人でか」
 累々と横たわっている敵忍の姿に、樹上から降り立った黒髪の忍が小さく鼻を鳴らす。
 並々ならぬ信頼を寄せ続けていた、今は亡き同胞の一人息子から、『動けなくなった暗部の男と一緒に戦っている。助けて欲しい』との連絡を受けて、取るものもとりあえず大急ぎでやってきていた。だが事態はとうの昔に終息しているようで、拍子抜けしたと同時に心底ほっとしていた。
「たぁく、慌てて損したぜ」
 少年は親譲りの真っ直ぐさからか、昔から誰にでも喜んでついていく無邪気なところがあった。かねてからそういう無防備なところが彼の命を危うくしないかと気に掛けていたせいで、報せを受けたときには心底肝を冷やしたが、ひょっとすると今回はそのことが幸いしたのかもしれないな、と思う。
 元々彼には、危険なほどの真っ直ぐさや無邪気さを強く支える勇気があった。
 少年のことを、いつまでもか弱い少年のままだと思うようになっていた自分は、いわゆる「年を取った」ということなのかもしれない。

「いいじゃないか〜、この様子なら無事みたいだしさ」
 赤い髪の男が大きな体を揺らしながら、散らばっている敵忍を一人一人片手で抱え上げては手早く縛り上げている。
(オイオイほんとに無事なのか〜? オレは知らねぇぞ、暗部なんかと関わって…)
 いつの間にか死んだ同胞になりかわり、少年の親のつもりになっているらしい自分自身に我が事ながら呆れる。変われば変わるものだ。そういうことだけは願い下げだと思っていたのに。

「で、シカク。あれはどうする?」
 知覚能力に長けた金髪の男が、望遠鏡を片手に背後の山の中腹を指している。
「ア? どれだ。――はっ、知るかよ、んな大きなガキ」
 望遠鏡を受け取り、丸い視界の中にあったものを認めるや、大きな溜息と共に首を横に振った。
(ったく、心配して損したぜ)
 まだどこかあどけない寝顔の青年が、よく見知った白い狗面の男と、大木を挟んでもたれあうようにして眠っている。
(命を賭けた呼び掛けに、双方命で応えた、か…)
 どれだけ遠く隔てられようとも、縁のある者同士というのは、遅かれ早かれああして出会ってしまうものなんだろう。
 彼らの亡き師や、親たちがそうであったように。

「ほっとけ。こっちゃ朝から晩までピーピー泣きわめいてるちーせぇガキ一人でもう十分参ってんだ。あの様子ならそのうち目が醒めりゃ、てめぇらでどうにかすんだろ」
 見たところ暗部の方の怪我の程度は軽いようだし、一応周囲にはトラップも仕掛けてある。流石のチョウザも、この数の「お荷物」だ。他は手一杯でとても担いでいけない。
 どのみちあの年頃の若造なら、回復力だけは人一倍だ。もう暫く寝て起きさえすれば、あとは兵糧丸で下山できるだろう。

「ふふ、気持ちよさそうに寝ちゃって〜」
 娘が出来て以来、以前にも増して若々しく、溌剌として見えるようになったいのいちの横顔が、愛娘に向けるそれと同じように優しく微笑んでいる。
(おっと待った、その二人は俺が勝手に同胞から預かって遠くから見てるんだ。お前は別のヤツを見るんだな)

 ほら、もっともっと、すぐ側にいるだろう? ほらーー。

「だーから、ガキはほっとけ!」


(ふん…、まぁでも、あれだな)
 今しがた、肩を寄せあうようにしながら昏々と眠っていた二人の忍を思い出して、小さく片頬を上げる。

(この先離れ離れにならないように、影で縛り付けておいてもいいなら、そうしておいてやるが?)

「――フッ。…ほら、行くぞ!」

 己の術の怖ろしく下らない使い道に、一人内心でウケた男は、すぐ隣にあった背中を長い金髪ごと優しく押した。




       「おとなになるとき、もっていくもの」 fin


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