テーブルに箸を並べ始めているいのいちさんは花屋の主人で、よく店頭で働いている姿を見かけるが、花を買うことなんてないから接点がない。
「こないだ花を買いに来てくれたクシナさんに少しサービスしたんだけど、『近々男三人で子守がてら集まる』って言ったら、二つ返事で昼食を引き受けてくれてね。助かったよ」
 言いながら、チラ、とシカクさんの方を見る――と、強面に見えていた男が、急にウッと仰け反った。
「ッ、なんだよ、まだ炊飯器のスイッチ入れ忘れたこと怒ってんのか? ハイハイ、俺が悪かったよ。『里一番の連携が自慢の猪鹿蝶トリオ』なんて呼ばれてても、赤ん坊一人泣いただけでこのザマさ」
 やれやれといった様子で口をへの字に曲げ、小さく肩を竦めて見せている。
 なんでも今日は、朝から秋道さんの奥さんが小さなお子さんを置いて出かけていて、奈良さんや山中さんの奥さんらと三人で、「息抜きおしゃべり会」なるものをしているんだそうだ。
「オレといのいちのとこが丁度同じ頃に出てくるってんで、そりゃあもう熱心に話を聞きたがってよ。家でもやれ胎教だーなんだって、うるせーのなんのって」
「へ? 出てくるって?」
 イルカがまた間の抜けた質問をしている。そんなの赤ん坊に決まってるでしょ! ちゃんと話聞いてるぅ〜?
「赤ん坊よ。来月あたり、ついに産まれそうなんだわ。一体あの女三人でどういう話になったのかは知らねーがな、ある日突然『アカデミーの入学時期が一年でもずれたら、将来トリオでフォーメーションが組めなくなるのよ! 今頑張らなくてどうするのっ!』とか言い出してよ。徹夜の任務明けで死ぬほど眠いってのに毎晩付き合わされて、何ヶ月間もえらい大変だったんだ。いい加減もうさっさと出てきて、とっとと大きくなって貰いたいぜ」
 とてつもなく大きな冷蔵庫から、慣れた様子で幾つもの飲み物を取り出しながら、シカクさんがぼやいている。
「シカク、男同士だからって、あんまりおかしなこと吹き込まない方がいいよ。回り回って、またヨシノさんに怒られるよ」
 チョウザさんが、炊けたご飯を皿によそいながら笑っている。
真っ赤な髪と小山のような体だけを見ていると、相当の威圧感があっても不思議ではないはずが、とにかく表情が終始にこやかで、威圧感というのは体格だけで発するものではないことがわかる。
 イルカはその二人のやりとりを聞いてもきょとんとしているが、オレは言ってることの意味は大体わかってるつもりだ。大人達の会話は、普段から誰よりよく聞いてると思う。ぜんぜん聞いてないようなフリしてね!

「うっわぁ、これでご飯炊いてたんですか? ははは、でーっけぇ〜! 風呂みてぇだ〜!」
 炊飯器の前でイルカが大ウケしている。うん、確かにこれにはオレもびっくりしていた。毎回これだとすると、奥さんがいたとしても、三度の食事はかなり大変な作業なんじゃないだろうか? そりゃあたまには放りだして、外出したくなるのもわかる気がする。
 一体あと何十人客が来るのかと思っていたが、チョウザさんの皿が机並みのサイズだったことで全て納得していた。これを食べきる秋道家、色んな意味で凄い。
「おおー、すっげぇ皿〜!」
 イルカはイルカで、「カカシのことかなり大食いだと思ってたけど、上には上がいるもんなんだなぁー!」などと、また恥ずかしいことを言っている。んなわけないでしょ! ばーか! ばーか! いい加減その話忘れてよ!



     * * *



「いっただっきまーーす!」
 イルカの無駄に元気すぎる大声を合図に、男達だけの遅い昼食が始まっている。天井まである大きな窓を開け放ち、広い庭を眺めながら食べる食事はちょっと他にない感じで、この雰囲気は先生に報告してもいいかなと思う。
 隣ではイルカが、「やっぱうめぇな! カカシについてきて良かったー」などと言いながら、遠慮の欠片もなしにぱくついている。
「ははっ、ついてきて良かったか。うみの家はみんな人間スキスキだもんな」
「うん!」
 以前から言われ慣れているフレーズらしく、いのいちさんのよくわからない言葉にも即答している。
(なにさ、スキスキってー)
 聞いてないふりをして食べながら、心の中の口をこっそり尖らせる。
 ただ、食べている最中、側で寝かされてるチョウジというらしい赤ん坊がぐずりだすと、毎回必ず一番最初に興味深そうに反応するのは確かにイルカで、食事を片付け終わる頃には、もはやその説を認めざるを得なくなっていたのだが…。
 ちなみに、反応スピード第二位は、若干慌て気味のシカクさんだった。報告終わり。


「ごちそうさまでした! あーーうまかったー!」
 言ったかと思うと、イルカは早速赤ん坊の所に行って覗き込んでいる。「ミルクの時間て、いつなんですかー?」などとチョウザさんに訊ねているもんだから、「おうイルカ、そしたら今度オレんちで子守のバイトやんねーか?」などとシカクさんに誘われて、「いいよ」などと答えている。
 イルカの世界は、絶え間なく温かいものに囲まれながら回り続けている。


 腹のくちくなった男ばかりが顔を付き合わせて集まっていても、取りたててやることなど何もない。
 庭から入ってきた夏草の匂いが、部屋の奥へと抜けていく。静かだ。
「カカシ、将棋教えてやろうか」
 シカクさんが、棚に置いてあった将棋セットをテーブルに広げ始めている。下忍時代から秋道家に「常設」してあるのだという将棋セットは、確かによく使い込まれている。
「あぁカカシ、この人とやる時は気をつけた方がいいよ。負けたら『冷蔵庫からビール持ってこい』とかしょうもないことで使おうとするからね」
「わかりました、気をつけます」
「…っ、いのいちっ、折角いいところ見せようとしてんのに、余計なこと言うな!」
 男達の明るい笑い声が、ようやく暮れだした夏の空へと駆け上がっていく。


「――で? もう目の方はいいのか」
 盤上での駒の配置場所を説明し終わった男が、向かい側でごく何気ない調子で訊ねてきた。ひょっとするとこの人の将棋とは、色んな話題を相手から聞き出すための道具(アイテム)だったりするのだろうか。
「はい、すっかり」
 盤面だけを見つめながら、ごく短く答える。(この先もっと話が進んできてあれこれ聞かれるなら、あまりやりたくないな…)と思いながら。そういうの、正直苦手だ。
 視界の端では、イルカがチョウザさんと腕相撲をしようとしていて、己の相撲案は完全にノリだっただけに本気で呆れる。と同時に、そういうイルカの自由すぎるところが変に気になって仕方がなかったり…。

「なんだカカシ、警戒してるのか?」
「いえ、別に。なんで、そう思うんですか」
 シカクさんが並べた通りに、自分の方の盤面に駒を並べながら、何気ない調子で質問を返す。聞かれたことに答えるのが嫌なら、こちらから聞き続けるしかない。
「カカシ」
「はい」
「さしずめ今のお前は、銀だな」
「――は?」
「将棋の駒の、進み方だ」
「はぁ?」
「銀はな、真っすぐか斜め前、あるいは斜め後ろにのみ進める駒なんだ」
(ぇ…)
「つまり、だ。銀は真横と――真後ろには進めない」
「―――…」
 何の心当たりがあったわけでもない。なのに、その言葉が妙に体の奥の方まで届いたような気がして、駒を並べていた手が止まった。その例えは酷く抽象的で、単なるゲームのルール説明だったはずなのに。
 ちなみに金という駒は、斜め後ろ以外ならどこでも進めるのだという。
「それって銀は…あんまり使えない駒ってことですか」
 なんでそんなことを言ってしまったんだろう。その時のオレは、自分が頭ごなしに決めつけられているような空気に反発したくなっていたのかもしれない。
「バーカ、将棋の駒に『使えない駒』なんてものはねえよ。使えねえと思ったそいつ自身が使えねぇだけだ」
「ぁ…」
 まだまだ器の小さい己の考え違いに、急に恥ずかしくなって俯いた。将棋を、たかがゲームだと侮っていた。でもその盤上には、隠そうにも隠しきれない自分というものが、あからさまに出てしまう場所なのだ。
「…………」
「んなの気にするなよ!」
(えっ?)
 突然響いた明るい声に、頭を上げてそちらを見る。
「カカシは全方向、行きたいとこならどこにだって行けるよ。なっ!」
 少し離れた畳の上で赤ん坊を覗き込んでいたイルカが、くっきりとした目縁の瞳でこちらを見つめている。
(イルカ…)
 てっきりチョウジ相手に夢中になって遊んでいるとばかり思っていたのに、どこらへんから聞いていたのだろう。
「――だってよ?」
 片方の口端だけを小さく上げているシカクさんの声音は、明らかにオレの背中を押そうとしていて、「ほらよ、何か言ってやらなくていいのか?」と聞こえて仕方ない、のだけれど。
「――はぁ…」
 こういう時、何をどう言えばいいのかわからない。
「ふん、なんだ、もうイッチョマエにカッコつけることを覚えたか。まぁ気持ちは分からなくもないがな。だがカカシ、これだけは覚えとけ。銀もな、敵陣の懐深くに入っていけば、金に成(な)るんだ」
「金に、なる…」
 自分の真下にある「銀」と書かれた小さな駒を、見るともなく見下ろす。
「成る」というのは、「より強くなる」ということらしいのだが。
「お前もうちはからその目を預かったことで、今までとは駒の進み方が違ってくるかもしれねえぜ?」
 シカクさんは「銀」と書かれた駒を二本の指先で器用にくるりと裏返すと、パチンという小気味よい音を立てながら盤面に指した。




    * * *




「――なっ…?!」
 遠くで大きな爆発音が聞こえて、反射的にその方角に向かって走っていた時だった。鬱蒼とした木々の向こうから、出し抜けに複数の忍が飛びだしてきたかと思うと、文字通りあっという間もなく頭上を駆け抜け消えていく。
(所属不明の忍八名と、木ノ葉の忍一名確認ッ!)
 昔から目だけはいいほうだ。しかも木ノ葉の者と思しき忍は、これ見よがしな白い面と防具に身を固めていた。間違いない、暗部だ。三年前の九尾襲撃の際には、里のどこにこんな数の暗部がいたのかと思うほど、赤い夜空に白い弧を描きながら飛び交っていたが、その後は今日までただの一度も見かけることはなかった。なのにまさか、こんなところで再び目にすることになろうとは。
 数分前までは乾いた山谷風が心地よく、真夏とは思えない気候に、任務であることを忘れてしまいそうだな…などと思っていた。けれどその風向きは、ものの数分でがらりと変わっていた。
風の中に、鉄と火薬の匂いが混じり始めている。
 ただ向こうが任務中なら、こちらも同じくで。自国の大名から隣国の大名へ親書を届け終えた、いわば最終段階だった。懐には大切な返書も入っている。これは何としても届けなくてはいけない。
(けど…、でも……)
 幾ら生え抜きを揃えていると言われている暗部でも、八対一では苦しいだろう。
(左足…怪我してたな)
 他の何より、さっきからその光景が目の奥に焼き付いたまま、消えていかないでいる。どう考えても、有利な状況とは思えない。
(大丈夫だ。もし危なくなったら、どのみちすぐに離脱するのだし)
 暗部がどんな命を受けているかは知らないが、恐らくは表沙汰に出来ないことが殆どだろう。なら加勢に入っても、俺が口を噤んでいればいいだけのことだ。もちろん後で呼び出しを食らって咎められるだろうことは、百も承知している。自分に有益なことは、何一つない。
(でも、見ちまったものは、仕方ないだろ?)
 誰に問うでもなく、投げかけてみる。
(今の光景を見なかったことにすれば、俺は後々ラクで幸せだと思うか?)
 否。
(否ったら否!)
 もう二度と、「あんな思い」はしたくない。あの一回きりで沢山だ。
 ――よし、決まりだな。
 もう既にのろまな頭など置き去りにして、体の方は彼らの消えていった方角を目指して走り始めている。やっぱり最初からそうすればよかった。

(もうすぐだ、待ってろ!)
 肉体と精神を今一度、固くひとつに結び合わせたうみのイルカは、幾筋ものつむじ風が消えていった方向に向かって一際高く跳んだ。





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