「おいカカシ、本当に我慢するなよ?」
「…っ、は…ぃ、…すみません…」
 ベッドから頭を持ち上げて、どうにか答える。が、扉が閉まった直後には、あまりの胸の悪さから、そのままベッドにぐったりと伏してしまう。
 階下から微かに響いてくる、「…ねえあなた、やっぱり一度ちゃんと忍医の先生に看て貰ったほうが良くない?」という、奥さんの心配そうな声が耳に痛い。こういう時、人より聞こえの良すぎる忍耳というのは、いいような悪いようなだ。

「バカだなぁ、無理して食うからだぞ〜」
「るさいよ…」
 イルカに呆れ声で言われて、ついつい邪険な返事をしてしまう。
 ご馳走になっておきながら、食べ過ぎで腹痛ダウンなどという、まるで赤ん坊みたいなことをやらかしてしまっていた。そのうえあれやこれやと薬は貰うわ、イルカのベッドは占領するわで、余りにバツが悪すぎて、気付いた時にはそんな感じの悪い言い方をしてしまっていた。
「ちぇっ、なんだよー。そりゃ俺もすすめすぎて悪かったけどさ、自分で食べ過ぎておいて俺に当たるなよなー」
(うぅ〜〜〜)
 確かに。最初から最後までその通りすぎて、返す言葉もない。こうなると他に自分が出来ることといえば、ムカムカしてたまらない腹を両手で抱えながら、枕に突っ伏すことくらいで。
「あぁ〜〜なぁなぁー、もう我慢するなよ。今夜は泊まっていけって。な? 絶対そうしろって〜」
 イルカはこのままでは自分の寝床がなくなるというのに、さっきから盛んに泊まっていけとすすめてくる。両親らも熱心にそうして欲しいと言ってくれていて、慣れない展開にどう返事をしたらいいかわからない。
 どうやら自分は、任務に関することは人並みに出来ても、こういったことに関しては、同年代の子供以下の経験と判断力しか持ち合わせていないらしい。今頃そんなことに気付きだして、急に恥ずかしくなっていた。
 それにこういうことというのは、なんだか甘えてるみたいで、子供みたいで、上忍としても格好悪い気がする。こんなオレを見たら、先生は何と言うだろう。
「明日任務ないんだろ? ならいいじゃんか一晩くらい。な? そうしようぜ。一日退院が延びたと思えばいいだろ?」
 なのに目の前のイルカは、尚もこっちが戸惑うくらいの人懐っこさで、熱心に泊まることをすすめてくる。オレが泊まって厄介になることの、何がそんなにいいのか分からない。
 けれどこのむかつきを抱えたまま一人で帰ることも、今はまだ、難しそうで。
「…ん…。わかった……ごめ…」
「おっし、きまり! 父ちゃん達に言ってくるな!」
「――…」
 イルカがどたどたと忍にあるまじき足音を立てて階段を降りていく音を聞きながら、こそりとひとつ、安堵の溜息を吐いた。



     * * *



(…ぅ…)
 いつにない腹の重たさと人の気配に浅い眠りから目覚めると、まだイルカの部屋だった。けれど貰った薬が効いてきたらしく、さっきまであれほど苦しくて気持ち悪かった胸の辺りが、随分と楽になっている。
 耳をすますと、もう階下の両親達も寝静まっていた。続いてベッドの脇の方に目線を落とすと、暗がりの中に毛布にくるまったイルカがみの虫みたいに畳に転がって寝ているのが見えて、その途端ホッとするような感覚と申し訳なさの両方が混ざり合い、何とも言えない気持ちになった。
 だってさっき「下の布団で寝る」と言って降りていったはずなのに、いつの間に…。
(――ありがと…)
 イルカは「一日退院が延びたと思って、泊まっていけばいい」なんて言っていた。けど、ここが病院であるわけがない。あんなところと同じであってたまるか。
 オレは野営地で地面に直接寝ることなど、すっかり慣れている。でもイルカは畳では寝心地が良くないらしく、盛んに寝返りを打っている。ったく、無理してんのはそっちじゃない。
(いいか…、ぜったい、起きるなよ…)
 自分の頭の下にあった枕を掴むと、イルカに気付かれないようにそーっと用心しながら頭の下にさし入れた。

(――誕生日祝い…めちゃくちゃにしちゃったな)
 体に掛かっていた布団をぎゅっとしたり、手でくしゃくしゃしたりしながら、枕のお陰でだいぶ寝やすくなったらしく、寝返りがなくなった後ろ姿を見つめる。
(もしオレが…お前と同じくらい素直になれたら…)
 お前と、もっと仲良くなれるんだろうか?
(もしも明日の朝起きたとき、イルカみたいに素直になれてたら…)
(バカ、「たら」じゃないだろ。上忍のくせに、甘えるな)
 なるんだ。
 自分に向かって「退院おめでとう!」と口々に乾杯してくれた、温かな笑顔を思い出す。
(なれるさ、きっと)

 朝起きたら、まずはみんなの前で謝ろう。
 そうして、夕べどうしても上手く切り出せなかった「おめでとう」を今度こそ言うんだ。



     * * *



(んーんーー、やっぱあれも、今思うと「おつかい」っぽいなぁ)
 あの時は本当に恥ずかしかった。翌朝きちんとお礼もおめでとうも言ったけれど、家に帰り着いてもまだ何となくバツが悪くて、その後先生と顔を合わせるのもちょっぴり億劫だったくらいだ。
 なのにその先生と会うや否や開口一番、「ねぇ、カカシが食べ過ぎてダウンなんて、一体どういう風の吹き回し〜?」と聞かれて、その瞬間なにもかも放り出して、その場から逃げ出してしまいたいくらいだった。
 何でって…自分でもなぜだか分からないんだから、聞かないでと言いたい。
 あの夜はかつてなく苦しかったはずなのに、今でもあの日の記憶のまわりだけは、どこかじんわりと温かく、ふわふわとしたものが取り巻いているような気がする。
 それが言葉に出来ない「恥ずかしさの元」のようにも思うのだけれど、あぁもうだめ、これ以上は近寄れそうにない。やめ!

(ぁそーだ! ここにアイツを呼ぶってのは? どうよ?)
 唐突に浮かんできた案が何やらとても面白そうな気がして、一気に心が沸き立ってくる。誘う口実なんて、なんだっていい。理由なんて、最初からないようなものなんだから。

(うわーー、秋道さんに庭で相撲とかとらされたらどうしよ〜!)
 それを思いついた途端、急にテンションが上がりだして、足が軽くなってくる。鍋の重みでだるくなってきていた両の腕も、今は早くうみの家の呼び鈴を押したくてうずうずしている。相撲でもなんでもこい、だ。
(ふん、そしたらイルカと二人でやっつけてやる!)



     * * *



「――おう、久し振り。もう腹はいいのか? あのあとよ、母ちゃんが「カカシ君て、カッコイイわね〜」とかいっちゃってさー、しばらく俺と父ちゃん大変だったんだぜぇ…って、ぇなに? 鍋のおつかい? そりゃまいいけど、お前ほんっとによく食うなぁ?」
「ちがうっ!」
 玄関に出てきたイルカは開口一番、抱えていた大鍋についての見当違いな感想を述べていて、思わず突っ込んでいた。でも日頃から「おつかい慣れ」しているのだろうか。話を聞いても特に疑問も湧かないらしく、鍋運びに同行してもいいと、二つ返事で玄関から出てきてくれていた。


「へぇーー! じゃあ四代目火影の奥さんが作ったのか、それ?!」
 何度か早足にしてみたものの、すぐにマイペースで進みはじめてしまうイルカのテンポに最終的に合わせながら、秋道家に続く道を歩く。
「みたいね。――知らないけど」
 イルカは火影の名前を聞くや、急に興味津々といった様子で瞳を輝かせはじめていた。だがオレはその輝きに反比例でもするみたいに、酷く素っ気ない返事をしながら歩く。
「何が入ってんだ? なぁおい、なんかすっげーうまそうな匂いしてるよな? もしかしてカレーか?」などと盛んに中を見たそうにしてるけど、見せてあげない。
(ふん、よく食うのはアンタのほうなんじゃない)
 わざわざ遠回りをしてまでイルカを呼びに行き、二つ返事でついて来てくれているというのに、なぜそんな態度を取ってしまうのか自分でもよくわからない。けど、面白くないものは面白くないのだから仕方ない。
「なぁ、俺が鍋、持ってやろうか?」
「いい! いーから! ホントに大丈夫だから! あぁもうっ、いいって言ってるでしょ!」
 わかってる。オレは今、過去最高に聞き分けがない。(こんなの、先生が見たらきっと怒るだろうな)まで頭の隅で思ってるのに直せないでいる悪い弟子。なんで?
 腹痛を起こしてうみの家に泊まることになったあの夜。
 イルカの前では意地を張りたくない、素直になりたいと確かに思ったはずなのに、実際に本人を前にすると、途端に上手くいかなくなってしまう。
「んだよー、意地張んなよな〜」
(―――…)
 逆にイルカは、いつも通りのイルカだ。これじゃあまたあの「噛み合わなかった夜」とおなじ事になってしまう。
「なっ、なんだよ、黙るなよ。思ってるならなんか言えよー」
「別に。――なにも思ってないし」
(ぁ、またやっちゃった)
 言った直後に思ってるくらいなら、やらなきゃいいのに、やってしまう。
 ふと似たようなことを、以前も何度もやったことがある気がして、(ああそうか、こりゃオビトが笑ってるな)と左の奥に意識を向ける。笑ってるだけならまだしも、怒っているかもしれない。
 先生、ミナト先生。
 なんでオレって、いつもこんなになっちゃうんですか?



     * * *



「こんにちは、クシナさんのおつかいで来ました」
「こんにちはー! 一緒についてきましたぁ!」
 巨大な門扉の前で呼び鈴を押すと、思っていたのと全然違う男の人が出てきて拍子抜けする。
「やぁ、待ってたよ。丁度サラダが出来たところだ。飯はシカクがスイッチを入れ忘れてて、まだ炊けてないんだけどね」
「…はぁ…?」

 前を歩いている忍――山中いのいちさんは、女性かと見まごうような見事な長い金髪を揺らしながら「上忍だなんていったって、奥さんがちょっと出かけただけで、途端にメシもろくに食べられなくなるんだから情けないよ」などと言っている。
「へへへ〜、もうサラダ出来てるって〜」
 イルカはというと、すっかり食べるつもりになっているらしく、嬉しそうにニヤニヤしている。
(うーその顔やめて、こっちまで恥ずかしくなるー)
 んな調子のいいこと言ってて、オレ達が頭数に入ってなかったら知らないから。

 そうして通された、通常の五倍サイズはあろうかという広いキッチンに驚いたのも束の間、そこにいた大人達に慌てて頭を下げる。
「おう、来た来た。なんだイルカもか。お前ホント、誰にでも引っ付いてくるな」
「こんにちはシカクさん、チョウザさん。えへへへ〜カカシに誘って貰って」
(へぇ、意外)
 イルカ達のやりとりを見て、初めて彼がこの場の全員と面識があるらしいことがわかっていた。恐らくはうみのさん繋がりなんだろうけれど、オレはまだ誰ともきちんと話をしたことがないから、何だかイルカに水を空けられたような気になる。
「おっ、旨そうだな。流石クシナさん、ありがてぇ。あとはチョウザがこれで足りるかどうかだな」
 シカクさんが、オレから受け取った鍋を早速火に掛けている。
 黒髪の彼はイルカと似たような髪型をしているうえ、二人とも顔に傷があるけれど、両者が醸している雰囲気はまるで違っている。確か奈良家は代々薬屋を営んでいるはずだが、シカクさんは里一番のIQの持ち主で、将来は戦略班の要になるのではと噂されている。だからその彼が「量が足りない」と見積もったのなら、その可能性は高そうだ。
 イルカ、オレとお前はこのまま帰った方がいいかもしれないよ〜?





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