うちは家での滞在はごく短い時間だったけれど、二人とも「白い牙」のことには最後の最後まで一言も触れなかった。彼らは上忍になったばかりの子供のオレなんかより、「白い牙」との付き合いの方が余程長かったはずなのに。
 そんな自分に、ミコトさんは「一人の人の子」として接してくれ、フガクさんは「一人の男の上忍」として接してくれていた。うん、多分そう。
 だからもしも…もしも、例えばの話。
 波風家に戻って、例の質問好きな先生に、『そう。じゃあ今の自分には、どっちが大切と思う?』と問われたなら。
 オレはふんと一つ鼻でわらって胸を張り、「どちらも!」と答えるだろう。



   * * *



「――はい、とても気に入ったと言ってました。クシナさんに、くれぐれも宜しく伝えて下さいとのことです」
 ミナト家に戻った際の口頭報告は、前回同様あっさりしたものだった。だってこれは正式な任務じゃないし。実際何かしらのランクを付けようとしたって、つけようのない内容だし?
「そう。よかった。クシナが聞いたらきっと喜ぶよ」
 買い物の留守番をしているのだという先生は、いつもの穏やかな笑顔で頷いている。

 結局オレは、うちは家で最後に挨拶をした際、ミコトさんに「目のことはもう気にしないでいいのよ。よかったら、また遊びに来てね」と言われたことや、フガクさんとの間に交わされた会話についても、最後まで黙っていた。一瞬言おうかと迷ったけど、結局は上手く口が開いてくれなかった。
 先生のほうも、以前日向家に行ったときのように、「それでそれで〜?」と問いかけてくることは、なぜか一度もなかった。
 部屋には、二人しかいなかったのに。
 予め、(うーこれは絶対いろいろ聞かれるよねー…?)と内心覚悟して身構えていただけに、その夜は拍子抜けしながら帰ったのを覚えている。
(先生は、例えオレがうちは家の人達にどんなことを言われてたとしても、何も聞くつもりは…なかった…?)
 わからない。先生は時々オレを悩ませる。

 その先生から、「ミコトさんに赤ちゃんが生まれたよ。元気な男の子だそうだ」と満面の笑みで聞かされたのは、それから二日後のことだった。



   * * *



 そんなこんながあった後の、今回の秋道家への「おつかい」だ。場数を踏んで安心するというよりは、むしろ落ち着かない気持ちが募っていく一方だったりする。
 波風家を出る前に、「あのーなんか毎回毎回、逆家庭訪問みたいなんですけど。もしかして、そうなんですか?」と訊ねてみたものの。
「ん! カカシは面白いことを言うね! じゃ、いってらっしゃい!」とあっさり右から左に流されていた。大人になったら、「はぐらかす」だけはやるまいと心に誓う。

(――あれ?!)
 鍋を抱えたまま、思わず立ち止まっていた。「はぐらかす」で、唐突に思い出したことがあった。
(もしかして…)
 その前からもう、オレの「おつかい」は始まってた…?


「カカシ、今夜はとても重要な任務があるんだけど、いいかな」
 ひと月ほど前の先生の出だしは、多分そんな感じだったと思う。
「はい!」
 その日の朝、オレは木ノ葉病院を退院したばかりだったけれど、毎日毎日、それこそ明けても暮れても左目の検査と治療を繰り返していただけの退屈な入院生活に飽き飽きしていたせいで、夢中でそいつに飛びついていた。
 何でもいいからやりたかった。早くオビトの分までやらせて欲しい。そんな思いが忙しなく全身を駆けめぐっていて、とてもじっとなんかしていられない。
「なんですか、斥候なら早速試してみたいんですが」
 入院中、左目は幾重にも包帯で巻かれて使えなくされていたから、まだ使えるのかどうかもわからない。使えるのなら繰り返し実戦で試して、一刻も早く使いこなせるようにしなければならない。時間が惜しい。
「オレの代理の任務だよ。できるかい」
(えっ…)
 先生の引き締まった頬と真剣な眼差しに、(これは心してかからないといけない、難しい任務だ)とピンときていた。
 しかもオレが左目を使いこなせると信じてくれているからこそ、先生は代理で指名してくれたのだ。
「はい、わかりました。やります!」



   * * *



「――こんばんわ、はたけカカシです。四代目火影の代理で来ました。今回は宜しくお願いします」
「よっ、いらっしゃい! よく来たなぁ…っておいおい、こりゃまた随分張り切ってるなぁ。ははっ、いいぞ! さぁ上がってくれ!」
(? よく来たな…?)
 随分と明るい笑顔で出迎えてくれたうみのさんとは、以前にも何度か任務を遂行したことがあった。時に厳しく、妥協をしない頑固なところがあるが、全員の話を分け隔てなく聞いてくれ、いつの間にか初対面のメンバー同士を自然と強く結びつけることの出来る、四代目も一目置く人だ。
 一緒に任務をこなした大人達は、大抵任務が終わる頃には彼のことを「男気のある人だ」という。オレはまだ「おとこぎ」という言葉を他で聞いたことがないから、自分の中の辞書の「おとこぎ」は、常にうみのさんとイコールの状態だ。そして今でも、彼の中のどれのことを指して「おとこぎ」と言っているのか、任務のたびに注意深く観察しているところだ。
 今回はそんな彼と遂行するフォーマンセルの任務だと聞いて、期待と緊張で胸を膨らませながら、指定された時間丁度に合流しに来たのだが。
 開口一番、随分と楽しそうに笑いながら「いらっしゃい! 張り切ってるなぁ!」はどうなんだろう。
(? 「おとこぎ」って、そんな感じだっけ?)
 ――ま、いーか?
 彼を前にすると、それまでは気になっていた小さな事柄が、どうでも良くなってきたりするから不思議だ。
「母さん、イルカ! カカシが来たぞ」
 オレを家に上げるや、奥の部屋に向かって大きな声を出している。その方向からは様々な料理の匂いが漂ってきていて、(あれ? 集合の時間、間違ったのか?)と急に不安になってきていた。食事は任務前に済ませておくのが普通だからだ。

「?!」

 だが居間と思しき部屋を開けた途端、連続して響いた大きな破裂音に、咄嗟に後ずさって身構えた。
(っ、敵襲?!)
「退院、おめでとう〜!!」
(??? た…っ?!)
 全く予想外の明るい声が部屋中に響いて、その場で固まったまま繰り返し目を瞬かせる。なに、なんなのっ?!
 やがてうみのさんが席について視界が開けると、目の前のテーブルに所狭しと料理が並んだ、怖ろしく賑やかしい光景が一気に目に飛び込んできた。席にはうみのさんの他にも、奥さんと思しき人や、オレと年の近そうな子供も座っていて、にこやかな笑顔でこちらを見ている。
「…ぁ…と、ぇーーと…」
 ひょっとするとこれは…任務などではなく…?


 大人はよく「空気を読め」とかいう。ミナト先生は言わないけど、任務で一緒になった人達の中には、好んで使っている者も多い。てっきり最初の頃は、人の気配を素早く感じ取ることだと思っていたけれど、どうやら違うらしい。ただ結構空気を「読めない」人もいるみたいなのに、誰もこれといった明確な質問や解説はしてくれなかったりする。そしてただ一方的に「空気を読め!」とだけ言う。
(で、もしかして…)
 いまが、「その時」だったりするんだろうか?
「昨日はコイツの誕生日でね。たまたま俺が任務でいなかったから、今日やることになってたんだが、同じ日にお前が退院したって聞いたんでな」
「は…ぁ?」
「めでたいことは、みんなで一緒に祝っとくもんだろ」という言葉に、ようやくバラバラだった一連の出来事が、正しく一つに繋がっていた。
(――せっ、せんせぇぇぇ…!)
 帰ったら文句の一つも言ってやらねば気が済みそうにない。先生はきっと、いつものあの笑顔でトボけてはぐらかそうとするんだろうけど、もうそんな手にオレは引っかからないんだからね!
 あぁそれなのに、(それにしてもミナト先生って、『大事な任務がある』ってオレに話をしてたとき、よくあんな真剣な表情が出来たよな…)などと一旦感心してしまうともうダメだ。なにやら急に可笑しくなってきて、力が抜けてしまう。

「ははは! そうかそうか、ミナトはお前にそんな誘い方をしてたのか〜。道理でやたら重装備だと思ったよ。いやあお前も楽しい師匠の下だと飽きないでいいな!」
 当然うみのさん達には大ウケだ。そして「あいつの茶目っ気は自来也さん仕込みだよ。昔はもっと生真面目で物静かな男だったのに、見事に擦り込まれたなぁ」などと奥さんと笑いあっている。ぶう!
 ちなみに「おとこぎ」上忍曰く、『一流の嘘が真顔でつけるようになったら、一流の大人』ってことなんだそうだ。えぇーー? ホントに〜?
 そして、オレは今はまだ、その意味がよくわからなくてもいいんだそうだ。ぶうう!

 ジュースで乾杯の後、和やかに食事がはじまったが、「カカシは年の割には冷静だと思うぞ。ただ意外と思い込みが激しいところがあるんだよな。まぁ俺は、そういうところも好きだけどな!」と言われて、口布の下で顔中が熱くなっていく。
(――ぅぅぅ〜…思い込み……激しい……思い込み…)
 そうなんだろうか? わからない。先生っ、オレってそうなんですか?!

「ほら、これも食べろよ。こっちは俺のおすすめな。カカシは食い物の中で何が嫌い? …えなに? 聞こえねぇ。――天ぷら? えぇーうめぇのになぁ〜。母ちゃん、カカシ天ぷら嫌いだってー。そっちのと交換してよ」
 イルカという少年は初対面にもかかわらず、オレの方にどんどん食べ物を寄せてくる。それこそ断るひまもない。そうでなくとも、大人達が「これはどう? こっちは好き?」「遠慮するなよ。来たからには思い切り食ってけ!」などすすめてくるものだから、もう苦しくて仕方ないというのに。
 そもそも今夜は任務だと思ってたから、店で腹一杯食べてきたばかりで、最初から腹は一杯だった。――はずだ。
「――んーと…、じゃあこれ…」
 なのに、隣で口一杯に飯を頬ばって旨そうに食べている少年を見ていると、(ま、これくらいならいってもいいかな…)と思えてくる。
(そんなに言うなら、もうちょっとだけ)と、不思議とそんな気になるのだ。
「ぁそうだ、なぁ中忍試験の話聞かせてよ。俺今年絶対受かってみせるんだ!」
「いいけど」
「おおイルカ、こいつはな、当時の歴代の最短試合記録を最年少で更新したんだ。あんまり食ってばかりいると聞き逃すぞ」
「えっ、すげぇ! マジで〜?!」
「…ぇっ、――ぁ…うん…」

 テーブル一杯に並んだ色とりどりの料理と、それを囲む人達の姿が、夜のガラス窓に滲みながら、淡くぼんやりと映り込んでいる。
 片目だからだろうか。
 その光景が、なぜだか妙に眩しい。





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