「じゃあいよいよお待ちかね! 泣いても笑ってもこれが最後の発表だよ。みんな、用意はいいかい!」
 アンコの威勢のいい掛け声に、最初こそパニックに陥って引きまくっていた会場も今やすっかり乗せられきって、揃って「オーーッ!」と一斉に大声を張り上げている。拍手やら指笛やら黄色い声やらが入り混じって、騒々しいことこの上ない。
 舞台に上げられた面々も、その盛り上がり加減には驚いて、顔を見合わせて目を丸くし、苦笑う。
(よーし。イルカ先生、お膳立ては全て整いましたよ? オレはもういつでもOKです!)
 カカシはどうにもじっとしていられずに、チラチラと隣の中忍を盗み見る。舞台上のイルカは赤みを帯びはじめた陽の光を浴びて、とても楽しそうに笑っている。
 こんな観衆の面前なのに、思わずイルカの唇を見つめてしまっている自分に気付いて、慌てて視線を前に戻した。



「はーい! じゃ、静かに! 静粛に〜! ――第一回、アカデミー人気投票の、男性投票第一位はねー!」
 カカシは再びイルカのほうを、目だけでチラと見た。すると、イルカの方もその視線に気が付いたのか、黒目がちな瞳がぱっとカカシの右目に向けられる。
 瞬間、どきん、とした。
 目なんて普段からしょっちゅう合っているのに、何だろう、このドキドキ感は?
 カカシはイルカの曇りのない瞳でもって、己の後ろめたい焦りや不埒な計画までも見抜かれそうな気がして、咄嗟にいつもの三日月目でにっこり笑って見せた。
 するとイルカの目尻も、人なつっこくちょんと下がる。
(よしっ、キス前のコミュニケーションもばっちりだ! もういつでもドンとこい!)
 カカシは緊張でカラカラに乾きそうになる口内を必死で潤し、唇がカサついていないか何度も舌先で確認した。


「――あぁっとォ〜! やっぱり一位はこの人かぁ〜。アタシもそうじゃないかと思ってたんだー。誰からも愛されるアカデミーのアイドルって言えば、もうこの人しかいないよねっ!」
(よっし! よおぉーーーっし!!)
 アンコの弾むような明るい問いかけに、カカシの右手に勝手に力が入り、自然と握り拳が出来る。
「老若男女、誰からも愛されている、アカデミーを代表する男と言えば!」
(イッルカ先生〜っ!!)


「――そう! 我らが里長、三代目・火影様ーーっ!!」



(…………ハ……?)


 大気を揺るがす大歓声が、一斉に沸き起こった。詰めかけた民らは皆、笑顔で拍手している。
(? えーと? …今…、ほ…かげ…とかなんとか、言わなかった…?)
 その時、広い会場内で何もしないでただぼんやりと突っ立っていたのは、カカシただ一人だけだった。誰もが皆、名前の主がステージ上に現れるのを今か今かと待ちわびつつ、心からの拍手を惜しみなく送っている。
 やがて、舞台上にその一位の男がすっと現れた。熱狂的に手を振る民衆に向かって、ゆっくりと片手を上げる。
 人々のボルテージは最高潮に達していた。
(…な…っ、やっぱ…聞き違いじゃ、ない…?)
 カカシは右の目を見開いたまま、ふらふらと数歩後ずさった。
 ガイやイルカ先生、それに自分の顔写真にばかり気を取られていて、そこに三代目の顔写真があったなんて気付きもしなかった。
 いや、例え気付いていたとしても、まさか三代目に投票する民がこんなに居たなんて…。
(やっ、そっ、そりゃ…里を根幹から支えて、守って、繁栄させて、引っ張っていく役目だけどさ……ううっ、くそ…っ!)
 考えれば考えるほど、これは確かに分が悪い。隠れ里で暮らす一般人達から見れば、三代目火影はここの誰よりも遥かに頼れる人物で、正真正銘の大人物である事は間違いないのだ。
(あぁいや、今はそんな敗因分析をしている場合じゃないぞ、一刻も早くここから脱出しないと…!)
 カカシは上忍らしく、想定外だった混乱から早々に抜け出すと、素早く周囲を見渡すや、目にも留まらぬ速さで印を切るべく身構えた。
 途端、両の手に三匹の蛇が勢いよく絡みつく。

(!!)

「ふふん、逃げようったって、そうはいかないわよ〜?」
 ぎっちりと絡んだ蛇の先は、悪戯っぽく笑うアンコの袖口へと続いている。
 直後には、右背後にアスマの影分身が、左背後にはガイが、そして右前方には紅が、カカシの行く手を完全に遮断し、正面には、菅笠の奥で妙ににこやかに微笑む三代目が立ち塞がった。
「ちょっ…ちょっと、ちょっと! 待って? ね、みんな、待ってって言ってるでしょ! いやあの、オレさ、そういうシュミ、全然ないの!」
 カカシは後ずさることも印を切ることも出来ず、その場に立ち竦んだ。
「あぁ? 聞こえねぇなぁ〜。なんか言ったか?」
 背後に立ったアスマの影分身が、カカシの右腕を後ろに捻り上げ、首にガッと腕をかけてくる。と同時に紅が何かの術をかけたらしく、両の足が地面に張り付いたように動かなくなった。
 残った左腕を、ガイがとんでもない馬鹿力で掴む。
「カカシイィ! 勝負ってのは、最後の最後までわからんものだなぁ〜〜!!」
 さも愉快そうに、真っ白な歯を光らせながら笑っている。
 けれどその声すら、もうカカシの耳にはろくに届いていない。
「いやっ、その…っ、――アンタらねぇ! 恐れ多くも里長だよ?! 火影様よ? キっ、キ…スなんて…やっ、やめようよ、そんな失礼なこと。ね? ねっ? フツー絶対、そう思うでしょ? 優秀な、上忍の、みなさん?!」
 カカシはびくとも動かなくなった体をガチガチに強ばらせ、引きつる顔で懸命に同意を求める。
「いや、儂なら別に構わんがの? カカシよ」
「ひッ…?!」
 目の前の好々爺の言葉に、銀髪男が愕然となる。
「カカシ、お主は朝からずっと、人気投票の票集めに余念がなかったようじゃが、あれは儂が間違いなく一位になるという事を承知の上での行為なんじゃろう?」
(――すっ…水晶…か…?!)
 気持ち照れながらもにっこりと微笑む里長に、カカシは言い知れぬ恐怖を感じ、戦慄した。
「…なっ、なんか勘違いしてますって三代目っ! …オレ、ホントに真剣に誓って、三代目とこんな事したくないですから! 絶対っ!」
「あァ? じゃ、誰としたかったんだ? 何だかしらねぇが 朝からコソコソと企みやがって。オラ、正直に言ってみろ?」
 アスマがここぞとばかりに畳みかけてくる。あぁもう、忌々しい!
「――…いやっ、べっ…別に…、そんなつもりでしてた訳じゃないッ! ――くそっ、離せ、畜生――っ!!」
 しかし、上忍と特忍の四人がかりで押さえ付けられた体が、今更どうにかなる訳もなく。
 ガタガタと情けなく震える体は、最後の最後まで奴等にいいように操られた。

 そして「その瞬間」の群衆が、それまでの催しのどれより盛り上がっていた事実が、オレは今でも腹立たしい。


 こうして今年の「忍と一般人達の交流会」は、例年以上の大盛り上がりを見せ、盛会のうちに幕を閉じた。






 その日の帰り道。
 オレの隣には、黒髪の中忍先生が歩いていた。
 今日一日の出来事を、とても楽しそうに笑いながら話している。
 彼の真っ黒な瞳が、街灯の明かりにきらきらと光っていて、頷きながらもつい見とれてしまう。

 ついさっきまでは、「今日が人生最悪の日だ」なんて思っていたけれど、彼の幸せそうな笑顔を間近で見ているうちに、何だかすごく満ち足りた気分になっていた。

 そう。自分はこの人ひとりからの、たった一票が欲しかっただけ。
 ただそれだけだったのに、それを得たいがためにその他大勢の票を獲得しようとしたところで、それは土台無理な話だったのだ。

 ふと(この人とのキスは、みんなに見せなくて良かったのかも)と思う。

(…ねぇイルカ先生、あなたも、そう思うでしょ?)
 心の中で、そっと問いかける。

 その日がいつ訪れるかなんて、分からないけれど。

 その瞬間は、オレ達二人だけのために、大切にとっておこうと思った。









                                  
                    「親睦の日」 おわり



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