上半身にずっしりとかけられたカカシの体は信じられないほど重く、両足が胸に付くほど深く曲げられた状態では、ろくな抵抗が出来ない。その窮屈で無防備な格好に、本能が激しく警鐘を鳴らす。
「…ぃ、やだっ、放せっ!」
 思わずなりふり構わぬ言葉が口を衝いて出る。
「…ごめん」
 上忍が耳元で熱い吐息の合間に呟いたのが聞こえると、イルカは絶望で体の力が一気に抜け落ちていくのを感じた。
(!!)
 やがてカカシの猛り立った熱いものが入り口に押し当てられ、一気に押し入ってきた瞬間は、予想を遙かに上回る衝撃に呼吸が止まった。叫ばなかったのが不思議なくらいだ。
 元々忍は咄嗟の時にも不用意に大声を出さぬよう、幼い頃から訓練されている。それがこんな時にまで効いていた。
 顎を限界までそらせ、口を一杯に開いたが、ついに声は出なかった。声の代わりに、冷や汗が全身から吹き出し、体を濡らしていく。
 体が胴から震え、唇がわななく。体の殆どはカカシの黒いマントにすっぽりと覆われていて、一切見えない。
 その下で今、何が起こっているのか。考えただけでもイルカは気が遠くなった。
 耳元では、カカシの苦しそうな中にも愉悦の混じった熱い吐息が吐かれている。
(何で…っ、こんな事…!)
 こめかみに涙が伝うのを感じながら、イルカは固く目を閉じる。
 ――えっ…?!
 と、その時思わぬ言葉が脳裏に思い浮かんで、愕然とした。
(…まさか……、まさかあの……「交換」、て…)
 さっき、上忍が計画を承諾する際。一番最初に言っていた「交換だ」という言葉を唐突に思い出していた。その時はよく意味がわからなかったが、そのあと「自分を好きに使っていい」と言っていた、その代わりの行為というのが…。
 そこまで思い至ったものの、下半身を襲う痛みに思考はすぐに途切れていく。本気で抵抗しようとしていたはずの体は、中心を杭で穿たれて床板に留められてしまったかのようにぴくりとも動かせない。抵抗しようという気力すら奪われて、ただ熱い彼のものを一杯に咥え込んだまま、小刻みに震えている。
 やがてカカシがゆっくりと腰から動き出すと、これが本当に自分の身の上で起こっていることなのかと、全身で彼の存在を感じながらも、信じられない気持ちで一杯になった。
「!!――!!――!!」
 それでも声は出ない。咽は空気を求めて溺れたような呼吸を繰り返すばかりだ。
 やり場のない両手が板間に放り出され、強ばった指先がかりかりと厚い床板を掻く。楽になりたくても相手の動きになんて到底合わせられない。根元まで深く突かれるたびに息が詰まって、後から後から押されるようにして涙があふれ出てくる。
 カカシが何度屈み込んで指先ですくい取っても、すぐに眦は涙で一杯になる。
(くそっ…、くそッ…!)
 こんな酷い無体を強いているくせに、同時に一生懸命涙を拭ってくることが、腹立たしくてならない。
 息が上がり、頭の中が霧がかかったように朦朧としてくると、苦しいから涙が出ているのか、カカシに涙を拭かれるのが嫌で泣いているのかさえ分からなくなってくる。こんな時、さっさと意識を手放せないほどには頑強な己を呪う。
 激しく揺すぶられながらうっすらと目を開けると、滲んでぼやけた暗がりの世界に見事な銀色の髪が揺れている。
 その嵐のような動きがふと止まった――直後、唇にふに、と柔らかい口づけが落ちてきた。
 また涙があふれた。

 部屋にはカカシとイルカの荒い息づかいの他は、僅かな床板の軋みと、灯明芯のちりちりという音、そして耳を塞ぎたくなるような淫猥な音だけが響いている。
 夜半も過ぎ、城内は水を打ったように静まりかえっていた。それだけに自分の上げた尋常ならざる声や音が、いつ警備の者達の耳に届くやもしれない。イルカは何よりそれを恐れた。



「――ぅっ…っ、ぐ…っ…」
 目の前の男が、ひとりでに唇をついて漏れ出そうになる声を、懸命に堪えている。
 声を抑えることだけで精一杯で、長きに渡って鍛え上げてきたはずの四肢は今や何の役にも立っていない。
 忍は体の痛みには強い。痛みのたびに声を上げていたのでは、命が幾つあっても足りない。けれど快感に抗うのは難しい。まだ経験の浅い、若い体なら尚のことだ。
 イルカは唇を噛み、指を噛み、歯を食いしばって止めどなく押し寄せてくるものと必死で闘っている。
 その姿は、己の脳裏に焼き付くような壮絶な光景だった。

 途中から抵抗することをやめ、半ば意識を飛ばしていたようなイルカの両の手が、マントの下で掴むものを探して無意識のうちに彷徨っていることに気付いて、カカシは彼の頂が近いことを知る。
(いこう…)
 その手を取って自分の首に回してやると、カカシは何故か掻きむしられるような胸の痛みに襲われた。




     * * *




「――お呼びでしょうか?」
 その夜、夜半過ぎ。重厚な書院造りの書斎の片隅に、銀髪の男が片膝を突いた姿で現れた。
 口布と額当てに覆われた出で立ちは、初対面の時と何ら変わりないものの、むしろその変わりの無さを柘植は苦々しく思う。
(堂々と怠けおったくせに白々しい。お前を雇うのに、一体幾ら積んだと思っている? 忍なら忍らしく金で動けば良いものを。最近の忍は下らん知恵が付いてきて始末が悪いな。もしこのままのらりくらりと契約期間が過ぎるのを待つつもりなら、こちらも黙ってはおらんぞ)
「この数日間、どこに行っていた?」
 まずは幾ら呼べども一向に姿を現さなかった上忍を問いつめ、気が済むまでなじるつもりだった。
 そして男を見下ろしながら、(隠れ里に資金援助をしている主立った大名のうちの、どの者から圧力をかけてくれようか?)と、思惑を巡らす。
「妙見殿の城へ」
「ほう。――で?」
「他国の上忍を護衛に付けており、少々手を焼いております。今暫くお時間を」
「なんと?! 上忍だと?」
「はい」
 男の顔は命令通り未だ伏せられたままだが、声音は憎らしいほどに落ち着き払っている。
「そんなはずはなかろう。奴に上忍など雇える金があるものか。カカシ、そんな見え透いた嘘を吐くでない!」
 柘植は苦り切った表情で吐き捨てた。こちらが何も知らぬと踏んだのか、この忍は嘘で時間稼ぎをすることを思いついたらしいが、雇い主を愚弄するにも程がある。何としても、相応の制裁を加えねば気が済まなくなっていた。
「――では嘘かどうか、……試してみますか?」
「なに?」
 話している途中から、上忍の深く張りのあった声色が、太く掠れた他人のそれへと変わりだした。顔を伏していた上忍がゆっくりと面を上げると、その額当てには異国の刻印が刻まれている。
「なッ…!」
 柘植は脇にあった鹿角の刀掛けから、咄嗟に刀を掴んだ。
「曲者ーっ!」
 しかし叫んだ途端、ギョッとして凍り付いていた。喉一杯に張り上げた急を知らせる大声が、全く城内に響き渡っていない。声は三十畳ほどの障子と襖に囲まれた室内に、即座に吸われて消え去り、あとには耳の奥が痛くなるほどの酷く不快な気配…圧迫感が、部屋をみっしりと隙間なく押し包んでいる。
「…お前…ッ!」
「何をしたか、か? 結界を張らせて貰ったよ。邪魔が入っては面白くない」
 言いながら、木ノ葉の上忍が口布を下げ、ぐいと額当てを引き上げる。とそこにはもう、あのはたけカカシとはおおよそ似ても似つかぬ、見たこともない金眼赤髭の忍が立っていた。
 薄笑っている口元から、愉快そうな声が響く。
「外の銀髪は貴様が雇ったのか? どれほど積んだかは知らんが、上には必ず上がいるのがこの世界だ。残念だったな」
 全てを言い終わらないうちに柘植が刀を振り下ろすが、異国の忍はやすやすと身を翻しながら最後まで喋りきる。
「お前が度々妙見に差し金を寄越してきていた証拠は、もう十分集めさせて貰った。あとはそいつをどこに持っていくかだが…」
「ふん、そういうことか、なら話は早い。木ノ葉はやめだ。お前を雇ってやる。幾らだ? 妙見の三割増しでどうだ?」
 すっかり腰の引けた構えで提案する城主に、金眼の男はげらげらと一頻り笑ったあと、首を左右に振った。
「笑わせてくれる。忍が金だけで動くただの道具だと思ったら大間違いだ。貴様も大人しくしていれば、わざわざ出向いてなど来ないものを」
 妖しく光る細い忍刀が行灯の光に浮かび上がると、柘植は刀を投げ捨てて両手で襖を開けようと躍起になった。が、どの襖も障子も塗り固められたように固く、ぴくりとも動かない。そうなるとあとは平身低頭、命乞いの言葉を吐き続けるしか城主に出来ることは無い。
「喜べ。貴様程度の小物なら、最後に死に様が選べるぞ」
 異国の忍が一言言い放ち、喉元に切っ先を当てる。
「――ただ死ぬか、或いはこの世に存在していた事実ごと、きれいさっぱり消されるか。…さて、どっちがいい?」
 とその時、襖を突き破り、青白い光と共に出し抜けに中へと踏み入ってきた男を見て、柘植が必死の形相で助けを求めた。
「カカシよ! 早う!!」




「――なるほど、分かったぞ! その金眼の異国の忍というのは、あの黒髪の男の変化だな? お前と二人して欲深い大名をこらしめてやろうという作戦なんだろう?」
 忍路が得意げに指摘する。
「如何にも。ではその後、どうなったと思います?」
「そりゃあ、打ち合わせ通りの迫真の戦いを目の前で見せてやって、適当なところでお前が城主を庇って物別れに持ち込めば、それで全ては丸く収まるだろう? あぁでも本当に斬られる訳にはいかないから、お前も向こうも偽物の分身を使っていたのだな? 警護は契約通り完遂したのだから、違約金も取られないだろうしな。いかな有力大名といえども、そこまで怖い目に遭えばそれ以上はおいそれと手出し出来まい」
「ええ――そう、ですね」
 銀髪の男は、利発な青年へと日々成長を遂げつつある若き時期城主を満足そうな目元で見つめた後、再びゆっくりと語り始めた。
「柘植はすっかり騙されて縮み上がっていましたよ。それくらい真に迫った、ギリギリの戦いを披露しましたからね。そして極めつけはやはり、私が金眼の忍に腹を一突きされた時でした――」




 狭い書斎の中で燦めく白刃から逃れようと、柘植は悲鳴をあげながら激しくぶつかりあう剣圧の中を逃げ惑う。やがて長い炎刃が放たれ、青白い雷火が奔ると、その灼けるような熱さや総毛立つようなおぞましい大気に、城主はこの世の地獄というものをまざまざと想起した。
 しかし永遠に続くかと思われた戦いは、始まった時と同様に唐突に終わりを迎えていた。カカシが柘植を庇った際、ほんの一瞬生まれた隙をついて、異国の忍が放った刀が深々とカカシの腹部を刺し貫いていた。
「…っ…!」
 銀髪の忍は腹を押さえたまま、雇い主の目の前で膝から畳に頽れていく。双方刺し違えてはいたが、雇い主を庇った分、カカシの方がより傷が深いのは、柘植の目にも明らかだった。
 脇では畳に広がりだした赤黒い染みに、狼狽える柘植が引きつった奇声を発している。

(――よし、全ては算段通りだ)
 内心でイルカは大きく頷いた。打ち合わせ通り、カカシが張っていた結界が解かれると、自分も速やかにその場から手負いの影分身を退出させた。









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