唐突だが、俺はあの人に対しては失礼ながら、心のどこかでどことなくモヤモヤとした、すっきりしない感情を抱いている。
 それをあえて言葉にするなら「不信感」だろうか。或いは、「何かが釈然としない」とでもいうべきか。更に失礼を承知でいわせてもらうなら、「得体の知れない、胡散臭さのようなもの」…。ああいやでも、これでは本当に失礼だな。まぁここだけの話な?
 とにかくこうして改めて挙げてみると、意外と出てくるもんなんだなと、我ながら驚いているところだ。まぁ…なんだ、自分が思ってた以上に、そのことが気にかかってたらしいことにもな?
 え、いつからだって? うーん…いつからだろうな? 下忍の頃は、「俺と二つしか違わないのに、もう上忍なんてすげぇな」としか思っていなかったはずだから、まぁ最近のことには違いないだろう。気付いた時には、ってやつさ。
 ――あぁいや悪い、正直に言おう。ここで誤魔化してもしょうがないよな。
 俺があの人……はたけカカシ上忍に対していつから何に引っかかっているかは、とうの昔にはっきりしている。だってナルト達を引き渡す前までは、「口布をした優秀な上忍」としか認識していなかったんだから。
 けれど今では顔の殆どを覆ったその出で立ちまでが、不信感を募らせる一因になっている。
 黒い口布と鉄の額当てにがっちりと覆われたそのひょうひょうとした姿は、俺が知りたいことに限って何も教えてくれないでいるはたけカカシという男を、いっそ面白いほど端的に表している。


     * * *


「あの子達、上手くやれてますか?」という上忍師達への問いかけは、俺が二年前にアカデミー配属になってからというもの、もはや時候の挨拶のようになっている。恐らく上忍の中には、「またそれか」と内心煙たがっている人もいるのではないだろうか。けれど気になるのだから仕方ない。これも挨拶の一環と勝手に位置付けて、折に触れ聞き続けている。いつか何かが聞けるかもしれないと、心密かに期待しながら。
 これまで自らが関わりながら送り出してきた班の数は、二年間で計20班約60人。しかし最初に送り出した30人の卒業生は、すでに中忍試験によってふるいにかけられ、いまだに半分以上が下忍のままだ。それ以外にも、忍になることを諦めるという道を辿っている者も少なくない。
 一人前の忍になるための道は細く長く、そして険しい。果たして今回はどうだろうか、と今年も卒業の直後から気になっていた。実力が全ての世界だ。そこが劣るのなら、一つしかない命を落とす前に戦場から離してやるのもアカデミー教師としては大事なことなのだ。なのに「できることなら全員が望んだ道に進んで欲しい」という思いも同量かそれ以上にあり、自ずと冒頭の問いかけを繰り返させている。
 中忍試験に受かり、忍として更にステップアップしていけるかどうかは、アカデミーでどれだけしっかり基礎を身に付け、上忍師の元で実践を積むかにかかっているといっていい。だがそこがこの師弟制度の難しいところでもある。例え素養のある子でアカデミーでは図抜けていても、上忍師の元ではその能力を発揮できずに伸び悩む、という例が後を絶たない。生徒達にとってお手本となる上忍師との相性は、本人の努力の次に大切な要素なのだ。
 当然のことながら、彼ら卒業生はみな子供とはいえ、立派な一人の人間だ。とはいうものの、まだまだ幼く、ひ弱な存在でもある。そのうえまだ世の中をほとんど知らない年少者たちは、上忍師からみれば「忍世界の常識が通らない」、酷く付き合いにくい相手と映ったりもする。ときには彼らとまともに会話を成立させることすら難しい上忍もいるらしく、そのせいで彼らの人生が大きく左右されてしまうこともままあると聞く。
 やんちゃ盛りの「異星人」ばかりをいきなり三人も預かったうえ、いかに実践を通しながら一人前の忍へと育てていくか。それはある意味、親が我が子を育てるより難しいことなのかもしれず…。
 更にその前段階…いっとう最初の教育を受け持った者としては、彼らの行く先々が気にならないわけがなく。
 よってアカデミー中忍による、「上手くやれてますか?」の問いかけは今日もまた続く。

 そんなとある日の、よく晴れた午後だった。
 たまたますれ違った銀髪の上忍に、こちらから声を掛けていた。同僚達からは「お前は肝心なところで気安すぎる」と言われたりもしているが、以前から一度話を聞きたいと思っていた人だからいい機会だ。丁寧な挨拶をしたあと、いつもの流れで「あいつら、上手くやってますか?」と続ける。
 が、返ってきた言葉に、思わず絶句していた。
「はぁ? それが、アンタと何の関係が?」
「えっ…」
 しかもその瞬間、首元から背筋までが一気にぴりりとするような、怖ろしくぶしつけな気配に息を呑んだ。
(な…殺気…?!)
 ゾクリとするほどの冷気ではないものの、それでもなにがしかを伝えるには十分な威力を持っているそれ。
(この、男…)
 いきなりどういうつもりだ?
(っ、関係…がって…)
 無意識のうちに身構えそうになる体を、片意地だけで押し止める。ナルトの中のものに絡んだ脅しや嫌がらせなら、これまで幾度となく受けてきた。そういうことなら絶対に屈しない。
 木ノ葉の隠れ里は、五大国いち大きく、広い。単に愛想がないだけの上忍なら、そこらじゅうにいるし気にもならない。けれどほぼ全くの初対面で、ここまで意味不明で礼を欠いた上忍も初めてだった。上忍ともなると、それなりの人品も含めて推挙されるものだからだ。
 なのにこの男の元に、これまで最も手を焼いた生徒がつくことになったと聞いている。しかも、先日昼食を共にした三代目からの情報では…
(――これまで、誰一人合格させたことが、ない…?)
 聞けば毎回どの生徒も例外なく、早々に不合格にしてアカデミーへ差し戻していると聞いて、気付いた時にはその場で三代目に理由を問い質してしまっていた。けれど当のご本人はのんびりとしたものだ。なにをどう聞き直しても、「そこまでは儂にもわからん。じゃが、あやつを信用しとるでの」と答えるばかりで、いま思えばここでも彼についての情報は覆われていたことになる。
 卒業生の班分けについては、俺を含めたアカデミー中忍四人と三代目で相談の上決めていた。だがその班をどの上忍師が担当するかについては全て三代目の判断に委ねられていて、先日ナルト達七班の担当者を聞いた際、「ああ、あの名高い上忍だな?」と安易に安心してしまっていたことを内心で猛省する。戦忍として高名なだけでは、白紙に近い子らを導けないことなど、誰より自分が一番良く知っていたはずなのに。
 が、結局その場は中忍の自分が譲るしかなく。
「…っ、わかりました。そういうことでしたらこちらには何も教えて頂かなくても構いません。でもどうかお願いします、あいつらには、出来る限りの機会を…」
 しかし、必死の思いで首元に絡んだ冷気を振り払い、深々と下げていた頭を上げた時には、もう上忍の姿は遥か向こうへと遠ざかってしまっていた。
 その後ろ姿は分厚い支給服で覆われ、唯一見えていたはずの白い手首すら、ズボンのポケットへと消えてしまっている。
(――お前に話すことなど、何もない、か…)
 猫背気味の後ろ姿に向かって、心の中で声を当てた。


     * * *


「なぁ」
「あ、なんだ? 先週借りたメシ代なら、明日の給料日に返すって約束だぞ」
 地下の書庫に荷物を運び込み、明かりを消して扉を閉めたところで思い切って声をかけた。返事をした同僚は教師ではないもののアカデミーの内勤で、下忍時代から同じ釜の飯を食っている。
「いや、それじゃない。ちょっと、聞きたいことがあるんだが?」
「なんだよ。さっきから黙ってると思ったら、やっぱりなんかよくねぇこと考えてたな」
 同僚曰く、俺という男は「いま考え事をしているかどうか」だけでなく、「何かを考えている」段階から、もうすでにその中身の傾向までが丸分かりなのだという。はっ、そりゃどうも! 次から前置きする手間が省けてよかったよ。
「はたけ上忍て、どんな人だ?」
「おいおいちょと待て。お前またやらなくてもいいちょっかい出してんじゃないだろうな? 落ち着いてっか? 地に足着いてっか? なんなら一度深呼吸してから話すか?」
「あぁもうっ、いいから。お前には迷惑かけねぇから」
「当たり前だ。あんないい人に、今さら睨まれたくねぇよ」
「ぇ? いい人…?」
 意識していても、どことなく探るような言い方になってしまうのはなぜなのか。
「ああ。…ってなんだよその目は〜。上忍だからってヨイショしてるわけじゃねぇぜ。前に一度任務で一緒になったけど、気さくだし、偉ぶんねぇし、当時中忍になりたてだったオレの意見もちゃんと聞いてくれたし、任務が終わったら終わったでポケットマネーで全員にメシご馳走してくれたし」
「そんないい人か」
「お前いまメシに反応したろ」
「わかったか」
「わからいでか」
 地上に向かう長い螺旋階段を上りながら、小さく笑いあう。
「もっと派手な術とか戦歴っていうんなら? あの人以上の忍が何人もいるんだろうけどな。あの人はそんなことだけで信頼されてんじゃねぇと思うぜ」
 その言葉の端々には、直に接したことのある者でなければわからない実感がこもっているようにも思える。
「…そうか…、…わかった」
 階段を一段一段踏み締めながら、一つ頷く。
「なんだ、また卒業生絡みか」
「わかるか」
「わからいでか、ってお前なぁ、毎回毎回オレに同じこと言わせてシメさせてんじゃねぇよったく〜」
 軽く息を弾ませながら、また二人で小さく笑う。
(ありがとな)
 お前のお陰で、俺は心置きなく悩めてるのかもな。
 だが、「イルカお前、最近なんだか理屈っぽくなってたもんな。候補生の指導って、やっぱそんなに難しいことなのか?」と聞かれた途端、なぜだかおどけてみせたくなっていた。
「そうかぁ? それって少しは賢くなって、よくものを考えるようになった、の間違いじゃ?」
「ぷっ、自分で言うかそれ〜? そんな単純なラーメン頭で小難しいこと考えようったってな、たかがしれてるぞ。やめとけやめとけ〜」
「なんだよそれ。遠回しにバカって言ってるだけじゃねぇか」
「わん曲してやったんだ。有り難く思え」
「ええーー結局してねぇし〜!」
「今お前が自分で言ったんだろうが。オレは一言も言ってねぇ」
「タハッ、確かにな!」

 ようやく全ての階段を登り終えたところで、「あんま卒業生のことばっか考えてんなよ」と言われて、挨拶のために小さく上げかけていた手を止めていた。
(………)
「いいか、みんなお前の元から卒業したんだ。自らお前の手を離れていったんだよ」
「………」
「オレ達だって、ガキの頃そうやってきただろうが」
「………」
「それを、送り出す側のお前が引き止めててどうする」
(………)
「…わかってるよ」
「いんや、わかってねぇな」
(わかって、るって)
 地下階段を上りきり、鉄製の重い扉を押し開けると、屋外の白い光がいやに目の奥に染みた。




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