(ん〜〜〜)
 この数日、オレは少々機嫌が悪い。あーそこ、年頃の女の子みたいとか言うな〜。また対応に苦慮する厄介な任務が回ってきているからだ。決まってるだろう。
(ま、言うほど手間ではないがな)
 肉体的には何ら負担になることはない。しかも結果についてももうすでに決まっているようなものだ。
 前回も、前々回も、その前からも、オレはずっと「不合格」という形で答えを出し続けているというのに、上は凝りもせずまた今回も同じ任務を振ってきているのだ。どうやら三代目火影の目には、その先にあるものが見えていないらしい。
(違った、見えているのだったな)
 きっとよくよく見えているのだろう。骸の山なら誰よりも。
 だからこそ、オレもその命令に、「不合格」という形で返事を出し続けているのかもしれない。

 思えば自分は、世に言う反抗期、というやつになった記憶がない。生意気で理屈っぽいところはあったが、ミナト先生をはじめとする上官の言うことは、おおむね意見することなく頭から聞いていた。
 オレの元に三人一組で回されてくる子らの中には、今まさに反抗期真っ盛り、と思しき幸せな連中もいるが、どうやらオレ自身はそのタイミングを逃してしまったらしい。
 そもそもそんな自由が許されるような時代でも環境でもなかった。当時の大人達は誰もみな必死で、子供の中にあるちっぽけな自我などというものに付き合ってやる余裕がなかった。
(まっ、それを今になって楽しんでるってーことで)
 昔から自虐は得意なほうだ。

 ところがどういうわけか、その不機嫌の矛先がまったくのアカの他人に向いてしまったことがある。つい昨日のことだ。
 その男についてなら、たまに両親の名が挙がることで名字程度は耳にしていたし、遠目からなら姿を見てもいた。当時はクーデターを起こす可能性のあったうちは一族を見張るため、里の至る所に秘密の監視所が設けられていて、オレが以前所属していた暗部という部署は、そこで24時間、里内の動向を高性能の望遠鏡でチェックしていたのだ。あの鼻傷のある男についても、その際目にするようになっていた。よく年少者と連れだって楽しげに話をしていたせいで、最初は既婚者なのかと思っていたが、ほどなくしてアカデミー教師の道に進んだのだとわかった。あの若さで、そんなに沢山の子供がいるわけがない。
 またどういうわけか、全く勝ち目のない突発的な諍いに巻き込まれていることもあった。
 うみのイルカというらしいその中忍は、男にしてはよく唇が動き、喧嘩の際に何を訴えているのかは、音のない望遠鏡越しにも手に取るようによくわかった。また彼は同僚と思しき者と歩いていることも多かったが、喧嘩をする時は決まって一人の時だった。
 男がその諍いに勝つことはなく、何度やっても負け試合になっていた。最初から男の側に勝つ気がないのは、殴られている姿を見れば一目瞭然だった。
 だがオレがそれを見て警務部に通報をしたり、止めに入ったりしたことは一度もない。ただひたすら傍観あるのみ。監視所の本来の目的はそこにはなかったし、その部屋の存在は、どんなことがあっても決して外部に知られてはならなかったからだ。
 男がそうやって幾度となく地に倒れ伏し、砂埃にまみれてのろのろと起き上がろうとしていても、彼に手を差し伸べる者は誰一人としていない。
 強いて言うならば、男が気が付きようもない遥か遠いところ…薄暗い部屋の一室で、その黒髪のほつれを望遠鏡越しに黙って見ている者が一人いただけだった。
 やがてうちは一族が一人の少年を残していなくなり、動向を監視する必要がなくなると、監視所は全て閉鎖された。やがて暗部から里付きの上忍へと所属を変えたオレの中の記憶も、上書きされることなく今に至っている。
 その男と望遠鏡を介さずに初めて正面から対峙したのが、昨日の午後だった。暗部を抜けてから随分経っていたが、遠目にその男の姿を見留めた瞬間、すぐにぴんときていた。
(あの黒髪の男だ)と。
 でも、だからといって何の関係があるわけでもない。そのまま通り過ぎるつもりでいたところ、全くの予想に反して向こうから声をかけてきていた。男が言うには、今回オレの所に回されてきた「三人の厄介ごと」は、以前この男が担当していたのだという。
「はぁ? それが、アンタと何の関係が?」
 忍は一般人と違い、一見しただけでは言うほどのことはわからないものだ。敵に与える情報が少なければ少ないほど、いざというとき優位を保てる。だが目の前の男については、ものの十秒ほどでその輪郭が丸々分かってしまっていた。些かの曇りもない真っ黒な瞳、いやにくっきりとした目縁、迷いなく相手を見る伸びた背筋、耳障りのいいよく通る声、抑揚、時折僅かにはにかみ、鼻傷を触る仕草…
 そこから受けとるものとは、ただ一つ。
(バカ正直)
 一般人なら「正直」で済んでも、忍はそうはいかない。現にこれまで、自分がアカデミーに差し戻した者達は、揃いも揃ってその「バカ正直」ばかりだった。
 ただ、いま思い返してみると、自分の何がそこまで反応したのかはよくわからない。けれど感じた時にはもう幾ばくかの気を伴って、男へと伝わってしまっていた。

 男と向き合っていたのは僅か十数秒だったが、そこから迂闊にも得てしまった情報は無駄に多く、忘れ去るにも余るほどで。
 男から足早に遠ざかりだしてもなお、そのことが思いのほか長く心を揺さぶり続けた。


     * * *


(…ってあーあー、これじゃあホントに年頃の女の子でしょうよ。まったく〜)

「全員合格! 第七班は明日から任務開始だ!」
 初日の演習が無事終わり、下忍らに解散を告げた帰り道。
 誰もいなくなった野原の片隅で空を見上げ、初夏の風に紛れながら小さく溜息を吐いた


     * * *


「へっ? ごうかく? したのか?! 全員、三人ともか?!」
「へッ、あったりめーだってばよッ!!」
 自分の名前を大きな声で何度も呼びながら、遥か遠くから全力で懐に飛び込んできた少年が、まさに意気揚々といった様子で話してきた内容に、何度もしつこいくらい聞き返す。
「だーから、ごーかっく! だったんだってば〜。何回言ったらわかんだってばよ、ったく〜」
「そっ…、そうか、――良かった…!」
 本来ならアカデミーの卒業試験に合格し、一旦上忍師に引き渡されれば、通常中忍試験を受けるまでは「不合格」などという判定が下されることは滅多にない。そもそもそのような機会が設けられていないからだ。だが唯一、あの銀髪の上忍師のみが独自の基準でそういった試験を続けていて、こちらとしてはいつその独断が下されるのかと気が気ではなかった。
 だが、これまでの前例に倣うことなく、昨日「合格した」のだという。ということは、今後はあの上忍師の元で修行し、任務をこなしていくことが認められたと言うことだ。まずは良かった。本当に、ほっとした。
「で、何が良くて合格だったんだ?」
「はあ? なにがって…うーーん? …べんとう?」
「はっ? 弁当??」
 ナルトの頭を撫でていた手が、思わず止まる。弁当〜?
「あとは…ぁそうだ! もんのすげーカンチョーとか!」
「はっ? カン…??」
「うーーん…、なんか、よくわかんねぇ」
「わかんねぇって、おいおい」
 職業柄、子らが突然投げてくる意味不明のキーワードを繋げて意味あるものにすることには慣れているはずが、全く理解出来ない。弁当ともの凄いカンチョーと合格の間に三人の子らが居て、あの輪郭さえまともに掴めない上忍も、その中に…いる…??
 何やら合格という話までが、怪しくなってくるのだが。
「おいおい、本当に大丈夫なんだろうなぁ? お前の勝手に勘違いとか、やめてくれよ?」
 そこまで言って初めて、自分はナルト達元弟子を心から愛おしく思う気持ちがあるとはいえ、もう一度授業をしたいなどという気は更々なく、ただ全員を無事に送り出したいのだということに気付く。
(ったく、このすっとぼけが〜)
 金色の髪をぐりぐり掻き回してやりながら、内側で苦笑する。
 俺が認めたっつったら、認めたんだよ。
(もう一度、のこのこアカデミーなんかに戻ってきてみろ)
 熨斗付けて突っ返してやるからな?

 だが彼が当然のように口にした台詞には、ここが路上であることも忘れてしまっていた。
「大丈夫だってばよ。明日からは任務やりながら、カカシセンセーの素顔を見てやんだってば」
「はあっ、すが…?! バカやめろ! そんなことする暇があったら新しい技の一つでも覚えて、任務の一件でも多くこなしてだなぁー…」
「んなこといってー、イルカ先生だって、ホントはカカシセンセーの素顔、見てぇんだろ?」
 ほんとうに子供というのは、なんという生き物だろうか。自分にもこんな時代があったなんて、信じられない。
(いや違った、信じられるか)
 だってそれ、俺も見てみたい。

「バカ、相手は上忍の先生なんだぞ。お前みたいなペーペーが、そうやすやすと見れるかってんだ」
 つい今しがたまでとは、ダメの方向性が明らかに違ってきているわけだが、まぁ細かいことは気にするな。
 ただ言われて考えてみると、あそこまで念入りに隠しているということは、三代目はもちろんのこと、師であった四代目や同じ班の仲間ですら見ていなかった可能性はある。
「例えどんなに見たかったとしてもだなぁ、そんな人様の大事なところに、無理やり入っていくもんじゃないよ。お前だって、そんなことされたら嫌だろう?」
 そうそう、アカデミー教師たるもの、最後はきちんとシメないとな。ふーよかった。軌道修正完了。
「シシシ…、イルカ先生ってば、なにそんなオトナみてぇなこと言ってんだって〜。オレってば、自分のなにをどんだけ見られようが、もうぜんっぜん、これっぽっちもはずかしくなんかねぇってばよ? それって、イルカ先生もだろ? 先生のホントのきもちは、このオレがよーっくわかってるってば!」
「タハッ、もうすっかりバレてるってか?」
「たりめぇだろ!」
 この少年、時として不思議なくらい人の心をしっかりと掴んでくる。…などと思うのは、何かの欲目だったりするんだろうか。
 忍術的にはいまだ大きく劣るものの、今後は全く別の方向から、性格や境遇の全く異なるサスケやサクラをがっちりと繋ぎ止める、大事な役割を担っていくようになる気もする。
「じゃあ…そうだな、カカシ先生の胸を借りて、みんなで見せて貰って来い!」
「おうっ! って、イルカ先生はー?」
「あほォ! んなことは弟子として認められたお前らだから許されるんだ。アカの他人の俺が行ったらシャレにならんだろうが!」
 だが、何もかも重々わかっているはずが、自らの口で言葉にした途端、胸の奥にすっと寂しい風が吹き抜けていったのを感じる。その感覚にひっそりと、「阿呆は俺か…」と思う。
 ナルト、お前は思ったことを何でも言って、何でもやれる大人になれ。例え何かあっても俺が…いやあの人が守ってくれるはずだ。

「えぇ〜、イルカ先生行かねぇのかよ〜」
「行くかッ! ……けどな?」
「うん?」
「いつかカカシ先生の素顔を見たら……見れたんならな?」
「うんうん!」
「――どんなだったか、ちょこーっと、教えてくれ」
「りょーかいッ! したってばよっ!!」





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