「ぇ、カカシ? そうねぇ…、正直言うと私はあんまり…、かしらね?」
「っ、あんまり、ですか」
「ええ、あんまり、ね」
 報告書を持ってきたロングヘアのくノ一に、思い切って声を掛けたところだ。もちろん先にヒナタやキバ達のことをしっかり聞いたうえで切り出しているから、職権乱用というほどではないだろうし、俺の横にも彼女の後ろにも人はいないから問題はない…はずだ。
 その「あんまり」という言葉は、具体的にどの辺を指しているのだろう。女性特有とも思えるぼかした言いようのその先を辿ってみようと試みる。が、同僚曰くのラーメン頭にはさっぱりだ。
「もちろんこれは彼に限ったことじゃないんだろうけど、暗部に入ったばかりの頃は結構病んでてね。まわりもどう接したらいいか困ってた時期があったし、今でもあの頃のことを全く引きずってないっていえば嘘になるだろうし」
「…そう、ですか…」
 九尾事件のあと、俺は暫くの間世の中から取り残されたような心持ちになっていた時があった。お陰で当時は情報もろくに耳に入らず疎くなっていたが、流石に彼の同僚や師匠である四代目が相次いで亡くなった件については聞こえてきている。ふと、(自分がここまであの人のことが気になるのは、その情報のせいではないだろうか)と遠くで思う。何の確証もない、ごくごく感覚的なものだけれど。
「あぁあとね、千の術をコピーしてるなんて言われてるけど、それってあいつがこちらの想像を大きく超える形で、色んな面を持ってるってことよ。気をつけなさい」
「えっ? それって…」
(どういう…?)
「ふふっ、言葉の通りよ。まぁでも観察力が鋭くて、器用で利口な大人の男なら、誰しも多かれ少なかれやってることなのかもしれないけどね」
「?? はぁ…? 多かれ少なかれ、ですか」
 またしても謎かけのような言葉に面食らいながらも、流石幻術を極めて上忍まで上り詰めた人だと思う。きっと大事なことを話してくれてはいるのだろうが、後で何度この会話を思い返しても、「あれは一体何だったんだろうな?」となりそうだ。
「とにかく、あなたが心配する気持ちもわからなくはないけど、メンバーの中にうちはの子が居るんなら適任者は彼しかないわ。他の上忍でやれる者なんていないのよ。それは確か」
「はい」
「それとね、いま私がこうして他人の昔話なんてものをしてあげてるのは、あなたがウチの三人をきちんと育ててくれてたってことがわかるからよ。でも今後回ってくる生徒のレベルが下がっていくようなら、この手の協力は一切できないから」
 そのつもりでね、とやんわり釘を刺され、「お呼び止めしてすみません、ありがとうございました!」と深く頭を下げた。


     * * *


「んあ? カカヒヘンへー?」
「ああ…ってこらナルト、食べながら喋るんじゃない」
 すく隣でラーメンを口に入れたままモゴモゴと答えた少年に、わかりやすく顰め面を作ってみせる。
 同僚や紅先生はああ言ったものの、結局はいま実際に教えを請うている生徒達から直接話を聞くのが一番では…と思い立って声を掛けていた。重労働だったという農作業の手伝い任務の帰りで腹を空かせていたらしい少年らは喜び勇んでついてきたが、これとて同僚が知ったら「幾らなんでもしつこいぞ、いい加減にしとけ」の一言くらいは出そうだなと思う。
 けれどそこまでわかっていてもなお、何やら加速がついたようになって止まらなくなっているのだ。一体俺はどうしてしまったのか。…っていつものことか? なんだよな? 「…っ、カカシセンセーがどんなセンセーかって…、んーーんーーー…よくわかんね」
「たはっ、そうか」
 随分考え込んでいたようなのにあっさり放棄されて、笑うしかない。
「でもそれ、ホントなのよ。だって自己紹介の時だって、人にあれこれ言わせておいて、自分の番になったら『好きなものや趣味を言うつもりはない』なんて、そんなのずるいわよ」
「そういやよ、そういやよっ! カカシセンセーってば、オレの黒板消しの術にモロに引っかかっちゃってよォー!」
「ぁ? なんだその黒板…ってオイ、まさかナルトお前…!」
 自分にも心当たりのあるキーワードに、右の眉がぴくぴくと跳ねるのがわかる。相手は上忍とはいえ、初対面だ。必ずしもその手の冗談が通じるとは限らない。
「すみませんイルカ先生〜、わたしは一応止めたんですよ〜。でもォー、上忍のクセにあんな幼稚なトラップに引っかかるほうも悪いんじゃないですかぁ? だっていま考えてみたらわざと引っかかったっぽいのに、『お前らキライだ』とか。もーわっけわかんない!」
 小さな唇を尖らせてみせた少女が、黒髪の少年に向かって「ねーーサスケ君v」と同意を求めている。
「っ、おまえらなぁー…」
 何となく予想はしていたが、どうやら初対面の上忍に対して本当にしょっぱなからやらかしていたらしいことに、苦笑いするしかない。この子らの第一印象は、どうひいき目に見ても良くはなかったろう。
 上忍だからと萎縮したりせず、最初から自然体で伸び伸び向き合えていたらしいことには安堵もしたが、気になるのはそんな彼らを受け入れて貰えたかどうかだ。
「カカシがどんなヤツかなんて、そんなもの教師どうしなんだから直接本人に聞けばいいだろう」
 サクラから話を振られた形のサスケはというと、相変わらず鋭い。そのうえ何となくではあるものの、はたけ上忍本人に言われたような感覚もあり、思わず「あぁ、そうだな」と肯定してしまう。ほんとうに、その通りだよサスケ。
「でもォー、そういうことって直接聞きにくいから、私らに聞いてるのよね? そうなんでしょ、イルカ先生?」
「っ?! …あぁ…、まぁ…な?」
 そして女の子のサクラはもっと鋭い。いや、それもこれも、何も知らない純粋な子供達だからこそ、なのかもしれないが。
「フン。まぁ遅刻はひどいな。あれで上忍とはな」
「あぁんもういえたーー! イルカ先生、ちょっとカカシ先生に注意してやって下さあい! ほんと遅刻グセがハンパなくって、いっつもアッタマきてるんですぅー!」
 サクラが顔の前で小さな拳をグッと握りしめると、手の中の割り箸が堪りかねたようにメリリと乾いた音を立てる。
「なんだ、そんなにか?」
 里を代表する上忍ともあろう人物が、それほど頻繁に遅刻をするとはにわかには信じがたいが、何か理由があるのかもしれない。
「そーそー、そんなにだってばよ。んでもって、いっつもしれーっとしょーもねぇ言い訳すんだよなっ。『――今日は、ジンセイという道にまよってな?』とかいっちゃってよ〜ォ〜」
「はぁ? じんせい…なぁ…?」
(ううむ…確かに……なんなんだろうな?)
 鉄の額当てと目元まで引き上げた口布、そして分厚い支給服という名の固い鞘にぴしりと収まっている切れ者の上忍が言う台詞にしては、何だか随分ととぼけている、ような…?
 だが本気で迷惑して怒っているらしい子らには申し訳ないのだが、(あの人、案外よそでは喋ってるんだな?)とおかしなところに安堵する。しかも話からすると、何かの気紛れとしか思えないほど、時として軽いノリの時もある…??
 かなり冷淡で無口そうな人にも見えたから、少々やんちゃの過ぎる子供相手に「きちんとコミュニケーションが取れているのだろうか?」と危ぶんでいたのだが、考えすぎだったのだろうか。
(それどころか…何となくお茶目な感じもする、ような…?)
 わからない。俺に対するあの冷ややかも極まったような態度と、それとは正反対の同僚の意見。更には紅上忍の口から語られたことと今しがたの子らの話が、どうしても上手く繋がらない。いずれも別人の話としか。
(あ、もしかして…?)
 紅上忍の言っていた「こちらの想像を超えて、色んな面を持っている」というのは、このことか? と思う。なんの確証も根拠もないけれど。
 隣ではナルトの大袈裟な上忍物まねに、サクラが鼻息を荒げながら頷き、サスケが湯気の中をじっと見つめている。その様子は、つい先日まで自分が遠く近くに見守り続けていた懐かしい光景そのものだ。
(まったく…、晴れて卒業したってのに、相変わらずだな)
 できることならこのままで…という気持ちが、全く、これっぽっちも無いとは言い切れない。けれど忍を目指す以上、このままでいられるはずなどないことも、ここの誰より自分がよく知っている。
 なら、どれほど後ろ髪を引かれようが、言い切るしかないんだろう。

「でも実はそれ、案外カカシ先生の本心だったりしてな?」
「「はあっ?」」
 二人の尻上がりの声がぴたりと揃い、細い眉根を寄せながらこちらに斜めの視線をくれたサスケと目が合って初めて、自分がおかしなことを口走ったことに気付いていた。まさに口が勝手に動いたといった感じだったが、俺の口はいつの間にそんな独立機関になったのだろう。
「ぁ…ははっ? あぁいやー…、それはまぁ何というか、冗談、だけどな?」
 だってそんなことあるわけがない。人生という道に、里を代表する名高い上忍が迷っているなど。
「そうよー、あんなふてぶてしくて図々しくて強い大人が、ちょっとだって迷ってるわけないわよ、ねぇv」
「ふん、腐っても上忍だしな」
「こら、サスケ」
 言葉遣いに気をつけるよう、短く促す。
「うんうん! それによ〜、みちに迷ってるようなヤツが、エロ本なんて読んでねぇってば?」
「なっ……えろ?! …はっ…なんだって…?!」


     * * *


(……はぁ…参った…)
 その後、どうにも気まずくていたたまれず、ラーメン屋を後にしている。最後の支払いの際に顔を見合わせることになったテウチさんとアヤメさんの目が、心なしか痛かった。もうすぐ新メニューが出る季節で、すぐにも再訪することになるのだ。気のせいであってくれ。
 ナルトの口から思いもよらぬ単語が飛び出したことで、その話についての名の助け船を求めようにも、女の子のサクラでは憚られるし、サスケは『オレは関係ない。視線を寄越すな』というあからさまなバリアできっぱり拒否の姿勢だし、肝心のナルトに至っては自分が言ったことの意味すらわかっているか甚だ怪しいものだった。
(ったく…あんな下らない術は開発するくせに〜)
 結局話の持っていきどころがなく、その後の会話も微妙にかみ合わないまま、何やら逃げるようにして四人分の料金を払い先に出てきている。お陰でアカデミー教師どころか、いち成人男性としてのメンツまでが地に堕ちかかった可能性がある。やれやれだ。
(しっかしあの人…)
 俺が挨拶をした、あの上忍。
 本当に、はたけカカシその人なんだろうか?
 顔の殆どを隠していることを最大限利用して、実は外見の似た別人が複数いるのではないかとすら思ってしまう。
(とすると、やっぱりあの紅上忍の話は、比喩なんかじゃ、なく…?)
 文字通りこちらの常識や想像を超えた、色んな面を持っている、ということか。
 が、例えそうだとしても、或いは一人だけだったのだとしても、普段から決して真実を特定させない、優秀な忍であることには変わりない。
(なら、なんの不満があるってんだよ)
 夜道を歩きながら自問する。忍を目指す者にとっては、最高最良の先生だろうが。
(いや不満じゃねぇよ)
 あの人に不満なんて、あるわけない。
 それでもまだ不満というものが心のどこかにあるとするなら、ここまできておきながら、いまだにこんな自問を続けている己に対してだろう。





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