そんなことがあってからも、俺は日を置くことなく、幾度となく受付の席に座っている。けれど銀髪の上忍と出くわすことは、いまだ一度もないままだ。
 ただDランクの簡単な任務を請け負い、無難にこなしているということは、弟子である彼らが報告書を持ってくることで伺い知ることができていた。けれど最初に七班へと依頼書についてはもとより、その合間に彼が個人で請け負う任務の依頼書についてはことごとく他の者を介していて、俺の手を経ることはないままだった。
 避けられている、という思いならあった。やがて七班が請け負ったDランクの任務報告書を、自分が離席していたほんの短い間に他の誰かが受け取るということが続きだすと、次第にその思いは確信になっていく。実際、アスマ上忍や紅上忍とはほぼ毎日のように顔を合わせているというのに、あの人だけは姿を見ていない。
 その間にも、受付所では里長が座っている時に限って「カカシセンセーのすがお見るさくせん、昨日も失敗したってばよ〜」などという直接報告が入ったりして、思わず「バカっ、いい加減にしとけ!」などと返してしまい、そんな日の夜は家路につきながら一人反省会を開いた。
 
 最初のうちこそ、「ひょっとするとあの人が気を遣って、新米下忍達をあえて差し向けてくれていたりするのか?」などいいように考えたりもしていた。
 けれどどこか落ち着かない日々を過ごし、ぐるぐるした果てに、「俺とあの人は、子らの成長のためにもなれ合わない方がいいんだ」という結論が出た頃だった。
 まるで俺がそこに行き着くのを待っていたかのように、あの人が目の前に現れた。


     * * *


 ここ暫く通っている定食屋で支払いを済ませ、「ご馳走さん」と言うと、「どうも、ありがとうございました」という女将の声が掛かる。人気の途絶えた夜道を歩きだすと、背後で暖簾が店内へとしまわれた。
 以前エロ本発言で少々気まずい思いをしたラーメン屋へは、その後まだ行っていない。あの一件を気にしているわけではないのだけれど、出来ればまたナルト達と行ってやりたくて、大事に取ってある。奢ってやる理由は…そうだな、少し遅くなっちまったが「下忍合格祝い」でも、なんなら「ついに素顔を見たぞ! 報告会」でもいいのだが、そんな報告はいつになることやらだ。
 丁度建物と建物の間に、細い月が見えた。けれど向かうのはそちらではない。少し残念に思いながら自宅の方向へと曲がると、そこはいよいよ人気のない、しんと静まりかえった細い裏路地になった。
(!)
 とそこに、人がいた。体の左側をこちらに向け、背高い体を軽く壁に凭れさせるようにして、明らかに誰かを「待って」いる。夜目を効かせるまでもなかった。三日月が作りだしたシルエットが、最近になってようやく思い出すことが少なくなってきていた記憶と瞬時に結びついていた。
「こんばんわ、はたけ上忍」
 自分でも感心するくらい、穏やかな声が出た。彼が自分の前に徹底して姿を現さなかったことは、こんなところにまで影響を及ぼしていたか、と思う。
「これ」
 目の前で頭を上げると、指無しの皮手袋をはめた手指が意外なものを差し出してきた。報告書だ。
「今日の」
 手に取ってみると、一昨日急に降りてきたAランク任務だ。その時はまだ班編成も決まっておらず、誰が行ったのかと思っていたが、彼だったとは。
「――お疲れ様でした。確かに」
 さっと目を通し、受け取った。下忍の担当になったといっても、それまでの任務が無くなるわけではない。むしろより専門性の高いものが、ピンポイントで割り振られるようになる。さらに彼の場合は、受付所を通さない任務も少なからずあるはずで。
「――ゆっくりお休み下さい。では」
 鞄に書類をしまい、頭を下げた。「受付所でないと受け取らない」と言うことも出来たが、今回限りのつもりで黙って受け取った。
「アンタが言ったとおり、あいつらにはちゃんと機会を与えましたよ」
(ぇっ)
 踵を返しかけたまさにその時、掛けられた声に勢いよく向き直った。
(あいつらって…)
 彼がナルト達三人のことを言っているのは間違いない。
「最初はどうなることかと思ってたんだけどね。結局は三人とも間違うことなく、そいつをしっかり手繰ってきた。アンタの教えのお陰だ」
(ぁ…)
「――は…。…ありがとう、ございました…っ」
 突然湧き上がってきた感情の高ぶりに、不覚にも語尾が震えそうになるのを片意地だけで押し止める。ここでそんなリアクションは筋違いだ。
 青白い光の中で改めて正面から見た上忍は、今しがたまで任務に行っていたとは思えない、砂埃ひとつ付いていない身ぎれいな姿をしていた。しかもデイパックはおろか、装備品の一つも付けていない。ということは、一度家に帰ったということか。
 それでもこれ以上何かを話して、自分が上忍師との繋がりを太くすることは躊躇われた。あの時聞きたかったことならいま全て聞いたのだ。もう一度頭を下げて、辞去の挨拶をしようとした時だった。
「ところでアンタさ、いまだにあいつらと会ってるんだって?」
「ぇ?」
(あぁ…、本当の目的は、そっちだったか)
 なぜだかそう思えた。それなら上忍の荷物がないことにも得心がいく。話が少し長くなりそうな、予感。
「――ええ、はい」
 ゆっくり、ひとつ頷いた。続けて「それが、なにか?」まで言わなかったのは、相手に攻撃の意思が全く感じられなかったからか。
「今さらだけど、教え子の成功が、自分の成功じゃない。そこは、わかってる?」
 銀髪の向こうに片方だけ見えている目元は先ほどと何ら変わらず、声のトーンにも全く変化はない。ひょっとすると彼のこの顔の殆どを覆った重装備は、命より大切といわれる忍の情報に、表情という余計なものを加えないための配慮なのかもしれないな、などと思う。
「はい。その部分は改めて切り離したつもりです。――先日、はたけ上忍に指摘して頂いて」
 当時、無用の心配を募らせていた俺にあれこれくどくど説教することなく、彼は厳しいながらもごく手短に指摘してくれていた。お陰でこちらも十分に考える時間が持てた。これまでそのことを指摘してきた上忍はいなかったが、アカデミー教師として、また少し成長出来たと思う。彼のあの一言がなければ、俺はいまだに無用の不安に苛まれて、上忍師らに同じ質問を繰り返していただろう。そういう意味では感謝もしている。
「教え子と自分をどれほど密に重ねてみたところで、そいつは愛情でもなければ教育でもない。向こうにとっては何の益もない無用のものだ。そんな重い期待をされてる者の身にもなってみるといい」
「はい」
 言い方はきっぱりとして厳しいが、言外に「それさえ出来るなら、子らと会うことには関知しない」というニュアンスも読み取れる。やはり彼が今このタイミングでわざわざ報告書を持ってきたのは、任務帰りで受付に出向くのが面倒になっていたからではないらしい。
(この人…)
 想像していたより、遥かに細やかな気遣いの出来る人なのではないだろうか。しかも、多方面に。公平に。
「あの、俺色々と誤解してたみたいです。お声掛けて頂けて、良かった」
「例えば?」
(えっ)
 予想外の返事が間髪入れずに返ってきて、ホッとついでに余計なことを言ったらしいことを悔やむ。いまの「例えろ」は、どう考えても「誤解の内容を挙げろ」、という意味だ。
「それを、具体的にいうと?」
「やっ…」
 突然矛先が尖りだし、真っ直ぐにこちらを向いたような空気に、さっきのタイミングでもっと強引に辞去していればよかったと後悔するが遅い。
「その…子供の、言ったことですから…」
 だが、何も考えていないことが自分でも丸分かりの苦し紛れ発言が受け入れられるわけもなく。
「子供の言うことは、なんでも間違ってていい加減?」
(うっ…)
 そこ、敢えて突っ込んでくるところだろうか…って、そうか、俺の言い方が悪かったのか。にしても。
(この上忍…)
 大人なんだか、子供なんだか。
 どうやら色んな面を持っていてかなり掴みづらい人、というのは本当らしい。
 とにかく今は、何か一つでも例を挙げないことには、この窮地を切り抜けることは出来そうにない。でも何があっただろう? 改めて言われると、果たしてそんなものあったろうかと思う。俺もたいがいいい加減だ。
(ぁ、そうそう)
「…その…っ、昼間っから…、…えっちな、本、とか…?」
「読むでしょ、アンタも」
「よっ…?! えぇー?! やっ、そんな、読みませ……ぷははっ! まっ…まぁ確かに、嫌いってわけじゃ、ないですけど〜〜!」
 あぁダメだ、笑っちまって話にならん。主として俺のぐだぐだっぷりに。
 確かに俺は他人の話に左右されてばかりで、自分の目で直接判断していなかった。そのしわ寄せが、いまここに来ているのだろう。
「読んでるったって、あいつらに読ませてるわけじゃなし」と言われ、(確かにな。なんであの時、あんなに引っかかってたんだろう?)と思う。きっと彼に対して、何かしらの不要な壁を作ってしまっていた。人に対してワンクッション置く必要など、どこにもないはずなのに。もしも今回のことであの子らに悪い影響が及ぶことがあったとしたら、俺のその部分だっただろう。中忍にはまだまだほど遠いはずの彼らのほうが、よほど曇りのない目で世界を見ている。
「んーー、でもまだオレのこと、半分も信用してないでしょ」
「ぁ、わかります〜?」
 さっきの定食屋でグラスビールを一杯だけ飲んだが、そいつが突然回ってきている…わけはない。けれど何やらふわふわとして、わけもなく楽しくて。
「たく…、あの悪ガキにしてこの教師あり、か。なんだか分かる気がするねぇ」
「へへ…、それは逆説的な褒め言葉ってことにして、有り難く受け取っておきます」
 上忍がうつむき加減でガリガリと後頭部を掻いているのを見ると、どういうわけかますます楽しくなってくるのだから仕方ない。
「そういう無駄に前向きなところも一緒だ」と言われ、いよいよ嬉しくなる俺、なんかヘンか? テンション制御装置崩壊か?
(んなものが、俺にあればの話だけどな!)
「あのさ」
「はい」
「アイツらの元担当に妙な不信感を持たれたままってのがどうも引っかかるから、このへんで改めといて貰いたいんだけど」
「ゃっ、不信て…?? はあ…?」
「明日、午前十時に、ここに来れる?」




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