「――あ〜〜〜、あっあっあっ…」
(えっ…?)
 上半身裸で洗面所の鏡に向かっていた男が、突然意味不明の声を上げだしてドキリとする。が、その声が次第に聞いたことのある声音に変わりだして、この男、どれだけ引き出しを持っているのかと思う。以前彼の話を聞いて回っていた時、何となく底が知れないような印象を受けたのも、あながち気のせいではなかったということか。
 続いて緩くカールしたローズグレイの髪を掴むと、下から輝くような見事な銀髪が現れた。
(と、いうことは…?)
 その左目を跨ぐ形で付けられた黒い隈取りの下には、噂に聞くあの――
(ゃっ…?!)
 おかしい。言うなればこれは、いままで彼がその身に纏っていたものを一つずつ取り外しているだけのことだ。帽子や眼鏡を外すのと同じで、さっき上衣を脱いでいたのと何ら変わりない。しかも同性。なのに自分は、どうしてこうも落ち着かなくなっているのか。
「ぃゃ、あの…っ?!」
 リビングの窓際からいまだ一歩も動けないまま、まるで宙に浮いたようなガニ股中腰姿勢で恐る恐る声をかける。こっちは反省会というからついてきたのだが、これ、本当に見ててもいいんだろうか? ゃ見るけどな?! そりゃあここまできたら、見てから帰る気満々……だけどな〜〜?!


     * * *


「あーー、あっあっ、ああ〜〜っ…」
(…よし、戻ったーね)
 声色を変えると、喉に負担がかかる。とはいえ、長いことやらないでいると、使いたい時に自在に使えない。もちろん変化をすればそんな不便さも全て解消されるのだが、どんな時も常にチャクラがフルにあるとも限らない。何度紅達に「カカシそれね、趣味っていうのよ」と言われようが、やめる気はない。
(………)
 鏡の中の自分と向き合ったまま目だけを動かして、リビングの方にいる中忍をチラと見やる。と、今の今まで戸惑いながらもこちらを見ていたはずの男がいつの間にか背を向けて、そわそわと落ち着かない様子で窓の外を眺めている。あらら。
(ふ、一応、遠慮してんだ?)
 ナルトの話では、「いつかカカシ先生の顔が見れたら、どんなだったか教えてくれ」と言っていたようだが、土壇場で中忍としての理性でも働いたのだろうか。
(そんなもの、さっさと取っ払っちゃえばいいのに)
 何のために自宅まで呼んで、こんなことして見せてると思ってる?
 さっきの弟子達との「お遊び」は、いつになく有意義だった。試しに同行させてみたイルカは思っていた以上に優秀で、尚かつとても面白い男だった。
(まさかあそこで暗部を出してくるとはね)
 前夜忠告はしてあったものの、万一イルカの教師としての覚悟が中途半端だった時のため、上忍師の影分身は常に近くに待機させてあった。だが、彼が見せてくれたものは、そんなありきたりなものより何倍もリアリティのある洒落たものだった。弟子達はその瞬間、大いに肝を潰したに違いない。予め簡単な打診はしてあった火影様もさぞや内心で驚き、首を傾げていたことだろう。いや傑作だ。
 潜入ミッションの際にイルカが見せていた、内勤中忍らしからぬ自由さ、ひたむきさも好ましいものだった。普通なら見つかったときのリスクを怖れて、保管庫になどまず一緒には入ってこないはずだが、イルカについては何の迷いもないようだった。それどころか手に汗握りながら終始真剣な表情で下忍らの行動をつぶさに観察し、子供のように心躍らせてもいた。
 忍の世界には、常に上から下への強い下降気流が吹きつけている。けれど彼ら四人はそんな強い向かい風などどこ吹く風で、最終的にはそのことを大いに楽しんでいた。
(なのに、ここまできて遠慮しちゃうわけ〜?)
 瞼と頬に施してあった黒い隈取りを、一枚一枚、ことさらゆっくりと剥がしてみる。
 あんたの元弟子達なら、こんなの大喜びで見るはずだけどね?

(――んーんーー、…まっ、でもそーねぇ〜)
 頭から熱いシャワーを浴びながら、閉じた瞼の奧でつらつらと考える。
 確かに素顔などというものは、一度見てしまったらもうそれきりだ。しかも散々勿体を付けていた割には、面白くもおかしくもない面相ときている。
(それくらいなら、頭の中で常に色んな想像を働かせてもらってたほうが、まだいいのかもね?)
 そういうのも、上忍サービスの一環てーことで。

 それでも浴室から出る際は、一切どこも隠すことなく扉を開けていた。主にはイルカの反応を見たいがためだったが、気配に気付いた彼がくっきりとした目縁の瞳で振り返ったその瞬間、ほとんど無意識のうちに己の片手が鼻から下をぴったり覆ってしまっていた。
(ぁーー…)
 なぜそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。イルカの瞳を見た途端、反射的に手が動いて隠してしまったとしか。
 果たして自分は、あの男に全てを見せたいのか、見せたくないのか。
(や〜〜どっちなんだかねぇ?)
 むしろこっちがアンタに聞きたいくらいだよ。

 またもやオレの気紛れに付き合わされた格好のイルカは、酷く慌てた様子で赤い顔を横に背けながら、「かっ、隠すところが、違いませんかっ?」と言った。
「そう? はたけカカシはこれでいいんじゃないの〜?」
 思わず取ってしまった素の行動に、わざとふざけた声をあげてみる。
「っ、俺に聞かないで下さい」
 そして初めて、二人で声をたてて笑った。


     * * *


「――今日は、誘って頂いて本当に良かったです。ありがとうございました」
 頭を拭き、服を着け、いつものように口布を引き上げたところで、ようやくイルカがこちらを向いて喋りだした。どうやらオレが「今日の反省会」などと言って誘ったものだから、それらしくなるよう気を遣ってくれているらしい。律儀なことだ。
「ああ。――楽しかった」
 オレからは、どちらとも取れる答え。いや、どっちにも取って欲しい答え。
「ええ、はい。…多分、こんなふうに遊んで…あぁいやあれは単なる遊びなんかじゃないですけど、でも…あいつらとあんな風に遊んでやれるのも、今だけなんだろうな…なんて…」
 するとイルカは迷いなく自分の思いと重ねて受け答えると、俯きながら感慨深げに言葉を濁した。オレはその鼻梁についた一文字の傷越しに、なんと返すべきか言葉を巡らす。
「そーお? オレのなんて、遊びって言うには随分と素っ気ないんじゃない?」
 その昔、望遠鏡越しに幼子達と楽しげに過ごすイルカの姿を追っていた。あの時オレの目に映っていた彼の遊びと、今日のそれとはまるで質が違う。
「いいえ。だからこそいいんです」
「………」

(そんなきっぱり、言い切ってくれてるけどね…)
 あの三人…ナルト達については、アンタがいなければ今の彼はなかった。それだけは確かだ。いまどれほどオレがもっともそうな事を言ったところで、いつかそう遠くない未来、アンタのやってきたことが正しかったと誰もが認める日が来るだろう。
 この世界では、強い敵が多くなればなるほど、「自身が何者かを悟らせず、底が知れない」ということは利点になる。
(はずなのにね)
 イルカやナルトを間近で見ていると、果たして本当にそうなのかと思えたりもしてくる。昨日はほぼ初対面のイルカに偉そうなことを言ってしまったが、今となってはまだまだ青く未熟な部分のある己を認めざるを得ない。

 ところでこちらとしては、これ以上話が長くなる前に言っておかないと気がすまない…というか尻の座りが良くないことがあるのだが。
(つまんない話で悪いんだけどさ)
 少しだけ付き合って欲しい。
「認めるよ、オレが間違ってた」
「? へっ?」
 前置きなく切り出すと、再び舌が回り出したばかりの男は、案の定きょとんとしている。自分としては「あの時の会話」はいまだに胸の奥で燻ったまま引っかかっているのだが、彼の中ではもうとうの昔に過去へと流されてしまっているのだろうか。だろうな。こんなことなら、もっと強い殺気をぶつけておくんだった…じゃなく。
「こないだ、最初に会ったときの、アレね」
「?? ……あぁ…?」
「オレが悪かった。一言口で言えば済むことだったのに」
 初対面で嫌な思いをさせてしまった、と詫びると、ようやく合点がいったらしいイルカは、こちらがびっくりするような清々しい笑顔になった。
「あぁ…! いいえ。むしろあのリアクションだったお陰で、俺は沢山考えることが出来たんです。自分には合ってました。いま考えても、これ以上ないってくらいにね!」
(…やぁ参ったねぇ、どうも)
 上忍歴14年にして、突然アカデミー教師付きの生徒になった気分だ。
 まぁそれも、言うほど悪くないが。

 「アカデミーから卒業生を受け入れ、弟子にする」ということは、彼らを一歩…いや何十歩も死に近づけるということだ。当時の自分はただ臆病で、それら全てを受け入れる覚悟ができていなかった。
(そうして逃げ続けた挙げ句、一歩も逃げていないイルカに当たっただけ、か)
 木ノ葉の金看板が聞いて呆れる。どこの誰よ、オレに通り名とか付けて喜んでるの。
 ますます変装(シュミ)がやめられなくなっちゃうじゃない。ねぇ。

 その後、オレはその話題を早々に切り上げると、主にイルカに喋らせる形でナルト達のことを話した。彼はアカデミー教師らしく話すのが上手いが、更にその話に付き従って表情が次々と変化していくせいで、見ていて飽きない。この男、いわゆる「聞かせ上手」というやつなんだろう。
 数日前までは、それをバカ正直などと呼んで苛立ちの種にまでなっていたはずが、オレも変われば変わるものだ。

「あの、カカシさん?」
「んー?」
 会話が進むにつれ、自分に対する呼称が砕けたものになってきていることに内心で満足しながら、テーブルの向こうで話を止めている男に小さく首を傾げてみせる。
「今日は時間、大丈夫なんですか?」
(! あらま、いつの間に〜)
 つらつらとイルカの話を聞いていただけのはずが、ベッドサイドの置き時計の針が一瞬壊れているのかと思うほど進んでいて驚く。
「すまない、夜半から任務だった。そろそろ準備を…あぁそうだ、食事もしないままで申し訳ない」
 また少し、格好悪い素の姿を見せてしまったが仕方ない。
 立ち上がりながら「今度奢るよ、何がいい?」と聞くと、玄関に向かいながら何度も固辞していた男が、最後に「じゃあ…ラーメンを、四杯」と遠慮がちに返してきた。
「ちょっと騒がしいメシになっちまうかもですが…」
「なるほど、四杯か。ま、いいんじゃない?」
 弟子達に対して、また一つオレの連勝記録を伸ばすにはいい機会だ。
 これからオレの素顔は、この男の目にどんな風に映っていくんだろう。
 その先を、もっと知りたい。
 それはかつてなく強い欲求だ。

「あのさ?」
 いまメシの約束を取り付けたばかりだというのに、自分は一体どうしてしまったのか。会えば会うほど、彼はオレの素顔に近づいていくというのに。
「はい?」

(でもアンタも、オレの本当の素顔を知りたがってる。そうなんでしょ?)
 あのやんちゃな少年の話を、オレは信じる。
 なら話は早い。
 
「――じゃあその次はいつ、遊ぼうか?」




              「素顔 〜true face〜」 fin


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