依頼の多いライターというのは、常に締め切りに追われ続ける超多忙な業種だ。それでも週に一、二度は何とか時間を作ってジム通いをしてはいるものの、学生時代から今まで数回程度海辺には行っても山には縁がなく、ここ半年に至っては休日らしい休日を過ごしたという記憶すらない。
 当然食生活からライフスタイルまで、スローなどという形容詞とは全く無縁で、オレに限って言えばむしろ対極にあると言っていい。もしも何かの理由でそんな呑気な生活を数日でも実践しようものなら、すぐさまスケジュールに支障をきたして仕事が立ち行かなくなり、幾らもしないうちに業界のリストから抹消されてしまうだろう。
(んーそうねぇ、もしオレが、今この記事を書くとするなら…)
 最後の括りは『スローライフも、過酷な競争社会の癒し的受け皿としてなら需要がある。が、主として都市部でのみ細かく派生を繰り返しながら続いていくと予想されるため、ビジネスとして成立させることは年々難しくなっていくだろう』とかいう恐ろしく黒いものになりそうで、ボツは決定的だ。
 とにかく幾ら初めて声を掛けて貰った、しかもそこそこ大きめらしい仕事とは言え、ここまで範疇外となると縁遠くなってしまうのを覚悟で断るしかない。時折「その世界を知らない方が、存外いい記事が書ける」などという言葉も耳にするが、それについては九分九厘誤っているといっていい。ある程度その分野に通じていないと、取りこぼしはもちろん、勘違いや偏りも多くなり、内容のある大きな記事をまとめきることは難しいのが現実なのだ。
 ただ折角フリーになったというのに、元の職場に仕事を貰いながら、そこにいつまでもつかず離れずぶら下がっているという状況も頂けない。早く自らの主張を全面に押し出した、誌面のトップを飾れるような大きな企画記事を、それなりに取材時間をかけた上で書き上げて、他社からも高く買って貰えるようにならねばならない。
 そう、自分は自分が納得いくものを、しがらみに縛られることなくじっくり書きたいがためにフリーになったのだ。全く意にそぐわない依頼なのに、「今後のためにとりあえず請け負っておく」というのでは本末転倒も甚だしい。
 入社した当初から、『大手マスコミに入社したというだけで満足して、有名スポンサーらとべったり仲良くなり、記者会見場で適当な質問をしながら定年を迎える人生なんて真っ平ゴメンだ』と思っていた。
「書き手として、そんないい加減な癒着姿勢がまかり通っていいものか?」と、海外ではまずあり得ない日本のマスコミの現実を知って驚いたが、実はこの国ではそれが最も一般的で王道だったりする。
 今回、晴れてそんな鬱陶しいしがらみの数々から離れることが出来たのだ。道はいよいよ開けた。あとは無駄な寄り道をせず、ひたすら真っ直ぐ進むだけ。
 直近の目標は、この分野における第一人者だ。よって肩書きも「ライター」や「エコノミスト」ではなく、更にワンランク上の「ITジャーナリスト」に置いている。


 スケジュール帳すら見ることなく、オレは携帯を取り上げると、リダイヤルボタンを押した。
「?」
 と、突然、インターホンの音が室内に響いて、反射的に携帯のオフボタンを押す。
(誰だ…?)
 来客の予定はない。仕事で人と会う場合は、都内のホテルや喫茶店、或いはオフィスに直接出向くのが普通で、自宅に人を呼ぶことなど、プライベートですらしない。
 だが、立ち上がってカメラ付きインターホンのモニタ画面に映った映像を見た途端、オレは思わず立ち止まって眉をひそめた。
 受話器に伸びていた手が止まる。
(なんで…)
 忙しいと怒って電話を切ったはずの彼女が、まさか家に訪ねてくるなんて思ってもみなかった。大体オレの住所をどうやって調べたのだろう? いや、そんなことは同じフロアに居たのだからどうにでもなるか。
(あぁ、そもそも取締役の娘、だったな…)
 その間にも、呼び出しの電子音が幾度となく忙しなく鳴り響く。
(やれやれ…)
 オレは小さく溜息を吐いて、受話器を取った。



  * * *



(――ったく…とんだ一日だったな…)
 ようやく静けさを取り戻した部屋で、革張りのソファにどさりと腰を下ろした。

 何度も繰り返し鳴らされるチャイムに堪りかねて、インターフォンの電話に出た途端、一階の自動ドアの前にいた彼女がマイクに向かって声高に叫びだして、オレは会話もそこそこに下へと降りていった。
 すると彼女は、その場で更に興奮の度合いを高めてオレをなじり始め、とてもその場に居られなくなったため、初めて自室へと通した。
 でも後になって思えば、心の奥でどこか自然消滅を願っていたような相手に対して、それは甚だ軽率すぎる行為だったのだ。部屋に入るなり薄着の熱い体に抱きつかれたことで、最初から居留守を使うべきだったと後悔したが、全ては後の祭りだった。
 苦労して引き剥がして「もう会うのは止めよう」と、かれこれ三度目になる別れ話を切り出しても、彼女は俯いたまま泣きじゃくってばかりいて話が通じない。
 かと思えば、「カカシはあの時ああ言った」とか「この時はこうだった」とか「先輩は」「パパは」「友達は」「こう言ってる」などと、こちらとしては一体いつの話なのかも思い出せないような、何の脈絡も論点もない話が数珠繋ぎになって次々と目の前に突き付けられて、最早返事のしようが無くなっていた。
 発行部数も順調に伸びているハイクラス向けのファッション誌で、今も活躍しているらしい彼女の仕事ぶりを悪く言うつもりはないが、これが物書きを生業としている者の言葉だとはとても思えなかった。もっと時系列で筋道を立てて説明して欲しい。
 そもそもなぜこんなにまで責められているのかさえ、オレにはなに一つ分かってなかったのだから。

 なんとかソファに座らせ、何が飲みたいのか分からないから、たまたま淹れていた熱いコーヒーと冷たいミネラルウォーターをテーブルに出したものの、どこかの線でも切れたような彼女が落ち着く気配はない。
 相変わらず頻繁に時空を跳び越えて、驚くほど雑多で些細な事象を一つに結びつけながら、声高に訴えかけてくる。そんな彼女を前にしながら、オレは目の奥で今後のスケジュールの調整や、連絡の必要な人のリスト作成をしながら過ごした。
 そうでなければ、とてもそこにじっとなどしていられなかった。


 窓の外の高層ビル群が薄赤くなってきた頃、流石に喋り疲れたらしい彼女が一息ついて、初めてコーヒーを一口口にした。それを見て、本当に何の気なしに「少しは、気が済んだ?」と静かにたずねた、瞬間。
 冷えきった茶色い液体が真正面から勢いよくふっ飛んできて、咄嗟に避けたものの、白いシャツの肩とベージュの皮のソファに盛大に降りかかる。
「バカっ!」
 彼女はそれだけ叫ぶと、一目でそれと分かるブランドバッグを掴んで玄関へと小走りに走っていき、わざわざ乱暴にドアを締めて出て行った。15階のフロア全体に、不快な生活音と高いヒールの音が響き渡る。
「―――…」
 余りと言えば余りな突然の幕切れだった。オレは中腰になったまま、暫し呆気にとられていた、ものの。
(――ハァ〜…)
 向かった脱衣室からタオルを持ってきて、びしょ濡れになったソファと床を拭き、服を着替えた。茶色い液体が染みた白いシャツは、洗うことなくそのままごみ箱に投げ入れた。シャツは普段からクリーニングに出してはいるが、なぜかそいつは捨ててしまいたい気分だった。
(――なんだかねぇ…)
 怒るほど時間が無くて忙しいのなら、あそこまで論点の見えないことを延々喋らなくても、来てすぐにバカとだけ言って、さっさとぶっかけるだけぶっかけてすっきりして帰れば良かった。
 いや、来るのだって手間なんだから、電話口で言えば済んだことなのに。
(結局、お互いの貴重な時間は無駄に潰れたと)
 数時間を費やして分かったことと言えば、それくらいだった。


 シャワーを浴び、仕切り直しをしてから再びPCに向かうと、マナーモードにしてあった携帯にメールが着信していることに気付いた。送信者は、つい今し方けたたましく出て行ったばかりの彼女だ。
 だが文面を読んで、すっかり転換できていたはずの気分がまた混乱してくる。
 メールは『今日のことは謝るから、どうか忘れて欲しい』から始まり、『明日の夜行くから、もう一度部屋で会って。お願い』で唐突に終わっていた。
「…………」
 そのつい数分前まで見せていた姿との余りの落差に、画面を見つめたまま暫し面食らう。二重人格じゃあるまいし、一体この豹変ぶりをどう解釈したらいいのだろう。
 とにかく今は、それらをあれこれ考えるのも煩わしくて、正直苦痛にさえ思えた。
(――やれやれ…、暫くもう少し距離を、置くか…)
 スケジュール帳を開き、かなり強引に調整をすれば、明日から四、五日間なら何とかなりそうなことを確認すると、携帯の履歴を表示してリダイヤルボタンを押した。





  二、 川向こう



「――この先を少し登ったら最初の分かれ道を左、そして次を右、ですね?」
 ようやく見つけた野良着姿の老人の方言の聞き取りづらさから、二度三度と身振りで確認した後で頭を下げると、再び四駆のワゴン車をドライブモードに入れた。
(良かった。やっぱ、あることはあるんだな)
 夕陽はとうの昔に山の向こうに隠れてしまっていて、谷あいの一帯はまだ四時過ぎだというのに、もうはや夜の気配が急速に忍び寄ってきている。深い緑に隙間無くびっしりと覆われた周囲の山々はところどころ紅葉が始まりだしていて、赤や黄色に色付きはじめているものの、山道に点在している家々はもう何年も前から放置されていると思しき空き家が殆どで、この辺の人々の暮らしは衰退の一途を辿っているようだった。
(スローライフも甘くない、か…)
 現代の便利な暮らしは目一杯享受しつつ、ファッションの一環としてほんの少しだけオイシイとこ取りをするというのが、いま世間が言うところの「スローライフ」なのだ。
 こういった過疎地でのリアルなスローライフは、どこをどう切り取ったとしても相当に厳しい内容だろう。そんな人々の生活をつぶさに取材して、果たして都会人にうけるような記事になるものだろうかと、失礼ながら甚だ疑問に思う。
(そういった部分をこちらで解釈しなおして、口当たりがいいようにしてから世に出すのが、優れた書き手なのか)
 だが自分はそれを「配慮」などというオブラートで包んでやる気は毛頭ないし、例えそれがこの業界の慣習で、アウトドアライターとして生き残るための常套手段だったとしても、オレは絶対にやらないが。
 いずれにせよ苦労して訪ねて行っても、内容のある記事になりそうもないとなれば、早々に見切りを付けて場所や切り口の変更をしないといけない事から、のんびりしている暇はない。
(もうすぐのはず…なんだけどねぇ)
 だが半年ほど前に入れ替えたばかりのカーナビの縮尺を変えてみるものの、今しがた道端を歩いていた老人が言ったような道は、どこにも載っていない。
(んーー、ここまで来て辿り着けないってのは、やめて欲しいな)
 昨日から今までの24時間は、本当に大変だったのだ。
「まださっきの企画は受けられるか?」と電話をして契約を済ませると、まずは丸一時間かけて方向性などの綿密な打ち合わせをする。
 電話を切った後は、ネットを駆使してスローライフやスローフード関連の情報収集だ。執筆の際に必要になりそうな専門書の発注も忘れてはいけない。
 しかし何より一番難儀して時間を食ったのは、取材先の村人にアポイントメントを取ることだった。最初に請け負っていたライターは一体どうしようとしていたのか知らないが、どこからどう手を伸ばそうとしても、取材を指定された山村の住民に繋がっていかない。
 思い余って編集部に再度問い合わせてみたものの、彼らも詳しいことは何も聞いておらず、ライター本人も入院している事から連絡が取れないという。
 結局担当者が知らされていたのは県名と「木乃葉」という集落の名前だけで、そこから先は幾ら調べてもめぼしい情報は何も得られなかった。
 だがここまで来て、カーナビにも出てこないというのはどういう事だろう? 『木乃葉』は、村おこし目的か何かで最近になって付けた、地域の愛称のようなものだったりするんだろうか?

「ままよ。案ずるより、だ。現地に行けさえすれば何とかなるだろう」






        TOP    書庫    <<   >>