(……いやはや、参ったねぇどうも…)
 オレは取り出していたクナイを後ろのポーチに戻した。
「ならば口寄せの契約しないでオレがこの次元に居続けるためには、常にお前にこの存在を信じて貰えてればいいと。要するに、そういうことだな?」
「ぇ? あぁ。そう…なのかな?」
 質問の内容が急に方向転換されて、イルカが面食らっている。
「なら、もうあれこれ難しく考えることもないのかもな」
「はぁ?」
 手首を掴まれて、訳も分からずきょとんとして薄く開いていた唇に、自分のそれを重ねた。朝から晩までよく喋り、よく笑うそこは、思っていたより遥かに柔らかくて温かく、胸の奥を針で突かれたような感覚にハッとする。

「――これで…信じられるか?」
 ゆっくり離れると、イルカは口づける前と全く同じ状態で目を見開いたまま、銅像のように固まっていた。
(オイオイ、頼むから…)
 何か言ってくれ。こっちこそどうしていいか分からなくなる。
「――信じられない」
(ぇ…?!)
「信じられない!」
 突き付けられたイルカの言葉に、ただでさえ速くなっていた呼吸が止まりそうになる。
 しまった、選択肢を誤ったと、まさに一生分の後悔をしだした時。
「もう…もうホントに……信じられないよーーーっ!!」
 そう叫んで力一杯ぶつかるように抱きつかれ、二人して畳に向かって倒れる頃になって、オレはイルカが発した言葉の正しい意味をようやく理解した。
 後はもうひたすら、照れながらも酷く気持ちよさそうなイルカに煽られるがまま、何度も何度も繰り返し唇を重ね合う。
(あぁ…くそっ、……胸が、痛い…)
 怪我以外でこれほどの胸の痛みを味わうことになるなど、思ってもみなかった。
 気が遠くなるほど口づけを交わしながら、(いっそこのまま、誰も知らない二人だけの次元に飛べないだろうか)などとふと思う。
 自分の持つ、全ての術と引き替えてもいいのに。



「あの…さ、…カカシは向こうに帰らなくて、いいの…?」
 髪を解かれ、ベッドに横たわったイルカが遠慮がちに聞いてくる。
(今それを聞いてくるかな〜)
 互いの衣服を全て取り去り、すっかりいい雰囲気になったと思っていたオレは、内心で苦笑する。こんなキツイ「待った」もそうそうないだろう。これではイビキに拷問された方がまだマシだ。真剣に勘弁して欲しい。
「あぁ、大丈夫だ。アイツらだっていつまでも子供じゃない」
 渦巻く欲求を押し隠し、上忍らしく真面目に、正直に答える。
 万一にも再び口寄せされた時の事を想定し、弟子達には『もし今後オレが待ち合わせの時間に来なかったとしても、一切待つ必要はない。全てお前達だけで考えて任務をこなしてみろ』と伝えてあった。
 常に面倒を見てくれる師が居るという頭がある限り、彼らはいつまでもそれをアテにして動いてしまうだろう。そろそろその枷から解き放ってやるべき時期に来ていた。
 話を聞いて最初きょとんとしていた弟子達も、自分たちの自主性が尊重され、師匠から信頼されていることが嬉しかったらしい。すぐに生き生きとした表情になり、すっかり一人前の顔つきで依頼書を受け取りに行っていた。
 その自信に満ちた後ろ姿を見て、これならもう大丈夫だと確信が持てた。自分が思っていた以上に、彼等は日々成長していたらしい。
 また自分はいつの間にか、育てたいという考えより、守りたいという思いの方が強くなっていたことにも気付かされた。これは適度に『弟子離れ』を始める、いい機会だと思った。
「ま、いずれはこちらで時空間移動忍術を完成させて、必要に応じて行き来するようにするさ。上手いこと戻れば、向こうの世界でのオレの不在は、大して問題にならない程度の短いものに出来るかもしれないし」
「オレとお前、どちらが先に一ランク上の高等技術を身に付けるか、競争だな」と言うと、イルカは生まれたままの姿で何度も無邪気に頷いた。
 


 カカシともっともっと沢山、色んな話をしたかった。
 唇がふやけそうなくらい何度もキスをして、服だって全部脱いで、彼の口から暫くは帰らなくてもいいと聞いても尚、話したい衝動は止まらない。
 彼のことをもっと一杯知りたい。今までおろそかにしてしまっていた分を、一刻も早く取り返したかった。

「ね、カカシのお父さんもオビトも四代目もさ」
 言った途端、カカシがこちらをちらと睨んだ。その瞳が『それ以上こちらの世界に立ち入ってくるな』という意味の軽い警告を含んでいる事は、雰囲気からすぐに分かった。
 でも言いたい。今言っておきたい。今だから言っておきたい。
「あのさ、俺思うんだ。彼等はみんな、死んでないんじゃないかって」
「――なっ、…なんだって?」
 カカシは一瞬、自分の耳を、或いは俺の頭を疑ったような顔をした。
「もしかしたらさ、みんな別の次元に行っただけなんじゃないかな? カカシみたく、今この瞬間も元気に生きてるのかもしれないよ?」
 途端、彼の右目がびっくりしたように見開かれた。
「――ふっ……そうだな」
 そして今までになく優しく穏やかに笑った。
 その上忍に「頼むからあまり焦らさないでくれ」と言われて、いつだったか彼が自身のことを「オレはヒーローなんかじゃない」と言った意味が何となく分かった気がした。





 ふっと目覚めると、息がかかりそうなほどすぐ側にいるカカシと目が合った。
「起きたか?」
 パタンと片手で愛読書を閉じるや、にっと笑う。何だかやたらと機嫌が良さそうだ。
「…ん…うん…、……おはよ…ってうわ、もう夕方なんだー」
 だがこっちはというと、体を起こそうとした瞬間下半身に走った痛みに、びくりと体の動きが止まってしまった。
「――いッ…」
「大丈夫か?」
「うん…全然、…へーき…」
 というのは嘘だ。本当は無茶苦茶痛かった。今週もまた、体を痛めた出勤が決定したらしい。
「済まない。どうしてもセーブしきれなかった」
「…だっ、大丈夫…だって…」
 ただ眉尻が勝手に下がってしまうのだけは、どうにもならない。
「――これでその…、何というか――契約…の代わりに、なったか?」
 俯いて何やら言いにくそうに逡巡していたカカシが、意を決したように訊いてきた。
「契約の、代わり? んーそうだなぁ…カカシは、どう思う?」
「オレか? オレは正直まだ納得しきれてない部分もある。また何かの拍子に離れ離れになって、そのまま二度と会えなくなる可能性だって全く無いとも言えないだろう? 保険として口寄せの契約を結んでおいたって別にいいんじゃないかと、今でも少し思ってる。――イルカは…、お前はどうなんだ?」
「あはっ、そうだなぁ。こんな痛い思いするなら、血判押した方が良かったかもって、チラッと思わなくもないよ」
 局部の痛みに顔を顰めつつも、アハハと冗談めかして笑う。
 でも上忍は、それを冗談とは受け取らなかった。
「なら話は早いな。ほら」
 言った直後には、もうどこに隠し持っていたのか柄をこちらに向けた状態でクナイを差し出していた。そのギョッとする程の素早さと妖しい輝きを「ちょ、ちょと待って、最後まで聞いてよ!」と押し止め、引っ込めさせる。
 納得いかなそうなカカシの前で、俺は何とか上半身を起こすと、思いつくまま喋った。
「――俺、今日のことは一生忘れないよ。体の痛みはそのうち忘れるだろうけど、それ以外のことは何があっても忘れない。約束する」
「約束ねぇ…。なら口寄せの契約だって変わらないと思うが?」
 上忍はまだ納得してない様子だ。
「もしね、もし万一、カカシが時空間忍術を会得しないうちに、何らかの理由で俺のことが嫌になったらさ」
「あぁ」
「カカシはいつでも俺を殺して、元の世界に帰ればいいから」
「な…っ」
「いいからその時は試してみて。俺が死ねば、解印を切ったのと同じ効果が得られるかもしれないだろ? もちろん俺は大丈夫だよ。別の世界に行っても、きっとカカシそっくりな人を見つけてまた憧れてると思うから」
「――はっ、下らない。そんな事を言う余裕があるなら、チャクラの練り方の一つも覚えてみるんだな」
 そう言ってカカシから仕掛けてきたキスは、より一層性急で濃厚だった。起き抜けでまだ力の入りきってない体から、ますます力が抜けていく。
 でもさっきあれだけ出したのだ。向こう一ヶ月は枯れきって、朝立ちすらしないはずだった。なのに、下半身にはみるみる甘い痺れが灯りだし、熱と共に形を変え始めているのが分かる。
「……もっ、もうダメ……出来ないよォ…」
 下着の上から固くなりだしたものを触られて、情けない声を上げる。
「そっちから誘ったんだ、駄目はナシ」
「そんな、誘ってないし…!」
「あぁ、あと一つ言っとくがな」
 背中に回された両腕に、力が込められる。
「他の次元のカカシもどきにお前を渡すくらいなら、オレも一緒にその世界に行くからな」
 俺の返したごく短い返事は、上忍の喉の奥に直接呑み込まれていった。






 その後も二人は色んな壁に突き当たる度、それを楽しんで上手く乗り越えながら、この都会の片隅で仲良く暮らしている。

 ある夜など、風呂から上がってビールを呑んでいたカカシが急に激しくむせだした。
 ベッドに腰掛けて新聞を見ていたイルカが「大丈夫?」と訊ねると、上忍は明らかに引きつった顔で、テレビを指差す。
「こっ…コイツ、誰…っ?!」
「ん…? …あぁ格闘家だよ。最近じゃ流行語にも選ばれちゃって、CMに出る方が多くなってるけど」
「…格闘家…だと?」
『ハッスル、ハッスル!!』と言いながら両手を引く珍妙なポーズをとる筋骨隆々の暑苦しい男を、目を剥いたカカシは穴の開くほど見つめている。
「この人が、どうかした?」
「…いっ、いや別に……何でもない…」
 すぐに俯いてわしわしと銀色の頭を拭きだす。
 だが、上忍は内心酷く動揺していた。
(なっ、なんかあの格闘家に、知り合いの匂いを感じる…?!)
 カカシは軽い目眩を感じた。しかし果たしてそんなことが有り得るだろうか?
 だがあのライバルだの何だのとしょっちゅう煩く言ってきていた男を、一時的に里に戻った際に見かけなかったのも事実だ。てっきり任務だと思っていたのだが、――違ったのか?
(――まさか、まさかアイツも……ここに呼ばれてた…なんてことは…?!)
 ヤツの桁外れに濃いキャラは、時に他人に凄まじく感染……いや影響を及ぼす事がある。弟子のリーなどはそのいい例だ。男で体術を極めようとしている者ほど、ヤツの発散する「何か」に心酔しやすく、その毒…もとい、キャラもうつりやすいと言える。格闘家なんて職業は、まさにその典型ではないのか?
(……あぁーー、もうやめだ。ったく疑いだしたらキリがない)
 上忍は脳裏に浮かんだ萎える憶測を振り払うため、軽く頭を振った。

 そんなことより今夜は、待ちに待った週末の夜なのだ。
 明日から二日間は、イルカと二人で終日のんびりと過ごせる。最近彼は、ナントカと言うあの資格試験に無事合格し、少しだが稼ぎが良くなった。
 だがそれによって弊害も出てきていた。より忙しく帰りが遅くなってきたイルカの体を気遣って、平日の間はどれほど無防備な寝顔を見せつけられても、寝言で名前を呼ばれようとも、上忍らしく我慢に我慢を重ねてきていたのだ。
 そして今夜は、ようやくそれらの肩書きから解き放たれる日なのだった。


 ビールを飲み干すと、ベッドに座っていたイルカから、やや強引に新聞を取り上げる。
「ちょっ…、ネットやテレビより新聞がいいって言ったの、カカシだよ?」
 イルカは不満げに唇を尖らせる。
 最初は新聞なんて不要だと言っていたが、一旦読み始めるとオレと話が合うようになった事もあり、面白くなってきたらしい。最近はあのぱそこんよりも長いこと眺めているくらいだ。国内外の政治や経済にも興味を持ちだして、言うこともなかなか堂に入ってきている。
「今夜は情報収集活動より、大事なことがあるだろう」
 立ったまま、まだ乾ききっていない、艶やかな漆黒の髪をゆっくりと撫でる。
「とても上忍の発言とは思えないなぁ」
「なんとでも」
 座っているイルカの脚の間に割って入り、顎を持ち上げると屈み込んで口づける。イルカは照れながらもちゃんと応じてくれた。とてもいい気分だ。
 脇で一人で喋っている邪魔なテレビをさっさと黙らせようと、薄目を開けてりもこんとやらを探した時だった。
(…!!…)
 そのテレビ画面に、何故か恐ろしく見覚えのあるような男が映っていて目をひん剥いた。
「…ッ、なにィ…?!」
 イルカにぴったりと接していたはずの唇から、思わず驚きの声が漏れ出る。
「…ん…? …どしたの…?」
 イルカの真っ黒な瞳はもう半ば焦点を失いだしていて、濡れた唇の間からは熱い吐息が漏れている。
「こっ、コイツ…、こんな所にっ…?!」
「…ぇ、コイツ…? コイツって…、カカシこの人のこと知ってるんだ…?」
「知ってるも何も……、クソっ、道理で姿を見ないと思ったら、こんな所に転生して隠れてやがったのか…!」
「――て…っ、転生!?」
「あぁ、今度こそ決着付けてやる。大蛇丸め…!」
「えええぇーーッ?!」


 ――イルカの説明によると、あのテレビに映っていた男は、この世界で一番の超大国に住んでいる、大富豪の音楽家なのだという。今は真っ白な肌も以前は茶褐色で、尖っている鼻も前は丸く、髪も随分と縮れていたらしい。
(フッ…、やはりな…)
 これぞあの大蛇丸が得意とする転生術でなくてなんだろう。どうやらオレの勘は間違っていなかったようだ。
 一番の決め手は、幼い未成年を自分が興した小国の隠れ家に次々と引き込んで、密かに法に触れるような行為を働いていたらしいということだ。
(転生しても、やっていることが同じではバレバレだな!)
 イルカは「えー、彼は絶対転生なんかされてないよ〜」と呑気に笑っているが、さっきの格闘家の例もある。絶対に違うとは、一般人であるイルカに証明出来るはずもないのだ。

 どうやらこの世界には、イルカの他にも異次元に暮らす我々の存在を強く信じ、偶然にしろ何にしろ、口寄せが出来、少なからずそいつに影響を受けている者がいるようだ。探せばまだまだそれらしき者が見つかるかもしれない。
(これは…案外油断ならない世界なのかもな…)
 広そうでいて、情報網や交通網が恐ろしく発達しているせいで、案外狭いらしいこの異世界。
 世界の裏側にいるはずのあの大蛇丸の目にも、オレの大事なイルカがいつ触れないとも限らない。
 この世界でも、大切な者とのささやかな暮らしを守るため、そして愛する者に惚れ続けて貰うため、オレは木ノ葉の上忍、はたけカカシであり続ける必要があるようだ。
(格闘家の方はまだいいとしても、あの大蛇丸モドキは早めに正体を見極めておかないといけないな…)
 それ以外にも、以前イルカをそそのかしたという、薬師という男の存在も何となく気にかかっている。
(あの後目立った接触はないらしいから、大丈夫とは思うが…。一応明日にも手を打っておくか…)


「ね…カカシ……なに、…考えてんの…?」
 自分を跨ぐ格好で座り、息がかかる近さで向き合っているイルカの唇を塞ぎながら、二人の腹の間にある彼の感じやすい部分を丁寧に愛撫していた最中、突然指摘されてドキリとした。
 彼のことは、以前は何の術も使えない、ごく普通の一般人だと思っていたが、最近オレの心をいち早く読んだりすることがあって、実は案外鋭いのかもしれないと思うことがある。
 ゲームやぱそこんの印入力も、生業にしているだけあってまずまず早くて確実だ。本人には内緒にしているが、ひょっとすると忍術を教えてやったらある程度までいく資質の持ち主かもしれないと思い始めている。

「別に、なにも」
 得意の平静を装って答える。
「……俺の…事だけ、考えて…」
 はあはあと忙しなく息を継ぎながら、赤く上気した顔で少し上から見下ろされると、得も言われぬ衝撃が体の芯を突き抜けていくのが分かる。
(イルカ…)
 そうだな。お前の言う通りだ。
(オレもいい加減頭悪いぞ)と、自らを叱責する。
 大切な者を目の前にすると、すぐにその者をいかに守るべきかをいついかなる時も考えてしまうのは、オレがガキの頃から引き摺っている悪い癖だ。
 そんな心配をする暇があったら、今この瞬間は他にすべき大切なことがあるはずなのに。
「悪かった、もうしない」
 まるで自分の中に取り込みそうな勢いで、きつく抱き締める。
「…ぅん。――ね、カカシ…、今夜は、別の次元に……行けるかな…?」
 忙しなく喘ぎながら、イルカが小さく笑う。その熱っぽく潤んだ目元を見ただけで、彼の中にあるオレは一段と大きさを増して、当分ここから離れる気など無いと無言の主張をする。
「あぁ、思いっきり飛べる。――約束する」
 鼻筋を跨ぐ傷に、軽く唇を乗せた。


 オレ達は特別な術などなくても、きっとどこへだって行けるし、何だって出来る。

(…二人一緒なら、ね…)

 イルカが揺すり上げられるたびに喉を反らせ、盛んに甘い声を上げている。
 固く握り合った手の平に、一層の力が込められたのが分かる。
 二人の絶頂は、もうすぐそこだ。


 イルカが上げた一際高い声を唇で塞いだ瞬間、オレはまだ見ぬ新しい世界へと飛んでいくのを、はっきりと感じた。









                   「ようこそ忍者君」  終わり



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