カカシがイルカの真正面に飛び降りたのと、イルカが印を切り終わったのはほぼ同時だった。
「やめろ――ッ!!」
 チャクラを凝縮した右手で、まさに今繰り出されようとしている大技ごと、イルカの両手を下向きにねじ伏せにかかる。
 ガガァッ…!!!
 鼓膜をつんざくような、途方もない力と力が真っ向からぶつかる凄まじい衝撃音がして、刹那真っ白な光が二人を包む。
 周囲に居た三人は本能的に危険を察知し、衝撃波を避けるため地に伏せた。息も出来ないほどの爆風と振動が、広い空き地を揺るがす。


 恐ろしく長い時間のようでいて、その実ほんの一瞬だった衝撃が過ぎ去った後。

「カカシ!」
 真っ先にガイが跳ね起き、駆け寄ってきた。
 カカシはイルカが発動した大技の余波を受けて弾き飛ばされ、イルカは己の術によって足元に開いた巨大な穴の淵に倒れている。
 跪いて見下ろした同胞は、爆風で額当てが吹き飛んでいたが、そのお陰もあってか銀色の頭部には目立った傷はない。
「……いつつつつ…」
 顔をしかめ、脇腹を押さえながらよろよろと立ち上がる。
「…こっちは、大丈夫だ……それよか…、イルカ…せんせ…」
 脇腹を庇うようにしながらゆっくりと歩いて行き、倒れ伏して微動だにしないその側に片膝をつく。そろそろと抱き起こすと体には何の力も入っておらず、ぐったりとして酷く重い。
 陽に焼けて健康的だった顔はあちこち泥に汚れて青白く、あれほど黒光りして綺麗だった髪は散々に乱れて、衝撃の凄さを物語っている。
「――せんせ…、イルカせんせ…」
 そっと揺すって呼びかけるが、反応はない。
「おい、まさか…」
 ゲンマの表情が強張る。
「いや、大丈夫だ。今の一発でチャクラを一気に使い果たしたらしい」
「なにが、どうなったんだ…?」
 こういう時、ガイは意外なほど大人しい。
「ん…と、これは推測でしかないけどね、今までこの人自身も気付いてないような無意識下にあった力が、泥酔と怒りで暴発して止まらなくなった…とかね? でも…だとしたら、一気に使い果たしてくれて良かったのかも」
 二発目なんて発動されてても、誰一人として受け止められなかった。
「泥酔…?」
 カカシの意外な言葉に、三人が安堵と驚きと不可解が入り交じったような複雑な表情になる。
「自分の裏側に潜んでた力を知らないんだから、一旦始まり出だすと止め方もわからなかった、というべきかもしれないけど。――まっ、暫く眠って酔いが醒めたら、案外全部忘れてけろっとしてるんじゃない?」
 顔の泥をそっと手で拭いてやりながら、カカシが呟いた。彼がいつもはめていた黒い皮の手袋は、衝撃ためか蒸発するように燃えて無くなってしまっている。
「…しかし、とんでもねぇ中忍さんがいたもんだな。見たか、あの桁外れの大技。俺の金縛りが一瞬で解かれる訳だぜ」
 カカシに「部屋まで頼む」と言われたイビキが、イルカを軽々と抱え上げると、そのまま裏木戸に向かって歩き始める。
「むうう…カカシの雷切が押されるとはな」
 脇で腕組みをしたガイが溜息をつく。
「挙げ句に、こんな大穴開けちまうとはね…」
 ゲンマが小屋一軒入りそうなほどの深い穴を見下ろしつつ、肩をすくめた。
 カカシもガイもすっかり互いの後ろを獲る事など忘れ、未だ放心状態のまま、イルカの家へと向かった。




「――あれは、なんと言う技だったんだろうな?」
 ガイがまだショック醒めやらぬ、といった様子で誰にともなく言った。
「なんだろーねえ。もしかしたらこの人自身だって、会得した覚えのない技だったのかも」
 カカシがイルカの汚れた顔や手足をタオルで拭いてやりながら答える。
「コピーしたか?」
 イビキが訊ねる。
「まさか、あの状況で出来るわけないでしょ。――んーでも確かにちょっと惜しいことしたかも。今度折を見て、もう一度やってもらう、か?」
「バーカやめとけ。あんなヤバそうな技、もう二度と見なくていい。あんなもんまかり間違ってまともにくらった日にゃ、骨も残んねぇぜ」
 ゲンマの長楊枝が揺れた。
 ガイが自分のベストに目を落とすと、まるでクナイで力一杯切り裂いたかのような、大きな裂痕が目に入る。
「素手や素足でこの丈夫なベストにこんな鋭利な切り裂き傷が出来るものか? しかも全部布一枚のところで寸止めするなんて」
「さぁな。…まぁいずれにせよ、イルカにはあんまり深酒させないほうがいいって事はわかったが。なぁ、カカシ」
 イビキが苦笑いしている。
「ハッハァ! 痴話喧嘩したら、間違いなく殺されるぞ!」
 隣でガイが茶化す。
「るさいよ。イルカ先生を怒らせに来たのはお前だろ。オレは来てくれなんて一言も言ってないから」
 カカシはムッとしながら檜の手桶でタオルを絞った。

「――さ、じゃあこっちはもういいからさ。あんたらも、帰んな」
 カカシがイルカに布団を掛けてやりながら言った。
「じゃ、な」
 イビキとゲンマが立ち上がる。
「記念すべき100試合目はとんだ事になったが…まぁいいではないか。これも青春の1ページだなァ!」
 ガイが柔らかい体をしならせて、大きく伸びをしながら玄関に向かうと、イビキとゲンマもそれに続いた。
「…ぁそだ、みんなにちょっと頼みがあるんだけど?」
 その背中を、カカシが呼び止めると。
「わかってる」
 鴨居をくぐりながら、イビキが振り返る。
「今夜のことは他言無用、なんだろうっ!」
 玄関からガイの明るい声が響く。
「心配すんな。万事上手いことやっとくよ」
 閉められた襖の向こうで、ゲンマの声がする。

「――悪いね」
 カカシの静かな声が、玄関を出ていく三人を送った。



 街灯りの大半が消え、人通りの無くなった隠れ里の静かな道を、イルカの家を出た一行は肩を並べて歩く。
「噂にゃ聞いてたが……あいつ、本当にイルカの事、好きなんだな?」
 イルカに接する先程の上忍の姿を思い出しながら、ゲンマがぼそりと呟くように言った。
「あぁ、確かにあんなに何かに夢中になっているカカシも、初めて見るかもな。にしてもイルカもまたとんでもねぇヤツに気に入られたとは思うが…」
 先程の光景を思い出しているらしい男が、傷跡だらけの顔を撫で回している。
「まぁ今夜のを見た限りじゃイルカも相当に凄ぇから、バランスはとれてんじゃねぇか?」
 楊枝を銜えた口元が、片方だけ持ち上がる。
「うぉーっ、青春だなぁーー! カァ〜〜ッ!!」
 ガイが拳を握り締め、夜空に向かって叫んだ。





 イルカの寝室では、カカシが三度目の正直とばかりにその寝顔への再接近を試みていた。
 しかし、精根尽き果てて眉根に皺を寄せながら眠る中忍に迫るのも何となくためらわれて、結局乱れた髪を直すくらいしか出来ないでいた。

 カカシはまだ痛む脇腹を押さえながら、イルカのそばの畳に横になり、今夜の出来事の一つ一つをゆっくりと思い出す。
(――イルカ先生、今夜はあなたの新しい一面を発見出来て、とても良かったですよ? んー、でもちょっと惜しい事もあるかな。出来ればあの時イルカ先生に抱き起こされるのは、影分身じゃなくて本物のオレでありたかったですね。変な話ですけど、ちょっと自分の影に嫉妬しちゃいましたよ〜)
 部屋へ運ぶ際もイビキに頼んでしまったが、もちろん出来ることなら自分が運びたかった。けれど、正直言うと立っているだけで精一杯で…。畑カカシ、一生の恨事がまたひとつ。
 もっともっと修行を重ねないといけない。

(――しかしガイにお見舞いした蹴りと突きは凄かった…。ガイのあの驚いた顔! 見ました? だってアイツが舌を巻くほどの体術って事は、すなわち里一番という事ですからね?)

(――更にあの不思議な大技。ありゃ一体何ですか? オレの雷切でも押さえ込めないなんて。――ああでも…でもね、イルカ先生。もしもあんな技が常に発動できるようになったら、あなたは間違いなくすぐに暗部に取られて、アカデミーの中忍教師ではいられなくなりますからね。それはオレも勘弁して欲しいんですよ。やっぱりオレはね…今のままのイルカせんせ…が…いちばん…で…す……)

 イルカが掛けている布団の上に、傷だらけになった右手を置いたまま、カカシは着の身着のままで意識を落とした。













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