翌夕、アカデミー。

「あ…カカシ先生、…お疲れさまです」
 受付の業務を終えて事務室から出てきたイルカが、戸口で壁にもたれていた上忍を見て、いつものように挨拶をしてきた。
「あのっ、昨夜は途中で潰れてしまったみたいで…本当にすみませんでした。かえってご迷惑をかけてしまって」
 申し訳なさそうに頭を下げるその表情は、普段のそれに比べ、瞳の輝きや醸す爽やかさに明らかな翳りがある。
「いや、それは一向に構わないですけど。イルカ先生、どこか具合でも悪いんですか?」
 どうやら昨夜の一件が記憶にないらしいのは有り難かったが、ひょっとして後遺症でも残ったのではないかと不安がよぎる。
「…ぇ? えぇ…実は…、お恥ずかしい話ですが、その…酷い二日酔いでして…」
 小さく言いながら、きまり悪そうに鼻の傷を人差し指で掻いている。
「――ハ? …そう、ですか。二日酔いですか。あぁ、それなら良かった。あぁ、いえ失礼、良くはないですね。それなら明日には治ってるでしょう。どうぞ、今夜は早く帰ってゆっくり休んで下さい」
 カカシはあまり具合の宜しく無さそうなイルカとは対照的に、妙に上機嫌な様子で笑いかけた。その様子を見たイルカがふっと微笑む。
「良かった…カカシ先生すっかり元気になったんですね。夕べ様子がおかしかったから心配してたんですよ。口では何でもないなんて仰ってましたけど、やっぱり何か悩み事があるんじゃないかって」
「へ? オレが? …悩み事?」
「えぇ。ずっと沈んで…だいぶ深く考え込んでましたよ? 何か思い詰めているみたいでしたけど…?」
「はあ…?」
 言われて、昨夜の酒を思い返してみる。
 そのうちふと、カカシはある事に思い至った。
(もっ、もしかして…、イルカ先生の呑み過ぎの原因って、オレか…?)
 そしてそれは即ち、イルカ大暴発の発端も自分という事で。
 負傷している脇腹が、急にズキンと疼いた。
「あたっ…あ、いや、すみません、こっちの話です。悩みはね…オレの抱えてた悩みは、もうすっかり解決しましたよ。これもみんなイルカ先生のお陰です」
「え? 私の?」
 イルカはくっと眉を寄せて、全く訳が分からないといった表情になる。
「先生に心当たりは無いかもしれませんが、オレはもう充分なんです」
 二日酔いのイルカの表情が、ますます困惑の度を深めた。
「また近いうちに伺わせて下さい。昨夜は庭のススキと萩をよく見られませんでしたから」
 言うと、イルカの表情が心持ち明るくなる。
「昨夜は十六夜月でしたから、二、三日中に来られないと出が遅くなってしまって良い月見が出来ませんよ」
「わかりました。じゃ、それまでに二日酔いを治しておいて下さいね」
 上忍は耳が痛そうなイルカににっこりと笑いかけると、遠方にちらりと見えた同胞達の方に向かった。




「――おぅ」
 互いに小さく手を上げる挨拶を交わし、昨夜の四人が目立たないアカデミーの校舎陰に集まった。
「どうだ、例の中忍さんの様子は?」
 開口一番、イビキが聞いてくる。
「酷い二日酔いらしいけど、あの一件に関しては何も覚えてないよ。そっちは?」
 ポケットに両の手を入れたままの男が、問いを返すと。
「あのゲームに関しては、三代目が禁令を出したって事にして、全面禁止の方向に持ってったぜ。多分今夜中には噂が行き渡って静かになってると思う」
 ゲンマが油断無く辺りに注意を払いながら小声で言う。
「ん、いいねそれ。ガイ、そっちは?」
「喜べ! 昨夜のドンパチ騒ぎはお前とイルカの痴話喧嘩だったという事にして、ご近所にたっぷりとホットな噂を流しておいてやったぞッ!」
「なっ…何それ?! ふっざけやがって…!」
 それまで眠そうだった男の目が、大きく見開かれ、続いてげっそりとした半目になる。
「いやでも、結局それがこの場合最も自然で、尚かつイルカ本人の耳にも一番話が入りにくいんだって」
 横からイビキがフォローする。
「やっ、そうかもしんないけどさー、今後先生んちに行くオレの身にもなってよ。ったく…」
「リーを人質に捕るような猿芝居をするからだ!」
「よく言うよ。その猿芝居を、頭に血が昇って見抜けなかったのはどこのどいつよ? ん?」
「大体よ、オレ達が同胞である、しかも格下の子供を人質に捕るような卑怯な人間だとあっさり思われたのがそもそも癪にさわるぜ、なぁカカシよ」
「いやイビキ、お前が一番やりそうなキャラだったからゲンマに仲介役頼んだ」
 楊枝を銜えた男が、隣でぷっと吹き出す。
「っ…カカシ、お前まで…」
「そう! イビキ、お前ならやりかねんと思ったのだ!」
「馬鹿、調子に乗るなガイ。――大体ね、現場で本当にああいう状況になったらお前、どうすんのよ? 昨夜みたいにあんなに頭に血が上って暴れ回ったら、人質なんてあっという間に皆殺しよ?」
 カカシがたしなめる。
「フン、その時どうするかは人質を見て決める! リーなら大丈夫だと思ったんだ! それからイビキも…子供には手は出さんと、思ったからな!」
「なぁんだ、分かってんじゃねぇか。…じゃ本日の反省会は終わり! 以上、散ッ!」
 イビキの小気味よい締めの言葉に呼応し、カカシは小さく左手を上げると、さっさと踵を返して門の方へと歩いて行く。
 その後ろ姿を、突っ立った三人は無言のまま見送った。


「――気付いたか?」
 遠ざかる背中を見ながら、小声でイビキが切り出した。
「あぁ、具合が悪そうな顔色をしていたな。必死で隠していたようだが、オレの目は誤魔化せんぞ!」
「昨夜の一撃、実はかなり堪えてるんじゃないのか?」
「利き手を、ポケットから一度も出さなかったしな」
「怪我を知られて周囲に余計な詮索されたくねぇんだろうが…ったくしょうがねぇ奴だな」
 小さな溜息が三つ、重なった。




 カカシがアカデミーを出ようとした時、珍しくナルトと擦れ違った。
 最近は全員直行直帰で、現場でしか顔を合わせない。アカデミーで会うのは珍しかった。
「おいナルト、お前こんなとこで何してんだ? 今日の任務は物足りなかったか?」
 カカシが呼び止める。
「おっ、カカシ先生! へへへ〜、いま木ノ葉丸達と、また新しいゲームを開発中なんだってばよ!」
(え? 「また」……「ゲーム」…?)
 カカシはなぜか、その言葉に引っ掛かった。
「何だ、新しいゲームって?」
「へへ〜ん、それはカカシ先生でもぜってぇ内緒ってもんだろ? 今度のはよ、さらにもっと、ずーっと面白いのに育てないといけねぇからなっ!」
「ナルト、ちょっと待て。ゲームを育てるって…ひょっとして今日三代目から禁止令が出たあのゲームって……もしかして、お前が最初に始めたのか?!」
「そっ! オレが最初に木ノ葉丸と始めたんだってば! だってよォ、カカシ先生にやられっ放しじゃ、面白くねぇじゃん? オレも誰かに千年殺しお見舞いしたくなったってわけよ! でもこれってすっげぇいいアイデアだっただろ? みんな夢中になってたもんな! なぁなぁ、先生もゲームに参加してたのか?! なぁってばよ!」
 途端、カカシの脇腹が再びズキンと痛んだ。
「あつっ…つつっ…――あぁ、いや、何でもない…何でもないぞ。…そうか…全ての始まりは…いつかのアレ――だったかぁ。……はは、こりゃ傑作だ…アハハハ…ははは………あ〜あ…」
 カカシはきょとんとするナルトを残し、とぼとぼとアカデミーを出ていった。













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