「――おはようございます、カカシ先生。昨夜はよく眠れました?」
 赤い目の中忍に台所で正面切って挨拶され、カカシは咄嗟の返答に詰まってしまった。
「…えっ? ええ。――昨夜は…とても静かでしたから、ね」
「あぁ、確かに…すごく静かでしたね。雪が音を吸うんでしょうね」
(本当によく眠れていたのなら、静かだったかどうかなんて解らないはずなんだけどね…)と、カカシは互いの珍答に内心苦笑するが、イルカ気付いた様子はない。
「カカシ先生、昨夜はすみませんでした。あんなにすぐ潰れてしまうなんて…。俺、ちょっと浮かれすぎてました、ごめんなさい」
 鼻梁を跨ぐ傷を指先で掻きながら素直に謝ってくる中忍に、カカシはようやく内心でホッとする。
「いいえ〜、こちらこそ泊めて頂いてすみませんでしたね。二日酔いは、大丈夫ですか?」
「あっ、はい。 多分あれ以上いってたら危なかったと思いますけど、すんでの所で。いや、カカシ先生に止めて頂いて良かったです」
 二人で笑った。

「しかしまた随分と積もりましたねぇ。こりゃ下忍連中は暫く忙しくなりそうだ」
 カカシは雪見障子に近寄って、イルカによって一枚だけ板戸が開けられた所から外を見る。
 ほぼ白一色に埋め尽くされた中庭は、透明な陽光に照らされてブルーバックに美しく映えはじめていた。
 この庭に昨夜、二人の動きを諜報していたトップクラス級の忍が居たなどという事実は、もうとうの昔に雪が消し去ってしまっていたが、今後も決してイルカにそれらを気取られてはならない、とカカシは自分に強く言い聞かせた。




 午後、上忍待機室。
「やっぱりここか。――なぁ、もう聞いたか? カカシ」
 部屋に入ってくるなり、不知火ゲンマが声を掛けてきた。
「…ぅ…ん……なに…?」
 カカシが昨夜の睡眠不足を解消しようと寝転がっていたソファから、だるそうに上半身を起こす。ゲンマは少し離れたソファの手摺り部分に腰掛ける。
 周囲に人気がない事を改めて確認すると、透けるような金髪の男は、俯いたまま小さな声で切り出し始めた。
「その様子じゃ、まだ聞いてないな。…まぁお前は暫く外に出てたらしいから、知らねぇのも無理ねぇか」
「ああ、二週間程空けてたけど…何?」
「こないだのゲームな。どうやらまだ完全には消滅してないらしいぜ」
「!? ゲームって、ニセ禁止令出した、あれか」
 カカシの眠そうだった右目が一瞬見開かれた。やがて大いに呆れ、迷惑だと言わんばかりに、額当てのすぐ下で眉根が寄ってくる。
「ああ。前みたいに、表だってはやってねぇんだけどな」
 口端に銜えられた長楊枝が、不規則に揺れている。
「やっぱニセ情報だって事が、バレたか」
「それはわかんねぇがな。とにかく今回は、再開を知って参加表明してるヤツと、再開自体を知らないままのヤツが混じってるってのが何とも厄介なところなんだ。見分けなんてつきゃしねぇ」
「じゃ、俺達も参加表明しないでおけばいい。もうあんな馬鹿馬鹿しい事、二度とごめんだ」
 『たかがゲーム』だったはずが、最後にとんでもない事態になってしまったあの夜の出来事を、昨日のことのようにまざまざと思い出す。
「まぁやらねぇと宣言して、周囲がはいそうですかと額面通り受け取ってくれりゃ苦労しないがな。何でも噂じゃ、ガイが参加表明してるって話だぜ」
「ガッ――あのバカ…」
 カカシは斜めに付けた額当てに左手を当てて、まるで頭痛でもこらえるかのような仕草で毒づいた。
「ああいや…とにかくオレは誰に何と言われようが、絶対にやらないから。イルカ先生も勿論やらないからさ、ゲンマ悪いけどガイによく言っといてよ」
「わかった。一応伝えておく。でもあいつが素直にお前の言うことを聞くかどうかまでは知らねぇぜ?」
「ったく…しょうがないヤツだなー」
 カカシは俯いて大きく溜息をついた。
「ガイ以外で今のところ参加が解ってるのは、全員下忍と中忍連中らしいから、そっちはまぁ大丈夫だろう」
「了解。――でっ、ゲンマ、肝心のお前はどうなのよ? やるの、やんないの?」
 男は右目の瞼は半開きのまま、しかしその下の灰青色の瞳は強い光を湛えて、じっとゲンマを見つめる。
「フッ…前回一緒に組んだ奴でも信じられないか?」
 長楊枝と真っ直ぐな金髪が、ゲンマの笑いにつき従って揺れている。
「ああ、お前には悪いけど、オレにこのことを教えに来たって事はさ『ゲームの復活を知った以上は、もう立派なゲーム仲間だ。やらねぇとは言わせねえ』っていう、えげつない宣戦布告ともとれるからな」
「…そう言うと思ったよ」
 ゲンマはくっくっと喉の奥で笑った。
「じゃあ信じてくれとは言わねぇが、こう言っておこうか。…参加表明はしてるが、お前を狙う気は更々ねぇ、とな。一応これでもお前達二人の事を心配して知らせに来てやったんだぜ?」
 色素の薄い瞳を細めて、にや、といつもの笑みを見せる。
「微妙なとこ突いてくんねー」
 思わず苦笑した。
「まぁ、せいぜい上手くやんな。今ならガイだけ相手にしてりゃいいんだ。言うほど手間でもなかろうよ」
「他人事だと思って…言ってくれるぜ」
 長居は無用とばかりに踵を返すゲンマに、カカシは小さく片手を挙げていつもの挨拶をした。

 男が出ていき、再び部屋がしんとなると、カカシは再びどさりとソファに寝転がる。
(ったく…暇人どもが〜)
 ゲンマの話を聞いた限りでは、前回のようにイルカ先生まで巻き込むような大事には発展しなさそうではあるものの。
 あのガイの事だ。また百戦目だ何だと大騒ぎして、問答無用で突っ掛かって来るのは目に見えている。前回は偶然にも途中でお開きに出来たが、そう何度もノーゲームに出来るとも思えない。
(こっちはそれどころじゃないってのに。手間ばっかり掛けさせるなよなー)
 大きく溜息をついて、寝返りを打つ。
(――ん? まてよ? もしやあの諜報って…? …とすると、寝てばかりもいられないか?)

 男は急に何かに思い至ると、再びソファの上に跳ね起きた。
 そして外套を掴むと、眩しさで目の奥がキリリと痛くなるような銀世界へと出ていった。




 その日の夜遅く。
 カカシが『この角を曲がれば自宅まであと僅か』という所まで帰って来たとき、街灯のない真っ暗な細い路地に、一人の男が気殺して佇んでいる僅かな気配を察して、その歩みが止まった。
「――誰だ」
 敢えて路地の方には向かずに言う。言いながら、瞬時に全身を臨戦態勢へとぶち込んだ。
『例え下忍であろうと、こんなはた迷惑な事をいつまでも続けている奴は容赦しないぞ』と思った瞬間。
「――オレだ。カカシ」
 腹に響くようなバリトンの声がして、闇から月明かりの当たる所へと黒い外套を羽織った巨体がぬっと現れた。
 生白い顔の、縦横に無数の拷問傷のある男。
「イビキ…、今時分、何の用だ」
 ようやくカカシが振り向く。しかし臨戦態勢は相変わらず解除していない。
「オイオイ、まずはその殺気何とかしろ。お前の後ろを獲りに来た訳じゃないんだからな」
「どうだか。んなところに潜んで気配断ってる奴が言ったって、何の説得力もないでしょ」
 声のトーンこそ次第に落ち着いていくものの、目には探るような色が残っている。
「フッ…まぁそれくらい何でも疑ってかからねぇと、確かに二人分の後ろは守れねえか」
 イビキがニヤ、と笑うと、濃い陰影の付いた傷だらけの白い顔が月明かりに照らされて、尚一層陰惨に見える。
 だがカカシは、そんな男の外見や言葉を意に介した様子もなく、再度何の用だと問い正す。
 特忍は上忍の警戒心を解くことは諦め、苦笑いしながらも用件を話し始めた。

「――いやまぁ、そんなご大層な事じゃないんだがな。あれだ、こないだのゲームの最後、俺が鎮圧役だっただろ。だからまたあれが復活したって聞いて、ゲンマと二人で話し合って再度火消し役をかって出ててな。こんな事、長々とやってて本当に火影の耳にでも入ったら、流石にマズイからな。特にお前ら二人」
 イビキがそこまで話すと、ようやくカカシのピリピリとしていた気が、すっと引いていくのが感じられる。
「でな、どうも前回後ろを獲られてない奴に限って参加表明してるみたいだからよ、多少なりとも痛い目見せといた方がいいかって事で、もうここ何日かゲンマと二人で参加連中の主立った奴の後ろ獲って、片っ端から黙らせて回ってたんだがな」
「だが、何よ」
「いや…そのゲンマが、ガイにやられちまってよ」
「!」
「心配するな。ただ後ろを獲られたってだけだ。ケツ以外は無傷だそうだ」
 言いながら、巨体の漢は俯いてまた苦笑している。どうやらその哀れな金髪男の姿でも思い出したらしい。
「オレが、『ゲームなんてやらないと、ガイに伝えておけ』なんて言ったからか」
「ああ。で、伝えついでにおふざけで仕掛けてみたら、ものの見事にやられたらしい」
「ったく…どっちもほんとにバカだな」
「ゲンマもああ見えて、ガキっぽい所があるからな」
「相手をよく見ろっての。あの筋肉バカには、殺気は通じても冗談は通じない」
 途端、イビキがくっくっと喉の奥で笑う。
「100試合もしてる奴はさすがによく解ってるな。――で、ゲンマの次はお前だそうだぜ。カカシ」
「はっ、言ってくれるね」
「ま、年が明けたらせいぜい後ろに気をつけな」
「ああ。言われなくとも」
 イビキはそこまで言うと一歩だけ後ろに下がり、すぐ背後の暗がりに溶けるようにして消えていった。











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