特忍の気配がすっかり消えたあとも、カカシはその場所に佇んだまま暫し考える。
(しかし…参ったねぇ、どうも)
 カカシは、遥か以前に自分の蒔いた「種」が、一旦刈り取った後も未だに強い生命力を持って地下で蠢き続けている現実に、軽い目眩を感じた。
 そしてもはや自分にとっては、『たかがゲーム』という次元では無くなっている事を改めて認識する。
(また、あいつらに借りが出来ちまった)
 この目に見えない生き物を根絶した暁には、あの二人を酒にでも誘うか、などと思った。
 しかし、果たして本当にアレを根絶やしになど出来るのだろうか。
(『されどゲーム』、か…)
 男の心に、一抹の不安が残った。
 遥か遠くから、除夜の鐘の音が殷々と響き始めていた。





 翌、新しい年を迎えた日の夜。
 カカシは元旦早々から三人の下忍を従えた、郊外での雪かき監督任務からようやく解放され、家路についていた。
 年末イルカの家で眠れなかった一件を皮切りに、この二日間とりとめもない考え事が続いてしまってよく眠れず、いつになく疲れていた。
 里の慣習や行事にはさほど興味も拘りもないカカシだったが、さすがに元旦くらいはまともに眠りたいと思う。
 ふと見上げると、凍てついた白い月が、濃紺の透明な空で星明かりを圧倒するように輝いている。足元の雪は掻く者もおらず、あたかも雪自らが青白く発光しているようだ。
 風は殆ど無い。けれど、刺すような冷気が世界にキンと張りつめている。するとカカシはまたぞろ、温かで心安らぐあの人との語らいや、先日一つ屋根の下に泊まったことなどを思い出す。
(あ〜…)
 この二日間で、一体何度目になるだろう。寒ければ寒いほど、そして独りでいればいるほど、どうやらそれを思い出す頻度は高くなるようだった。
(とはいえ、悪戯に思い出すだけなら、少しでも早く家に帰って寝たほうがマシだな…)
 こればかりは悲しいかな仕方ない。己のスタミナ不足を呪うしか。
 もう少し足を早めるか、と思った時だった。
「?!」
 突如、後方から何かが物凄いスピードで飛んで来る気配がして、咄嗟に身を伏せた。
 飛んできたものは男の銀髪を掠めつつ、ぶん、という低い風切り音を引きながら前方にあった立ち木に当たり、大きな音をさせて粉々に砕け散る。
(雪玉?!)
 あまりの衝撃に太い幹までが揺れ、不安定だった樹上の雪がドサーッと一斉に落ちていく。
 更に息つく間もなく、ニ発目と三発目がほぼ同時に背後の暗がりから飛び出してくるのが見え、高く跳んだ。自分的にはかなり早めに動いたと思ったにも拘わらず、それは危うく足に当たりそうになる。かなりのスピードだ。あの勢いなら、当たれば例え雪玉でも相当のダメージを被りそうだった。叩き潰すよりは、かわした方が得策だ。
 カカシは今し方雪を振り落とした大木の、太い横枝へと着地した。雪玉は再び大木の幹に当たって粉々に砕け散っている。狙いも全くもって正確だ。
 再び樹上の雪がバラバラと落ちてきて、カカシの羽織った黒い外套に白く散った。
(…こんな日、こんな時間に、こんなガキみたいな事を、こんな馬鹿力で仕掛けてくる奴と言えば…)
「ガイ! お前だな!」
カカシが雪玉の飛んできた方向に向かって声を掛けた。
 その方角は郊外型の広い公園で、入り口からして既に鬱蒼とした木立に囲まれている。
 呼ぶと同時に、その木立の影から見慣れた男の姿がひょいと現れた。
 グリーンのスーツと標準ジャケットの他には、レッグカバーと揃いの、オフホワイトのロングマフラーをくるくると首に巻いただけの軽装。月明かりを跳ね返す黒々としたマッシュルームカットの髪に、同色の黒い瞳と激眉。
 そして不敵に笑う口元からは、今宵の月よりも雪よりも白い歯がきらりと光っている。
「あ・はっぴィ・はっぴィ・にゅうイヤーッ☆ カカシイィーー!」
 左手を高々と上げ、右手の親指をピッと立てた拳を顎の下に持っていくという珍妙なポーズを付けつつ、男は高らかに新年の挨拶をした。
「ふざけるのもいい加減にしろ…お前のせいで、ハッピーどころか最悪の年明けだ」
 疲れていて一刻も早く帰って眠りたい所を、無駄に元気なお祭り男に突っ掛かられ、カカシは一瞬で脱力しきって機嫌が微妙に傾いた。
 更に言えば、先日イルカの家に来て諜報していたのも恐らくコイツだろう。お陰でこっちは余計な事まで憂慮し続けて、この二日間夜もロクに眠れていない。
 思うとますます機嫌が斜めになっていきだしたが、まだこの男で良かったというべきかと、変に逆恨みするのだけは止めておく。
「何だカカシ、新年早々何をそんなに怒っとるんだ? オレからの先制落とし玉攻撃、そんなにつまらんか?」
(――ハ?)
 だめだ。コイツと会話をしていると力が吸われる。いや、いつも会話にすらなってないと思うが、自分のペースが上手く保てない。
「ガイ、今夜は…このまま帰りたいんだけど」
 カカシはあっさり敵前逃亡を宣言した。ふと、(こうして逃げ回り続けて、後ろを獲る獲らないで怪我をしかねないような勝負なんて、ずっとやらなきゃいいんだよな)という考えが頭をよぎる。が、
「何を言う! 記念すべき100戦目をめでたいこの年の始めに選んでやったのだぞ! 逃げるのかアァ!」
 ビシイッと人差し指をこちらに向けたオーバーアクションで、男は一人勝手に叫んでいる。
「ああ」
「…あぁッ?! ああとは何だああとは! オレはそんな情けない男を生涯のライヴァルに選んだ覚えはないぞ!!」
(それはそっちが一方的に決めたんでしょー。こっちは一度も受けたと言った覚えないし)
「さてはお前、アイツに惚れて腑抜けになったな? だが愛とはそんなベタついた情けないものではないぞ! 根性入れんかカカシィ!」
「なッ…」
「はっはっはっ! どうだ、図星だろう! オレがその生半可な心構えを叩き直してやる!」
 言い終わるや否や、もう両手がガッチリと寅の印を結んでいる。
(やっぱりこの間のノゾキ野郎はこいつだったか!)
 カカシの冷えきっていた頭に、なぜか急に血が上ってきた。
 確かにこの男から逃げ回っている限り、今後も度々下世話な諜報を許すことになりかねない。下手にまわりをチョロチョロされて、本当に暗部辺りに何か嗅ぎ付けられでもしたら、それこそ一大事だ。
(なら仕方ない。今この場で白黒付けて、暫くは静かにしていてもらうぞ!)
「いいだろう。ゲンマの仇、ここでとらせてもらう」
 言って、カカシは木の上から飛び降りた。
「むう? 何でお前がゲンマの仇とるのだ? あいつはあいつだろう」
 基本個人主義のガイには、仲間と連携するという概念の一部が欠落している。
 お陰でこういう時にも徒党を組んで攻めてきたり、イルカ先生を盾に取るなどという事をしないのは有り難いのだが。
 もし、この男の難攻不落の究極の体術を封じるすべがあるとするならそこなのではないか? とカカシは朧気に考える。
(…………)
 無言のまま、公園の中へと駆け出した。



 一定の間隔を開けたまま、併走するようにしてガイが音もなくついてくる。公園は郊外にあるうえ、正月の夜という事もあり、周囲に人影は無い。
 一昨日の雪は殆ど溶けることなく、隠れ里にしては珍しくカカシ達の膝下くらいまで降り積もっているが、どんなに深い雪の上を走ろうとも、二人の足が埋まる様子はない。
 程なくして公園の中心の、最も開けた場所に出た。
 だがようやく立ち止まったカカシが、今まさに印を切ろうとした時、ガイが絶妙のタイミングで声をかけてくる。
「そうだ。オイ、カカシ! お前、腹の怪我はもういいのか?」
「ッ? ――…あぁ」
「なら結構ッ! 怪我人とやって勝っても意味は無いからなッ!」
 男の唇の間から、真っ白な歯がこぼれる。
(ガイ…お前は本当に、オレの戦意を削ぐ才能にかけては色んな意味で天才だ〜よ)
 カカシは内側で溜息を吐きつつ苦笑した。


 先に仕掛けてきたのはガイだった。
 美しい軌道を描く、二段回し蹴りの連続。破壊力のより大きい下段をかわしても、すぐに目の前に上段が。そしてそれを下がりながら辛うじてかわしても、またすぐに低い唸りを上げて下段が飛んでくる。
 男の首に巻かれたロングマフラーが、月明かりを受けてまるで白い竜のように流れ、うねりながら舞っている。
(…っ)
 カカシは次第にその桁違いのスピードに追いつけなくなり、ついに途中から額当てを上げてしまった。
 写輪眼は体術すらも見切り、コピーすることが可能だ。
 しかし、コピーした体術を有効活用するためには、仕掛けてきている術者と同水準の筋力やスタミナ、動体視力等、様々な身体能力が必要になる。
 今、ガイの体術をコピーして返したとしても、カカシの身体レベルでは封じられて、逆に返された場合は最悪怪我をする可能性もないとは言えない。
 カカシはガイの体術をギリギリで見切って避ける事だけに写輪眼を使い、攻撃は一切しない手段を選んだ。
 ただそうなると、どんどん後ろに後退させられるばかりで、ガイに近付くことが出来ない。ましてやこの状況で、男の後ろを獲るなど不可能だ。
 やはり体術では、この男に太刀打ち出来ない。

「どうした。左目、ちゃんと使ってるか?」
 ガイはカカシを広場の隅まで追い詰めると、息一つ乱さずに立ち止まって言った。
 何の構えもしていないが、いつでも何処からでもかかってこいと言わんばかりの姿勢のいい立ち姿は、自信に満ち溢れている。
「お前また…一段と速くなったな…」
 カカシが少し乱れた息の下で言うと。
「おっ、わかるか? まぁあの中忍先生にあんな凄いもの見せられたら、そりゃあ、な☆」
 カカシの足元から目を離さないまま、ガイがニヤリと笑った。
 この男、言うことは的外れな事ばかりだが、裏ではやるべき事はちゃんとやっている。
(さしずめ、『迷言実行』と言った感じか)
 カカシは口布の下で微苦笑した。
「なにを、笑っている?」
「いや、何でもない」
「なら行くぞ!」
 ガイがすっと構えた。
「――ふっ、だめでしょ、もっと気合い入れて来なきゃ。二ヶ月やって、たったそれっぽっち? 話になんないね」
「なっ、何だとォ?!」
 男の激眉がぴくん、と片側だけ跳ね上がった。
 それとほぼ同時に、ガイの猛烈な突きと蹴りの連続技が再び繰り出され始めると、それはさっきより更に破壊力とスピードを増している。
 二人は激しい攻防を繰り返しながら広場を過ぎ、ついには園内の鬱蒼とした木立の中へと入っていく。
 カカシがギリギリでかわして後ずさる度に、ガイの繰り出す技の風圧が周囲の雪を蹴散らし、巻き上げ、渦巻かせる。
 目が慣れてきたのか、カカシも次第に避けるのが上手くなってきた。時折、手の平を上にして人差し指をちょいちょいと動かし、挑発するかのようにガイを招く。
「フッ…そうこなくちゃなッ!」
 ガイはそれをやられる度に真っ白い歯を見せて、一段とキレのある攻撃を仕掛けていった。












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