(――マズイな…)
 上忍の不安は的中していた。
 屋根裏から侵入したイルカの家には誰もおらず、もうだいぶ前から人の気配が無かったことを示すように、キンと冷えて暗く静まりかえっている。いつも夜はきちんと閉めているはずの寝室の雨戸も開きっぱなしだし、敷かれた布団も乱れたままだ。
(ちょっ…なにこれ?! まさか寝込みを襲われたんじゃ…?)
 伝鳥の文など、やろうと思えば幾らでも細工は出来るだろう。嫌な予測ばかりが次々と頭の中を過ぎり、良い方向になど思い浮かべようにも出てこない。
 カカシは指先をクナイで傷付けると足元に勢いよく手をつき、一匹の小さな犬を呼び出した。
「パックン、大至急ここんちの家主を探して欲しいんだけど」
 腰から体を折って、屈むようにして話しかけると、クンとひと嗅ぎした犬が見上げてきた。
「うむ…? こやつの匂いは最近お主からよく匂っておるが、何かあったのか?」
「そりゃまぁ……同僚だからね。でも具合が悪いっていう書き置き残して居なくなっちゃった。ね、いいから早くして」
「同胞ならば里内にはおるんじゃろ? だったらそんなに慌てることもなかろうに」
「ダメダメ、色々と事情大アリだから。ね、お願い!」
 手刀を顔の前に持ってきて拝む。
「ほほ〜? 事情というのはもしかして主の……コレか?」
 この年老いた口寄せ犬は、いつの間にあるか無きかの小指を立てることなど覚えたのだろう。いや、実際には小さな前足はいつも通りの丸っこい形でしかなく、こちらが立てているんだろうなと気を利かせているだけなのだけれど。
「――そっ……そう、だけど〜?」
「ならば致し方ないのう」
 なりは小さいが態度は大きい垂れ目の犬は、カカシが侵入する際に残した匂いを辿って屋根裏から外に出ると、人気もまばらな夜の街をどこかに向かって走り出した。
(もう少しの辛抱ですよ、イルカ先生! あなたの希望が今向かってますからね…!)
 カカシもそれに続いた。




「パックン、ちょっと待って!」
「なんじゃ!」
 契約者に呼び止められた小さな犬が立ち止まって振り返ると、主人が二人の男に向かって大股で歩み寄っている所だった。
「げッ、カカシさん?! おい気を付けろコテツ!」
「ひィっ…いやあのっ、俺たち確かに支給服原理主義派には鉄槌を下して解体させましたけど、別に風紀委員本人に異論を唱えている訳じゃ…あわわ…!」
 二人の中忍はすっかりうろたえて、じりじりと後ろに後ずさりだすが、そのグレーのスタンドカラー制服の襟元には「共闘」だの「粉砕」だのといった刺繍が施されたワッペンがベタベタと貼られている。
「ね、イルカ先生知らない?」
「やっ…だからその、イルカはオレの思想とはゼンゼン関係なくて、むしろコテツとかはいい迷惑だとか言ってた気が…」
「いッ?! イズモッ、てめぇ裏切る気かっ?!」
「許せコテツ! 骨は残ってたら拾ってやる!」
「あのねぇ! 居場所を知ってるかと、聞いてるんだけど?」


 両手で後ろを押さえながら、首をぶるぶると横に振り続ける二人の男を残して、カカシは今しがたロスした時間を取り戻すべく、再びパックンの後ろを走り出した。
「カカシよ、その者は、一度この薬屋に寄っておるぞ」
 やがて店内に薬研を使う音が響く店の前で、前を行く犬が立ち止まる。
(具合が悪いってのは、本当だったのか…)
 ならば尚更事態は急を要する。「急いで」と声を掛けた。


(具合の良くないあの人を、無理にでも連れ出すような者と言えば…)
 すっかり陽が落ちて暗くなった夜道を走りながら、心当たりを挙げる。
 幾らルール無用の真剣なゲームとはいえ、具合が悪く床に伏せっている同胞をどうにかしようなどという見境のない「参加者」はいないはずだ。それともそんな当たり前の配慮さえ出来なくなるほど、木ノ葉の忍達は地に落ちたのだろうか?
(――いや、違うな…)
 胸の奥でひとつ、頭を振る。
(上層部か、或いは暗部しかないだろうが…)
 特に暗部でも火影の息のかかりにくい、最深部に位置する「根」という組織は、注意すべき厄介なところなのだ。あそこの部隊長は昔から筋金入りの武闘派で、時に正論が全く通用しない。
 だがその真偽を確かめに、いきなり火影や部隊長の所に行くのは憚られた。違っていた場合のリスクが余りに大きすぎる。行くならまずは暗部の元部下からだろう。幸い今でも繋がりのつく者がまだ何人か所属している。一番話が分かって、尚かつ口が堅そうなのはあの男だろうか…と、初代の遺伝子を受け継いだ木遁使いの顔を思い浮かべる、が。

「ここじゃな」
 思いもよらない手前で口寄せ犬がいきなり立ち止まって、カカシは思わずとっとっと…とたたらを踏んで立ち止まった。
「え…? なに、ここって……ここーっ?!」
 見上げた建物は、時折野菜を持っていくのを口実に様子を見に行く事もある、他でもない我が弟子、うずまきナルトの住まう集合住宅そのものではないか。
「ね、ホントに…ここ?」
 うっかり聞き直してしまうと、への字だった使役犬の口がますます急角度に曲がっていく。
「やっ…、別に疑ってる訳じゃないんだけどね〜?」
 アハーと笑って誤魔化しながら、階段を上っていく。
 しかし、入り口のドアを見た瞬間、上忍はその場に突っ立ったまま右目をぱちくりさせた。
 ナルトの住まいのはずのドアには、板でバツの字に板が打ち付けられ、窓にも板バッテンに加え、内側から大型の家具があてがわれて、まるで台風前のような強固なバリケードが築かれている。更に周囲の壁一面には、一目で子供が描いたと分かる極彩色の落書きに混じって「イルカ先生をいじめるな!!」とか「イルカ先生かいほうぐん」などという拙い文字が、ペンキでもってデカデカと書かれている。
 そして、その扉の前では。
「きたきたきたァ〜!! 例えカカシ先生だって、イルカ先生はぜってぇ渡さねぇってばよッ!」
「ナッ、ナルト兄ちゃん! あれはもしや上忍ではないかコレ?!」
「うわぁん、こわいよ〜」
「わぁー、ワンちゃんカワイイ〜!」
「ビビるな! 木ノ葉丸、ウドン! モエギも気を抜くなよッ!」
 ナルトが張りのある声を掛けると、頭に洗面器やら座布団やらを被った子供達は、慌てて小さな手を組んで寅の印を結びだす。

(――はーー…、困ったねぇどうも…)
 例え相手がどれほどの猛者連中だったとしても、必ずやイルカ先生を取り戻してみせる、と固く心に誓っていたカカシだったが。
「拙者をワンちゃんなどと気安く呼ぶでない、小童ども!」
 小さな活動家達に向かって愛犬が一声吠えると、ただでさえ猫背気味の上忍の背中は、より一層丸まっていった。

「おっ、オトナのくせに、こどもをいじめるとはひきょうだぞコレ!」
 カカシがポケットに両手を入れたまま何気なく一歩を踏み出すと、ナルトの周りにいた三人の子供が、ヒッと息を呑んで一斉に後ずさった。
「バカ、ちがうだろ! ちゃんと練習したことを思い出せってばよ! 『これ以上オレ達のイルカ先生にムリな任務をおしつけるな』だろ!」
 ナルトが寅の印を構えた低い姿勢のまま、木ノ葉丸に囁いている。
(ふうん…そゆこと? ――んじゃま、少しだけ付き合ってやりますか〜…)
 カカシが目にも留まらぬ速さで印を切ると、足下から白煙が上がり、その背高い姿が掻き消える。
「…は? お前、誰だってばよ?」
 だが、白煙が消え去った後に現れたのは、まだ手足の短いほんの小さな一人の男の子だった。背丈は木ノ葉丸よりまだ小さいくらいだ。
「ぼくか? はたけカカシ。五さいだ」
 問われた少年は、まだどことなく舌足らずな声ながら、しっかりと答えた。左目に傷はないものの、言われてみれば確かにその髪は艶やかな銀色で、鼻から下を口布で覆うスタイルも同じだ。よくよく見れば、垂れ気味の眠そうな目元に面影がないこともない。
「えっ、マジ?! ギャハハハ! マジでカカシ先生のちっこい頃なのかぁ?!」
「…あぁ、まあね」
 少年はちょっと照れ臭そうに、頭の後ろをぽりぽり掻きながら、俯き加減に答えている。
「きゃあカカシくん、かわいいー!」
「でも、ぼくをあんまりあまくみないほうがいいよ。こう見えても、もうすぐ中にんしけんうけるんだから」
 そう言って、皮手袋をはめていない小さな両の手の平を合わせると、きゅっと小さな寅の印を結んだ。
「とりあえずナルト、りーだーのおまえの後ろをとったら、へやに入らせてもらうからね」
「ヘッ、五才のカカシ先生なんて、オレよりゼンゼンちっちぇえじゃんか、楽勝だってばよ!」
 ナルトも悪戯小僧の本領発揮とばかりに、不敵な笑みを浮かべてぐっと寅の印を構えた。流石に師匠直伝だけあって、その姿勢はなかなか様になっている。
「ナルト兄ちゃん!ちんちくりんでもゆだんはきんもつだぞコレ!」
「うわ〜、これってしてい対決っていうのかなぁ〜」
「キャー、カカシくん、がんばってえーー!」



 しかし数十秒後、勝負はいともあっさりと付いた。
「――だからぼくをあまく見ちゃダメだって、いったでしょ?」
「ヒィィ〜いでででで〜〜、くっそォー何でだよー、チクショーー!!」
 金髪少年が尻を押さえてうずくまった情けない格好で、悔しそうに呻いている。
「せんねんごろしはね、同じくらいのすばやさなら、あいてより小さくなった方がだんぜんねらいやすいし、どうじにねらわれにくいのさっ!」
 短い手足をしっかと伸ばして立った少年が、ぐんと小さな胸を張った。
「きゃーきゃー、カカシくん、すてき〜〜!」
 少女の黄色い声と、ぱちぱちという拍手がフロアに響いた。












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