(――ええっと…第二旅客ターミナルで、良かったんだよな…?)
 待って待って、会社のみんなから「ホントに大丈夫なのかぁ?」と散々冷やかされながら待ちくたびれるくらい待って、ようやく訪れた出発の当日早朝。
 大きなリュックを担いでモノレールを終点で降りるなり、急に心細くなってきて、俺は辺りをキョロキョロと見回した。だって飛行機に乗るのなんて、自慢じゃないけどこれが初めてだ。予めこの一ヶ月半の間にネットで散々予習はしたけれど、やっぱりPC画面と実際とじゃまるっきり雰囲気が違ってて、期待よりもまず不安が先に立つ。
(んーと、チェックインが3階で、出発が2階で、到着が1階で…)と繰り返し復習している時、三階のエレベーターのドアが開いて、思わずわあっと声を上げそうになった。
(おーー! カッコイなぁーー!)
 目の前一杯に広がった、総ガラス張りの巨大な半ドーム状の建物に暫し圧倒される。そのガラスの向こうには何機もの飛行機が駐機していて、今まさに空に向けて轟音と共に飛び立っていくものもある。館内を軽やかに流れ続けるアナウンスや、めいめいの荷物を手にひっきりなしに行き交う人々のざわめき、腹に響く飛行機の離着陸音。
 TVや映画で見慣れてるはずなのに、実際にその場に立ってみると一種独特の雰囲気があって、飛行場っていうのは旅立ちの前の何とも言えないワクワク感を嫌が上にも盛り上げてくれる面白い所だなと感動する。
(うーん、やっぱ思い切って行くって決めて良かったかもな!)
 肩に食い込む重い荷物も何のその。そこから更に一時間、あちこちの施設を時間一杯まで見聞した後、おっかなびっくりながらも俺はようやく機上の人になった。



「…さま……お客様?」
「――ふがっ…!?」
 誰かに優しく呼ばれた気がして、返事をした…つもりが飛び起きていた。
 こちらを覗き込んでいる、とってもきれいなお姉さんと間近でぱちりと目が合う。
「あ、ハ、ハイっ」
 何気なさを装いながら、慌てて口元のチェック。大丈夫だ、垂れてない。
「着陸の準備に入っておりますので、テーブルを元の位置にお戻し頂けますか?」
 にっこりと微笑まれてハッと窓の外を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
(ッ?! 青い! 真っ青! 何だこの青さは!? 本当にとんでもなく南に来ちゃってるぞ!?)
 その青さは、所々にぽっかりと浮かぶ白い雲との対比もあってか、本当に目の醒めるような鮮やかさだった。飛び立った時に眼下に見えた、あのドドメ色の海がこの海と繋がっているだなんて、とても信じられない。すごい、すごいぞ! 何もかもがこんなに澄み渡ってキラキラと輝いている所が、この小さな国にもまだあったなんて!
「――お客様…?」
「あぁすいません、今やります!」
 テーブルの上にあった教材を慌ててバサバサと片づけ、テーブルをしまった。スチュ…いやキャビンアテンダントさんが居なくなってから腕時計を見ると、既に離陸してから三時間近くが経過している。
(そうか、夕べは殆ど寝てなかったからな)
 今朝は大慌てで用意をして四時に床に入ったものの、五時には起きて最寄り駅に向かっていた。今週も先週も休日出勤の打診を承諾していて、荷造りはおろかさほど難しくないはずの事前学習までも期限ギリギリに終了する有様で、ここ数日間はまともに寝てない。
 ちなみにこの事前学習というのは、割と最近になって始まった新しいダイビングの講習スタイルらしい。学科講習を予めネットにアクセスすることで受講し、段階ごとにテストを受けながら、全3章、計50問をクリアすることで終了する、いわゆる自宅学習システムだ。
「――ウチとしちゃ、んなネット学習なんてもんには頼りたくないけど、夏場はどうしても人手も時間も限られるからね。まぁその方が一日早く取れるし、安く上がるってんで評判はいいよ。でもこっちに来てアタシの出す質問に答えられなかったら、容赦なくビシビシしごくからそのつもりでいるように!」
 テマリさんは電話の向こうで、このシステムの導入理由や心構えをそんな風に強烈に擦り込んでくれていた。
 だから片づけたばかりのファイルを、今一度そっと開く。そこには昨夜自主的にネットからDLした「ダイビング用語集」や「ポイント解説」などがきっちりとまとめられてプリントアウトされている。
 恐らく島ではどんなに学習サイトにアクセスしたくても無理だろう。携帯だって使えるかどうか怪しい気がする。かくなる上は紙媒体。もはやこれしかない。
(とりあえず、現地に着くまでは勉強してようっと…)
 金づちの上、島で三日目に行われるらしい学科テストに落ちでもしたらそれこそ目も当てられない。ネット上で行ったテストは別段難しくなくて、それこそ原付免許よりも簡単だなと思ったけれど、島で(しかもあのお姉さんから)出されるという問題がどれほど難解なのか、まるで見当が付かない。万が一そこで落ちた日には…。
(だははー…それだけは回避しないとなー…)
 幸いなことに、目の奥にまで染みるようなコバルトブルーのお陰で、頭の方は急速にすっきりとしてきている。
 俺は飛行機が本島にタッチダウンしてガクンという結構な衝撃が機体を揺るがすまでの間、それこそ窓の外の景色を見ることすら忘れて「虎の巻」に目を通し続けた。



 でも大規模に改修されたばかりと思しき空港の素晴らしさに圧倒されながら、離島便へと乗り換えるための手続きにカウンタへと向かったところで、俺の「自主学習」は呆気なく終わってしまっていた。
 実は俺が何気なく電話をかけていたあのダイビングショップは、実は本島ではなく、本島から更に数十キロ離れたところにけし粒のように点在している、周囲10キロほどのほんの小さな島々の中にあったのだ。最初気付いたときはびっくりしたけど、そんな冒険ちっくな偶然ならもちろん大歓迎で、俺は嬉々として乗り継ぎの飛行機の予約をネットからしておいたのだけれど。

「――は? タイジュウ? タイジュウって……体重、ですか?」
 カウンタで手続きを済ませて、最後に係員が言った言葉に耳を疑った。何で飛行機に乗るために、体重を量る必要があるんだろう?
「はい、左右のバランスを取る必要がありますので。どうぞ、そちらにお乗り下さい」
 示された先には、確かに大きな秤が置いてある。
(バランス?)
 俺は生まれて初めてデッキシューズを履いたまま、ジーパンとTシャツも全部着たままという格好で、まるで狐につままれたような気持ちで空港の体重計に乗った。
 でも脇で見ていると、他の人達も次々に荷物を預けては体重計に乗っている。
(何だか変な儀式みたいだな。あっははは、おっかしー!)
 でも呑気に笑っていられたのはそこまでだったのだ。




「うわっ、あっつー!」
 乗り継ぎの飛行機に乗るために、係員に誘導されながらタラップを降りたのだが、初めて屋外に出てみてそのもの凄い直射日光の鋭さ加減に驚いた。それこそ真っ白な強光線が「ガン!」と勢いよくブチ当たってくる感じで、頭の中で音が聞こえそうなくらいだ。加えてもの凄い熱風と湿気が、一気に全身を包み込む。
(たはーー、キョーレツ〜)
 予想はしていたけれど、まさかこれほどとは。少し当たっていただけで、もう肌がチリチリして汗が吹きだしてくる。
(こりゃ島に着いたら速攻日焼け止め塗らないと、大変なことになりそ〜)
 いつもは髪を括っていることもあって帽子なんて被らないのだけれど、流石に今回は必要だろうと思って買った新品のキャップのつばを前方に回してきて被り直す。
(で、肝心の飛行機はっと…?)
 きょろきょろと辺りを見回した。速そうなあれだろうか? それとも向こうの黄色いキャラクターが描かれた派手なやつかな? うんあれいいなぁ、あれカワイイから乗りたいなー!
 滑走路中にジェット音が響き渡る中、嫌が上にも期待が膨らんでくる。
 が。
「――え?え?……なに、これ? ホントに、これに…乗るの…?」

 係員さんがどうぞとドアを開けたことで、初めてそうなのだと気付いたそれ。
(…これって、もしかして……セスナってやつじゃ…?)
 しかもものすごく小さい。まるで車。てか、翼を除いたら5人乗りのバンタイプの乗用車といい勝負。天井は今にも頭を擦りそうだし、隣に乗り合わせた人とは腕がぶつかってしまうし、前に乗った人には息がかかりそうなほどの狭さ。
(う、うそだぁ〜〜?!)
 そこに、一体何人乗るって?
 慌てて周囲を見渡す。俺の他には、航空会社のロゴの入ったブルゾンを着てサングラスをかけた、如何にも操縦士らしき人が1人。そしてリゾートに行くラフな格好をした女の子が3人。地元の人らしき男女が2人。あとスゲー長身でプロレス選手か熊かっていう巨体の、顔面髭面のお兄さんまでいるんですけど!?
(はっ…8人……これでも、飛べるんだよね…?)
 しかもセスナのお尻の部分を開いて、乗客の荷物を大量に運び込んでいる。その中には自分の肩に食い込んでいたリュックもある。あれもこれもと調子に乗って色んなものを持ってきてしまったけど、置いてくれば良かったと半ば真剣に思う。
(ホントのホントに目的地の島までちゃんと飛べるんだよね?)
(途中で力尽きたりしないよな?!)
(俺まだ泳げないのに〜!)
 自分が金づちであることを、こんなに悔やんだことはないし、まさか島に行く遥か手前で悔やむことになるとも思わなかった。
 係員に座席位置を指定されて、サウナみたいに蒸し暑い機内の三列目に乗り込む。窓から外を見ると、すぐ目の前に扇風機より気持ち大きい程度のプロペラが、プルプルと心細げに回りだすのが見える。
「――――…」
 耳元で心臓がバクバクいっている。
 そう言えば、さっき荷物を乗せている際に、後方ハッチに何か貼り付いているなぁと思ってよくよく見てみたら、『天照皇大神宮ナンタラカンタラ』という大型のお札だった。
(……見なきゃ良かった…)

 しかも隣に座ったのは、あの巨体の髭のお兄さんだった。体重まで測ってたのに、これで本当にバランスが取れてるんだろうか? 疑問は募る一方だ。
 今にも触れ合いそうなすぐ側に、アロハシャツから伸びたぶっとい腕が突き出してきていて、そこには髭から胸を経てそのまま繋がってきてると思しき剛毛が、一面に生え揃っている。膝丈のパンツからも大きな膝頭がにょっきりと出ていて、そこにはまた、腕から繋がってきていると思しき見事な100%ウールが……。
(せっ…狭い……そして、暑い……)
 けれどこっそりチラ見た髭さんは、体こそ窮屈そうではあるものの、自宅でTVでも見てるみたいなくつろいだ顔をして窓の外を見ている。多分体と同じで心もどっしりと大きいんだろう。俺の顔なんて、どんなに平静を装っててもガチガチに強張ってそうだ。

「この度はご搭乗ありがとうございます」と七人の乗客に向かって振り返るパイロットさんの挨拶は、もちろん肉声だ。
「エアコンがありませんので宜しかったらどうぞ」と、布製のクーラーバックを後ろに回してくる。
(あ、おしぼり。気が利くなぁ)
 キンとよく冷えたそれを取り出すや、みんな慣れた様子で早速顔や首を拭きだしている。俺も(郷に入れば郷に従えっと…)とそれに倣う。場所が場所なだけに妙な気分だけど、確かにすごく気持ちいい。そして一人に一枚ずつ手渡されたうちわで、全員がパタパタとあおぐ、あおぐ、あおぐ。その光景はなんだかちょっと笑えて、思わず和んでしまう。
「あ、一番後ろのお客様、なるべく真ん中辺りに座ってて下さいね?」
 でもなにげに凄い指示も飛んでいたりする。これがギャグでなかったら一体なんなんだろう? 俺は隣の髭の兄さんに気付かれないよう、機体のドアに付いた手摺りをそっと握り締めた。






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