今しがた耳にしたことを、もう一度落ち着いて考えようとするのに、左胸の激しい鼓動がそれを邪魔する。もはやそれが夢のせいなのか、現実のせいなのかわからなくなってきているけれど。
「こないだから、ずっとつれなくしててすみませんでした。そんなことするつもりなかったのに、何だかこう…いつの間にか保護者目線になってたっていうか…色々考え過ぎちゃってて」
「は…?」
 視界も話のピントもぼやけたままでもう何が何やらだが、それでも手だけは離さない。オレもその辺ちゃっかりしている。
「でもあの後何度も考えて。俺いまだにろくにカカシさんの役に立ててないし、お金もなんにも持ってないのに…なのにこんなすっからかんな奴でも、大切に思って貰えてるんだって思ったら、俺ってとてつもなく幸せだなって。そこから目を逸らそうとしてたなんて、なんてバチ当たりで失礼なことをしてたんだろうって気が付いて。…えっとその……もしまだ大丈夫なようでしたら、宜しくお願いします!」
(なっ…?!)
 なんだってーー?!
「あのっ、オレっ、そのっ、ちょと、待って!」
(ぇなに?! それってOKってこと?! 嘘でしょ?!)
 大慌てで枕の下をまさぐるものの、うなされている間に動かしてしまったのか、あるはずの眼鏡ケースの手応えがない。ますます焦る。でも左手だけは離さない。これを離したら、次いつ繋げるかわからない。オレは目も意地も悪いんだ、離すもんか。
 暫くして「――はい、眼鏡どうぞ」という声がしたかと思うと、天から視界が降りてきた。誰かに眼鏡を拾って貰って掛けて貰うなんて格好悪いけど、内側でホッと胸をなで下ろす。そういえば、探していた眼鏡をイルカに拾って貰ったのはこれで二度目だ。
 起き上がって「もっとよく顔を見せて」というと、はにかんだ笑顔が近づいてきて、押し入れに腰掛けたままぎゅっと抱き締める。よかった、これは夢じゃない。
 少しおいて、イルカが同じ強さで抱き締め返してくれた時には、思わず腹の底から大きな溜息が出た。長年オレに取り憑いていた、クソったれな悪夢よ万歳。こんないい思いが出来るなら、これからも何回だって見てやろうじゃないの。
 多分もうきっと、見そうにない気もするけど。

 それからオレは押し入れに座ったまま、イルカと随分長いことキスをした。
「っ、カカシ、さ…」
「ぅんー…?」
 唇と舌だけではとても満足できず、首筋や耳、髪の生え際や喉仏にまでくまなく唇を這わせている最中、消え入りそうな男の声が聞こえてきて、間延びした返事を返す。
「あの…、その…っ、――めっ…めがね、が…」
「? 眼鏡?」
 またイルカが何か変なことを言い出したぞと、勝手にどんどん高まっていくものを押さえ込みながら、喘ぎ声の合間に漏れてくる声に耳を傾ける。
「めがねが、あちこち…当たって…っ、そんなにしてたら、また…壊れます、よ…」
(あぁ…?)
 「また」がいつにかかっているのかがわからないが、それは遠回しに「眼鏡が当たって不快」ということだろうか。
「ごめんね、でもこれ外したら、イルカのこと見えない」
 手探りでエッチが出来るほど、経験も自信もない。それに今から部屋のどこかにあると思しき非常用のコンタクトを探して入れるなんて、そんな厳しい「待て」、とても出来そうにない。
「この眼鏡、頑丈だから。これくらいじゃ壊れないから、大丈夫」
 その後、少し落ち着いてきたイルカと協力しながら、ゆっくり交互に服を脱がせあった。オレが一枚トレーナーを脱がせたら、イルカも一枚。だんだん残りが少なくなってきて彼が躊躇するようになっても、オレが「ねぇ寒いよ、早くあったかくなろうよ」というと、胸元まで真っ赤になりながら最後の一枚まで脱がせてくれた。
 全部脱いで何も隠すものがなくなっても、イルカはいつものマイペースイルカだった。素っ裸になったオレを見て眼を細めながら、「そうか…いつの間にこんなに大きくなって…」とやたらと感慨深げにおかしなことを呟いていて、思わず吹き出してしまった。
「そりゃなるよ、こんなことしてれば当然でしょ〜」
「え? は? んん?」
 もうイルカのきょとんとなる表情の一つ一つが可笑しくて楽しくて仕方ない。まるで箸を転がした女の子みたいにけらけら笑いながら、押し入れの下の布団で猫のようにじゃれあう。
 彼のものは緊張からかまだ殆ど大きくなっていなかったが、怖がらせたくなかったから、もし嫌だと言ったらすぐやめようと心に誓う。こないだみたいに無理強いして嫌われたくない。この数日間は、トラウマになりそうなくらい堪えた。
「ぁ、お腹鳴った」
 横になって向き合い、手の平から肘に向かってキスしていると、下の方から元気な音が響いてきて、また可笑しくなってくる。
「へへ…いつもあと一時間くらいで朝飯なんで、腹減ってます」
 すかさず「じゃあオレのでお腹一杯にしてあげるね」というと、「あぁーそれ、エッチなあの本の受け売りだー」と、しっかり出所を指摘されてしまった。オレは今から、一度くらいいいところをイルカに見せて終われるだろうか。甚だ自信がない。
「あの本、イルカも読んだんだ?」
 彼があれを読むなんて意外だ。そういうのとは一番縁遠いと思っていたのに。
「ええまぁ…カカシさんが読んだものなら、大抵覚えてます」
(? はぁ? 何それ)
 鼻の傷を掻きながら、ちょっと恥ずかしそうに答えているが意味がわからない。その摩訶不思議な言語能力で、よくT大に受かったなとむしろ感心する。
「前から気になってたんだけどさ。イルカって、なんでいつもオレ基準なわけ?」
「えっ?! ゃっ…?! えっと…?、…ハハ、なんでなんでですかね〜?」
(ゃ、オレに聞いたって知るわけないでしょ)
 で結局、返事を聞けぬままうやむやだ。エッチのどさくさに紛れて質問なんてしてみたところで、こっちも手一杯。上手くいくはずがない。
「ねぇイルカ、信じて。オレイルカが初めてで、上手く出来るか自信ないけど、でも一生懸命するから」
「初めてって…? ええはい、そういうことなら知ってます」
 随分と自信ありげに頷かれてしまった。うわーオレってそんな童貞っぽいかな。今また自信なくしたかも。

 蚊に刺された所を掻くことさえ、新鮮な刺激になる男だ。少しずつ段階を踏んでいかないと、焦って拒否されたらそれきりになってしまう。上半身は耳の中から脇の下まで全て触りつくして、最後に残った胸の小さな突起を指先でほんの軽くいじりだす。
「ぁっ…の、カカシさ…」
「ぁここ? これ気持ちいいんだ?」
 と、それまではきゃっきゃとくすぐったそうに笑ったり、ぽうっとした表情でオレの方を見つめていた男が、すぐに体を捩ってもじもじしだした。でも嫌がっているというわけでもなさそうで、首筋にキスしながら胸先で一頻り遊ぶ。
「あぁ逃げないで。ここ触ると変な気分になるの? そうなんだ。それって気持ちいいってことだよ。ここでオレと気持ち良くなれてるってことだよ。ね、そうでしょ?」
 イルカとしたい。彼を誰よりも愛おしく思う強い気持ちが、勝手に自分を動かしている。優しいけれど、激しい気持ち。
「ねぇイルカ、オレのも触って…そう握って、動かして…もっと、もっと早くしていいよ……っ、ふ…気持ちいい、よ…」
 イルカはまるで生まれて初めてそうするみたいなぎこちなさで、オレのものを扱いてくれている。高く括っていた髪を解いてあげたとき、なくさないよう手首にかけておいたゴムが、上下に揺れている。
「ぇ…すごく、熱い…」
「ん…っ、そうね…」
 こんなにいいガタイをしてるのに、一人でしたことないんだろうか? まさかね?
「は…っ?!」
 と、イルカの表情が急に困ったような、切ないような、何とも言えないものになりだした。見ると彼のものも次第に質量を増してきている。良かった、イルカのことを気持ち良くしてあげられなかったら、誘った意味がない。
 胸から離した手を、こちらに向きはじめたイルカのものにそっと宛がうと、さっと体が固くなるのがわかった。
「大丈夫、恐くないよ。オレ達ってそういう体なんだから。ね? 一緒に気持ち良くなろう?」
「イルカが気持ち良くなってくれないと、オレが気持ち悪いまま終わっちゃうよ」まで言ったところで、ようやく内側で何かしらの決心がついたようだった。うんうんと、自分に言い聞かせるみたいに繰り返し頷いている。

「ふあっ?! あああーーっ?!」
「しっ、イルカ、声大きいっ」
 イルカのものを握り、扱きだした途端、こちらがびっくりするような声が飛び出してきて、思わず小声で制止する。安普請を絵に描いたようなこの木造家屋で、そこまで遠慮の無い声を響かせても平気なほど、オレの心臓はまだ強くない。
「ぁ…ぁ…っ…あっ…ぅぁっ、…あぁ…カカシ…さ…ぁぁ…っ…」
 イルカは今にもくしゃくしゃになって泣きだしてしまいそうな顔をして、懸命に声を堪えている。隣の住人は先月遅い就職が決まって出ていったが、階下はまだ住んでいる。幾ら寝入っているはずの早朝とはいえ、これ以上騒げないことはイルカもよく知っているはずだ。
 ただ…彼は怒るかもしれないから黙っておくが…その必死で堪えている姿が、何ともそそられるのだけれど。
「気持ちいい?」
「っ、…なん、か…おかしくっ、なりそう…で…はぅっ…うっ…」
「じゃあ、オレのもおかしくして?」
 すっかり止まってしまっていた右手の動きを促すと、はっと我に返った様子で慌てて再開している。手指は相変わらずぎこちないけれど、快感に押し流されそうになりながらも何とかしてオレのそれを真似ようとしてくれている姿は、独りでしているのとはまた違った気持ち良さがある。
「は…っ、…そ…う、すごく…上手いよ…っ、気持ち、いい…」
「ぇっ…なんか、出て…っ…?」
「そ…、気持ちいいと出てくるの。…イルカのも…ほら、ね…?」
 透明な先走りに濡れた右手を、見える所まで持ってくる。
「ぁ…」
 牡に生まれついて、今までそんなことすら知らなかったというのが信じられないが、もしかして厳格な僧侶の家系出身とか?
(でも、お互い初めてなら…よかった…)
 男に生まれた悦びを、これから一緒に、いっぱい味わおう。





        TOP   裏書庫   <<   >>