「イルカ」
 名前を呼ぶと、薄い布団に顔を押し付けて喘いでいる男が、潤んだ瞳をこちらに向ける。
「自分の口、しっかり手で塞いでて……そう、しっかりね」
 透明な液体で濡れそぼった右手を離し、下半身の方に下りていって、今しがた自分がはち切れんばかりに大きくしていたものと対峙する。
(ふむ)
 健康診断に不安を抱くような要素は、どこにも見当たらない。これまで性欲を欠片も感じてこなかったなどとは到底思えない、十分立派に育った、とてもきれいな大人の牡の体だ。
(んーそうか…でもそれって裏をかえせば、体の隅から隅まで全てオレが開拓できるってこと?)
 それはそれで、心躍るものがある。
(イルカに、『カカシさんでよかった』って思って貰わなくちゃね)
 はりきってイルカのものを口一杯に銜えると、大きな体が魚のように飛び跳ねた。
「なっ?! はっ…かっ、カカシさ…やめて、そこっ、汚い…からっ」
「汚くない。すごくきれいだよ」
 イルカが半身を起こして押しのけてこようとするのを素早く避けて、また銜える。押し入れの一階は一八〇男には狭いはずなのに、こういう時のイルカは案外素早い。それでも口をすぼめて強く上下に動き始めると、聞き分けのなかった男はあっという間に布団に戻って、出そうになる声を塞ぐのに精一杯になっている。よろしい。暫くそうやって感じてなさい。

 この様子だと、「イキそう」という感覚は、幾ら口で説明してもわからないだろう。まずは一度イッて貰うところからか…と巡らしていたところ、まさに「その時」が来ていた。
「…ハっ? えっ、なにっ?! はうんっ、あぁ…カカ…、ぁっ、あっ、ああっ…?!」
「イルカ、声押さえて」
 丹念にしゃぶっていたものから口を離して、出来るだけ小さな声で、でも何やら軽くパニックになっているらしい男に確実に届くよう声をかける。と、布団を握り締めようと彷徨っていた両手が弾かれたように口元に戻っていく。そうそう頼むよ、今は隣人に怒鳴り込まれた際にお見せするような状況じゃないんだからね?
 イルカは達する瞬間、ひょっとしてご近所中に響き渡るような大きな声を出すんじゃないかと心配していたが、心配には及ばなかった。
「……ッ!!……!!」
 声を出そうにも出せないらしく、くの字に折り曲げた体をびくん、びくんと何度も芯から波打たせていただけだった。その辺は自分と何ら変わらないことに悦びとも感慨ともつかないものを抱きながら、口一杯に受け止めたものを呑み込む。
「ふふ、一杯出たよ。そんなに気持ち良かった?」
 口端から溢れてしまったものを甲で拭いながら覗き込むと、イルカの熱い吐息でレンズが繰り返し曇る。
「…はあっ…ふうっ…、なんかっ、奥のほうから、ぐわわわあってきてっ…もうっ、ほんとに…っ、このままっ…死んじゃうかと…おも、た…っ…」
 ずっと詰めていたらしい息を肩でしながら、真っ赤な顔で一生懸命訴えている。可愛い。
「はっ…? もっ、もしかして…おしっ……飲んだ…っ?!」
 かと思うと、突然何かに気付いたみたいにあたふたしながら、下半身の辺りを触っている。
「ぷっ、そっちじゃないよ、セーエキ」
 にわかには信じがたい発言のオンパレードだが、好きな相手の初めてが貰えたのなら素直に嬉しい。
「イルカ、オレのも死にそうなくらい気持ち良くして?」というと、はっとした様子で起き上がり、自分がされていた手順を一から思い出そうと真剣な顔をしてしている。額や首筋には、じんわりと汗が滲んでいる。
「あぁいいの、そんな最初からじゃなくて。ここ…しゃぶってくれればいいから」

 押し入れの壁に何とか頭上ギリギリで凭れかかりながら座り、脚の間でイルカが自分のものを盛んに出し入れしている姿を、レンズ越しにじっと見下ろす。
(オレもいつの間にかイルカの考えてることが随分と読めるようになってきてるじゃない)などと考えながら、急速に押し寄せてくる快感の隙間で、歯を食いしばりながら小さく笑った。

「…ッ、イルカ、口どけて」
「へ…?」
 とろんとした表情の男がうっすらと口を開けた隙に、限界を迎えた自分のものを素早く取り出す。
「――っ! ……ッ!」
 直後、狭い押し入れの中で、体を深く屈めながら達した。イルカではないが、イク瞬間は確かに頭がどうにかなりそうだ。更にイルカという恋人が加わった今、どうかするとこいつに心を根こそぎ持って行かれかねない、何やら麻薬的な危機感すら感じられる。
「ぇ…、なんで俺には…」
 目の前では、オレが自身の精液を手で受けたのを見て、イルカが複雑そうな顔をしている。
「いいの、オレのは」
 きっとイルカは、「うう、不味い〜」って顔を顰めるだけだろうから。嫌な思いは極力させたくない。
「カカシさん」
「ん?」
「こういうのって…、その…っ、あの本にも、ありましたよね」
「? どういうの…?」
 またイルカがわけの分からないことを言い出している。イッた直後の頭なんて、中坊並にバカになってるから、イルカが何を言わんとしているのかなんて全く読めない。
「俺でよければ、後ろ、使って下さい」
(えぇーーーっ?!)
「ゃちょっとアンタっ、あれはあくまで話を盛り上げるためのものであって…!」
 さっきの本の話の続きかとようやく合点するが、まさか初心を絵に描いたようなイルカが、そんなことまで考えているとは夢にも思わなかった。てっきりこちらはもう、「お腹が空いたから、早く朝食を〜」と言い出すものとばかり…。
「でもカカシさんは、本当は口や手じゃくて、直接ああいうことがしたいって、内心では思ってる」
「そっ………」
 返す言葉もない。面目ない。けど(出来るものなら…)と思っているのは事実だ。イルカを悦ばせて二人一緒に楽しめるなら、そりゃあできたらいいなと思っている。でも。
「――イルカが痛い思いをするだけだから、ね?」
「俺なら大丈夫です。さっきみたいにカカシさんが手でしてくれてれば、大丈夫ですから」
「やっ…そうは、言うけど…」
「感覚赤ちゃん」はこれだから困る。余りにきっぱりとした言い草に、むしろこっちがたじたじだ。イルカは本当にわかって言ってるんだろうか。いやぜんぜん、全くわかってないよね?!
「ぁーカカシさん、もうおっきくなってる〜」
 すみません、ぜんぜんわかってないのはオレでした。

「――いい? 嫌だったら我慢しないで、すぐに言うんだよ?」
「わかってます。いいから早く入れて下さい」
(ぅ…やっぱわかってない…)
 きっと(早く済ませて朝飯を!)とか考えてるんだろうけど、イルカはそこを使ったらどんな痛みがあるかわかってないから言ってるのだ。
 全裸の恋人が布団の上に仰向けになり、大きく上げた片足を頭上の押し入れの板に押し付けるようにして突っ張っている。「さあどうぞ」と言わんばかりの大胆であられもない格好に、ごくんと生唾を呑む。
 さっき、「もしも恩義や借りなんて理由で言ってるなら、しないよ?」と念を押したのだが、「そんな動機ならキスだってしてません」と返ってきて、ますます心臓を高鳴らせてしまう有様だ。
(ダメだ、したい…!)
 結局その欲望に抗えなかった。でもイルカが痛い、嫌だと言ったらやめればいい。そうすれば、何も知らないまま言っているだけの彼も納得するだろうし。
「…ふぁ…っ、…んぁっ…」
 股の間にぐっと屈み込み、彼のものを銜えると、すぐに両手で押さえられた口の隙間から悩ましげな声が聞こえだした。
(そろそろ、かな…)
 さっき自分で出したものを、イルカに受けて貰わなくて良かった。手の中に出していたものをたっぷりとすくい取って、ぴたりとすぼまっている場所に塗りつける。イルカを銜えている所から、びくんという振動がダイレクトに伝わってきたが、そのまま人差し指をゆっくりと差し入れた。
「んんー…っ…!」
 ぐるりと円を描くように動かしていくと、下腹の筋肉が何度もふるりと震えるのが見えた。それでもイルカは、ぎゅっと目を瞑ったまま何も言わない。首筋から、まだ殆ど何もしてないのに汗が一筋流れていく。
 二本目を入れるとすぐ、また丹念にしゃぶった。すると、一旦は力を失いかけていたものが再び熱く脈打ちだす。男はやはりこれ無しでは先に進めないのだろう。
 ゆっくりと三本目を入れはじめると、それまで大人しかった足が、太腿から突っ張るように大きく動いた。
「痛いんだ? ね、やっぱやめよう?」
「んんんんっ!」
 慌ててイルカから口を離して中断を促したが、当人は口を塞いだまま激しく首を横に振るばかりだ。
(困ったな…)
 こんな状況で無理に進めたとしても、イルカは辛いだけではないだろうか。「こんなはずじゃなかった」と思われるのは、こちらも辛い。
(ぁ、そうだ…)
 『イルカの気持ちを裏切りたくない』と思った時、いままで自分に欠けていたものに唐突に気がついていた。イルカも不安になるわけだ。これではセックス以前の問題だろう。
「イルカ、イルカ?」
 慌てて彼の顔の真上まで移動して、正面から覗き込むようにして名前を呼ぶ。
「ぁ…はぃ…」
「夢中になってて言うの遅くなっちゃったけど…、そのっ…イルカのこと、好きだよ。……誰より、大好きだよ」
「ぁ……あぁ…カカシさん…!」
 イルカの顔がみるみるうちにくしゃくしゃになっていくのを、眼鏡越しにそっと抱き締める。
 彼はどういうわけか、色んな感覚が未体験のままのようだが、「涙があふれる」という感覚はどんなだったのだろう。オレはもうすっかり忘れてしまっているけど、後で聞いてみてもいいだろうか。

 その後再開したセックスは、かなり難易度が上がってきていたにもかかわらず、それまでと比べ物にならないくらいスムーズに進んだ。二人の間の信頼関係が、体を繋げるという行為にここまでリアルに影響があるとも思ってなかったから驚いたけど、素直に嬉しかった。
「…んっ…ぁ、…っ、…かか…し、…はっ、…はっ…」
 押し入れの棚板を押し上げるようにして両脚を高く上げたイルカが、繰り返しオレの名前を呼んでいる。深く折り曲げた体の上から覆い被さるようにして、熱く怒張したものを彼の奥深くに突き入れ、擦りつけるたび、食いしばった歯の奥から溢れそうになる呻き声を堪える。怖ろしく気持ちいい。半ば本気で「大学生活全てをなげうっても構わない」と思う。言ったら彼は、拳に息を吐きかけて見せながら怒るだろうから言わないでおくけれど。
 先走りで自分の腹を濡らしている男のものをゆるゆると扱きはじめると、布団を握り締めていた両手がさっと口を塞ぐ。彼は少し前に手の中で一度イッたにもかかわらず、どうしてももう一度、オレがイクまで続けたいと頑張ってくれているのだ。出来るならもう一度イッて欲しい。
「イルカ…、オレもそろそろイッていい?」
 一度イッたら、二度目なんて無理だろうと思っていたのに、きつくてとろとろに熱いイルカに、思いのほか高められてしまっている。自慰でもいけなかったことが、イルカとなら出来てしまう不思議。
 口を塞いだイルカが、「うんうん」と何度も頷いている。
 その気持ち良さげな潤んで赤らんだ目元の表情と、自身の高まりを天秤にかけながら、出来るだけゴールが同じになるよう腰と利き手を動かす。





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