「これ以上の質問や意見は受け付けないぞ」と暗に示しながら、壁際にさっさと布団を敷き始める。布団で寝るなんて、中学の修学旅行以来だ。ただこれを毎日上げ下げ…と考えると、やはり少々面倒臭い気もする。とりあえず今日のところは寝るけれど。
 恐らくオレの価値基準の幅はまだまだ狭く、イルカほどは融通がきかない。何よりそこが、ちょっぴり悔しい。
「はぁ…??」
 背後ではイルカの腑に落ちない声が聞こえているが、無視無視。
(明日になれば、わかるでしょ)
 こういう時、ネットは便利だ。さっき、ふとあることに気がついて検索したところ、丁度明日が「その日」だということがわかっていた。月々の通信料は今の自分には安くないが、これなら払い続ける価値はある。
(少なくとも、今月分くらいは元とって帰ってよー?)
 
「えっと…なんかよくわかんないですけど…わかりました。じゃあ明日ですね? …おやすみ、なさい」
「んーーー」
 既に入っていた布団の中で、至極適当な返事をする。
 イルカが押し入れの下段に入り、オレの持ってきたバスタオルを掛けた気配をすぐ背後で感じたところで、蛍光灯から長く伸ばした紐を引っ張った。


     * * *


「――っ、…うぅん…」
 さっきからすぐ近くで響く、ガタガタ、ゴソゴソ、ミシミシという濃厚な人の気配に耐えきれず、思わず薄目を開けた。この眠さと薄暗さと肌寒さ、絶対いつもの起床時間じゃない。
「ぁ、おはようございます、カカシさん」
 しかも同居人は目ざとく、無駄に声が通る。
(ううう…オレまでもう起きなくちゃいけないわけーー?)
 引っ越し初の朝の目覚めから、(やっぱり二部屋ある物件にすべきだったか…)と、後悔の念を抱きながら枕元の置き時計を見る。物心ついてからこのかた、ずっと自室を与えられて過ごしてきた。誰かに睡眠を邪魔されたことなど一度もない。
(? あら、ま)
 だが、てっきりこの感じだとまだ五、六時辺りだとばかり思っていたところ、愛用の起き時計の針はぴしりと九時を指している。
(あぁ…そうか…)
 北西に向いた安普請の室内の暗さと寒さは、そうでない一般住宅より三時間は出遅れるものらしい。この調子だと真冬は相当気合いを入れていないと、単位を取りこぼしかねない。
(…っ、仕方ない、起きるか〜)

「今日もいい天気ですよ!」
 まだしょぼつく眼に愛用の眼鏡をかけて見たイルカは、とてもいま起きたとは思えない活動的な雰囲気を放っている。聞けばオレが出掛けると言ったから、六時前には起きて一階の玄関まわりと共同冷蔵庫とトイレの掃除をして、新聞を読んでいたのだという。
(まるで年寄りみたいだな…)
 そのうち大家と二人で盆栽とかやりだしそうだ。
 なのに舌はお子様で、朝っぱらから「カップラーメンが食べたい」というイルカに元々乏しかった食欲を奪われ、少々げんなりしながら「いいよ、これ食べれば」と荷物の隅に入れてあった一個を手渡す。
 自分は家から持ってきたミニパックの野菜ジュースを啜って、出掛ける支度に取りかかった。


     * * * 


「うっわー、これなんですか?! えっ、えっ?!」
 イルカが人とモノで埋め尽くされた広場を見渡しながら、目と口を一杯に開いている。
「んー? フリーマーケット」
 自分も始めて来たからどんなものかと思っていたが、広い公園の敷地内は見渡す限り、レジャーシートの上に所狭しと並べられた雑多なモノと、それを眺め、値踏みして回る人々で溢れかえっている。
「オレも少しなら出せるから。これから必要そうなもの、探してみたら?」
「うははっ、すっげえぇーー!」
 うらうらとした晴天の下。視界は、古いものから新しいものまで、おおよそ身の周りにあるもの全てを網羅する勢いでひしめいている。二メートル四方に区切られたレジャーシート敷きの出店スペースをひと通り見て回るだけでも大変そうだが、このぶんなら我々に必要なものも、恐らくはイルカの服も、ある程度揃うのではないだろうか。
「わわっ、カカシさん! あの片手鍋、300円てありますよっ?! ぁでもこっちのフライパンが250円だ?! その隣の茶碗もちょっとよくないですか? えっ、えっ、どうします? これってやっぱ買っておくべきですか?! いやでも、もう少し回ってから決めた方がいいか? 幾ら何でも早すぎるか?!」
「ん〜そうね〜」
「うわちょっとちょっと! あれ見て下さいよ! あんなしっかりした丼が、二つで150円ですよ?! 新品なのになんで? 嘘みたい! …って、いや待って…『この箱の中、ご自由にお持ち下さい』って?! ご自由にってもしかして、タダで貰っていってもいいって、ことですかっ?! むっ、無料?!」
「はいはい、そーねー」
 ついさっきまで、年寄りと一緒に暮らしている気分だったが、今は主婦と一緒に居る気分だ。
(アンタの言いたいことは、もう十分わかったから)
 だからもう少し、声を小さくして頂戴?
 と言ったところで、三分ともちそうにないけれど。
(はー…こういうの、飽きなくていいって、いうのかねぇ)
 とりあえず、某国の王子説が消えただけでも一安心とすべきなのか。
 そんな他愛もないことをつらつらと頭の隅に浮かべながらも、メインの思考はもうはや出品されている本のタイトルの上を走りだしている。傾向はてんでバラバラもいいところだが、それだけに何か面白い掘り出し物がありそうな気もする。この一年、好きな本は売るばかりで全く買っていなかったうえ、読むこともままならなかっただけに、ついつい四畳半生活を忘れて手に取ってしまう。
(――ぁうそ、これずっと探してたヤツじゃない。へぇ…まさかこんな所で会うとはね…)
「カカシさん、カカシさん!」
 そうこうしている間にも、後ろからはイルカが頻繁につついてくる。
「んーー?」
「この湯飲み、一つ50円だけど、二つ買ったら70円にしてくれるっていうんですけど!」
「買っちゃえば〜〜」
 殆ど振り向きもしないで生返事。だってこっちも結構忙しい。
「――あぁやっと見つけた。カカシさん、向こうで押し入れ用の突っ張り棒と、石鹸二つと、S字フック色々と、ハンガー一杯と、あと旅館の名前が入ってますけど、タオル七枚で180…」
「いいんじゃないの〜〜」
「カカシさん、カカシさん…」
「任せた〜〜」


     * * *


「うーわー、まーた買ったねぇ〜」
「あはっ、結構まけて貰ったりしたんで、ついつい」
 公園の一番奥の終点に辿り着くと、イルカが肩から腕から背中から、もの凄い量の荷物を携えていて苦笑いする。しかも途中の店でついに荷物が持ちきれなくなって、幾つかは「後で取りに来ます」と言って預かって貰っているという。
「ふうん。ノートとか筆記用具も、ちゃんと買った?」
「はい! もうすぐ入学式だって言ったら、このリュックまで付けてくれました!」
 スペースを順に見て回りながら、そこの店主達といろんなやりとりをしたらしく、「これはこういう人から…」とか、「こっちはこんな面白い会話があって…」などと、一つ一つ楽しそうに挙げている。
「その店ごとに個性があって、ちゃんとその人となりを現してますよね。それがまた面白くて、並べてあるものを見てるだけでワクワクして」
「ん。で、服は?」
 そろそろ切り上げて腹に何か入れないと、野菜ジュースだけではもちそうにない。でも一応、肝心なところだけは確認しておく。
「は? フク?」
(ハぁァー?)
 これは、もしや…
「はじゃないでしょ、まさか一着も買ってないとか言わないでよ〜」
 この会場で、一番多くのスペースを占めているのは、何と言っても衣服だ。女性ものと子供服が多かったようだが、メンズもそこそこあったはずだ。
(それを、ただの、一枚たりとも、買って、ないだってー?!)
「いやだって、そんなものよりも…」
「もうっ、何すっとぼけたこと言ってんの! アンタの服を探しに来たんでしょうが?!」
 洗濯して干している間、毎回素っ裸で部屋にいるつもり? 雨続きだったら、家から一歩も出られないんだよ? その辺わかってんの?!
(まっ…まぁなんだ)
 オレも、自分の本ばっかり大量に小脇に抱えててなんだけどさ。
 結局イルカの大荷物を半分担いで、元来た道を逆に回り出した。
「その格好で入学式に出たら許さないから」
「いやあのっ、でももう、お金が…」
「いーから。イルカがこれ全部買ってくれたんだから、今度はオレが出すから。黙って選びな!」
「やっ、でもっ…そんっ…、――はぁ…」


     * * *


「――えっと…どうで、しょう…?」
 イルカが薄い窓ガラスに映った自分の姿を何度も気恥ずかしそうに確認しながら、ようやくこっちを向く。
「そーね、ま、いーんじゃないの〜」
 フリーマーケットで散々吟味して、イルカの服を大量に買った。下着から上着からベルトから靴まで、無料(フリー)のものは勿論、多少値の張るものも生まれて初めての交渉で、とにかく質より量と割り切って買い漁った。それまで本しか見てなかったけど、もう一度同じスペースに二人で行くと、大抵の人が「また来たの〜今度は何? 安くしておくよ!」とか「一人暮らしも大変よねぇ。いいわ、ただ押し入れに持ってるより、誰かに使って貰ったほうが嬉しいから、これも持っていきなさい」などと、色々なものを持たせてくれたりもした。
 イルカはイルカで、「えぇ〜、さっき俺が回って交渉した時はこんなにまけてくれなかったのに、男前が『これ、買いたいんだけど』って一言いっただけであっさり激安とかタダになってて、何だか納得いかないなぁ」などと唇を尖らせていて、「それは時間が経って持ち帰りたくないからでしょ。純粋な経済原理!」などと、いちいち説明して宥める作業まで必要になってくる。
 そんなこんなで各スペースを回るのが一段と大変になり、更に帰る頃には勢いのまま買い求めたイルカの服と寝具に加え、彼が取り置きしてあったという生活雑貨類までがずっしりとのしかかってきて、たかだか15分の道のりが本当に大変だった。いまだに腕や背中、手指までがギシギシいっている。
(けどまぁ、良かったんじゃ、なーいの?)
 イルカのスーツ姿を眺めながら、勝手にちょっとした自己満足に浸る。色んな服を持ち帰ってきたが、スーツ選びが一番大変だったのだ。スーツは程度のいいものはあってもデザインが古いものが多く、またサイズが合わないものも少なくなかった。下は試着が出来ないのも難点だ。だが、奇跡的にほぼ同じくらいの体型の若い店主がいる店に辿り着き、「量販店で買って、三年前の入社式に着たきり」というものが見つかっていた。




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