翌日からのガイの忍術訓練に対する意気込みは、ますます熱心なものになっていった。
 しかし、それと同時に焦りも滲み始めていた。
 オレが何度も止めておけと言ったにもかかわらず、ガイは二度も入隊試験に臨み、あえなく不合格となっていた。


「受験はまだ早い。ようやく水のある所で何とか一、二度発動出来てる程度じゃ、水のない現場じゃ使い物になんないでしょうよ。――ほらもう一回、水龍弾から、やってみ」
 真夜中の演習場で、オレは容赦の欠片もなくガイに言った。
 半端に術を教えることなど、いとも簡単だ。でもその先でアイツやその仲間や、何より里の民らがどんな危険な目に遭うか容易に予測がついてしまうだけに、一切手加減はしないつもりだった。
 ガイは汗と泥で散々に汚れ、消耗しきった体をようやく起こして再び印を切る。しかし、焦りからか体質からか、はたまた両方なのか、チャクラは無駄に浪費されるだけで上手くコントロールされず、発動された術は乾ききった土を黒く湿らせる程度だった。

「…くっ……」
 アイツはふらついて、脇の大岩にもたれ掛かり、そのまま力無くずるずると腰を落とした。
「焦るな。ちゃんとチャクラは練れてる。あとはコントロールだ、もっと発動の瞬間集中しろ」
 両膝の間に顔を埋め、ぜいぜいと荒い息を付くガイを励ます。
 が、奴はそれには答えず、ようやく声を絞ると、俯いたまま途切れ途切れに言った。
「…お前は…いい。…その目で…コピーすれば…何でもすぐ、手に…入る……」
 地面に力無く落としていた手が、ぎり、と乾いた土を掴んだ。
 二人の間を、砂混じりの強い北風が何度も吹き抜けていき、厚い雲は今夜も月明かりを遮っている。

「ガイ」
「…………」
「50勝50敗。丁度いい。タイでお開きだ」
「……?……」
「この特訓は、オレが受けてやれる、お前との最後の勝負だと思ってたんだけどね」
「!」
「この勝負、お前の負けで丁度引き分けて終わりだ。文句、ないでしょ」
「…………」
 オレは言い捨てるや踵を返した。
「…まっ、待て、待てッ!! カカシ! オレは絶対に対決放棄はせんぞッ!!」
 数歩歩いた時、ガイの声が後ろから追いかけてきた。
 無言のままチラとアイツの顔を見やると、激眉がきつく顰められて、何とも辛そうな、悔しそうな顔をしている。
(…………)
 ヤツとの付き合いも、もう両手の指では足りなくなってきた。だがこんな弱いところを見たのは初めてで、ひたすら我が道をゆくだけだった男の戸惑いに複雑なものを感じる。
「すまん…こんな下らない泣き言が言いたかった訳じゃないんだ。謝る、オレが悪かっ…
「ぁあぁーーもうッ、うざったい! 女々しい! 気色悪いッ! わかってんなら早く続きやれっ!」
 こんなアイツを相手にするなんて、一瞬だって御免だった。まだハイテンションの方が耐えられる。オレは早々に言葉を遮った。
 途端ガイはがばっと起きあがり、強い横風の中、気力だけを支えに猛然と練習を再開しだした。
「ぬおぉうー! カカシになんぞ負けてたまるかあぁっ! 人生ド根性〜〜っ!!」

(おーおー…)
 気合い充分で夢中で印を切り始めた男を見ながら、オレはぼんやりと考える。
(こんな事言ったら、お前はきっと思い切り軽蔑するだろうけどね…)
 実のところ心の片隅では、このまま引き分けて欲しいような気もしていた。





「――そう。ガイ、がんばってるんだ…」
 数日後、上忍待機室。
 アスマと紅に呼び止められて、オレはあいつの特訓の進捗ぶりを話したところだった。
「で、お前の目から見てどうよ。ガイの奴、そろそろ合格しそうなのか?」
 アスマの指の間から真っ直ぐに紫煙が立ち上るのを、オレは見るともなく見つめながら返す。
「まっ、今すぐって訳にはいかないけど、このままいけば来年あたりには…多分ね」
「そっかぁー、ガイもやるもんねぇ。恋の力は岩をも通すってやつね」
「こうなると、あいつの猪突猛進ぶりを笑ってばかりもいられねぇな。単なる世迷い言を、すっかり現実に変えちまうとは」
「あんなに自分を信じてさ、到底無理そうな事にも真正面からぶつかっていけるって、ある意味凄いわよね」
「ふん、…まぁなんだ…アイツから体術とそれ取ったら、なんも残んねぇからな」
 言った男は意味もなく盛んに煙草をふかす。
「ホントよね…。散々うるさいとか言って避けまくってたのに、いざ居なくなっちゃうって聞くと…何だかちょっと寂しい気までしちゃってんだから。アタシもいい加減勝手よね」
 テーブルに頬杖をつき、ぼんやり独り言のように話す紅の言葉に、オレ達は返す言葉もなく押し黙っていた。
 と、その時、待機室のドアが開いて接客担当のくノ一が顔を出した。
「はたけ上忍、下の応接室にお客様がおみえです」
 待機室にいた三人が、一斉に振り向く。
「客? …誰?」
「宝灯アザミ様とおっしゃっておられますが。どちらの宝灯様かは存じ上げません」
「?!」
「分かった、今行く」
「ちょっ、ガイの採用の事なんじゃないの?!」
「さぁ、ね」
 だがオレも、少なくともいい予感はしてなかった。
 アスマと紅の、何とも言いようのない複雑な視線を背中に感じながら、オレは待機室を出た。



 応接室のドアを開けると、アザミは出された茶には手を付けず、ソファーにも座らずに、ぴしりとした立ち姿で窓の外を眺めていた。
「遅くなりました」
 言って腰掛けるように手で軽く促す。が、結構、と窓際から動こうとしない。
 仕方なく、オレも窓付近へと歩み寄り、彼女と正対した。
「急に訪ねてしまって申し訳ない。取り込み中ではなかったか? はたけ上忍」
 相変わらず、アザミは何の気負いも迷いもなく堂々とこちらを見上げてくる。うかうかしていると本心の奥深い部分まで全て見破られそうな、そんな印象を与える琥珀色の瞳だ。
「大丈夫です。あと、私のことはカカシでお願いします。で、ご用件は?」
 しかしアザミは、そんなオレの性急な言動に少しも動じる様子はなく、落ち着いた張りのある声を返してきた。

「まず先日の君の勇敢な働きに、改めて礼を言いたい。見事な手並みだった」
「ありがとうございます。で?」
「ふっ…まぁそう焦るな」
 ガイではないが、この人の前に居ると、確かに自分のペースが乱されるのを感じる。オレは内心やや身構えた。
「カカシ、何もそう身構えなくてもいい。実は、少し聞いておきたい事があって寄らせてもらったんだが」
 忍でもない人間に、ここまでの観察眼や度量がある事に改めて驚きながら、オレは黙る事で彼女の次の言葉を促す。
「聞くところによると、君は今、ガイの忍術指導に当たっているそうだが?」
「ええ」
(やはりそれか…)と、何やら少し暗い気持ちになりながらも、短く返事をする。
「どうだろう、その君の類い希な力を、ウチで存分に役立ててみる気はないか?」
「はぁッ?」 
 今し方、この人のペースに乗せられまいと構えたばかりなのに、もう早速頭まで呑まれきったオレは、頓狂な声を上げた。
「消防へ入隊する気はないか、と言っている。いやな、年々郊外へと拡大していく隠れ里の繁栄に、消防も優秀な人材が足りないのが現状なのだ。君には忍術指導部隊の最高責任者の席を用意している。報酬は最低でも今の5割り増しで出せるよう、指令長クラスにも内々に確認済みだ。もちろん答えは今すぐ出さなくてもいい。一度ゆっくり考えてみてはくれないか?」
「オレ? ガイじゃなくて、オレですか?」
「ああ。即戦力としては申し分ない。もし、教育という立場が嫌なら実働部隊でも構わないが、こちらとしては君の能力を最大限活用させてもらいたいのでな。出来れば最上位の指導者としてお願いしたい」
「上忍の引き抜き……ウチの上層部は何て言いますかねぇ?」
「実はまだ根回しの段階ゆえ、火影殿には話を通していないのだがな。あのお方は里の繁栄にとても理解のある御方だ。更にそれが君の意志というなら、恐らく引き止めはしまい」
「随分な自信ですね」
「私も立場上、なりふり構ってはいられないのだ。もし君さえいいと言うなら、何としてでも火影殿を説得するだけの覚悟はある」
「火は、待ってはくれない…ですか?」
 どこかで聞いたことのある台詞だと思ったが、柄にもなく少し動転していたせいか、つい口から出てしまった。
「そういうことだ」
 アザミは意志の強そうな顔を、小さく縦に振った。
『一度ゆっくり考えてみては』と言いつつも、どこか有無を言わせないその力強さに、オレは小さく溜息をついた。

「――申し訳ありませんが、そのお誘いは辞退させて頂きます」
 途端、表情を変えないアザミの瞳の奥に、僅かだが落胆の色が見えた…気がした。
「理由を、聞かせてもらえないか」
「オレより、適任が居るからです」
「ガイの事か? もし彼に遠慮をしているなら、それには及ばんぞ」
「ハ、そんな事したら、アイツに何てどやされるか。遠慮なんてそんな馬鹿げた事はしませんよ。実際、オレよりもアイツのほうが遙かにやる気があるし、目標に向かって努力出来るヤツだというだけの事です。将来的にはオレなんかより、アイツの方がよっぽど部下の人望を得て、隊をまとめていけるはずです」
 どういう訳か、あの筋肉バカを誉める言葉がすらすらと口を突いて出てきて、オレは我ながら少し驚いてしまう。
 すると、アザミは何故か急に下を向いて、可笑しそうにくっくと笑い始めた。やがてオレが怪訝そうな目で見下ろしているのに気付くと、彼女はようやく顔を上げる。
「…あぁ、済まない。いや、実はな、ガイにも先日『カカシを指導部隊に迎えたい』と言ってみたのだ。そうしたら今の君と全く同じ事を…「アイツは誰よりふさわしい」と言っていたのでな。つい、微笑ましくなってしまった。許してくれ」
 そう言いながらも、まだ口元をほころばせているアザミを、オレは半ばぼんやりと見つめた。
(あいつが……オレのことをそんな風に…?)
 ヤツなら「オレがなってみせます!」くらいのことは言うはずだった。そして一旦言ったなら遅かれ早かれ必ず実現させる。それがアイツのはずだ。
(…………)
 にわかには信じられなかった。思考がまとまらず、同じ所をぐるぐる回っている。
 しかし、いつまでもぼんやりしているオレに業を煮やしたのか、アザミは突然意外なことを持ちかけてきた。
「――分かった。ではカカシ、こうしよう。君にもし少しでもその気があるなら、是非ガイと二人で入隊してくれないか? そうすれば君も、心ゆくまで彼の指導に当たれるだろう。その後二人で現場に出ようと、指導部隊に残ろうと好きにしていい」
「まっ、待って下さい。それは…オレがもし入隊しなければ、ガイはこの先の試験にも暫くは落ち続けると、そういういう事ですか?」
「あぁ、残念だがそういう事になるな。でも今の彼の実力からすれば、それは致し方あるまい。それは指導役である君も、よく分かっている事と思うが?」
「…………」
 オレは再び黙るしか術がなかった。
 アザミの言う通り、確かに今のガイの実力では入隊はとても無理だ。しかも、あいつが来年必ずしも術を完成させられる、という確固たる保証もどこにも無い。
 しかし、ここで二人一緒に入隊したなら、その心配はなくなる。アイツに後でバレてどやされたとしても、その方がいいのかもしれない。――あぁいや、でも……と、まとまらない思いが再び脳裏を駆け巡り始めた時。

 オレは突然、ある事が気になりだして顔を上げた。
「――――」
 無言のままアザミに向かって小さく手を上げ、そこに居るよう指示して気殺をする。
 続いて応接室のドア脇に素早く跳んで、一気にそのドアを引いた。

「あっ?!」
「きゃ!!」
「うおッ!」

 三者三様の声を上げながら応接室に無様に倒れ込んできたのは、あろうことかイルカ先生、紅、アスマの三人だった。
 オレは自分でやった事ながら、連中のあまりに情けない様相に、死ぬほど後悔した。

 応接室に、恐ろしく気まずい空気が流れた。












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