「でっ、今日は何にするよ? ガイ。お前はいつもの火影スペシャルか?」
 店主が注文を取りはじめた。
「おう、そうだな! アザミさんは、何にしますか?」
「では、私もそれで」
 彼女はメニューも見ないまま、いきなり即決している。
「えッ、いやあの、『火影スペシャル』っていうのはですね、桁違いに辛いやつなんですよ。大丈夫、ですか?」
 ガイが心配そうに尋ねる。
「大丈夫だろう。どれほどのものか楽しみだな」
 アザミが楽しそうににっこりと笑えば。
 またひとしきり、外野が沸いた。

「そこのオネェちゃん達は、何にするー?」
 店主が続けてオレ達に聞いてきた。
「えっ?! …あ…あぁ、そうね…」
 オネェちゃんと呼びかけられたのに、真っ先にヤサ男がメニューを見始める。
(紅ッ! お前、いま自分が男に化けてるって事、すっかり忘れてるだろ?!)
 オレは目線で盛んに訴えながら、前途を思いやった。

 メニューを開くと、予想に反してカレーは四種類しかなかった。
 にもかかわらず、四人の希望が出揃うまでには、かなりの時間を要していた。
 何故ならカレーの名前が、上から順に『火影スペシャル』『上忍』『中忍』『下忍』とだけ記されていたからだ。
「私は中忍にしますが、皆さんは?」
 そんな風にイルカ先生にえくぼ付きで微笑まれて「じゃあオレは下忍」などと、どうして言えようか?
 いつもは互いに階級など全く意識したこともないはずが、こんなおかしな所で突然それを主張してしまうなどと、一体誰が予想できただろう。
 かくして『上忍』三つ、『中忍』一つという、階級通りの注文が入った。
 少しは期待していた酒も、全くなかった。代わりに怪しげな野菜ジュースらしき類がずらずらと並んでいる。
 しかし、その飲み物の名前ですら、『経絡系』だの『兵糧汁』だの『起爆札』だのというヤバげな名前だけが記されていて、とてもじゃないが注文できなかった。
 こういう時、下手に警戒心が強いというのも考え物だと思ったが、長年に渡って培われた忍の習性は、急には曲げられないのだった。



「はいよっ、お待ちどう〜」
 ほどなくして、ガイ達のテーブルに注文の品が並べられた。例の構成成分不明の不気味な名の液体も、しっかり二つ並んでいる。
「ではガイ、改めて君の退院と、勇敢な働きを称えて」
 アザミが少しグラスを持ち上げた。
「ありがとうございますっ! ではオレは…アザミさんの、炎よりも熱い眼差しとハートに☆――乾杯〜〜っ!!」
 ガイが高々とグラスを掲げると。
「乾杯〜〜〜っ!!!」
 店内の連中が、待ってましたとばかりに怪しい色のグラスを一斉に差し上げて、やんやのヤジを飛ばしだした。
 これにはアスマや紅も、目を丸くして周囲を見回すばかりだ。
 ああそして。この日の娘イルカの心から楽しそうな零れるような笑顔を、オレは生涯忘れないだろう。



 背後では、ガイとアザミがカレーに口を付け始めていた。
「くぁ〜ッ! 相変わらずのこの辛さが何ともたまらんな! ……あっ、あの…アザミさん? 大丈夫ですか? 水も飲まないで」
「あぁ。とても美味しいよ」
「本当に…辛くないんですか?」
「いや、辛くない事はないが、充分許容範囲だ。なぁに、炎の中に比べれば、まだまだ涼しいものだろう?」
 アザミは顔色一つ変えず、美味そうにスプーンを口に運んでいる。
 固唾を呑んで見守っていた外野はその様子を見るや、一層熱を帯びて盛り上がっていく。テーブルを叩き、食器を打ち鳴らし、椅子から立ち上がっての大騒ぎだ。
「いよぉぉ〜し! アンタ気に入った〜っ! ガイ、行ってこい! どぉーんと行って、ズどーんと華々しく散ってこいっ! そしてその後はオレにまかせろッ!」
「あぁこら妬くな妬むな! この際ガイはどうでもいいとしても、アザミさんに失礼だろうが! 俺がいく!」
「しっかし魂の熱い人は言うことが違うねどうも! マスター! 彼女にこの店の名誉店長に就任してもらえ! ファンクラブも立ち上げるぞ!」
 店内のボルテージはますます上がっていった。


「…この連中、酒も無い状態でこんな早い時間からよくここまでハイになれるよなぁ。さすがガイの行きつけだけあるぜ」
 アスマがテーブルに片肘を付いて、小声で呟く。
(まったく)
 オレは小さく苦笑しながら、アスマに同意した。
「どうやらカレーもそれほど辛くないみたいだし、良かった〜」
「すごく美味しそうですよね? 楽しみだなぁ」
 言ったところに、丁度注文の品が運ばれてきた。
「はい、お待ちっ! 今夜はゆっくりしてってくんな! ご覧の通りのむさい連中ばっかだけど、ホントはみんなイイ奴だからさ!」
 店主はオレ達にバチンと派手なウインクしてみせると、カウンターの奥へと戻っていった。

「わぁー、いい匂いじゃないですか。では、早速頂きま〜す。……んっ、ホントに美味しい!」
 そのイルカ先生の愛らしい仕草を見て、オレ達上忍はようやっとスプーンを手に取った。
 だが。
(?!)
 一すくい口に運ぶや、今まで感じたことのない凄まじい衝撃が口内に炸裂し、心臓がドクンと跳ね上がった。
(!☆%#@$★△*?!)
 一瞬頭が白く…続いて視界が一面に赤く染まるほどの激烈な辛さが、針を刺すような痛みとなって口中を蹂躙していく。
 オレは即座に水の入ったコップを掴んだ。間髪置かず、アスマと紅もコップを鷲掴む。
 まるで三人で競うかのように、水の一気呑みをした。

「――…やっべぇ…変化解けるかと思ったぜぇ…」
 暫くすると、女アスマが丸みを帯びた赤い額から汗を吹き出させながら呟いた。顎へとダラダラ流れていく大量の汗を、無意識に手の甲で拭っている姿が妙に卑猥だ。
「ちょとっ! 中と上のあぃらって、もろ凄い格差なんじゃらぃろ? こレ?!」
 あまりの辛さに舌が痺れ、ろれつが回らなくなった憂いの美男子が小声で叫ぶ。
「……そ、…ね…」
 オレは、俯いてそれだけ言うのが精一杯だった。
「え? そんなに辛いんですか? ちょっとだけ…食べてみていいですか? カカシ先生?」
 そう言ってスプーンを延ばそうとするか細い手を、三本の腕がガッシと掴む。
「「「ダメッ! 絶対!」」」
 一瞬で変化が解けて、店内が更に大盛り上がりになるのだけは勘弁して欲しかった。

 オレ達三人は、目の前に置かれた『上忍』に対峙すると、任務ではついぞ感じた事のない新種の恐怖と痛みに滝のような大汗をかきながら、クナイならぬスプーンを振るった。
 隣の席では、鮮やかな手並みで『火影』を制した猛者二人が、何事も無かった様子で客らと熱い青春談義を繰り広げだしていたが、耳を傾ける余裕など最後までこれっぽっちもなかった。





「――あぁ〜まだ舌がピリピリしてるっ。無理して全部食べるんじゃなかったわぁ」
 カレー屋からの帰り道。
 変化を解いた四人は、肩を並べて喧噪の繁華街を歩いていた。
「ほんとあそこの連中って、一体どういう味覚してんだろうな? ガイ達なんて、あれよりまだすげぇの食ってんのに何ともないってんだから不思議でしょうがないぜ」
(それは言えてる)
 未だに臓腑から火照り続けている体に、オレは口布の下で苦笑する。その感覚は、日頃使っている兵糧丸を彷彿とさせるに十分だ。
「でも、何だか…とってもあったかな、素敵なお店でしたよね」
 先刻の熱い店内の様子を思い出しているらしく、イルカ先生がふっと微笑む。
(あの輝くような生娘の魅力も捨てがたいけど…やっぱ今の笑顔が一番いいな)などとオレは内心密かに思う。
「アイツにあんなすげぇ後方支援部隊が付いていたとはねぇ。恐れいったぜ、まったく」
「ガイってば案外友達多かったのねぇ。アザミ隊長もまんざらでもなかったみたいだし」
 確かにあの後、二人はすっかり客達の輪に溶け込み、意気投合して盛り上がっていたように見えた。
「きっと…きっとあれで良かったんですよね…? ガイ先生、あんなに幸せそうだったんだから…」
 しかし、このイルカ先生の少し戸惑い気味の言葉に、皆黙りこくってしまった。
 繁華街の人混みの中を、四人は俯いたまま、ただ黙って歩く。

(アイツが幸せならいい、か…)
 きっと今この四人が考えている事は、同じなんだろう。

 火照っていたはずの体に、急に北風がしみた気がした。












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