ガイの後方支……もとい、お節介部隊の一行は、夕方になってにわかに活気づきはじめた大通りを歩いていた。
 遥か前方に、ガイの浮かれ歩く姿がチラチラ見えている。
「ったく、だからって何でこんな格好する必要があるわけ?」
 ショーウインドに映った己の姿を横目で見て、オレは今日何度目かの抗議をする。
「あーら、すっごく似合ってるわよ。そのカッコ」
(だーから、嫌なの)
 心の中でむくれたオレの、肩にかかる長い銀髪が風になびいた。

 一行は、ガイ達と同じ店に潜入すべく、全員が変化をしていた。
 しかし、『男が男に、女が女に化けると、普段の言葉遣いや面影から早々にバレる可能性が高い』と紅が言い出し、あろうことか全員が異性に化ける事になったのだった。
 勿論これには、真っ先にオレとアスマが猛反対した。紅はこのお節介行為を、個人的に最大限楽しむための提案をしているに過ぎないのだ。そんなものにいちいち付き合ってやる必要はない。
 しかし、何の躊躇もなく紅はスカした美青年に、イルカ先生は猛烈に愛苦しい生娘に化けて見せて、オレ達を呆然とさせた。
 しかも「あら、このカップルって相談無しで化けたにしちゃなかなかお似合いじゃない? ねぇ、イルカ先生?」
 などと、ヤサ男の紅が言えば。
「アハッ、そうですね。言われてみれば、確かによく腕を組んで歩いてますよね、こういう人達って」などと生娘イルカがにっこり返すものだから。
「おいおい、ちょっと待てって!」と流石のアスマも慌て出した。
「…あぁ……そう、ね〜…」
 だがオレはというと、イルカ先生の狂おしい程の愛らしさにすっかり心を奪われきっていて、ただただ生返事を繰り返すばかりだ。
「じゃあカップルは止めておいてあげるから、アスマもカカシもイルカ先生のお友達って感じで違和感無いように化けてね。よろしく」
 というわけなのだった。

 だからオレはもう、この可愛いイルカ先生を暫く拝めるなら何でもいいや、と一度は腹をくくったつもりだったのだが、改めてガラスに映った己の姿を見ると、やっぱりどうにもいただけない。
 特に誰かの姿をイメージすることなく、素で変化したところ、肩まで伸びた真っ直ぐな銀髪が顔の左半分を覆っていて、薄い色素の唇と肌がどこか病弱な感じになっていた。それなのに翳りのある灰青色の右目ばかりが強く光り、その上に細い眉がキリリと弧を描いている。
「さしずめカカシはイルカ女史の職場の、『冷淡無口な妖しの才媛』って感じだな」
 隣でアスマがクックッと笑う。
 だがそういうアイツの格好は、周囲に濃厚なフェロモンを撒き散らす、とんでもなくグラマラスな肢体の遊び女だった。
 身丈は小柄ながら、たっぷりと波打つ赤黒いロングヘアーと、伏せ目がちの切れ長の瞳が何とも言えずエロチックで、ぬらぬらとした半開きの厚い下唇の脇には、とどめとばかりにぽつんとホクロまで付いてる。
(こいつ…何だかんだ言ってて一番変化を楽しんでないか?)と勘繰りたくなる程、それはモロに個人的趣味の入った化けようだった。
「アスマ、お前はさしずめ『深窓の令嬢を朱に染めようとする百戦錬磨の悪女』って感じだぞ。その口端で煙草噛むクセ止めろ。一発でバレる」
 オレはむすっとしながらもやり返した。
「あぁもう、だめじゃないですか二人とも。もう少し言葉遣いに気をつけないと」
 いつもと何ら変わらない口調で、鈴を転がすような澄んだ声のイルカ先生がたしなめる。艶めく真っ直ぐな黒髪が歩くたびに腰の辺りで軽やかに揺れて、オレを誘っている。(気が、するんだけど〜)
 長く濃い睫毛に縁取られた、濡れた黒目がちな瞳と視線が合えば、咄嗟に言葉が出ないほど魅入られてしまう。
 鼻梁を跨ぐ傷は薄くて殆ど気にならない。桜色の頬と柔らかそうな唇の間には笑うたびに小さなえくぼが出来て、それがまた噛みつきたくなるほど無性に愛おしかった。
 このままイルカ先生を抱きかかえて、何度戦線を離脱してやろうと思ったかしれない。が、悲しいかなこの状況では、そんな思いも強制滅却するしか無く…。

 紅は紅で、長身で彫りの深い、結構な美青年に変化していた。
 薄茶色の涼しげな目元にはどこか憂いもあり、通った鼻筋と相まっていかにもな優男風情を醸している。気持ち長めの黒髪はゆるくカールしていて、すれ違う女達が驚いたように振り返っては、その後ろ姿を溜息混じりに目で追っている。
 オレ達は目立たないよう変化したはずなのに、ある意味異常に人目に付きながら、ガイの後を付けたのだった。


「あ、あの店。入ったわよ」
 長身のヤサ男が振り返った。その口調と容姿が、見ようによっては変に噛み合ってしまっている所が可笑しい。
 どうやら二人は、店内で待ち合わせをしているらしかったが、オレ達は一旦店の前を何気なく通り過ぎて、細い路地に入った。と同時に、ぱっと円陣を組んで面をつき合わせる。この辺は手慣れたもので、阿吽の呼吸だ。
「オイ、今の店、カレー専門店って書いてあったぜぇ?!」
 悪女アスマが酷く面食らった様子で、切れ長の目元をひそめた。紅く塗られた指先が伸びて、銜えていた煙草を無造作に掴む。濡れた紅い唇から紫煙が吐き出され、脇のホクロを一瞬掻き消すその様子は、容姿が容姿なだけに物凄くワルそうな上に妖艶で、かなりの迫力だ。
「あら、そういえばガイって、確かとんでもなく辛いもの好きなんじゃなかったかしら?」とは、長身で翳りのある大の男の言葉。
 だんだん頭がおかしくなってきそうな会話が続く。
「酒じゃなかったんだな…。まっ、また緊急召集がかかる可能性もあるしな、さすがのアイツも気を使ったか」
「カレー屋さんでデートだなんて、微笑ましくていいじゃないですか。ガイ先生らしいなぁ」
「いやまぁ、そりゃそうだけどよ。曲がりなりにもセカンドデートなんだぜ? ちったぁムードっつうか、色気ってもんを考えろってぇの」
(お前は考えすぎだけどな)
 アスマのこれ見よがしの胸の谷間を横目で見ながら、オレは心の中で突っ込んだ。
「まあでも、とりあえず中に入ってみませんか。皆さんもお腹空かれたでしょう?」
 唯一、恐ろしい程に外見とマッチしているイルカ先生の口調に促され、オレ達は店のドアを押した。


 店内は濃厚な香辛料の匂いで満たされていて、意外にも殆ど満席だった。
「いらっしゃい! お〜、これまた可愛いコ達が来たねぇ! 大歓迎だよ。さぁ、そこそこ、座った座ったァ!」
 店主らしき、気の良さそうな男が指差したその場所は。
(ッ?!)
 なんとガイ達の座っている席とは、観葉植物の薄い目隠しを一つ挟んだだけの、すぐ真向かいだった。緑色の蔓の向こうには、もう浮かれきったアイツの顔がチラチラ見えている距離だ。
(…ちっ、近すぎる…!)
 先日の笑死騒ぎを思い出し、オレ達は一斉に青ざめた。
 しかし、他の席をと見回しても、空いている席は無い。かと言って、いきなり店を飛び出して怪しまれるのも得策とは思えない。
 オレは背中に冷や汗が流れるのを感じながら、イルカ先生と並んでガイにより近い側の席に、背を向ける格好で座った。唯一の救いは、オレ達二人と背中合わせに座るのが、忍ではないアザミ隊長だという事くらいだ。


 程なくして戸口にそのアザミが現れた。背後のガイが立ち上がって、大袈裟に手を振る気配がする。
 ガイと間近で正対する格好になった紅とアスマは、焦って下を向いたままだ。巧妙に変化しているのだから堂々としていればいいものを、やはりヤツを見た途端、笑い出してしまうのが恐ろしいらしい。(なのにどうしても見たいというんだから、もうどうにもこうにも…)

 すぐ脇をアザミ隊長が大股で通り過ぎ、オレの真後ろに腰掛けた。挨拶もそこそこに、会話が始まっている。
「いや、先日は本当に済まなかった。折角出向いてもらったのに申し訳ないことをしてしまった」
「いやぁとんでもないですよ。火は待ってはくれませんからね。誰かが行って消さないと」
「ふふ…ガイ、君もなかなか言うな」
「見てて下さい。オレもそのうち行けるようになりますからッ!」

(――やっぱ…本気なんだ…)
 思い切り緊張していたはずのオレ達は、その言葉を聞くと、なぜか肩の力が抜けていった。



「よぉガイ、今日は随分と素敵な人と一緒じゃないか。早く紹介してくれよ」
 店主が早速促している。
「フッ、いいところに気付いたな。そうだろう! そうだろう〜!! このお方こそ、里の東部の消防活動を一手に指揮しておられる、消防隊長の宝灯アザミさんだぁっ!」
 アザミが店主に向かって軽く会釈をする。
「ほぉ〜、消防隊長さんとはねぇ。そりゃあ大変なお仕事だ。まぁカレー屋じゃあ何も手助けはしてやれんが、とにかく腹いっぱい食ってきな! どうせガイのおごりだ!」
「おう! 当然よォ!」
 右手の親指を立て、ウインクしながら店主に向かってキメている。真っ白い歯が眩しい。
 アザミは何か言おうとしたらしいが、ガイの紹介が済むのを待ちかねたように、周囲の客からどんどんと声がかかりはじめた。
「隊長さん、ガイはさ、見てくれはワリィし気も利かねぇ半人前だけどよ、根性だけは二人前だからさ、宜しく頼むよ!」
「そうそう。アザミさん、そいつねぇ、誰もが後ろとか左右に逃げる時でも、それこそ止まってた方が遥かに楽な時でも、真っ直ぐ前にしか進めない不器用な所あんのよ。根はイイ奴なんだけどさぁ」
 カウンターに座る常連らしき客が、次々と援護射撃している。
「あぁ、もちろんそれは知っている。炎の中に子供を助けに飛び込む男に悪い奴などいない。そうだろう? ガイ」
 アザミが琥珀色の瞳を可笑しそうに細めながら、よく通る声で答えると。
「うひょぉ〜! シビレるねぇ〜、さすが隊長さん!」
「ガイ、この人はお前には勿体ない! 俺様が今から恋人に立候補する!」
「ワシもあと五十若ければのぉ〜。どうじゃアザミ殿、ロマンスグレーはお嫌いかな? フォッフォッフォッ…」
「こんなカワイイコ連れてくるなんてぇ〜、ガイちゃんたらもォ、スミに置けないんだからッ!」
 店内は一斉に大騒ぎになった。

(ハ〜〜なんなんだろうねぇ、この店は…)
 オレ達はすっかり唖然としてしまっていた。
 そう言えば以前、ガイが今度一緒に行こうと言っていた、『冷えた魂が熱く揺さぶられ、心の底から人生を謳歌出来、全ての客と時を忘れてセイシュンとやらを熱く語り合える(聞いただけでもヤバげな)店』とかいうのは、ここの事なんじゃ…?! とようやく気付くが。

 時すでに、遅かった。











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