「カカシ! 頼みがある。ちょっと来い!」
 おおよそ人にものを頼んでいるとは思えない言葉遣いで、ガイが待機室に入ってくるなりオレの腕を掴む。
「――ちょッ……ナニ? まだ頭突きの借り返してないんだけど?」
 振り解こうとしたが、またあの馬鹿力で引きずられてしまう。
 脇ではその様子を、アスマと紅が目を丸くして見ている。
「ん? なんだお前、まだそんなこと根に持っとるのか? ハハッ、小さいっ! 小さいぞォー! 今すぐガッツとパッションを燃やせ! もっと愛と勇気ある広い視野で、世のため人のために余りある人知を最大限尽くそうではないか! ハッハッハッ」
(それ、意味わかって言ってる?)
 もう既にオレはぐったりだった。


 しかし、オレを待機室の外に連れ出すと、ガイは急に小声になり、何やらもどかしげに話し始めた。
「いや…な、頼みと言うのはだな、その…オレに、………を…教えて欲しいのだ」
「なに? 何を教えるって?」
 ようやく解放された腕をさすりながら聞き直す。
「だから、その…忍…術……を…」
「……………」
「頼むカカシ! オレの一生の頼みだか…
「断る」
「なっ、なぜだ! お前の空いている時間でいいんだ。ちょっとだけ、ほんのちょっと! なっ! なっ?!」
「嫌だ」
「印と、発動のちょっとしたコツだけ教えてくれればいい! 後は自分で何とかする! 頼む!」
「そんなものですぐマスター出来ないのは、お前もよくわかってるはずだ。そんなに習いたいならアスマにでも頼め。あいつも忍術には詳しい」
「あいつじゃダメなんだ、オレが知りたいのは水遁とか土遁術なんだ! どうしても一通りマスターしたいんだ!」
「ガイお前……それ習ってどうする気?」
 答えなら知っているのに、何故か聞いてしまう。オレは一体、何を確認したかったんだろう。
「…―――を助けたい」
「聞こえない」
「――――…長を…助けたいんだ」
「聞こえないね」
「…だからっ! アザミ隊長をっ、助けたいと! そう言っているッ!」
「…………」
「はッ、笑いたければ笑え! だが志しは曲げんぞ! マイトガイ、男の約束だッ!」
(笑えるわけ、ないでしょうよ…)
 おっ立てた親指を正面から突き付けられたオレは、心の中で返事を返す。
 じっと見たあいつの小さな目はどこまでも真剣で、嘘も、迷いも、恐れも、不安も、何もなく。
 自分を信じきっている、そんな目だった。
「消防の入隊試験、受けるのか?」
「あ? ……あぁ」
「ここを、抜けるんだな」
「…………」
 返事はない。でも皆まで聞く必要はもうない。
「――まっ…オレには関係ないか。じゃ明日の夕方六時、第二十七演習場。来れるか?」
「あっ、あぁ、もちろん行く! 必ず行く!」
「分かってると思うけど、一度や二度教わったくらいじゃ、入隊試験は受かんないよ」
「…すまん、恩に着る」
(んな顔、しないでよね…)

 ようやく願い叶って、ガイのテンションが人並みにまで落ちてきたというのに。
 何故かオレは、そんなアイツを見たくなかった。





 翌夕、第二十七演習場。
 オレとガイは、寒風吹きすさぶ荒涼とした演習場で、忍術の特訓を始めようとしていた。
 空には灰色の厚い雲が重く垂れ込め、既に周囲は夜の様相だ。

「――じゃ、最初は一番簡単な土流壁ね」
 オレは口頭説明は後に回し、まずはガイに見せるためにゆっくりと印を切ると、目の前に高い土の壁を一気に作り上げた。
「周囲は全部土だから、発動も一番楽なはずだ。とりあえず一度、やってみ」
 言われてガイが印を切り始める、が。
「オイ、ちょっと待て。お前、既に印からして間違ってるぞ?」
「え? 子、卯、酉、寅、申、寅、戌、辰、酉、未、丑、午、未、亥、巳じゃなかったか?」
「違う。子、卯、酉、寅、申、寅、亥、辰、酉、未、午、丑、未、亥、巳!」
「うッ……あぁ、わ、分かった、わかった。…ならばもう一度!」
 そう言いつつも、また最後の印を切り間違える。勿論術は発動されない。
 もう一度やると、今度は別の箇所を二つ間違えた。
(…………)
 演習場を、砂混じりの強い北風が吹き抜けていく。
「ガイ…あのさ、土流壁は印が十五しか無いけど、大瀑布は三十八、水龍弾は四十四も印があるんだけど?」
 オレは両手をポケットに突っ込むと、いつも以上に背を丸めた格好でガイに近寄りながら言った。
「よっ、四十四…?! ――とっ、当然、覚えるしかないだろうが!」
「まっ、そうだけど。じゃあ水龍弾の印を今から言うから、とりあえず覚えて帰ってね。――丑、申、卯、子、亥、酉、丑、午、酉、子、寅、戌、寅…
「ままっ、待て! 待てッ!!」
「何?」
「お、覚えきれん…。今、書き留めるから、ちょっと待て!」
 ガサゴソと懐を探っている。
「書き留めるって…それくらい空で覚えるもんでしょ。ウチのサクラなんて一発で覚えるけど?」
「うっ、うるさい! 万全を期すのだ!」
「…あ…、そ…」
 のっけから万事が万事そんなわけで。
 初日は寒い演習場くんだりまで行った意味が、全く無かった。



 翌々日、オレ達は再び同じ演習場に居た。
「印、覚えた?」
 開口一番、心なしか目の下に隈が出来ている感じのガイに尋ねる。
「あ、あぁ…何とかな」
 何となく自信無さげな返事。
「じゃあ土流壁から。やってみ」
 オレはガイのチャクラ量を考え、あまり近すぎてもまずいかと、少し離れた。
 ガイは呼吸を整え、印を間違わずに切っている。よし、いいぞ。
 発動。
 目の前の土がザラッ…と動き出す。
 が、すぐに止まった。
「…んんっ? なぜだ? 印は覚えたはずなんだが…」
 大の男がキョトンとして考え込んでいる。
「んーー、あのさガイ。そもそも最後にチャクラ練ったの、いつよ?」
「あの火事の時だが」
「その前は?」
「……半年…くらい前、か?」
「はっ、半年…。お前、よくそれで今まで生きてられたな」
 まぁそれは裏を返せば、忍術など全く必要無いほどにまで、体術を極めきっているという事なのだが。
 今はそれが、大きく災いしてしまっていた。
 目の前には子供が作った砂遊び程度の小山が残され、その砂山を、強い北風が瞬く間にさらっていった。





 アザミに緊急召集のかかった、あの笑死デートから十日ほど後。
 ガイの元に、彼女から「先日の埋め合わせをしたい」という連絡があった。
 いや、正確にはあったらしい。
 というのも、何も聞かされていないオレ達でも、すぐそれと判断が付くほど、セカンドデート当日のガイは浮かれきっていたのだ。
(ほんっと、わかり易いヤツ…)
 オレは待機室で帰り支度をしながら、傍目にその様子を見るにつけ苦笑う。
 ガイの特訓は遅々として進んでいなかったが、アイツなりに一生懸命頑張っているという事が分かるだけに、こちらも連日真面目につきあっている。
(さーて、今日は久しぶりに奴から解放されそうだから、イルカ先生を誘おうかなっと…)
 甘い策を巡らしている最中、すぐ脇までアスマが近付いてくると、煙草臭い小声で話しかけてきた。心なしか目が悪戯っぽい。
「オイ、行くだろ? ガイの後方支援活動」
「あァ? アスマお前、あん時あんなにヤバかったのに、まだ懲りてないわけ? んなもの行く訳ないでしょ、勝手にやってれば、ったく」
「おぉそうかい。そりゃ残念だなァ〜。いやな、イルカは行くって言ってたんだけどよ?」
「なッ…?! アスマ…くっそ…てっめぇ…!」
 思い切り怒気を込めて睨み付けてやったが、熊は煙草を口端で噛んだまま、髭面をニヤつかせている。
「でっ、行くのか、行かねぇのか?」
「…………ぃく…」
「結構。いいお返事だ」

 アスマがわざと大きく吐いた煙が、オレの顔にまともにかかったが、オレは両の拳を握りしめ、黙って肩を震わせるしかなかった。











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