アザミはきっちり時間通りに現れた。

 日も暮れてすっかり弱くなった斜めの光線が、彼女を薄く照らしている。
 途端ガイの中に緊張が走るのが、オレ達にまで伝わってきた。
 まるで飾り気のない男っぽい服装に、ノーメイクの上ベリーショートの黒髪。後頭部だけならガイのほうが女に見えなくもない。
 その二人が並んでベンチに腰掛けている様は、かなり不思議な光景と言ってよかった。
 挨拶を交わしたガイは、早速後ろに隠していたバラの花を手渡そうと、前に持ってくる。
 だがあろう事か、花はガイのアクロバットアプローチの練習の激しさに耐えきれず、半分散ってぐったりとなっていた。
 それを見たアスマと紅はもう笑死寸前だったが、イルカ先生からは酷く慌てた様子が伝わってくる。
 本当に可愛らしい人だと思った。


 アザミはよれよれになったバラの花を笑いながら受け取り、上着の胸ポケットに差した。
「すいません、つい浮かれて」
 ガイが頭を掻く。
「いや、気にするな。本当なら私が退院祝いに花を持ってくるべきところだったのだ。――そうだな、夕食は私が奢ろう」
「いや、アザミ隊長、それはいけません。こういうのは誘った方が払うのが約束ってものですから」
「まぁそう固くなるな。年上の言うことは聞いておくものだぞ。それから私の事はアザミでいい。君は私の部下ではないのだからな」
「ではオレのことも、ガイと呼んで下さい」
「わかった。そうしよう」
「ところで、アザミ…さん」
「ん、何だ」
「メシまでまだ時間がありますから、消防隊の話、もっと聞かせて下さい。オレ、アザミさんの言葉に真剣に感動したんですよ! こう…胸の奥深くで眠っていた獅子が、今まさにあなたの一言で呼び起こされたというか!」
「ふふ…、では消防に入隊するか? 入隊テストにさえ合格すれば、こちらはいつでも歓迎だぞ」
 アザミは面白そうに笑っている。
「入隊…します! いや、してくれと言われるよう今日から修行します!」
(なっ…?! 消防に、入隊だぁ〜?!)
 この台詞には、流石のオレ達も樹上で一斉に顔を見合わせた。
(ばっ……アイツ…!)
 本気で言ってるのか?! アカデミーの下忍指導も辞め、上忍としての本来の任務遂行も放棄して、この組織から離れるというのか?!
 いや、もしも半分は勢いだったとしても、アイツのことだ。残りの半分は、実行を前提とした本気で言っているに違いない。そのくらい、もう既に奴はあの隊長に参ってしまってるって事なんだろう。
 オレ達は、今度こそ本当に気殺が解けそうになって、酷く焦った。
「結構な心構えだ。君のような志を持つ者が大勢居てくれれば、私達も人材不足で悩む事は無いのだがな」
 どうやらアザミは、ガイの言葉を冗談と受け取ってくれたようだが、真摯な態度で消防隊の説明を始めた。
「消防隊と言っても、その役割は多岐に渡っている。君も先日見たように、実に様々な特殊班から成り立っているのだ。皆、個々の特性を活かした配置に就いてもらっている。ちなみにガイ、君はどんな忍術が得意かな?」
「にっ…忍、術…ですか。はぁ…いや、そっちは…あんまり…。――でもっ、体術でしたら里一番の自信がありますがっ!」
「そうか。いやな、消火活動では炎が相手ゆえ、体術のような接近型よりは、遠隔操作の可能な忍術のほうがより利用範囲が広いのだ。しかも水のない場所で水遁術を発動せねばならない。術者にとっては非常に過酷な条件だ。よって忍術の鍛錬は常に欠かせない任務の一つになっている。とはいっても、消防を難しく考える事はないのだ。君達が普段遂行している任務と同じと思って貰っていい。大雑把な説明だが、要は適性と努力と志しの三つなのだ。どうだ、少しは理解の足しにして頂けたかな?」
 アザミは現場の最重要責任者らしく、簡潔に、淀みなく話しきると、ガイの方を向いた。
「はっ…はいっ! …むうぅ〜俄然燃えてきたぞぉー! そうかぁ、忍術かぁー! 何にしろ目標は遙か彼方にあったほうが、努力のしがいがあるってものですよ。うーむ、ますます生きていくのが楽しくなってきたなぁ〜! 何たってオレの忍道は『人生は生涯青春』ですからね! いやぁ、気分爽快っ! ハッハッハ〜!」
 ガイはベンチに腰掛けたまま、大の字にぐうっと大きく伸びをした。隣でアザミが琥珀色の瞳を細め、その様子を眺めている。
 火事の現場で会った時とはまるで違った、随分と穏やかな表情だ。
「ガイ、君は実に面白い男だな。今時貴重だぞ。よく言われるだろう? いるだけで周囲に元気を与えるとな」
「いやぁーそれほどでもありますがッ! これも全てアザミさんのお陰ですよ! 青春ド真ん中ーーッ!」
 ガイはベンチから尻が浮いているんじゃないかと思うくらい、浮かれ、燃え、張り切りまくっていた。
(ちょっ、隊長っ! 頼むからその男をこれ以上煽ってくれるな!)
 オレは顔の右半分に手の平を当てて、がっくりと頭を垂れた。
 明日以降、アイツに会うのが恐ろしかった。


「――じゃあ、そろそろメシ食いに行きましょうかぁ!」
 ガイが腹筋を使って、座っていたベンチからぴょんと派手に立ち上がる。
「そうだな、君がいい店を知っているなら、そこにしよう」
 アザミも細身の体をベンチから起こしながら言う。
「もちろんありますとも! 客も店主も一緒になって、熱く青春を語れるナイスな店があるんですよ!」
 言いながら、ガイはすかさず立とうとしているアザミの顔の前に右手を差し出す。
「こらガイ。いくら私が忍でないと言っても、そこまでヤワではないぞ」
 一瞬意味が分からなかった様子のアザミだったが、笑いながら横からバシィッとガイの手の平を思い切り掴みとった。よく鎮火の後で、隊員同士が労をねぎらいあってやる、ハイタッチの握手、あれだ。
 だが、そのままアザミが自力で立ち上がろうとした時。
「?! ――待て、ガイ」
 彼女がガイの手を離して立ち上がるや、東の空の一点を凝視しだした。今度はガイの方が、訳が分からずきょとんとしている。
 オレ達も一体何事かと、背後の薄暗がりを振り仰いだ。
 目を凝らすと、灰色の空の向こうから物凄い速度で矢のようにこちらに向かってくるものがある。
(ハヤブサ……伝鳥か…!)
 二人の直前でバサッと羽を広げて一気に速度を殺すと、隼はアザミの左腕にしっかりと止まった。
 彼女は即座に足についている文を解き、目を通す。途端、その顔がサッと曇った。
「ガイ、済まない。また連続不審火だ。私はこれからすぐ現場に出向かなければならない。食事は後日に延ばしてくれないか」
 ガイを見上げたアザミの顔は、もう隊長のそれになっていた。強い光を放つ、凛とした目元がひどく強くて眩しい。
「…あっ、あぁ、もちろんだ。…気を、付けて…」
 突然の事態と、即座に表情の変わったアザミの様子にうろたえながら、ガイはようやくそれだけ言った。


「本当に申し訳ない。この埋め合わせは必ず」
 それだけ言うと、アザミは思い切り腕を振り上げ、伝鳥を東の空へと飛ばし返した。文の付かない状態で鳥が戻った場合は、すぐに行くという回答なのだろう。鳥を受け取った方は、その往復の時間で大体の相手の到着時間を割り出せる。
 隼の後を追うようにして駆け出したアザミの華奢な後ろ姿を、ガイは半ば呆然として見送った。

 そして樹上のオレ達もまた、いきなりの展開に言葉を無くしていた。
 アザミは今夜もまた、夜を徹してあの地獄の猛火の前で指揮を振るうのだろう。ガイならずとも、無事の帰還を祈らずにはいられなかった。

 陽はすっかり西に沈みきり、次第に北風が強くなりはじめていた。





 ガイが目に見えて意気消沈し、木枯らしの吹く中とぼとぼと家路に就いた後。
 四人は作戦会議と称して、場末の居酒屋に来ていた。(いや、もちろんオレは巻き添えを食らっただけだが…)

「――でもホント、考えてみれば随分と酷な幕切れだったわよねぇ。今回ばっかりは、流石にちょっとガイに同情しちゃったわ…」
 紅が手の中のコップ酒を見つめながら、誰にともなく言う。
「確かに…。これからも会うたびにああいった事があるのだとしたら、ガイ先生が気の毒ですよね…」
 イルカ先生など、まるで我が事のように受け取って、肩を落としてしまっている。
「――まっ、でもそれはお互い様でしょ。オレ達だっていつ呼び出されるか分かんない訳だし」
 更に『そのまま戻って来れないかもしれないのも、お互い様だし』と続けそうになったが、ぐっと口を噤んだ。
 そんな事は全員、百も承知だった。


「あの様子じゃガイの奴、完全に隊長さんにイカレちまってるぜ? どうするよ、このまま地平線の果てまで突っ走らせちまっていいもんなのかねぇ」
 アスマがマッチで煙草に火を付けている。
 ほんの僅かチャクラを使えばいいようなものを、この男はそれは流儀に反するとかで、頑なにごつい手でマッチを愛用している。
「でも、一旦ああなっちゃったら、もう誰も止められないわよ」と、紅。
 ややあって、四人は一斉に大きな溜息をついた。

「…しっかし、あのガイがあそこまで大人しく押さえ込まれた上に、消防隊に入るまで言わされるとはなぁ。正直恐れ入ったぜ」
(…同感)
 オレは無言のまま、酒を呷った。
「きっとアザミ隊長の人柄なんでしょうね。彼女には不思議な魅力がありますよ」
 思い人の言葉に、コップを下ろそうとしていた手がぴくりと止まる。
「確かにあの人は同性から見ても格好いいわね。ホレボレしちゃったわ。ガイがハマる気持ちもわかるような気がする」
「まぁ、常に命張ってる部隊の隊長なんてぇのはよ、人望如何にかかってる所が大きいからな。隊長が人心掌握術に優れてなきゃ、極限状態じゃ部下は思ったように動いちゃくれねぇもんさ」
 滅多に人を褒めないアスマにしては、これは最大級の賛辞だろう。
 どうやらガイだけでなく、この三人ですらあの隊長の人心掌握術にかかってしまっているらしい。
(参ったね、どうも…)
 オレは、もの思いにふけって誰も注いでくれなくなった酒を自分で満たすと、一気に呷った。

 しかし、本当に参ったのはその翌日からだったのだ。












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