「……ぅん…が…ぁ?」
 マイトガイが病院のベッドで目を覚ますと、医師とアザミが部屋の隅で立ち話をしている所だった。
 透明な朝日が大きく取られた窓から一杯に射し込んできていて、思わず太い眉を顰め、小さな目を細める。
「気が付いたか、ガイ上忍」
 アザミが近寄ってきた。服装は昨夜と打って替わり、ラフな私服だ。
「――ぁ…?」
 ガイは、小さな目をますます眩しそうに細め、アザミを見上げる。
「昨夜は本当に済まなかった。具合はどうだ? 彼によれば、明日中にも退院は出来るそうだが」
 病室を出ていく医師を横目に見やりながら、アザミが見下ろす。
「いやっ、もう治りましたッ!」
 起き上がろうとするその肩を、アザミの白い手がやんわりと押し止めようとするが、ガイは構わず上半身を起こす。
「まぁそう焦るな。もう一日、ゆっくり休むといい。君達上忍は入院でもしない限りまともに休めないと聞いている。火影殿には今朝、私の方から事の次第を話しておいた。君の勇敢な行為をとても喜んでおられたぞ」
 見下ろしてくる目元は、昨夜のそれとは違ってとても優しく見える。

「――アザミ隊長?」
「なんだ?」
「あなたはなぜ、消防隊に入隊しようと思われたのですか?」
 ガイは彼女の労いの言葉には答えず、俯いたまま急に神妙な声で訊ねる。      
「ん? 忍でもない、カタギの女が消防隊長などやっているのは納得いかぬか?」
 普段からよく聞かれているのだろう。不快な表情一つ見せず、アザミは僅かに笑っている。
「いっ、いや、そういう訳ではありませんが…」
 ガイは言葉を濁した。どういう訳か、自分はこの人物の前ではいつもの調子が出ないという事がようやくわかってくる。
「人は誰しも死の危険に晒されれば、自然と『助かりたい、生きたい』と思うものなのだ。それに理由などない。だから私は、そう願う者達を助ける行為にも、特別な理由など必要ないと思っている」
 アザミはきっぱりと言い切った。
「…え? …ぁ…あぁ――まったく、本当にその通りだ! 理由なんて何も必要ないのだな! そうか! そうなのかァ!」
 ガイは昨夜の炎の中の出来事を思い出した。
 猛火の中、コザサを見つけて両の手を伸ばした時。
 そして彼が小さな体で力一杯自分にしがみついてきた時。
 何が何でも助けたいと思った。絶対に二人で生き抜いて戻ってみせる、と心の奥底から強く強く思った。
 その気持ちに理由など、確かにどう考えても見つからない。
 理由などいらない。それでいいのだと思った。
「消防も救急も、救いたいと強く思う者がやれば良いのだ。その前では、男も女もない。忍かカタギか、という事すら問題ではないのだ。どのみち、そうでなければこの仕事は続かないしな」
 静かに熱く語るアザミの前で、ガイは大きな拳をぎゅっと握り締めた。彼女が居なかったら大声で泣き出してしまいそうなくらい、猛烈に感激していた。
 いつもの調子が出ないのは、この人からほとばしる烈々たる熱い情熱に気圧されてしまっていたからだとわかる。
(上等だ! 相手にとって不足はない!)
「アザミ隊長! 近々メシでも一緒にどうですかッ!」
 思ったらもう、口に出ていた。
「どうした、藪から棒に」
 アザミの澄んだ瞳がこちらを見ている。
 ガイは焼けて薄くなった両の激眉をピクンと持ち上げ、左目でウインクしながらニカッと笑った。
「気になる相手の事を知りたいと、思う心に理由なんて必要ないでしょうッ!」
 途端、アザミがふっと目を伏せて、小さく笑う。
「…ふ…参ったな…。ま、いいだろう。私は明後日の午後なら非番だ」
「決まりだ。では明後日五時に、木ノ葉公園で」
「わかった。君の退院祝いとしよう。それまでは充分に休みたまえ」
 アザミはガイの肩を、今度は手加減することなく思い切り押して、ベッドに寝かしつけた。





 待機室を出てから数分後、オレはガイが入院している部屋の前にいた。
 ドアノブに手を掛けようとした時、中の様子が伝わってきてふと手を止める。
 ガイとアザミが話をしていた。
 二人ともよく声が通るため、耳をすまさずとも丸聞こえだ。
(…………)


 結局、オレは最後までドアを開けなかった。
 しかも気付いたら無意識のうちに気殺までしているではないか。それには我ながら思わず苦笑してしまった。
 オレはそのまま待機室へと戻り、再び話を聞きたがってうずうずしている様子のアスマ達の脇を無言で通り過ぎると、サッサと仮眠室へと直行して横になった。
 今度はやたらとよく眠れた。





 ガイが病院で大人しく一晩寝て、退院した翌日の夕方。
 何故かオレは、イルカ先生と二人で木ノ葉公園にいた。
 昨夜の酒の席で、ついポロリと前日のガイとアザミのことを話したら、どんどん聞き出されてこうなってしまった。
「イルカ先生、やめときましょうよー。他人の、しかもよりにも寄ってアイツのデートなんて覗いたって、絶対面白くないですって〜! 馬が蹴りに来ますよ、危ないでしょ? ねっ、オレがとっておきの店で奢りますから。早く晩メシ食いに行きましょう〜。ねぇ、イルカ先生〜」
 後ろからツンツンと何度も肩をつつくが、巨大な針葉樹の上から下の様子を伺っているイルカ先生は、全く意に介していない。
「シッ! カカシ先生、声が大きすぎますよ。早く気殺して下さい!」
 唇の前に人差し指を立てながら、顔だけ振り向く。
「これにはガイ先生の一生がかかってるんですよ?」
 この人は真面目も真面目、大マジメでこの行為に臨んでいるらしい。いやもちろん、それはよくわかるのだが。
「でもだからって、オレ達が監視する事じゃないと思うんですけど…」
「監視だなんて、人聞きの悪い。応援と言って下さい」
「おっ、応援…」
「そう、応援です。カカシ先生もご覧になりましたよね。 この間、居酒屋で女性に帰られてしまった時のガイ先生のあのショックそうな顔。俺はもうあんなガイ先生は見たくないんです。だから、もし何かおかしな事になりそうだったら、何とか助け船くらいは出したいんです」
「助け船…、ねぇ…」
 そういうのを世では『要らぬお節介』と言うのですよ? と唇まで出かかった言葉を何とか呑み込み、オレは渋々脇の空いた枝に腰を下ろした。これ以上、この人に怒られるのは勘弁して欲しい。
 仕方なく気配を消そうとした、その瞬間。
 いきなり座っていた横枝が大きくしなって、二人の忍が枝先に現れた。
「よーぉ、後方支援部隊は首尾良くやっとるか〜」
 オレは色んな意味で枝から転げ落ちそうになり、慌てて側の枝を掴む。
「アスマ先生! 紅先生も。本当に来て下さったんですね! 有り難うございます!」
(ほっ、本当にって……なに、イルカ先生がこいつらを呼んだワケ?!)
「あら、まだ来てないんだ、二人とも」
 紅など、もうはや座りやすそうな場所に跳び移って『野次馬体制』に入っている。
「噂のアザミ隊長のご尊顔を拝みに来てやったぜぇ。この際ガイの顔は、モザイクでもかけとくとしてな」
 言いつつ、アスマはイルカ先生のすぐ隣にどっかと腰を下ろしている。あッ、そこオレが座ろうと思ってたとこなのにっ!
「応援は、多い方が心強いですからね」
 にっこりと微笑みながら振り返ったイルカ先生は、純粋にとても可愛かった。
 オレは怒るのも忘れ、すぐにうんうんと頷いてしまっていた。



「来たよ、ガイ」
 紅の言葉で全員が一瞬で気殺する。
 見下ろすと、いつも通りの格好で来たガイは、体の後ろに回した手に一輪の紅いバラを持っていた。
 それを見たアスマの肩が、いきなりプルプルと震え出す。
 これじゃあ気殺も何もあったもんじゃない。オレはアスマの背をきつく睨んだ。
 あいつは髭面を苦しそうにしかめながら振り返り、右手を手刀の形にして顔の前に出すと、『悪い!』のポーズをとる。
 まぁ確かにアスマが笑いたい気持ちもわかるけどね。
 オレだって一瞬吹きそうだったし。
 わかるけど、いきなりここでバレてイルカ先生を落胆させるのだけは止めてくれ。


 ガイは傍目にもそれとわかる程、異常にハイだった。
 こんなテンションであの隊長に会ったら、またお得意の「振り出し」に戻りそうな気がする。
 まずいな…と、そこまで考えて、オレは内心愕然とした。
(なによ、いつの間にかオレまでアイツに余計なお節介焼いちまってるし…!)
 たまらず頭を抱えた。


 そんな他人の葛藤など露知らず、ガイは枯れ葉舞い散る公園の一角で、いきなり体術の練習を始めた。
 それはよく見ると、どうもバラの花を手渡す方法を、アイツなりに検討しているらしかった。
 片足を軸にして、くるくるとコマのように十回転ほどした後、ピタリと止まってうやうやしく両手で差し出してみたり。
 舞い落ちてくる枯れ葉を、回し蹴りで猛然と20枚ほど粉々に蹴り散らしたあとで、おもむろに片手でスッと差し出し、ニヤリと不敵に微笑んでみたり。
 かと思えば、木々の陰を瞬間移動しながら、いきなり鼻先に花を差し出して驚かそうと試みたり。
 公園でくつろぐ人々が、皆驚いて遠巻きに見つめているが、ガイは全くお構いなしに次々と奇怪なポーズをキメまくっていく。
 これには紅の肩までが大きく震えだした。アスマに至っては呼吸困難で気殺が解ける寸前だ。
 二人は目の端に涙を一杯に溜め、体を苦しそうに折り曲げてヒクつき、それでもアイツの姿からどうしても目が離せなくてまた痙攣する、を繰り返す。
 絶対に大人しく気殺していなければいけないという負の抑圧も、かえって笑いを何倍にも増幅させてしまっていた。
 かく言うオレもかなりヤバくなって、慌てて口を押さえ、あいつを見ないように額当てを両目に下ろしたくらいだ。
 だが(こんな時、イルカ先生って…?)と必死で呼吸を整えつつ額当ての下から覗き見ると、とても嬉しそうに微笑みながら、静かに様子を見守っている。
(この人、こんな所でもちゃんと先生なんだ…!)
 オレは暫しの間、可笑しいのも忘れて変なことに感心した。












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