彼らが参戦しているレース会場は、隣県ではあるものの、かなり郊外の方にあった。これでもショップからは一番近いところらしい。
 ナルト達は車で二時間くらいかなと言っていたが、高速を使うような所ではなく、「帰りは渋滞して退屈だから早くバイクで通いたいぜ」とぼやいていた。
 早朝ということもあり、まだ道はそれほど混んでいない。都心を出れば、もっと空いてくるんじゃないだろうか。渋滞をすり抜けられるバイクでも、道は空いていた方が断然気分がいい。
 二人を乗せたバイクが青信号とともに発進し、赤信号で止まる。すると風とエンジン音が静まって、ほんの束の間会話の時間が与えられたような気分になる。その時間を使って、さっきからカカシさんに今日一日の流れをかいつまんで説明してもらっていた。信号待ちは時に短く、話は細切れにはなるけれど、その分凝縮された濃密な時間に思えた。
 先週は『バイクは気まずいと一緒に乗りにくい乗り物』だなんて思っていたけど、今はちょっと違う。
(気まずさを解消してくれる乗り物、だよな)
 不思議なことに。

 だがその説明が一段落して、今日何十回目かにはなるであろう信号待ちの際。
 何の前ぶれもなく、彼が「メット、買ったんだ?」と切り出してきて、その唐突さに内心「ぇ?」と思った。マンションを出てもうすでに二時間近くが経っているうえ、さっきはコンビニでバイクを止めて、十五分ほどだが朝食を兼ねた休憩もしていた。その時もイルカステッカーが貼られた真新しいヘルメットが、二人の目の前にずっと置いてあったのだが…。
「ぁ、はい。いつまでもお借りしてるのも良くないと思って」
(なのに、今頃ー?)
 色も白から黒になったし、風よけの透明なシールドも付けたから、いま唐突に気が付いたとも思えないのだが。
「合ってる」
「ぁ…ええ、たぶん大丈夫だと思います。お店の人に人に相談して、『あんまりきついのも良くないけど、最初からゆるいと気持ち内装がへたって緩んでくるから』って言われて」
 通称ジェットヘルメットというやつだ。カカシさんが被っている、目の辺りだけが出ているフルフェイスタイプも「如何にもライダー」って感じでカッコイイとは思ったけど、最終的には会話のしやすさや開放感を優先していた。
「ゃそうじゃなく」
「は?」
「……なんでもない」
(??? なんなんだ…??)
 ぐっと顎を引いて前を向いたままの男は、鼻から下はもちろん、目の辺りも濃い色のシールドに覆われていて、どんなに斜め後ろから見つめても何を考えているのかさっぱり読めない。

 その後再び、「天気が雨だった場合のレースはどうなるのか」という質問をした。すると「タイヤをレインタイヤにするか、途中から乾きそうなら溝のないスリックにするか、皆で相談して決める。皮ツナギは、降っていれば雨用のを着る」なんて話を聞いて、その本格さにますますワクワクしていた時だった。
「なんで、黒にしたの?」
(へ?)
 まるで何かのクイズみたいな発言に、(街の喧騒に紛れて聞き間違えたか?)と思いつつも、頭をフル回転して前後の脈絡を探す。
 彼とバイクに乗っているうちに、何となく乗り手のマイナスの部分を強い風が吹き飛ばして軽くしてくれているような、そんな気がしていたのだけれど、どうやら目の前の男はそれに加えて、言葉の前後までが吹き飛ばされて無くなってしまうらしい。
(ええとーそうだとすると、これは、ひょっとして…?)
 もうすっかり後ろの方に流れ去ったとばかり思っていた…あの話の続きか?
 幸い仕事で子供の相手をしているせいか、文脈のおかしさには免疫がある。
「――はぁ…、じゃカカシさんは? なんでシルバーにしたんですか?」
「…なんででしょ?」
「なら聞かないで下さいよ〜」
 言った途端信号が青になり、股の下にあるエンジンが高らかに回転数を上げていく。
(まったく…)
 バイクとライダーの二人して、俺を煙に巻いてくれてありがとよ!




「ぷはあぁ着いた〜! うわー、確かにそれっぽい!」
「ま、それだから?」
 ヘルメットを脱ぐと、建物の向こうからもうはや高いエンジン音や油の匂いがしていて、知らないなりにも胸が高鳴る。
 周囲を木々に囲まれた会場には、TVでしか見たことのなかったくねくねとしたコースが作られていて、その間を緑も鮮やかな芝が埋めている。観客の姿はまだないが、ここをナルトやサスケ達が走るのかと思っただけで、ワクワクしてくる。
 コース脇のパドックの方に行くと、もうはや参加者達のバックスペースがズラリと並び、皆がトランポと呼んでいるトランスポーター車からオートバイや工具類が運び出されて、どんどんスペースを作っている。どのチームも和気あいあいとしつつも、いじっているのがバイクとあって、朝から結構な活気だ。
 話に聞いていた通り、親子連れが多い。中には二家族で四人、五人と子供を連れてきている所もある。恐らく父親達はみなバイク乗りなんだろう。もしかすると母親も。
 バイク好きの遺伝子っていうのは、こんな風にして代々受け継がれていくものなんだなと、微笑ましく眺めながら歩く。

「あれ、アスマさん?!」
 そんな中に、見たことのあるガタイのいい髭面の男がいて、思わず大きな声が出た。今日も相変わらず黒の革ジャンがよく似合っていて、どこからどう見ても男臭さが充満している。
「おう、来たかセンセイ」
「いやあの、先生はやめて下さい」
 だが言い終わらぬうちに、「イルカセンセェ、おはようだってばよ!」というナルトの元気な声が飛んできて、タハハと苦笑った。綱手さんもサスケもいる。皆準備に大忙しと言った様子だ。
(おや?)
 「宜しくお願いします」と挨拶をした綱手さんに、「何か俺に出来ることをやらせて下さい」と言った時、スペース内にもう一人いることに気がついた。子供だ。アスマさんの大きな体の向こうに、随分と小柄な少年がへばりつくようにしている。でも確かアスマさんは、紅さんと…じゃなかったっけ?
「あの、お子さん、ですか?」
「んなわきゃねぇだろ。姉貴ん所のだけど、『今日はオートバイ以外にも勉強を見てくれる、いいピットクルーが来るんでしょ』って、押し付けられちまってよ」
「ええ勉強〜?! 見ませんよ〜」
 今し方「出来そうなことから」と言ったばかりだが、見るわけがない。ここはそういうのとは無縁だからいいのだ。だが一体誰からどうそんな話が伝わったのかと思っていたら、アスマさんと三代目が親子だと聞いて驚いていた。しかも木ノ葉丸というその子は、三代目と一緒に暮らしているという。道理で。
「三代目もちゃっかりしてるねぇ」
「狸ジジイだコレ!」
 どうやら今日は、思っていた以上に賑やかになりそうだ。


 一口にポケバイレースと言っても、過去の成績や乗っているバイクの排気量、そして年齢などでクラス分けがされている。しかもその中でもバイクによってはハンデが数十メートル分加えられて、スタート位置が後ろになったりと、かなりシビアかつ公平に行われてるらしい。今日は六つのレースが行われることになっているが、もちろん一発勝負ではなく、それぞれに予選があるから、全部で十二レースが行われる予定だ。更にその他にも、全くの初心者も参加可能な、チャレンジカップなるものが催されるということで、木ノ葉丸はそれに出るべく闘志を燃やしているのだが。
「かっ…かわいい〜!」
 初心者の練習走行の時間になったと場内アナウンスが流れ、レース場の一部を区切って作られた特設コースに出てきた人達を見た途端、思わず口元が綻んでいた。選手はみな四〜六才くらいの、まだほんの小さな子供だ。なのにちゃんとプロ顔負けの凝った皮ツナギを着ていて、バイクも脇に抱えられそうなサイズながら、プロのものをそのままぎゅっと圧縮したみたいな本格的な色形をしている。華奢な体に比べてヘルメットがやたらと大きく、まるでヘルメットが歩いているような感じなのに、バイクに乗ってコースを走りだすと一転、プロ顔負けといったライディングフォームに驚く。
 参加者の半分ほどはコースまで親が付き添ってきていて、まだオートバイを上手に走らせられない我が子に、あれこれアドバイスをしたりしている。自転車みたいに補助輪を付けたバイクの子もいれば、中には親が後ろから指示棒でバランスを取ってやったりしている。
「ちょっとなんなんですかあれ、可愛すぎですよ!」
「アスマオジちゃんも、満更でもなさそーだし?」
「ぷぷっ、ホントに〜」
 アスマさんは、三代目特製と思しきポケバイの後ろに取り付けられたバランス棒を片手で持って、大真面目の超本気モードでイッチョマエなライディングポーズを取っている甥っ子を、せっせと押してやっている。が、彼が少しでも支える手を緩めると、幾らもしないうちにポテンと転んでしまう。木ノ葉丸は新品の重い皮ツナギに着られてヨタヨタしているが、それでもアスマさんは安易に助け起こしたりせず、辛抱強くアドバイスをしてやっている。
(ははっ、センセイはアスマさんだな)
 とにかく絵ヅラが面白いから写メりまくる。紅さん達が見たら、バイクから転がり落ちそうになりながら大ウケしてくれそうだ。

「じゃあなイルカ先生っ、ちゃーんと見ててくれってばよッ!」
「おうっ! 行ってこい!」
 その後、いよいよナルト達の練習走行の時間になって二人がコースに出て行くと、その想像以上の迫力に目が離せなくなった。彼らは今回開催されたポケバイレースの中では最もレベルが上の「Aクラス」に所属しているらしいが、あれが街を走っている五〇tと同じエンジンとはとても思えない。綱手さん達は、一体どんな魔法を使ってるんだ?!
「うわー、めちゃめちゃスピード出るじゃないですか〜」
 しかもそのスピードを殆ど殺さないままカーブに突っ込んでいき、くねくねと曲がりくねったコースでは最短距離を鮮やかに抜けていく。怖くないんだろうか。転んだらとか、思わない?
(いや、きっと色んな葛藤と闘ってるんだろうな)
 あんな小さな体なのに。自分の手に余るようなバイクに果敢に跨がって。
 俺だったら自転車でもあんなに鮮やかには出来ない。というか、今の俺は木ノ葉丸といい勝負だ。間違いない。
「それにしてもすごいですね」と、興奮気味の溜息混じりに言うと、隣にいた男が「ここから世界チャンピオンが沢山輩出されてるんだ」と説明してくれた。
 言わばこの大会は彼らの大事なファーストステップで、ここで頭角を現せるかどうかで、更に上のクラスへ進めるかが決まってしまうのだという。彼らにもそれは常々言って聞かせているから、かなり必死らしい。
「今のところサスケはまぁ、間違いないところなんだけどね」
 ナルトに関しては、かなり微妙なところだという。しかも成長期の体は日に日に大きく、重くなっている。早くステップアップしてクラス替えをしていかないと、非力なポケバイではどのみち戦えなくなってしまうのだ。
「そうなったら、あとはないよ」と、カカシさんはきっぱり言った。
「厳しいんですね」
「やるからには、ね」
 現地に来てもまだ、頭のどこかでは「親子でやる休日のイベント」みたいな認識でいたが、甘かったなと思う。競う中で研鑽されて、一握りのプロを目指していくスポーツというなら、受験と同じような原理が働いていて当然だったのだ。


「だーいじょーぶだから。もう、そんなに落ち込みなさんなって」
「あううう…、申し訳ない〜…」
 なのに、早速やらかしてしまっている。
(あああナルト、ごめんなぁ…)
 ついさっき、準備に忙しい彼らに代わって、代理でエントリーシートを書きに行ったのだが。
 受付で二人分のゼッケンを貰い、カカシさんに言われるがまま、予選のスタート位置を決めるクジを引いたところ、サスケは最前列だったのに、ナルトのそれは最後列を引いてしまっていた。





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