レース場からの帰り道は、信号で止まるたび、カカシさんと色んな話をした。朝よりもくだけた話が出来るようになっていると感じたのは、多分気のせいじゃないだろう。彼の方も、そんな俺の中の変化を察したみたいに心安く返してくれている。
「…はぁ…そうなんだ? でもそもそもあの辺て、そんな道に迷うような道路自体、あったっけ?」
「…しょっ、しょうがないじゃないですかぁ〜」
「え〜〜、ドラム缶橋で靴とか服って濡れるフツ〜?」
「濡れますよ〜絶対〜」
 初めて会った「あの日」の話を最初から説明しようとしたところ、早々に脱線してお恥ずかしい話になりだしている。道なき道でも走るような男だ、話が横道にそれることなどわけもない。
「そんなんで自転車とかって乗れるの〜? ぁ、車の免許って持ってるんだっけ?」
「ぇー…まぁ自転車は、もう七年くらい乗ってないんで…、車は…車も、取ってから一度も…」
 男は『ドラム缶橋をまともに渡れない方向音痴の人間が、どのジャンルに弱いか』ということを、まるで前世から知っているみたいにピンポイントで突いてくる。
 でも俺は刀でもなければ出刃包丁でもないのだ。バターナイフはバターとマーガリンにしか使えないのだ。
 悪かったなぁ! ナイフって付いてるのに何も切れないやつで!


     * * *


「ま、そーゆーことで」
「ああ」
「おう」
「わかったわ」
「んじゃあとでねぇ」
 皆が短い返事をして踵を返すと、沿道に停めてあったそれぞれの愛車に向かって歩いて行く。
 国道沿いの道の駅の駐車場。天候・晴れ。
 ガイさん出場のショーを見に行くべく、五人のライダーと一人のタンデマーが集まってきている。今カカシさんが大まかな道順を話し終えたところだが、「信号で別れても待つことはない」と言っていた。
 ここから会場まであと一時間近くあるとのことで、ここに来るまでも、皆二時間以上バイクを走らせてきている。でもそれならもっと都心に近い場所で集合すればいいようなものだが、なぜわざわざこんな遠く離れた所で集合?
「は? だって、みんな好きに走りたいでしょ?」
 俺の素朴な質問に、カカシさんは「なぜそんなことが疑問になるのか?」と言いたげな様子だが、詰まるところ『ライダーは皆が皆、同じ時間、同じペースで走れるわけではないから』ということらしい。
「例えば今日アンコが乗ってきたバイクは、トライアルやオフロード向けのバイクだから、長時間の高速走行は得意じゃない。アスマはすぐ停まって煙草を吸いたがるし、冷えれば手洗いに行きたくなるタイミングだって違う」
「あ…なるほど」
 車とは違い、そんな個々の事情が大きく影響してくる複数ツーリングだと、全員で長時間一緒に走るよりかは、半分程度は自分のペースで好きに走った方がストレス無く楽しめる面もあるんだと聞いて、大いに納得していた。
「それに今日は居ないからいいけど、これにガイが加わったりしたら、すぐ『近道だから林道行くぞ』とか言い出すしね」
「あははは! それに付き合えるのは、アンコさんとカカシさんだけですね」
「やめて〜一緒にしないで〜」
 
 皆で集まった際、レストランで食事もしたのだが、そこでもちょっと面白いことがあった。
「゙あぁ〜〜」
「゙んん〜〜」
「゙おぉ〜〜」
「ぇっ?! …ゃっ、あのっ…?」
 それは席に着くや起こっていた。全員が全員、出されたおしぼりを手に取るや、無言のまま一斉に顔を拭き始めたのだ。この際アスマさんと見慣れてきた感のあるカカシさんはまだアレとしても、紅さんやアンコさんすら、何の躊躇もない。いつもファッショナブルでクールなゲンマさんまでが子供のようにゴシゴシしていて、周囲で家族連れやカップル達が目を丸くして見つめる中、顔拭きタイムが続くこと暫し…。
「――はぁぁ〜〜、すっきりしたぁ〜」
 アンコさんが首までゴシゴシしていたタオルを取ると、本当に気持ちよさそうな晴れやかな笑顔を上げている。
「…やっ、えっと…」
「あら、イルカは? 拭かないの?」
 すっきりするわよと紅さんに言われて、その余りのナチュラルトーンにむしろ戸惑いを深める。これまで紅さんに対して抱いていたイメージが、いきなりちゃぶ台返しにあったような。

「そうねぇ、最初の頃はちょっと抵抗があった気もするけど、もう忘れちゃったわ〜」
 顎や首筋まできっちり拭いていた紅さんに「だってすっきりして気持ちいいんだもの。イルカも遠慮なんかしないでいいのよ」と、編み込みも眩しいあの妖艶な笑顔で言われると、それまでのこだわりはどこへやら。もうすっかり「ヨーシ!」な気分になる。単純!
「ぷっはーー!」
 そうして実際に拭いてみると、本当だ。ごく薄くではあるけど、タオルが黒くなっている。普段車や電車、徒歩での移動をしているとなかなかわからないが、道路というのは例えヘルメットを被っていても意外と汚れる所らしい。そして汗や埃で塞がっていた諸々がきれいさっぱり無くなると、「俺ってなんで今まで、こんな気持ちいいことやってなかったんだ?」な気分だ。
 ちなみにこのお手拭き反射(?)は、もう殆どライダーの習性といってもいいものらしい。道理で初めてカカシさんに会った際、ナチュラルに拭いていたわけだ。ライダーって面白い。
 ああそうだ、ただ一つだけ、バイクの気に入らない所を上げるとするならば。
 こんな遠くまで延々走って来ているのに、その目の前にあるめちゃくちゃ旨そうな激安のとれたて野菜や魚が、殆ど何一つ持ち帰れないまま立ち去らねばならない所だろう。くうっ!
 

「あはははっ、すーーげぇ〜!」
 国道に出て走り出すと、前にも後ろにも見知ったライダーが等間隔で走っていて、その初めて見る勇姿になぜだかとても誇らしいような、晴れやかな気分になった。
 この一直線に並ばず、互い違いに走る形を「千鳥走行」というそうで、互いの視界を確保するのに都合がいいんだそうだ。うん、確かにな。
「おぉーーい!」
 つい嬉しくなって、皆に向かって手を降る。と、前からはアスマさんと紅さんが手を上げてくれ、後ろではゲンマさんが缶コーヒーを掲げて乾杯ポーズをとったり、アンコさんが両手を大きく振って(!)くれたりしている。
「あははっ、いいっすね、楽しい! 最高〜!」
 カカシさんの肩を叩きながら、風に向かって笑い飛ばす。
「そーお?」
「そうですよ〜!」
 バイクって、一人でどこでも気ままに走れるところがいいんだろう。けれどそれを半分犠牲にしてでも、気心の知れた仲間と一緒に走りたくなる気持ちが、よくわかった気がした。
 途中、道路がクネクネとカーブを描き始めると、誰も何の合図も出していないのに、いきなりアンコさんと紅さん、そしてゲンマさんがほぼ同時にぱーっと加速をしだして、あっという間に視界から消えてしまった。
(え、え? あの? あれ〜??)
 でもこれも、長年一緒に走ってきている者同士の「いつもの呼吸」らしく。山道が終わりを告げる直線道路にさしかかった所で三台が路肩に停まって待ち受けていて、再びきれいに合流していく。
 ちなみにアスマさんのバイクは、こうしたワインディングを攻めるというよりは、ひたすら直っすぐな開けた場所で、桁違いの加速感を味わうタイプということで、こういった道路では静観するらしい。もっぱら「高速道路で消える派」なんだそうだ。
 前後の楽しすぎる光景にすっかり興奮して、自分を揺さぶるエンジン音も風音も意に介さず、道々目の前にいる男に質問しまくったところによると、たまに綱手さんや三代目も、自前の古いバイクでツーリングに参加することがあるらしい。
「へぇー、いつもは原付とかで来てますよね?」
「すぐ近くに住んでるからね」
 でもカカシさん曰く、「本気出したらオレらなんかより遙かにイッちゃってる」らしく。
「たった一度の免許交付で何でも乗れた時代の鉄馬乗りは、センスもフリーダムさもまるで違う」ということで、是非近いうちにその勇姿を見てみたくなっていた。
 そういえば世の一般的なバイクショップというのは、その店が主に力を入れて売っているメーカーや車種のファンが集まってくるため、客層という点では偏っていることが多いらしい。
「でもあの店は、違いますね?」
 入れ替わり立ち替わりやってくる来る客やバイクが皆バラバラで、これといった一貫性がないらしいことは、素人ながら薄々気付いていた。
「ま、そーね」
 そもそも店頭に売るべきバイクが一台もない。いつ行っても二人は油まみれになって熱心にバイクをいじっていて、営業活動などする気もないといった様子は、とても販売店には見えない。なのに年間の売り上げ台数と金額は、不振の続くバイク業界では群を抜いているのだという。
「それって、殆どはカカシさんなんじゃ?」
 彼が頻繁にバイクを替えている「浮気性」だという話は、今まで話をしたお客の誰もが一度は口にしていて、まるで彼につきまとうキーワードみたいだった。
「んな何十台も買うわけないでしょー」
 それには流石の男もヘルメットの下で苦笑いしている。
(…と、いいつつも)
 自分にはなんとなく、つじつまが合ってしまう部分がある。つまり、心当たり。
(あの店でバイクを頻繁に買い続けることで、彼なりに間接的にポケバイレースの費用を負担してる…?)
 すると、まるでこちらの頭の中を読んだみたいな返事が返ってきた。
「暫くは、替えないつもり」
「へぇ〜暫く〜?」
「あぁもう、いいじゃない。――とーぶん!」
 そんなこんなで、結局到着まで色んな話を続けた。お互いが続けようと思えば、例え風が何度会話を吹き飛ばそうが、尻の下から響くエンジン音がどれほど邪魔しようが関係ないんだろう。
 その道すがら、一番胸の内に響いたのは、カカシさんの「あと四年もすれば、この車列にナルト達が加わるんじゃないの〜?」という言葉だった。


     * * *


 午後から始まった、ガイさんとそのチームが初デビューを飾った国際ショーは、本当に凄かった。
 「フリースタイルモトクロス」という名称のそれは、元々自転車でやっていたアクロバティックな技をバイクに置き換えながら進化してきているらしいのだが、最近では自転車でも出来ないような、バイクならではのとんでもない大業が続々と出始めて、欧米では人気急上昇中のカテゴリらしい。うん、わかる気がする!

「うーわー、なんだこれ! もしかして、あれで飛ぶんですか?!」
 普段はオフロードレースをやっている敷地内に作られた広い屋外会場に行ってまず驚いたのが、派手なメーカーのロゴに彩られた二組のジャンプ台の、常軌を逸した高さと角度だった。それ自体は金属製の組み立て式らしいが、人間でもよじ登ることが出来るのは、ごく一部の登山経験者だけだろう。そんな所を、バイクで突っ込んでいって、飛ぶーーー?!
「そ。跳んだら高さ一〇メートル。距離も三〇はいくかな」
 だがカカシさん達は見慣れているのか、けろっとしたものだ。客席に来た時、まだ前の方が少し空いていたのに、そこには目もくれずに「ここにしよう」とさっさと最上段の席に腰を下ろしていた。その時は、(え、ちょっと遠くないか?)と思ったのだけれど、ひょっとしてこの席、言うほど遠くなかったり、する…?
「でもそれって、転んだら洒落になんないんじゃ…」
 自分で言った瞬間、つくね足のガイさんの姿が脳裏に浮かんできて、より一層ハラハラ度が増してくる。こんなことなら交通安全のお守りの一つでも貰ってきて渡しておくんだった。
 会場にはノリのいいロックやヒップホップがガンガンかかっていて、客席と走行スペースを分けている仕切りの部分には、バイクメーカーやツールメーカーなどの派手なフラッグが所狭しと掲げられている。野球場ほどもある特設のひな壇には、隙間なくびっしりと客が埋めていて、外国人の姿も多い。MCも二人いて、英語と日本語が掛け合いをしながら飛び交っている。
「うおーー! いいぞガイさーーん!!」
 そんなわけで、選手達がハードなBGMと共に颯爽と会場に乗り入れてきた時には、プロレス的演出も相まって、もうすっかりテンションが上がりきっていた。隣でみんなが目を丸くしているのは、小手調べといった感じで次々ジャンプしている選手ではなく、多分俺に対してだ。





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