自転車のそれより遙かに高く、遠くへ、ダイナミックに。バイクの中でも特に加速のいいらしい、ツーストロークエンジン特有の高い回転音が、嫌でも気分を押し上げていく。
 そこからのパフォーマンスの数々については、もう笑ってしまうとしか言いようがなかった。実際映画のCG以上にすごい光景に、「えッ?」「はッ?」とポカンとしていたのはものの数分で、その後口元は殆ど笑った形に開いたまま、ただただ手を叩き続けていた。
「なんなんだあれ〜?! ほんとに回っちゃってるよー!!」
 だって人間がバイクと一緒に大空を背景にクルクル大回転して、しかも難なく着地するなんて! そんなの特撮ヒーローだってやってなかったぞ?!
 一体、誰がどうやって思いつくんだろう? 『天に向かって飛びだしたバイクから両手両脚を離して、シートの上でスーパーマンのように飛んでみたり』、逆に『ハンドルから手を離して足先で引っ掛け、バイクの上で空に向かって仰向けにエビ反ってみたり』なんてこと。(もちろんそのあと、ちゃんと転ばずに着地もしているわけで)
(…でも、どれもいとも簡単にやって見せてはいるけど…)
 よく考えれば実は相当危ない、ある意味「かなりバカなこと」のオンパレードなのは明らかだ。
 屋台のアイス三個目だというアンコさんの、「あっははは! だーから面白いんじゃないのさぁ〜!」という意見に異論は無いのだけれど、どうも初対面が怪我をしているガイさんだったせいか、一旦あの絵づらを思い出すと、どうしてもハラハラしてしまう。
「大丈夫だろ。あいつは本番ではミスはしねぇよ」
「え…、そうなん、ですか」
「そのための努力は、呆れるくらい惜しまないのよね」
 「昔っから」という紅さんの言葉にも、それでもまだ大きくは頷けないでいる。
「だってよォ、見てる客にそんなことを心配させてるようじゃ、人を楽しませるプロとは言えないだろうよ。アイツがそんなんで良しとするような男かよ」
「あ……はい!」
「だからさ、こっちもアタマ空っぽにして楽しめばいーんだって」とカカシさんに言われ、もう一度両手で即席メガホンを作った。
 MCに解説されながら次々繰り出される技は、ますます難易度を上げていく。前へとふっ飛んでいくバイクを後ろからつかまえて乗り込んでみたり、ジャンプ台からは真っ直ぐ飛び出しているのに、空中でなぜか横向きや斜め方向に回転して着地したり。
 極めつけは、自分は回らずに、バイクだけ空中でくるりと一回転させて乗り込む技で、なんでそんなことをやろうと思ったのか、その発想と度胸に驚くを突き抜けて笑ってしまう。
 そうしてガイさんの言っていた前人未踏の「前方二回転」が無事決まる頃には、いつの間にか「信じらんねぇ〜!」と叫びながら大笑いしていた。いや、信じられる。これはCGではありません!
 一人で大技を披露する外国からの招待選手も多かったが、ガイさんのチームはとにかく息がピッタリで、その点も良かった。レベルの高いチームメイト達と組んだ、息も吐かせぬ押せ押せの連続技は見応えたっぷりで、会場は拍手喝采だ。
 アンコールがかかり、バイクと共に右半身を地面に水平にして飛んでいく大技を繰り出した瞬間、明らかにこちらに向かって親指を突き出していて、ほぼ同じ高さで目が合った俺は、興奮しすぎて泣きそうになっていた。
(もう〜〜…)
 カッコイイとしか、言いようがない。
(「バカ」が感動に変わるまで、突き抜けられるなんてなぁ)
 どんなに転んでも、ただひたすらに信じられるなんて。
 今日二度目のラストショーということで、最後は泥水のたっぷり溜まった所にわざと集団で突っ込んでいって、前か後ろかもわからなくなるまでドロドロになっている。なのにカッコイイ!
「はははー、ホントにセイシュンだぁ〜〜!」
 すっかり泥人形と化した中、真っ白い歯がやたらに光って見えることで、辛うじて彼だとわかるエンディングに、全員で惜しみない拍手とあらん限りの声援を送った。


     * * *


「じゃあ、お先にね」
「遅くなると天気が怪しいらしいぜ、とっとと帰れよ」
「まったねー、ショップでねー」
「はい、ありがとうございました!」
 ショーが終わり、ライダーでごった返す駐車場で、皆に頭を下げる。ここから先は混雑が予想されるため、高速に乗る者、高速には乗れるけど一般道をマイペースで帰りたい者、そして高速に乗りたいけれど乗れない者、の三者に別れて都心を目指す。
「え、首都高って、二人乗り出来ないんですか?」
「そ、高速だけどね。交通量多いから」
(そうか、ちょっと期待してたのにな、高速…)
 てっきり二人乗りでどこでもいけるのかと思っていたら、例外もあると聞いて内心落胆していた。
「これでもタンデムに関しては、道交法改正で随分と規制が緩くなったんだけどね」というカカシさんによると、少し前まではバイクの高速での二人乗り自体、全面禁止だったらしい。
「さて、じゃこっちも行きますか」
「はい」
 
 でも考えようによっては、高速に乗らない分、行きと同じように沢山話をする機会が出来たとも考えられるわけで。
「えへへ〜、あちこちに看板出てるから、めっちゃめちゃ気になってたんすよ〜」
「そんなに買って、重くない?」
「平気です。こんな安いの素通りしたら、バチが当たりますって」
 道路沿いに建てられた直売所に停まって貰い、思わず果物を買い込んでいた。だって安い! 旨そう! しかも陽気な店主にオマケまでして貰って、ホクホクしながらバイクに跨がる。道の駅で果たせなかった思いを、背中のリュック一杯に詰め込んだらしゅっぱぁつ!

「へぇ、あれアイスなんだ? うん食べたい、食べよう!」
「えぇーーホントにーー?」
 しかもその三〇分後には、道路脇でパラソルを広げていたおばちゃんから、アイスを買っていた。もう店じまいするところだったとのことで、わざわざ一度しまったアイスの道具を出してきてくれたというのに、カカシさんは「いや、オレはいい」という。
「あ、でも旨い。結構いけますよ」
 半ば無理に停めて貰ったせいで、アイススタンドからだいぶ離れたカタナの所まで歩いて行きながら、シャーベット風味のアイスを舐める。その横を、ショー帰りと思しきライダーが数台、走り抜けていく。
「そう」
「どうです? 一口」
「いや、いい」
「シンプルで、優しい味ですよ。そんな甘くないし」
「いいよ、一人で食べて」
「えーーなんか寂しいなぁ、俺だけ食ってるのって」
「いいじゃない、食べたかったんでしょ」
「折角だからカカシさんも」
 言ってぐいと鼻先に差し出すと、仰け反った男の細めの眉が、ぐっと寄っている。そのすぐ脇を、再び十数台のオートバイが走り去っていく。
 だが束の間逡巡していたものの、仕方なさそうにコーンと一緒にぱりりと口にした男に、更に目線でもって感想を促す。
「甘い」
「あっ、食べましたね」
「えっ?」
「これで道草の共犯だぁ〜〜♪」
「なにそれぇ〜」

 だが、そうやって休憩(?)を挟みながら二時間ほど走り続け、いよいよ都心のビルの明かりがシルバーメタリックのヘルメットを照らしはじめた頃だった。
(えっ? あ…っと?)
 すっかり暗くなっていかにも重そうだった空から、ついに雨粒が落ち始めた。しかもかなりの大粒だ。
「うわぁ、ダイレクトー!」
 体にバシバシと音を立てて当たりだした衝撃は、スピードが出ている分より激しい。シールドがあってまだ良かった。無かったら目を開けてられないばかりか、息だってまともに出来たかどうか。
 オートバイに乗せて貰うようになって最初に気になったのは、天候だった。雨の日、彼らはどうしてるんだろうと常々思っていた。そもそもそんな日は乗らないのか? でもこんな急な雨で、雨具も持っていないとなれば、どこかに雨宿りするしかないだろう。でも実際走ってみると、都心のビジネス街は思っていた以上に屋根のある適当な店がない。
 そうこうするうちにも一足飛びに雨足は強くなってきて、ヘルメットの透明なシールドの上を、無数の水滴がほぼ真横に走りだした。どうやら「馬の背を分ける」といわれるような中に突っ込んだらしい。
「うぶぁ、カカシさん!」
 彼には悪いが、彼の陰から体を出すと余計に濡れることから、彼の背中にへばり付くようにして、出来るだけ体を小さくしながら呼び掛ける。言うほど小さくはならないけど。
「なーに〜」
 だが彼の方はもっと酷い状況だろうに、スピードの一つも落とさないまま、随分と機嫌の良さそうな、へらっとした返事が返ってくる。
「どっか、止まらないんですかっ?!」
「止まって欲しいの〜?」
「え? ゃ、そりゃあ…」
「止まらないよ〜!」
 周囲の車が、ドシャーと盛大に水溜まりをはね飛ばす水音の中に、「さっきのアイスのお返しー」という声が聞こえてきて、呆気にとられた。
「ぷはは、なんだそれぇー!」
(まぁ、どのみちだ)
 いまさらどこかに停まった所で、もう手遅れだしな!

「うーわぁーー、すーげぇきれえ〜! 」
 バイクが東京一の繁華街にさしかかると、濡れたシールド越しに見える夜のネオンが、まるでクリスマスのイルミネーションのように滲み、光り輝いていて、大雨の中何度も空を見上げる。周囲を走る車の中から、人々が好奇の目を向けていることさえ何やら愉快で、端から笑い飛ばしたくなる。
(へへん!)
 カカシさんには、仕返しなんてさせてやらないのだ。
「うっほほーい! パンツの中までぐっしょりだぜー!」
「それを言うならびっしょりでしょ!」
「はははは! 失礼しましたーっ!」
 もうすっかり雨を楽しんでしまっている。バイクは雨だと乗れない? そうだろうか。バイクに跨がれば、世界はいつだって、こんなにも刺激に満ち溢れている。そうだろう?

「くそ、負けたー」
 結局、俺のマンションまで一度も雨宿りすることなく走り続けたものの、駐輪場の屋根の下に移動してヘルメットを脱ぐなり、カカシさんが開口一番悔しそうに笑っている。
 あのあと酒も呑んでないのにやたらと気分がハイになって、大雨の中ケラケラとバカみたいに笑いまくっていた。ひょっとするとさっき見たガイさんのショーも、テンションの噴火に一役買っていたのかもしれない。お陰でぜんぜん寒くなかった。
 しかもざんざん降りの中、勢い余って新しい二人乗りスタイルまで開発してしまった。それまで足を乗せていたタンデムステップから両足を離して、前で運転しているカカシさんの腹に両脚で抱きつくように絡めるや「フリースタイルタンデム走行!」と一声。バカすぎる。
「やっ、ちょと?!」
 しかもその瞬間、カカシさんがいつになく慌てていて、内心「してやったり」だ。
「すいませーん、タンデムステップ、無くなりましたぁ〜!」
「ハァー?! なにそれ、当てつけ〜?」
 だが言ってるその声が、途中から半分笑ってしまっていた。

 大雨に一般常識が流されて、かなりおかしくなっていた二人だが、目的地に着いてバイクが停まれば旅は終了だ。それくらいはわかる。
(でも…)
 どうしてもこのまま別れたくなかった。この気持ちが消えてしまう前にどこかに繋げておかなくては、いてもたってもいられないような…。なんだろう、俺ってこんなに聞き分けのない大人だったろうか? あぁ、でも…!
「あの!」
 すると、唯一髪の毛と顔だけが乾いている男が、黙ったままこちらを見る。
「…あのっ、…ぇと…」
 いつもは斜め横方向からしか目を合わせてないような男に真向かいからじっと見つめられて、出かけた言葉が詰まる。いや、そんな目で見つめてもらっても、全然大したことじゃないんだけど。
「その……また、ツーリング、連れて行って下さい」
 今の今まで運転妨害をしていた男が何を言う、と言われたらそれまでだけど。
 でも、それらも全部含めて、すっげぇ楽しかったから。

「――そう。…じゃ山とか、行ってみる? キャンプも出来るよ」
(えっ)
「っ、キャンプー?! うわやりたい! でも荷物なんてぜんぜん積めないのに、出来るんだ? あぁレンタル?! うわやってみたいです! やった、やろうやろう! はいっ、お願いしますっ!」


(…タハハ、やっぱ言われちった)
「でもその日は高速とかも走るから、運転妨害はやめてね」
 携帯をつき合わせて連絡先を交換しあったあと、男はそれだけ言って、小雨の中帰っていった。
(気をつけて)
 いつものように、道路端まで出ていって見送る。
 今日のお礼が、雨に濡れた交通費と梨二つでごめんなさい。本当に、ありがとう。





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