「うははーーっ、こんなでっかいバイクで風呂に行くって、なんか面白ぇ〜!」
 二人の間に出来た空間に、ごみ袋にまとめた二人分の着替えやタオルを押し込んで走っている。うーんワイルド。というよりアバウト。カカシさんは「大丈夫」と言ったが、ぎゅっとしがみついて挟んでないと振動で落ちそうだ。
「帰り、湯冷めするかもよ」
 舗装された白樺林を右へ左へと抜けながら、前を向いた男が応える。確かにな。でもその後にもお楽しみはまだまだ沢山控えているのだ。とても体が冷えるような気がしない。

 バイクで十分ほど走ったところに、目指す町営の入浴施設はあった。
「うわー、すげぇ豪華じゃないですか!」
 大型の内風呂から各種露天風呂、ジャグジー、サウナ、開放感溢れる清潔な休憩室や特産品コーナーまである。普通ならここで丸一日を過ごすような所なんだけどな〜と、勿体なさを覚えつつも、大急ぎで片端から入る、入る、浸かる、浸かる。そして腹の底から大きな溜息を吐く。
「っはぁ〜〜〜!」
「なに、そんな風呂好きなの?」
 タオルを腰に巻いたカカシさんが、ざぶざぶと入ってきて反対側の淵に腰を下ろすや、呆れたような顔をしている。
「あったりまえじゃ〜ないですかぁ〜」
 露天風呂の岩にくったりと頭を乗せて、極楽気分の中ふわふわと答える。そういえば今のところに就職してから、一度も日帰り温泉的な所に行ってなかったなと思う。学生時代はラーメンと並んで大好きだったから、仲間達とあちこち入りに行っては、地元の有名ラーメン店に寄って帰ってきていたというのに。
 ひょっとして俺は、いつの間にか色んな事を我慢し、忘れながら、少し鈍くなった自分を「大人になった」ということにして、ヨシとしてたんだろうか、とふと思う。
(――バイク旅なら、思い出せるのかなぁ…)
 考えすぎかもしれないが、あのバイク屋にいる人達はみな例外なく、鋭敏なものをどこかに持っているようにも思う。
 
「ハーー…、ったく、どこ見てんの?」
「へ?」
 斜めになっていた呆け頭を、真っ直ぐに戻す。あれ、俺いま何か話かけられたりしてた?
 と、「そろそろ行くよ」とだけ言ったカカシさんが、そそくさと立ち上がって出ていっている。ぇもうー? いま浸かったばっかなのに?
(お〜、でもやっぱいい体してんなぁ)
 背中を眺めつつ、心の中で感嘆の溜息。一見しただけでは、色白でほっそりとした繊細な印象なのに、脱ぐと落差にびっくりする典型かもしれない。
 バイクの後ろに乗って、服の上から腹の辺りに掴まっただけでも、(ううむこいつは相当…)と思ってはいたが、実際目の当たりにすると、自分自身が男として少し恥ずかしくなるほどだ。

 でも大いに納得する部分も、少なからずあった。
 実は今朝、パーキングエリアでバイクを降りてベンチで休んでいる時、何となく興味が湧いてきて、少しだけバイクに跨がらせて貰っていた。
 最初、「あのカカシさん、ちょっとだけカタナに跨がってみたいんだけど?」と切り出したら、彼がほんの一瞬、でも明らかに逡巡している様が見て取れた。
(あれ、マズかったかな)
 いつも殆ど表情を変えないのに、どこか不安そうな、そしてそう感じていることを俺に悟られぬよう打ち消そうとしているような、そんな感じにも思えた。
「ぁ…やっぱダメだよね」
 男の趣味なんて、一から十までこだわりと思い入れで出来ているようなものだ。ライダーで言うならば、それは即ちバイク。それにほぼ全てが集約されているといっていいだろう。だからそう簡単にホイホイと誰にでも触らせたり、ましてや跨がらせたりなどしないだろうということは、自分も訊ねる前から重々承知していた。そうでなくともリヤシートにはこうして度々乗せて貰っているのだ。贅沢言っちゃいけない。全てはいいと言ってくれたら、の話だ。
「――ん…いいよ」
 だが予想に反して、彼はいつもの落ち着いた横顔に戻ると、小さく頷きながら立ち上がった。
「え、え、ホントにいいんだ。うわやった」
 急に鼓動が早くなってきて、口元が勝手に笑ってしまう。
 そうしていそいそプラスおっかなびっくりで跨がらせて貰ったバイクの、問答無用の迫力と言ったら…。今までも後ろには乗っていたけれど、小さめの風防の下に一つだけ配された独特のデザインのメーターや、色んなスイッチの付いたがっしりとしたハンドル、そして体の下でギラギラと存在感を放っている銀色のタンクとエンジン…それらが一体となって、後ろに乗っていた時とはまた全く違った、この車種特有の存在感のようなものがビンビン伝わってくる。
「うはっ、すげぇすげぇ!」
 ただ跨がってハンドルを握っただけでも、こんなにテンションが上がるのだ。なのに。
「えっ、エンジンまでかけ…おわっ?!」
 「へぇー、へぇー」と言いながらあちこち眺めていると、黒い革手袋が目の前に伸びてきて、刺さっていたイグニッションキーをクイと右にした。と、股の下からキュキュグォンという音と共にダイレクトに振動が伝わってきて、更にテンションが急角度で上がっていく。機械であるはずのエンジンを間近に感じるだけで、なぜこんなにも心が騒ぐのだろう。
(うーん、やっぱ魂みたいなものが宿ってると思わせる、何かがあるよなぁ)
 何より、跨がっている車体自体が熱い。これは車では感じることの出来ないリアルな皮膚感だ。彼らライダー達が、これを車のような「日常使いのただの道具」とは見ていない理由が、また少しだけ理解出来たような気がした。
 で、話が元に戻るわけだが。
 そのバイクに跨がった際に(こりゃコイツにナメられないようにするには、日頃からあちこち磨いてないとダメだな)と思ったのだった。
 オートバイとは自分をいつもしゃんとさせてくれる、気の抜けない相方みたいなものかもしれない。
 カカシさんの一分の隙もない体を目の当たりにして、ふとそんなことを思い出してしまったわけだけど。
(帰ったら、ちょっと頑張ろ)
 例え運転はしないにしても、彼の後ろに乗る者として、これはもう少しどうにかした方がいいなと自戒しながら湯船を出た。

 あ、そうそう。そのカタナに跨がらせて貰ったとき、一つショックなことがあったんだった。いま脱衣所に歩いて行く男の後ろ姿を見て思いだした。

「――え…なんかこれ、おかしくないですか?」
「なにが?」
 自分がカタナに跨がった際、その姿がすぐ近くに止まっていた青い観光バスの車体に丸々映っていたのだが、それを見てご満悦だったのも束の間。何かが違うのだ。正確に言うと、カカシさんが乗っている時の絵づらと今とでは、何かが違う、ような。
「って、ええー?! なんでカカシさんが乗った時は膝が余裕で曲がってんのに、俺は殆ど曲がってないんですか〜?!」
「さぁ〜?」
 こういう時、デキる色男はあえて明言を避けるのだ。なんて憎らしい。
「俺とカカシさん、身長殆ど変わらないはずでしょう?」
 でも俺の追求は止まないのだ。止めときゃいいのに。
「じゃあ、オレの体重でサスペンションが沈んでるだけなんじゃない?」
「カカシさん、体重何キロですか」
「んーー、222.5キロ?」
「それカタナの重量でしょう?」
 そんなしょうもない気遣いいらねぇよ。
 口をへの字に曲げ、思いきり鼻に皺を寄せながら、わざとらしくスンと鼻を啜ってみせる。
「あれー、知ってたんだ〜」
「――もうこの話…やめましょう」
 ハンドルに掴まったまま項垂れていた頭をのろのろと上げ、バイクを降りた。


     * * *


「うわぁー…!」
 風呂から帰ってくると、目の前のパノラマが劇的に変化していて、暫しその雄大な光景と色合いに見とれていた。今までTVや雑誌で目にしていた風景は、一体なんだったんだろうと思う。
「はは、もうキャンプなしでも、十分元取れたなぁー」
「ん」
「あの…カカシさん」
「ん?」
「出来たら今度、ナルト達も連れてきたいんですけど」
 今朝に続き、またしてもお願い。でもきっと彼らも喜ぶに違いないと思うのだ。
「あぁ、そうだね」
 キャンプは安上がりだから、数人に声を掛けてタンデムで来れば、子供達の分は殆どゼロになると思うよ、という具体的な案まで出して貰って、すっかりその気だ。その際は彼らにいいところもちょっとだけ見せて、なけなしの名誉を挽回しなくちゃな、と本格的なキャンプ料理を前に気合いを入れ直した。

 それまでどうなることかと思っていたけれど、実際にやってみたら想像以上に楽しかったのが、カカシさんとの晩飯の用意だった。
「ここのキャンプ場は、地面での直火OKな貴重な所なんだ」
 それがダメだと、火をバーベキューコンロ上や屋外炉でしか使えないため、今ひとつ風情がないうえ何より寒いらしい。
「ああ、確かに最近のキャンプっていうと、屋根付きの炊事場で飯を作るイメージかも?」
「ここには薪ストーブのレンタルはないし、気ままなキャンプ風情を味わいたいならいいのかもね」
 小川に沈めておいた缶ビールを一気に煽りたいのを我慢しながら、いよいよ下準備してあったものの調理に取りかかる。カカシさん全面監修のもと、石積みの簡易かまどの中で赤い火が勢いよく燃え出す頃には、周囲がいい感じに暗くなりだして、雰囲気も上々だ。
 それにしても、先に諸々の準備を終えておいて本当に良かった。もし真っ先に風呂に行ってたら、用意する手元が暗すぎて効率が上がらないばかりか、危うく闇鍋を食う羽目になるところだった。
 そして彼のキャンプツーリングの経験は、メニューにも大いに反映されていた。
「うへへへ〜、このチリビーンズ、すーっげぇ旨そう〜!」
 ニンニクとタマネギと挽肉を炒めて、トマト缶と大豆缶を入れ、固形スープの素とチリペッパーを放り込んだだけなのに、なんだか西部劇の匂いがしてきて、ワイルドでアメリカンな逸品になっている。
「旨いよ」
 多めに作ったから、明日の朝飯はもう少し煮詰めてパンに挟むといけるよ、と聞いて、今すぐにも視界の両端にいるキャンパー達に自慢しに行きたいくらい嬉しくなる。
 白飯も無事、飯ごうで炊けた。しかもいい感じにおこげ付きだ。付け合わせは途中の無人販売所でゲットした高原野菜のサラダと、ベーコンのスープ、そしてさっきから簡単調理すぎるのに、やたらとバターのいい香りがしてきて気になって仕方なかった、キノコと白身魚のホイル包み焼きだ。


「かぁんぱーーーぃ!」
 入浴施設では自動販売機ばかりがやたらと目に入り、激しく後ろ髪を引かれ続けていたのだけれど、この瞬間のために我慢していて本当に良かった。
「はあぁーーー、俺って本当に旅に出ちゃってるんだなぁ〜」
 余りに気分が良すぎて、発言までおかしくなってきている。
「たまには、日常から離れたほうが、ね」
 それに比べて、カカシさんのそれは相変わらずカッコイイ。
「俺が思う、『ライダーってカッコイイな』って思うところってね」
 アルミ皿から食べるチリビーンズの旨さに、(あぁこれはビー…じゃなかったアルコール燃料が止まらなくなりそうだな)と思いながら、早速切り出す。話したいことなら、山ほどある。
「うん?」
「一人で何でも完結してる所、ですかね」
 特に彼は凄いと思うのだ。他を見ていないから、他にももっと凄い達人は大勢いるのかもしれないけれど、今日は彼の新たな一面を見た気がしていた。
「そーおーー?」
 でも彼はどうも納得いってないような口ぶりだ。
「だってどこでも一人で行くし、何でも自分で作って食べるし。とにかく何だって一人で解決するぞっていう、ぶれないというか、迷わない姿勢がいいなって」
 俺的には(実はこの人、かなり仕事が出来るんじゃないか?)とも思いはじめている。
「迷うよ」
「ぇ意外。そうなんですか」
 ただ前だけを向いて、後ろなんて時折小さなバックミラーでしか見てないような人だとばかり思っていたのに。
「迷ってばっかりに、決まってるじゃない」
(そうなんだ…)
 いつも勢いよく風を切って走っている男が、その風が止んだときどんな話をするのか少なからず興味があった。が、この様子、思った以上に酒が進みそうな気もする。
 もし残りの酒が全部俺の担当だったら、明日は一人新幹線で帰らないといけないのだが大丈夫だろうか。
 けれど今夜ここには二人と一台しかいないのだ。俺も乗り遅れないようについていかなくては。





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