(――そっか……迷う、か…)
 質問魔を自認していたはずなのに、その後も気がつくとじっと焚き火の炎ばかり見てしまっている。もちろん酔ったわけじゃない。さっきまで聞きたいことが山のようにあると、確かに思っていたはずなんだけど。あぁそれにしてもホイル焼きうめぇな。家でもやろ。
「――火を見てると、ついつい黙ってしまいがちになるのって、なぜなんでしょうね?」
 傍らに置いた薪を一本火の中にくべながら、素朴な疑問を投げかけてみる。
「ホントにね…。黙っちゃううえに、そこに火があると、見ないでもいられないんだよね」
「確かに」
 火と向き合っていると、輻射熱で顔の側はとても温かい。というか熱いくらいだが、時間と共に背中の側は、まるで別世界にでもいるかのようにしんしんと冷えてくる。すると話しをしながらも自然と火の方に背中を向けたりもするのだけれど、それでも目だけは火のほうを見ていたい、ような。
「それは…自分にとって危ない、危険なものだから、かな」
(え…)
 焚き火に照らされた、カカシさんの赤い顔を見る。その火を見つめている両の瞳の奥に、もう一つの消しがたい炎が燃え盛っていることを、彼自身知っているのかもしれない。
「いや俺は」
 自分の声が、静かな森林の中にいやに大きく響いた気がする。
「俺は、『自分にとって火は必要不可欠な、とても大事なものだから』だと思いますけど?」
「…そうかな」
 押し出したような返事はどこか重たく、その奥では自制とも後悔ともいえない何かが渦巻いているようにも思える。少しずつでいい。いつかそんなことも、火を囲みながら話してくれる日がくるといいのだけれど。
「そうですよ。――なんなら、証拠を見せましょうか?」
 別に酔っているわけじゃない。それどころか、いつになく頭はクリアだ。
「ぇ? あ、うん」
 見たい、見せて、と男に言われ。
 俺は傍らに置いてあったスーパーの特売品、「牛サーロインステーキ・二枚790円」を手に取り、「ほら」と言うと、火にかかった焼き網の上にパックから直接肉を投下した。


「――っ、すみません、肉ちょっと固くなっちゃった」
「いや、でもいけるよ、旨い」
 やたらに噛み応えのあるアメリカンなサーロインステーキを頬ばりながら、カカシさんに詫びる。
 話の勢いから、彼に相談なくいきなり肉を投入したまでは良かったが、油を引いていなかったせいで網に強力に引っ付いてしまい、いい感じのミディアムで食べるはずが、すっかりウエルダンになってしまっていた。
「いやでもホラ、何か一つくらい失敗があった方が、思い出には残るもんでしょ?」
「うっ…やっぱマズイんだ…」
「いや、言ってない言ってない」
「ぶはははっ、思いっ切り言ってるじゃないですか〜!」
 そんな他愛のないやりとりをしている傍らでは、都会から駆けてきた銀色のオートバイが一台、赤い火に照らされてぼんやりと浮かび上がっている。


 ふと話が途切れた時には、そのたびに頭上を見上げた。星もめちゃくちゃきれいだった。怖ろしいほど澄んだ冷たい空気を吸い込んでハーッとすると、雲のように真っ白な息が富士山とは逆の方向へとゆっくり流れていく。
「星がよく見えてるから、今夜はかなり冷えるよ」
「寝袋だけじゃダメですか? やっぱ毛布かホットカーペット、レンタルします?」
 言ってはみたものの、受付はとうに閉まってしまっているとのことで、もう火の始末をしたあとは根性勝負らしい。ようし!


 ドーム型の本格的なそれは三〜四人用だそうで、想像していたほどは狭くなかった。だが二畳ほどのテントに入って暫くしても外気と全く変わっていかない室温に、輻射熱でじんわりと温まっていた頭がようやく(これはマズイかも)と思い始める。
 しかも「なるべくいつものライダー仕様で」と言い張ってしまったせいで、敷物が薄い銀マットと寝袋しかなく、怖ろしく固いうえ、とんでもない厚着をしているにもかかわらず、地面と接している部分からどんどん体熱が奪われていくのがわかる。受付の人が強く勧めてくれたエアマットの大切さが、今頃になって身に染みてくるが遅い。
 カカシさんに言われるがまま、大量に持ってきた使い捨てカイロを体の前後に貼り付け、更に寝袋の足先付近にまで貼ると、いそいそとそこに足を入れていく。
「はは、ホントにみのむしだ」
 だが首まで入って「おやすみ」と言っても、カカシさんは何も言わなかった。腰から下を寝袋に入れて、天井から吊したLEDランタンのスイッチに手をやったまま、膝立ちの格好でじっとこちらを見下ろしている。
 数秒後、彼を照らしていたその青白い光がふっと消えると、目を開いているのか閉じているのかもわからない真っ暗闇の中、すぐ隣で彼が横になるのが気配でわかった。

(――おやすみ)
 今日はありがとう。



     * * *



「――イルカ…」
 どのくらい経ってからだろう。予想以上の寒さに時間の感覚もおかしくなっていそうだが、数分か、或いは数十分も経ったのか。
 すぐ耳元から響いてきた声に、「はい?」と返事をしながら(あぁ、初めてカカシさんに名前呼んで貰ったな)と思う。
 近くにあるはずの白樺林はかさりともいわず、テント内はいっそう冷えはじめている。寝袋から唯一出ている顔を、音もなく撫でていく冷気の冷たさが半端ない。加えて背中の冷たさといったら…。唯一温かいのは、カイロの貼ってある数カ所だけだ。自分がほぼ剥き出しの大地に直接横になっているという、これ以上ない実感。

 そんなことより、なぁカカシさん?
 そんな掠れた熱い声で、俺を呼ばないで欲しかったぞ。


     * * *


 きっと気なら、最初からあったのだ。今ならそう思える。ただ『付き合ってはダメな理由』を、会うたび一生懸命探して、己を押し止めていただけ。
(多分…、お互いに…?)
 だって、顔も名前も知らないうちから、彼は抱きつくことを許して、俺は力一杯抱きついて…。その後もずっと言葉を交わしながら、一台のバイクに乗り続けていた。例えお互い一言も喋らなくたって、体のどこかが触れ合って身を任せていれば、自然と気持ちは傾いていく。理屈じゃない。
 そうなりだしていることにお互い気付いていたのに、ずっと切り出せないでいた。ただ気付いていないふりをしていただけ。
(でももう、そんな必要もなくなった…な)
 彼は「そんなこと」をしたら、俺が嫌がって抵抗するかもと思っているんだろう。顔に触れてきた手指が、こちらが心配になるほど恐る恐るで、いつもすぐ後ろから大胆で隙のない運転を見ていただけに、これはこっちがとっとと反応しないといけないなと思う。
 彼は火の前で「迷うよ」と言っていた。その中には、こういうことも含まれてたりするのだろうか。けど俺は、そんなカカシさんをいつまでも見ていたいわけじゃない。
 おずおずと顔に触れてきた手を、シュラフから出した手で黙って握ると、暗がりでハッとして動きを止めている。でもなんだろう、今は言葉であれこれ説明したくない感じだ。
 握った手の甲を冷たい頬にぎゅっと押し付けると、また「イルカ…」という、今度は掠れているけれどどこか意外そうな声がした。
(そうそう、もっと呼んでくれ)
 今まで俺の前で愛車の名前は散々呼んできたんだ。
 そのたびにあんたにちょっとした嫉妬心を抱いてたなんて、悔しいから言わないけど。

 
「んっ…、ふ、…ぅん…」
 同じ男だ。彼のキスが、時として牡にありがちなその場限りの性欲からきているものじゃないことくらい、すぐにわかった。
そうなれば、おのずと下半身は熱を持ち、質量を増してくる。
 なのに彼はいつまで経っても髪や顔を撫でながらキスばかりしていて、もどかしくて仕方ない。だからといって、「なぁもういいだろ? 早くしようぜ?」とも言い出せそうにない。
 女性の方が放っておかないような男前だし、きっと俺なんかより遙かに経験はあるだろうから、流れに任せておけば…なんて思っていたけれど、ひょっとして俺は遊ばれてるだけなんだろうか、と思った時だった。
 もどかしさの余り、もぞもぞと動かそうとした足が何かにつかえたような感触に、はたと(そーか、俺が寝袋になんか入ってるからか?!)と気付いた。
(ぷははっ、確かにこれじゃあ、どんなにしたくたって手の出しようがないもんな)
 噴き出したいのを堪えながら、真っ暗な中、簡易貞操帯から這い出すようにして脱ぎ捨てる。と、すぐに気配を察した手がベルトに手をかけてきた。そうか、彼は俺のはっきりした意思表示を待っていたんだなと、思いのほか慎重だった男に新鮮なものを感じる。
(じゃあやっぱり、こういう時は俺も…?)と彼のジーンズに手を伸ばすと、すぐに手首を掴み上げられて温かな唇を押し当てられた。どうやら『触らなくていい』ということらしいのだが…あれれ? 経験豊かな百戦錬磨じゃなかったのだろうか。どうやら俺は彼のことを、まだ色々と誤解していそうだ。
 ベルトのバックルとボタンを外し、ジッパーを下ろされ、やれやれやっとジーンズを下ろした…かと思うと、その下には超厚手の防寒タイツだ。そいつを下げて、トランクスの中にそろりと手を入れて貰った時には、窮屈だったそこをようやく解放して貰える期待感に、浅ましいほどの熱い溜息が出た。
 その吐息に応えるようにして、生まれて初めて自分のものでない手が自分のそこをリズミカルに扱きだすと、それまで頭の隅にあった「明日バイクに乗れるだろうか」という不安も消えていく。乗れないなら乗れないで構わない。今俺が大事にしたいのは、そこじゃない。
(もう一回…名前呼んでくれないかな…)
 目の前の暗がりにいるはずの男に向かって大きく手を広げ、ぎゅっと抱き締めた。

 セックスの間、彼が無口になるであろうことは、何となく想像がついていた。バイクを飛ばしてる時だってスピードは全身で感じるもので、口でどうこう言うものじゃないから。でも俺は、感じると声が勝手に出てしまうのだ。
「あー…あぁ…あぁ…! 」
 少し苦労したけど、四つん這いの格好で尻の間に彼のものを受け入れ、ゆっくりと揺すられだすと、獣のような荒い息の間に、自分でも生まれて初めて聞くような声が止めどなくあふれ出た。
 両の手足をついた寝袋だけの地面は、とても固かったはずだ。でも全然気にならない。それどころか一切揺れないせいで、彼が気持ちグラインドさせているリアルな腰の動きがそのままダイレクトに伝わってきて、むしろ興奮した。
(…あぁ…そういえば…)
 殆ど回らなくなった頭の隅で思う。
 初めて会ったときも、暫くの間顔が見えないままだったけど、その後こうして受け入れることになった彼のものも、真っ暗闇の中で見えないまま挿れられてしまっていた。風呂には行ったが彼はスマートかつちゃっかり(?)タオルで隠していたから見ていない。俺は男らしく堂々としてたのに、彼は色々とずるい。
 まぁなんだ、サイズが原付並みだから…、とかいうんじゃないことだけは、こうして身をもって思い知っているわけだが。
「あっ、あっ、あっ…」
 数十メートル離れているとはいえ、左右にはキャンパーがいる。もう夜半はとうに回っている時刻だが、周囲がこうも静かだと、もし起きていればまずいかもしれない。そうわかってはいても、勝手に漏れ出す声を、もうどうすることも出来ない。
 でもカカシさんは、セックスの間中、「もっと静かに」とは一言も言わなかった。それどころか、俺がどこまでも駆け上がれるよう、ちょっとした気配もすぐに察して合わせてくれた。同じ男だからわかる、本来ならもっと早く小刻みに動かした方が、断然気持ちいいはずだ。でも俺の気配を察して、ゆっくり出し入れをしてくれている。まだ見ぬ彼のものが、ものすごい熱と質量を伴ってぐーっと押し込まれてくると、それに押されるようにして、腹の奥深くから震えと溜息、そして安堵が入り混じった、酷くいやらしい潤み声が出る。彼に、もっと聞けと言わんばかりに。
 やがて前を扱いて貰っていると、不思議と尻の方もじんわりとではあるものの良くなってきだした。余裕ができたせいか悪戯心まで湧いてきて、彼がやたらと気持ちよさそうに腰を揺らしている最中、いきなり尻の穴にぐっと力を入れてやったら、体をびくんとさせて驚いていた。
「っ、やったな」
「へっ…へへ…っ」
 自分の脱ぎ散らかした服を抱くようにして尻を高く掲げたまま、辛うじて笑い声を絞ると、さっきより衝いてくるリズムが早くなった。やがて背後から微かに聞こえだす、密やかな喘ぎ声。
(…っ、いい、ぜ…)
 ここでのお返しなら、どんなことだって悦んで受けてやるよ。

 セックスの最中、唯一やんわりと制されたのは、俺がカカシさんの尻の間に手指を這わせた時だけだった。
(はは、やっぱそれはダメか)
 それらついては何となくではあるけれどわかっていた。少々下世話な言い方をするならば、彼は根っからの「乗る人」であって、乗られる人じゃないのだ。
(まぁ、いいか)
 彼にはもう十分気持ちよくさせて貰っている。
 俺は、『今し方あなたの尻に手がいったのは単なる偶然』という風を装いながら、もう一度自分のものに彼の手を導いた。


 二人が最初にイッた時、この程度の痛みなら気持ちはまだまだあるからできると思っていた。けれど、彼のこれっぽっちも枯れる気配のない熱意の前に、三度目を出したところでついにギブアップしていた。
「…カカ、さ……、ごめ、ん…」
 すっかり嗄れた喉で詫びると、(こいつ背骨まで届いてるんじゃ…)などと思っていた彼が、ゆっくりと尻の間から出ていく。
「――点けるよ?」
 一拍後、頭上のLEDライトが点灯すると、俺達は眩しいのも寒いのも、下半身だけ丸出しで格好悪いのも全部放り出して、夢中でキスをした。





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