「あ! カカシ先生ほら、射的ですよ! やった事あります?」

 イルカの一段とはしゃいだ声と、浴衣の袖を引っ張られる感覚に、半ばぼんやりとしていたカカシはふと我に返る。
 指差された方に目をやると、目に染みるような真っ赤な緋毛氈が視界に飛び込んできた。その手前には、浅い何段もの雛壇に小さな景品が横一列に並べられ、大人も子供も一生懸命にそれを打ち落とそうと躍起になっていた。
「…あ、…いや」
 元々子供の頃から祭り自体に縁がない。射的などというものを見るのも初めてだった。
「俺も子供の頃に一度だけやっただけなんですけど。どうだろ、出来るかなぁ? カカシ先生もやってみませんか?」
「や、オレは…」
「いいじゃないですか。ね?一緒にやりましょう。おじさん、二人分ね」
「――――…」
 心なしかいつもより積極的なイルカに、つい中途半端な了承をしてしまう。恐らくこういう他愛ない遊びを通しながら、何とか沈みがちなこの場の雰囲気を盛り上げようという、彼なりの配慮なのだろう。二人分の料金を払うと「さあ、やりましょう」と促してくる。
(射的…ねぇ…)
 カカシは渡された十個のコルク弾と、いやに軽い模造の銃を受け取ると、まじまじと見つめた。
 赤と白の招福提灯が周囲を照らす中、手に持ったまやかしの武器と、隣ではしゃいでいる男と、向かいの安っぽい景品が緋色の中にずらずら並んだ光景は、カカシにとって全く非現実の世界だ。
(どうせ一夜の夢、か…)
 カカシはイルカに促されるままに、銃口に小さなコルク弾を詰めた。

 銃は銃床の長い、差し渡し三尺もあるような、見た目には本格的なものだ。だが中身は圧搾した空気でコルク弾を飛ばす、ごく簡単な作りになっている。
 カカシ自身、銃など数えるほどしか手にしたことはない。一部の金持ちの大名が護身用に持てる程度の、非常に高価なものであるし、何よりこんなものを使ったが最後、自分の居場所が丸分かりでかえって危ないという、非常に厄介な代物だからだ。

「的をね、倒しただけじゃダメなんです。あの台から落とさないと」
 隣ではもうすっかり夢中になって張り切っているイルカが、射的台に肘をついて構えている。
 その姿はなかなか様になっているものの、パチンと小気味よい音を立てて飛んだコルク弾は、一体どの的を狙っていたのか分からない微妙な場所に当たった。
「あれ? おっかしいなぁ〜。ちゃんと狙ったんだけどなぁ」
 イルカは盛んに首を傾げる。
(へぇ、弾はそんな勢いなんだ? それで的を撃ち落とすなんて、そもそも物理的に無理でしょうよ…)
 カカシは射撃台には肘を付かず、立ったまま真っ直ぐ伸ばした右腕一本で長い銃を構えて、赤い左目を閉じた。すると銃は彼の長い腕に支えられ、その場の誰よりも的に近い所に抜きん出る。
 よく目立つ容姿と大胆な構えから、周囲の者達の視線が一斉に集まった。
 別に何が欲しいという訳でもないから、適当に目に付いた正面の煙草の箱に狙いを付けて引き金を引く。
 パキュン、と鋭い音がしたものの。
 弾は狙った位置とはおよそ違う場所に飛び、周囲の野次馬からは落胆の声が上がった。
(――ふーん…なるほどね)
 さすが遊戯用といったところか。先端と中央の二ヶ所に付いた照準が、まるで弾道と合っていない。
 今の大きな誤差を体で覚え、次から計算に入れて、体と腕の向きで微調整しないといけない。
(ある意味、なかなか高度な遊びかもね?)
 小さく苦笑しながら二つ目の弾を詰める。
 イルカは…? と見下ろすと、隣に居た小さな子にせがまれて、とても倒れそうにない重い飴玉の缶を狙ってやっていた。
(あーあ、こんな時まで子供にせっつかれてまぁ…)
 子供は苦手だと自覚しているカカシは、その様子を見てやれやれと嘆息する。しかもイルカの成績はというと、さっきから外れてばかりで、一度も的に当たらぬままだ。
 恐らく彼の照準も大きくずれているのだろう。合ってないと頭では分かってはいるのだろうが、弾道の修正というのは非常に難しいものだ。一朝一夕に出来るものではない。
 残りの弾数を見れば、早くもあと三発しかなく。
(あなたの大好きな子供の前なんだから…しっかりして下さいよ、イルカセンセ)
 カカシは、自分の銃を射撃台の上に置くと、何を思ったのかイルカの背後に回った。


(…あれ、カカシ先生、どこに…?)
 急に遊具を置いてどうしたのだろうと、イルカが照準から目を離そうとした瞬間。
(――?!)
 いきなりカカシが腰を屈め、背後からすっぽりと自分を抱きかかえるように覆い被さってきた。
「な…っ?!」
 こんな所で一体何を?! と、イルカが息を呑んでいると、すぐにカカシの長い両手が伸びてきて、微妙に曲がっていたらしい自分の頭や肘の位置を直しだす。
「あと、照準と弾道が合ってないんでしょ? だったら修正しなくちゃ。――いいから撃ってみて?」
 何か言おうとするイルカに口を差し挟む間も与えず「ほら、早く」と、ぴたりと頬を寄せたまま、上忍は赤い瞳の方で照準を覗いている。
 自分より幾分冷たい彼の頬と触れ合うと、ますます鼓動が早くなりだした。顔が一気に火照るのが分かる。
(だっ…だめだ、どうしよう、これじゃあ彼を変に意識して動揺してる事を悟られてしまう…!)
 一瞬で平常心が飛び去っていた。頭の中はもう半ば白くて、自分がどこを見て、何をやっているのかさえよく分からない。けれど背後のカカシは、自分のことなどまるで意識していないらしかった。
「ね、早くして? 後ろつかえてるみたいだから」
 落ち着いた声で急かしてくる。
「え?」
 言われて背後を振り向けば、いつの間にかそこには二重三重の人垣が出来ていた。
「あ…っ、はいっ…」
 促されるまま、慌てて引き金を引く。が、弾はあらぬ方向に飛んで弾かれた。
「ちょっ…、全然狙ってないんじゃないの? もっと落ち着いて。一応照準も合わせて。弾筋見てる?」
 カカシの冷静な声が、お囃子や雑踏のざわめきを押しのけて、すぐ耳元から響いてくる。
 こくん、と喉が鳴った。

 それでもまだ何とか二発目は、少しはマシな方向に飛んだ。
 すると「ま、このくらいかな」と、カカシがイルカの肩を掴んで、上半身をくっと動かした。
 「撃ってみて?」と言われ、素直にそのままの位置で引き金を引く。すると、コルク弾は原色で彩られた飴玉の缶に吸い寄せられるように当り、軽やかな音が響いた。
「当たった! 当たりましたよ、カカシ先生!」
「何言ってんですか。当たっただけじゃダメなんでしょ? ――はい、弾」
 元の位置に戻ったカカシは、イルカに自分の弾を半分わけてやりながら苦笑する。そもそもあの飴玉の缶はとても重く、コルク弾の単発などでは絶対に落とせない代物だ。
(んなものを置く方も置く方だけど……狙う方も狙う方だよね)
 至極彼らしいといえば、まさにその通りなのだが…。

「いいですか? 二人で同時に当てるんですよ? 狙いはなるべく缶の上部を」
 銃を片手に構えつつ、先程のズレの分を微調整し終わった上忍が告げる。
「えぇ? …あ、はいっ!」
「――サン――ニ―― イチ……!」


 それから暫くの間は、その射的場一帯が、異様なまでの盛り上がりを見せていた。
 すっかり呼吸の合った二人が一発目で缶を倒すと、後は缶の底に効率よく命中させながら移動させ、三発目にはものの見事に雛壇から缶を落としたのだった。
 これには射的場の店番のオヤジも呆気にとられて見守っていたものの、撃ち落とした飴玉の缶を拾って渡してくれる頃には「これを落としたのはアンタらが初めてだぜ?」とすっかり感服していた。





 缶の中の飴玉をカラカラ鳴らしながら、幼な子は親に手を引かれつつ、それはそれは嬉しそうに人混みへと消えていった。
「カカシ先生のお陰です。ありがとうございました」
 子供が視界から消え去ると、見送っていたイルカが振り返った。目尻が柔らかく下がって、とても嬉しそうだ。
「別に、礼なんて…。大体あなたが何か得られた訳でもないでしょうに」
 男の返事は酷く素っ気なかったが、イルカ何も言わず頷きながら微笑んだ。彼は一生懸命照れを隠して、気のない振りをしようとしている。
(一見冷たく見えるこの人の、時折見せるこんな小さな優しさが…好きだ…)
 なのに自分はそんな彼を、肝心なところで拒絶してしまった。今更ながら、何て事をしでかしてしまったんだろうと思う。それなのにまだ、カカシがこうして一言も責めずに側に居てくれる事が、泣きたいほど嬉しかった。
(まだ…、まだ俺達、やり直せますよね…?)
 雑踏の中、黙って前を歩き始めた上忍の背中に向かって問いかけた。











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