「じゃあつぎ、私の番ね。えっとぉー、サクラって呼んで下さぁい♪ それとぉー、いま私の隣りにいるナルトは、さっきここに来る途中でたまたま道聞かれて会っただけで、私とは一ミクロンも関係もないのでッ!! よろしくおねがいしまぁすvv」
「でぇぇ〜、関係ないって、そりゃあねぇよサクラちゃ〜ん」
 これには隣の銀髪男性も笑ってしまっている。
「うるさい、次の人が喋れないでしょ。…あの、どうぞ〜」
 続いてサクラに水を向けられ、さっきからずっと俯き加減で押し黙っていた青年が重そうな口を開いた。
「…名前はサスケ。ここに来た理由は…兄貴に行っておけと言われたからだ」
「へぇー、サスケも家族にすすめられたのか。オレとおんなじだなぁ」
「ふん、お前と一緒にするな。オレの親類には目の見えない者がいるんだ」
 このワークショップの存在を知ったときから、(どんな人が参加してるんだろう?)と思っていたが、この場には色んな理由からここを訪ねてくる人がいるんだな、と改めて思う。当然だがきっかけは人それぞれで、いつもとは全く趣の異なる体験を前に、そんなことまでも興味深く感じられる。
「えっと、じゃあ俺だな? 名前は…イルカで、お願いします。高校の教師をやってます」
「おうっ、んじゃイルカせんせぇだな!」
「ああ。よろしくな」
 早くもすっかりムードメーカーになっているナルトの言葉に、隣のヒナタが小さく頷いている。進行役の彼女にとっては、目以外の方法で密にコミュニケーションを取ってくれる人が助かるのだろう。俺も心掛けねば。
「あーじゃオレね。畑カカシです。お仕事は…んー教えてあげなーい。まっ、オレのこともセンセイって呼んでくれて構わないけどね? えーーここに来るのは二度目になりますが、なんでまた来たかは――ナイショ〜」
 すると早速ナルト達が「これを突っ込まずして何を突っ込むのか」といいたげな様子で、口々に喋り出した。
「ハァァ? 自分から言い出しといて全部ナイショとか、んなら最初っから別のこと言えばいいだろ。わっけわかんねぇってばよ」
「先生だ? フン、怪しいもんだな」
「ちょっとイケメンだと思って、遅刻してきて勿体付けるなんてずるいわねぇ」
 初対面にもかかわらず、もう言いたい放題だ。だがカカシさんは、「そーでしょ〜そーでしょ〜」と言いながらニコニコしている。なんだか遅刻をしてきたことさえも、かえって打ち解ける材料になってしまっている、ような。
 ヒナタの話では、「季節に合わせて内容が部分的に変わっていくので、久し振りの再訪ならほぼ全て初めてなのでは」とのことだった。ちなみに季節で中身を変えているのは日本だけだという。
「はい、ではこれから皆さんを暗闇の世界にご案内します。でもまだ目が慣れていませんので、少しだけ明かりのある、一段暗い所に入りますね。――どうぞ」
 ヒナタが自分の背後にあった黒いビロードの垂れ幕を片手で押し広げ、そこにナルトから順に進んだ。


     * * *


「うわ、暗いなぁ…」
「今までの所も結構暗いと思ってたけど、ここに比べたらぜんぜんね」
 黒い幕に囲まれた四畳半ほどのスペースは、月明かりよりもまだだいぶ暗かった。ヒナタの足元に一点だけ灯ったごく淡い光は、皆の姿を辛うじて判別できる程度でしかない。余りに光量が少なすぎて、何となく世界の全てがざらついているように見えるほどだ。
「ま、日常生活でこんな微かな明るさの所に身を置く機会ってのが、そもそもないよね」
「ああ、確かに。家でもこれじゃあ暗すぎて何も出来ないから、すぐに電気を点けてしまいますもんね」
 みんなの声が、暗がりに入った途端、ワントーン落ちている。誰に言われるでもなく、気付けば自分の声も小さくなっている。
「そういえば、なんで暗い所に行くと自然と声をひそめるんだろうな?」
 ふと脳裏に浮かんだことを口にしてみる。実際明るい居酒屋では誰もが大きな声で喋りあっているのに、同じ酒の場でも照明の暗い店にそこまで大声の客はいない。
「ほんとうですね。それは、なぜだと思いますか?」
 ヒナタに穏やかに尋ねられたが、これといった答えが見つからない。みんなも「うーん?」と考え込んでしまっている。
「そりゃあまぁ…大きな声で喋る必要がねぇからじゃねぇの?」
「っ、だからそうなる理由を考えてるんだろうが」
 間髪入れずサスケに返されて、ナルトがムキになったらしい。
「ゃだってよォ、こんな暗かったらもう寝るくらいしかすることねぇのに、んな大きな声出したって仕方ねぇだろ?」
「「「ううーーーん???」」」
 結局その問題についてはこれといった答えが出ないまま、お預けになってしまっていた。ここを出る頃に、それぞれの中に答えがあるといいのだが。
「ではそろそろ目が慣れてきたかと思いますので、これから使って頂きます白杖の説明をしますね」
 ヒナタがさっきから手にしていた白杖を少し持ち上げて 見せている。その脇にも、細長い木箱に立ててられた20本近い白杖が置かれている。時折街中で使っている人を見かけることはあっても、自分は使ったことはおろか、触ったことすらない。上手く使えるだろうか。
「白杖はもしもの時に手から離れてしまわないよう、こうして輪になっている紐の部分に手を通して持つようにします。長さは、自分のみぞおちくらいまでのものが使いやすいと思いますので、どうぞこの中から丈の合うものを選んで下さい」
 言われて各自めいめいに、暗がりにぼんやりと浮かぶ白い杖を一本取り上げる。
「お、すっげ軽い」
 でも華奢な見た目とは逆に、案外丈夫そうだ。折り畳みが出来るものもあるという。
「これで自分の前に障害物が無いかを、こんな風に小さく左右に動かしたり、前に出してトントンとしたりして確認しながら進んでいきます。また白杖だけでなく、手で周辺を確認する時は、手首を下に曲げた状態でゆっくり前に差し出して下さい。真っ直ぐの状態で出すと、人の顔や目に突き当たってしまうかもしれないですし、これにはご自身の指先を怪我から守るという意味もあります」
 暗闇では自分の手や、手の延長になるものをどう使うかで得られる情報量も違ってくるのだろう。けど無闇に出せばいいってものでもない。
「ではこの先、いよいよ真っ暗なお部屋になります。どうぞ私についてきて下さい」


     * * *


「…うっほーー、ぜんっぜん見えねぇぇ! はははっ、ホントのホントに真っ暗だってばよ!?」
「え、え、あたし、どっちに進んでるの?! 自分がどっち向いてるか、ぜんぜんわかんない、えっ?!」
「やあ…これは…、すーごいなぁ…、『目を開けてるのか閉じてるのかもわからないような闇』って、こういうことを言うんですね」
「ね。一度来て知ってるはずなのに、こうして実際に身を置いてみるとやっぱちょっと戸惑う暗さ」
「暗いって言うか、黒だってばよ」
「ああ、それは言えたな」
 『徹底して塗り潰した黒』という表現がぴったりの世界で、皆が一斉に白杖をトントン、コツコツする音や、気持ち緊張気味の声が入り乱れる。この場所は広いのか狭いのか? 一寸先の目の前は? 足元はどうなっているのか? とにかく何もわからないのだから仕方ないが、大変な騒ぎだ。
「あ?! ごめんな、誰か蹴っちまった」
「それカカシです。大丈夫」
「あぁすみません。足を一歩前に出すだけのことが、思った以上に大変ですね」
 それも半分以上は気持ちの問題なのかもしれないが、この先もう少しは慣れるだろうか。
「ナルト、どさくさに紛れて変なとこ触ったら承知しないわよ」
「んーなの誰が誰だかもわかんねぇってばよ〜。あ、これ誰だ?」
「イルカだよ。入るときは先頭にいたのに、随分歩いたんだな?」
 自分はまだ、とてもそこまで大胆に踏み出す勇気がない。さっきから壁伝いに進むばかりで、なかなかその「地平」から離れられないでいる。みんなとの距離感も上手く掴めないのだが、声の大きさからすぐ近くにいることはわかる。なのに実際の距離が全く掴めない。なんなんだ、この感覚?!
 もしもこの状況を何らかの形で目に見えるように出来たなら、ちょっと奇妙なことになっているのではないだろうか。音の反響がないことから、部屋自体そんなに広くないらしいことはだんだんわかってきたが、俺達五人はその広くないスペースの、更にごく一部分で、団子になってモジモジごっちゃりと固まっている、ような。
「ぁ? そういやさっきの部屋より、こっちのほうがちょっと涼しいってば」
「そうですね、ナルト君。温度が少しだけ下がりましたね」
「床の感触はザラザラしてて、ちょっと砂っぽいような音がするけど、この音の響き方…素材は木、みたいな?」
「サクラさん、正解です。ここの床は木で作られています。他に何か感じることは、ないですか?」
「サスケがいねぇ」
「いる」
 その瞬間漫才みたいなやりとりに、みんなで笑う。何だかちょっとおかしなテンションだ。ここまで暗くて思うようにならないというのに、なぜかぜんぜん怖くない。
(それは…)
 みんなで互いに、声を掛け合っているから?
「ぁ…?ねぇ、なんか聞こえない…?」
 サクラの声に足音が止み、一斉に耳を澄ました。確かに一方向から一定間隔で響いてくる、何やら特徴的な音。
「――水琴窟?」
 聞き覚えのある風流な音色に、浮かんだままを言ってみる。
「あ、イルカ先生その通りです。向こうの小部屋に、水琴窟が作ってあるんです」
「ああ、だから少しずつ足元が高くなっていってたわけね?」
「え、カカシさんほんとに? そこまでは気付かなかったなぁ」
「ん、だんだん足元の空間が広くなってるような音がしてたからね」
「カカシさん、よくおわかりですね。そうなんです。水琴窟を作るために、この辺は床を上げてあるんです」
 どうやら見えないことにばかり気を取られていると、気付かないことも多くなってくるらしい。全方位が「見える」ようになるには、もっと落ち着かなくては。
「なぁスイキンクツって? なんだってば?」
「水琴窟は大きな水がめの中に水を落として、そこに反響する音を楽しむものだよ」
「ああ、それでピチョーンなのか」
「はい。ではナルト君、音を頼りに、そちらへ行ってみましょうか」
「おうっ、任せとけ!」
 さっき「照明が暗くなると人は小声になる」という話が出たが、真の暗闇になった途端、みんなの声のトーンは通常のそれに戻っていた。いやこの距離から考えれば、通常より少し大きいくらいかもしれない。ナルトの言葉を借りるなら、どうやらこの場では「声をひそめる理由がない」のだろう。ここまで真っ暗闇だと、小声で喋っていては自分の存在が薄らいでしまいかねず、無言のままでは己の存在そのものがなくなってしまいかねない。
「サスケェェ!」
「うるさい、すぐ後ろだ。あぁサクラ、しがみつくな。重い」
「ええ〜なんでわかったの〜♪」
「他にいるわけないだろうが」
「ええ〜オレかもしんないよォ〜♪」
 すかさず被さってきたカカシさんの横入りに、思わず吹いてしまった。この人面白い。
「やめろ、気持ち悪い」
 みんなでケラケラッと笑った。ふと、伸ばしていた左手が誰かの服に僅かに触れる。誰だろう。誰でも良かった。相変わらず皆との距離はかなり近いはずだが、不思議なことに明るいロビーで自己紹介をしていた時より、近いことが気にならなくなっている。あの時はまだ互いに一定の距離を取りあって、どこか遠慮がちにヒナタの話を聞いていたというのに。
(今ではむしろ、触れるほど近いことが安心に繋がっている、ような…?)
 不思議だ、見えないならある程度距離を取っていたいと考えてもおかしくないのに。実際には、触れるほどすぐ側にいてくれることを望んでるなんて。都会の人間て、そんなだったっけ?





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