「あ? なんだこれ? 壁っつーか??」
「ほんとだ、アーチ状の?」
「壁だな」
 すぐ前を進んでいるはずのナルト達が、また何かを見つけたらしい。だがこちらはそのつもりでどれほど周囲に手を伸ばしても、何も触らない。
「ああ、なるほど。そういうことね」
 幾らもしないうちにカカシさんも理解して、先へと進んでいる。当然ヒナタはとっくに先だろう。
「え? アーチ状の壁?? おっかしいなぁ…そんなのどこにある?」
 皆に「見えていて」、自分だけが見えないとなると、途端に不安になってくる。しかも向こうの方では、「あ? なんだこのカサカサ? 葉っぱみてぇな?」とか、「これ、笹じゃない? 生け垣みたいなものかしら?」とか、「でも枯れてるでしょこれ?」なんていう新たな会話が交わされだしている。
(おーい、みんなちょっと待ってくれ〜〜)
 冷静になって考えれば、離れたといってもはほんの二、三メートル程度のもで、見えていれば何ということもない距離のはずだ。なのに、皆との間にとてつもない距離が開いていくような感覚に、にわかに焦りだした時だった。
「ッ…!?」
 顔を動かした瞬間、何か冷たく固いものが頬に触れてギョッとする。慌ててそいつを手で探り、全容を確認したところで、思わず冷や汗混じりの溜息を吐いていた。
「タハハハ…、顔の一センチ先に壁があったのに、気付かずに真っ直ぐ突っ込んでいってた」
 みんなは胸くらいの高さまでしか穴の空いていない、低いアーチ状の入り口にすぐに気付いて、さっさと腰を屈めてそこに入っていた。だが俺の手は、ぽっかりと開いたその空間ばかりを探って、「何もない、何もない」と一人で騒いでいたのだ。
(ふーー危ない危ない…)
 あと半歩で、ベニヤらしき壁に顔面から激突するところだった。まぁ鼻血が出たところで、誰も気付かないからいいけどな。
「あぁ? なんだよ激突って。イルカ先生ってば、ちゃんと手で探ってるか? 動かしてる範囲が狭ぇんじゃねぇのォ?」
 はい、仰る通りです。いまだに視界が閉ざされていることに気を取られすぎで、情報収集ツールである手や白杖が上手く動いていない。思考硬直もいいところだ。逆にナルト達は、とうの昔に目以外のセンサーが活発に動き始めていて、その柔軟な感覚で上から下までくまなくチェックしているらしい。
(たはっ…、実は俺って、年と共に平常心とか平均感覚とか好奇心とか、色んなもんが無くなってきてたりするのか…?)
 しょっぱいことを考えながら、暗闇で誰に憚ることなく苦笑いした。

(――ぁ…)
 そうしてようやく辿り着いた漆黒世界の水琴窟は、とても心地良い音だった。今までこれほど音にのみ集中したこともなかったと思うが、何とも言えず涼しげで風雅な音色だ。周囲を探って確認したわけでもないのに、脳内では緑に囲まれた日本庭園風の光景が勝手にできあがっている。でも本当のところ、まわりはどうなっているんだろう。いま灯りが点いたら、笑ってしまうような光景が周囲に広がっていたりするのだろうか。案外、そうかもしれない。
「では皆さんお揃いのようですので、次の部屋に進みましょう」
 ヒナタの落ち着いた澄んだ声に向かって、皆で「はーい」と返した。


     * * *


「こちらの庭にはちょっと変わったものが置かれているのですが、おわかりですか?」
「あ? どこだってばよ? …あ、わかった、こいつか?」
 ナルトはもうはや目的のものを見つけたらしい。「ん? なんだこりゃ?」と言いながら、しきりにぺたぺたと触っている。その音のしてくる方向に二歩踏み出したところで、白杖がかなり固い物に当たった。それに向かって手を出しながら、ゆっくりと屈む。
「――冷たい…すべすべしてて、石膏かな…いや陶器か?」
 それを手で辿っていくと、意外と横に大きい物体であることがわかってくる。何となく全体がゆるやかな曲線で作られている感じで、あちこちに不規則な出っ張りがあり…って、なんだこれ??
「この造形、皆さんは何だと思われますか?」
 みんなで寄ってたかってそれを触りまくっていると、タイミング良くヒナタが質問してきた。
「んあ? そうだなぁ…? あぁあれだ、でっけぇ恐竜のウンコ――ィダッ!?」
「ナルト、アンタは黙ってて。触りたくなくなるじゃないのよっ」
「ほぉーいってぇ〜、にしてもすっげぇなサクラちゃん、なんでここがオレの頭だってわかるんだってばよ〜」
「ぷっ、あははは!」
 もうその光景がありありと見えてしまい、可笑しくて仕方ない。すぐ隣りで、カカシさんも笑っている。
「サスケ君は? 何だと思いましたか?」
「――下手くそが握った握り飯」
「ほーらな、やっぱり感じとしてはオレの恐竜のヤツとおんなじイだあッ!? あぁもういてぇってば、サクラちゃん〜!」
「サスケ君が食欲なくすようなこと、ゆ・う・な!」
 「えええなんでだよ〜」という賑やかなやりとりが脇で続く中、ヒナタの「イルカ先生は? どうですか?」という声がして、「うーん? ショウガ?」と答えてみる。すると「ショウガという意見はかなり多い」とのことだった。日頃から自分が「ごく普通の人間」であることにはちょっとした自信(?)があったのだが、まさかこんなところで確信を深めることになろうとは。ハハ?
 ちなみにサクラの答えは、「私が脳内でボコった時のナルトの顔」。カカシさんは、「病気になったうえに虫が食って変形したナス」だった。やあみんなフリーダムだなぁ〜。
 結局ヒナタの口から物体の正体が明かされることはなかったけれど、ひょっとすると何とでも取れるような形だったのかもしれない。
 いずれにしても、それぞれが自分なりに感じ取ったものは、正否なんてものじゃ測れないだろう。普通人的回答をした自分にも、それだけは何となくわかった。


     * * *


「この部屋では、また違ったものを皆さんに触ってもらいますね。今の季節ならではのものを用意したのですが、何だかおわかりですか?」
 部屋の中に丸いテーブルがあるといわれ、そのまわりに集まったところ、ヒナタから新たなミッションが発令されていた。ナルトから順に何かが回ってきているらしいのだが、真っ暗闇の中でただじっと順番を待っているだけでも、意外と楽しかったりする。
「おーなんだこれ? フワフワチクチクだ? 寒いときに母ちゃんが着てるみてぇな、あったけぇやつか?」
「あぁこれはアレよ、セーター的な?」
「形が違うな。四角い」
 そうしてサスケから回されてきたものは、確かにふんわりとした軽くて柔らかいものだった。手肌から伝わってくるこの感触、確かに覚えがある。
「マフラーかな。厚みがあって表面に凹凸がある気がするから、手編みの?」
 言ってから、隣のカカシさんに渡す。
「んーーそうねぇ、この気持ち固めでちょっとだけチクチクした感じはウールかな。カシミアとかアクリルじゃなく、ね」
「カカシさん、イルカ先生、よくおわかりですね」
 これを正確に言い当てるのは女性が多いらしいが、今回はナルト達とのチームワークの賜物でもある。実は自分の所に回ってくるまでに、もうすでに脳内ではある程度の映像が出来上がっているのだ。自分はそこに、足りないと思われるイメージを追加しているだけだったりする。
「あぁでも俺って、編んだウールの感触なんて、覚えてたんだなぁ?」
 暗闇で誰に言うでもない独り言を呟くと、ちゃんとカカシさんから答えが返ってきた。
「確かにね。年に何回かは着るけど、こんなにじっくり触った事なんてないはずなのにね」
 そうして次に回ってきたのは、編みではなく織りのストールだった。
「へぇ〜同じウールでも、こうして改めて触り比べてみると、編みと織りって随分違うものなのねぇ」
 いつもは目で編みか織りかを判断していた。けれど手肌はちゃんとその違いを覚えていたのだ。自分ではそうと気付かないまま。
「普段は、目が他の感覚を支配してるってことか…」
 サスケが珍しく感じ入ったように呟いている。
「人間が得ている情報の九割は視覚からだっていうしね?」
 確かに見るということは、大きなウエイトを占めているんだろう。「百聞は一見にしかず」なんていうくらいだ。でも多くを占めているだけに、いつの間にか振り回されている部分もあったりする?

「ここからは、触って頂くものを逆回しにしてみますね。何か変わるかも」ということで、今度はカカシさんからブツが回ってくるのを待つ。
「んーんーー、そうねぇ〜? ――アーモンドみたいな形で、羽根みたいに軽くてモチモチしてるね」
(はっ?? なんだそりゃ??)
 そんな物体、この世にあったろうか。情報に従って脳内で検索をかけようとした時だった。彼の手がこちらの手を探すように触れてきた。もう回してくれるらしい。
「――うわあっ!?」
 だが、随分と念入りに俺の手をチェックしているなと思った瞬間、手の平一杯にのしかかってきた想定外の衝撃に、思わず大きな声が出ていた。
(なっ!? 重ッ!?)
 てっきり羽根の軽さを想像していたのに、ゆうに牛乳パックくらいの重量がある、しかもでかい。アーモンドとかいうから、うっかりそのまま一口サイズを連想してしまっていたがとんでもない。ゆうにラグビーボール級だ。更に言うとめちゃくちゃ固く、その手触りと特徴的な匂いから、すぐにヒノキで作られたオブジェだとわかる。
(くそ、やりやがったな…)
 なーにが「羽根みたいに軽くてモチモチ」だっ。この世にそんな物質があったらお目にかかりたいわ!
 だがサスケに渡す段階になって、ふと悪戯心が湧いていた。
 このまま続けたらどうなるだろう? と。
「…あー悪い悪い。いま小さすぎて取り落としそうになっちまった。えーとだな、全体の感じはアーモンドってところで間違いない。あと滑りやすいから持つときは注意したほうがいいな。落としたら簡単に割れちまうかもしれないぞ?」
 するとナルト達は、「は? 軽くてモチモチなのに簡単に割れる〜? んなものあったっけぇ?」とか、 「うそ、ぜんっぜんわかんないんだけど。なにそれ?」などと、すっかり混乱状態だ。いいぞ。
「――ッ!?」
 案の定、手の中に木製のラグビーボールを落とされたサスケも、一瞬息を呑んで絶句していた。が、俺とカカシさんからの「無言のメッセージ」を正しく受け取ったとみえ、一言「フン、臭い匂いがするな」とだけ呟く。
「えっ!? サスケ君ちょっと待って。モチモチで臭いって、私触りたくないんだけど? いいっ、やめて! 私はいいからナルトに渡して! ――きゃあぁっ!?」
 サクラには悪いが、これにはカカシさんと大笑いしてしまった。「暗闇でドッキリゲーム」は自分はもう勘弁だが、人がやられている分にはこれはこれでなかなか楽しい。
「――あぁもうっ! ナルトっ、これはすっごく可愛いものだから、黙ってさっさと受け取りなさいッ!」
「やッ? サクラちゃんてば、言ってることと口調がぜんぜん合ってねえってばよ!?」
 真っ暗闇の中、カカシさんから発信された小さなメッセージが、ここまで伝染するとも思ってなかったが、最大にまで膨らんだ四人分の悪戯心を受け取る羽目になったナルトにとっては災難に違いない。
「なっ、ナルト君、大丈夫だとっ…思うよっ?」
 必死に笑いを堪えているらしいヒナタの後押しですら、もはや悪い方にしか効いていない。
「あわわ…小さい羽根で壊れやすくてかわいいのに、モチモチで臭いキャアッて一体なんなんだってばよォ〜、あうぅ…なんかこえぇ………ごわッ!?」
 あぁごめんなナルト。文句なら後で震源地のカカシさんに言ってくれな?




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