ちなみにカカシさんは、実にスムーズに千円札1枚と100円玉2個を探り当て、会計を済ませていた。それを受け取ったイケボ達の判定は更に早く、渡されたとほぼ同時に「はい、合っています」と言っていたが、カカシさんはなんで千円札がすぐにわかったんだろう? 思ったままそう聞いてみたのだが。
「それはアレだろ、最初っからサイフに千円札1枚と100円玉が2枚しか入ってなかったからじゃねぇの?」
「フン、お前じゃないんだ。所持金がそれっぽっちのはずがないだろう」
「あんだとォ? オレだって外の財布には……まぁ…もうちょっとは? 入ってるってばよ〜」
 すっかり打ち解けているらしいナルトとサスケが、向かいで盛んにやりあっている。
「そういえば、千円札が一番小さかったわよね?」
「何となくだが最後の100円玉を100という文字で判別できた」というサクラが会話に入ってくる。うう、焦るな俺、指先に集中だ。
「まっ、それについてはね、何かで読んだことがあったってだけ。それぞれの札の端に、触ると分かるようになってる形の違うマークが付いてるってね。千円は確か横棒一本だったはず」
「ええーホントかよ〜? んなマークなんてあった気がしねぇけどなぁ?」
「あとで明るいところに行ったら見せてあげるよ」
 だがその優しい言葉の後に、「どの札もたんまり持ってるからね」などとわざわざ付け加えて、またもや「んなら最初っから全員のぶん万札で払っといてくれってばよ〜!」と突っ込まれるカカシさんだった。

 で、肝心の俺のほうはというと、みんなに助けられながら文字通り暗闇での「暗算」が続く。
「…100円+500円+5円は…795円だから…あと5円か?」
「イルカ先生、もうそこまできたんなら1円玉以外の何でもいいから出して、おつり貰っちゃえばいいんじゃない?」
 サクラは賢く、またあっさりしたものだ。でも何だかそれでは今までみんなと一緒になって積み上げてきた(?)プチ苦労を無駄にしてしまう気もして、いまだに一番おつりの少なくてすむ10円玉を探すのに躍起になっていたりする。自分はこんな時でも見えている時と同じこだわりを通したい人間らしい。
 だが、(どうやらこの感じでは、10円玉は全て出してしまっているような…?)と思ったときだった。
「じゃ、オレが5円、出しておきますよ」
「へっ?」
(ぁ…)
 左ひじに誰かが触れた…かと思うと、それが手首へとするする伝ってきて、仰向けにした手の平の真ん中に何か小さなものがトンと置かれた。さらに温かな手がご丁寧にも俺の指を一本ずつ内側へとしっかり折り込んで、そいつを握らせている。
「あわっ!? …そんな、…いいんですか?」
 俺が多めに渡しておつりを希望すれば、イケボがいとも容易く鮮やかに返してくれるだろうから、そんなに気にしなくても良いのに。
「いーですよ。どーぞ、使って」
「すみません、ありがとう、ございます」
 手の中に握らされたコインを両手で確認する。と、それは確かに5円の触感だ。にしても。
(今の…仕草…)
 男に対するやりとりにしては、何やら少々気恥ずかしいものを感じたのだが、気のせいだろうか。
 とはいえ、誰が見ているわけでもなく。
(不思議と嫌な感じでもなかったしな?)と思い直して、「じゃあ、お会計お願いします」と暗闇の向こうに告げた。

 俺の目の前から15枚ほどのコインを回収していったイケボだが、本当にあっという間に「丁度頂きました」と確認を終えていた。日頃から点字を触り慣れている彼らは、コインの表面を一瞬触っただけでそれが何円なのか、またそれが全部で何枚だったのか記憶でき、計算できるという。
 ちなみに点字をマスターできるのは十代後半が限界と言われているらしく、サクラが100円玉の文字を触ってわかったのも、俺がほとんどどわからないのも当然のことなのだという。色々ショックだが、興味深い話ではある。

 にしても、真っ暗な中で口々に「俺、○○と○○ね」と注文しただけなのに、その全員の目の前に間違いなくその品々をサービスできていることにも感心する。だってウエイター側からみれば、俺達は「初めて聞いた声だけの存在」なのだ。それでも見えてさえいれば顔は見分けられて、メニューと居場所に結びつけることは出来るが、声だけではそこまで聞き分けられないのが普通ではないだろうか。けれど多いときには八人がどやどやといっぺんに入ってきて口々に告げたメニューを覚え、スムーズに会計を済ませてさっさと配膳しているということに、新鮮な驚きを覚えた。実は人はとてつもない力を秘めていて、俺はそのごく一部しか使っていないらしい。
 渡された温かなおしぼりで手を拭きながら、(さてこれからどうやって学校側にアプローチしていこうか)と思いを巡らせた。

 てっきりジンジャエールはコップで提供されるものとばかり思っていたが、そこはそれ。簡単には飲ませて貰えない。
「ぁ? なんだこれ?」
「瓶よね? でも変な形」
「うーん? ジンジャエールの瓶て、こんな形してたかなぁ…?」
 ほっそりしているが、縦に波打つような凹凸が幾つもある。握った指の形にぴったり添うようになっているせいで、暗闇でも持ちやすく滑りにくいデザインではあるだろう。ただ最近はペットボトルばかり見ているせいで、老舗の酒屋くらいしか置いていないらしい古いタイプの瓶など、まず滅多に目にする機会はない。
(となれば、想像あるのみ!)
 瓶の色もロゴも自由に想像だ。後で本物を探し当てて、どのくらい想像と違っているか確かめるのもオツなものだろう。
「んじゃ早くカンパイしようぜ!」
「ハイ、お疲れさん」
「「カンパーイ!」」
 暗闇に向かってよく冷えた瓶を差し上げた。

「――げほっ!!」
「…っ、うぷっ!?」
 だが瓶から直接あおった後も、ジンジャー班の騒ぎは続く。
「っ…!? すっげ、なんだこれ、めちゃくちゃきっついってばよ〜!?」
「っははっ、確かにな!」
 ナルトは昔ながらの辛口のジンジャーエールを飲んだことがなかったとみえ、一口煽った途端むせながら、ひっくり返った声を上げている。俺も久し振りに飲んだが、想像していた以上に刺激的に感じていた。多分昭和レトロな瓶の姿や色が見えていたなら、もう少しは味が想像出来たのかもしれないが、瓶の形しか情報がないとなると唐突感が増すらしい。ナルトはヒナタにふきんを貰ったらしく、濡れたと思しきところをヤマ勘で拭いている。
「ハァ〜ビールがどんな味か知らないけど、これも結構大人の味よねぇ」
「フン、匂いで大体わかるだろうが」
「んな何でもかんでもいちいち匂いなんてかぐ習慣ねぇし!」
 サスケはこの味が好きだそうだが、おやつ無しでこれだけを好んで飲むとは、もうすでに子供の味覚を卒業しはじめているのかもしれない。
 おやつはいずれも個包装で、ある程度触って確かめられるようになっていて、サクラが真っ先にそれと気付いたのはフワフワした触り心地のアレだったらしい。
「わぁ、私マシュマロ大好き〜!」
(なるほどなぁ)
 触って判断する食べ物というなら、マシュマロくらいわかりやすいものもないだろう。
「あっ、こっちの包みはあれじゃねぇ? アメかチョコか?」
 向かい側からぱりぱりカサカサという、包み紙を解く音が聞こえてくる。いやアメかチョコと聞いて、カサカサ音を自動的に包装紙だと連想しただけなのだが、いつの間にかその二つの関係性はそれくらい密に擦り込まれているということなんだろう。
「カカシさんのほうは、どうですか?」
 さっきから気になっていたことを尋ねてみる。向かいでは「ヒナタってすごく髪が綺麗だけど、シャンプーなに使ってるの?」なんていう話になっている。こうなると純度100パーセントの暗闇も、言うほど非日常ってわけでもなくなってくる。女子力恐るべしだ。
「旨いよ。呑んでみる?」
「あはっ、いいんですか?」
 5円を出して貰ったうえに、遠慮の欠片もなく味見をさせて貰う俺。多分見えていたらもうちょっとは遠慮……しないか。しないな。しないしない。
 すぐに隣から、「グラスは空だよ。好きなだけ注いで呑んで」と、ジンジャーエールの瓶と交換にグラスと瓶が差し出されてきたのを手探りで受け取る。かくして生まれて初めてのベルギービールを、真っ暗闇で呑むことになったのだが。
「うっ…、コップに注ぐのって…大丈夫かなこれ…」
 ビールについては大人仕様の体験になっていて、まずはグラスに注ぐという行為が必要になってくるのだが、普段何気なくやっているごく簡単なことでも、それが見えないとなると全く勝手が違ってくる。
(うう…ここで零したらえらいことだぞ…)
 まずはスマートな形をしているグラスの縁を何度も触り、そこにキンと冷えた瓶の先を持ってきてそろそろと縁にあてがう。さらに二つが接した部分を繰り返し触って位置関係を確かめながら少しずつ傾けていくのだが、なかなかビールが出てくる気配がしない。念のためにと左手でガードはしているが、もしも勢い余って零したら、さっきのナルト以上の騒ぎになることは間違いない。
「――うわっ!? 出たっ!?」
 突然暗がりからコポポッという水音がして、慌てて瓶を戻す。セーフ、零してない。多分な?
「――ぁ…いい薫り…」
 どれほどの量が注がれたかもわからないが、立ち上ってくる薫りは国産にはない類のもので、それだけでも暗闇体験にこのビールが選ばれた理由がわかった気がした。きっとお馴染みの銘柄では役不足なのだ。
 何やらいつも以上に有り難みを感じながら、恐る恐る、おっかなびっくり少しずつグラスを傾けていた……はずが、いきなりどっと口元に押し寄せてきて、ドキッとしながらも一口。
「…んっ!? …旨い!」
「でしょ」
「思ってた以上に華やかで飲みやすいですね?」
 しかも決して暗いせいだけでなく、とても印象に残る心地よい後味だ。何という銘柄なんだろう。
「ベルギービールはもっと独特でガツンとくるのも沢山あるけど、これはどちらかといえば万人向けかな」
 そこからさらにお言葉に甘えまくり、手の上に少し分けて貰ったつまみのチーズが、何とも言えずよく合うことに驚く。このチーズを選択した人は、とても味覚が敏感な人なんじゃないだろうか。それとも目を使わなければ、誰でもそうなるものなんだろうか?
 いつもは出されたものをきれいに、場合によっては早く食べることが優先されていて、こんなにも味覚だけに意識を集中したことなどなかった。暗闇での飲食は大変だろうとしか思っていなかったが、味や薫りや食感をじっくり愉しむ一つの方法として、余計な情報を排除するのはアリだと思う。
「うーん、このナッツやドライフルーツともめちゃくちゃ合いますね。やーははは、こりゃ旨すぎて困るなぁ〜」
 今頃になって、俺もビールにすれば良かったかと少々後悔する。後で銘柄を聞いてネットで注文しなくては。
「えぇーずっりぃの〜、なんだよ大人ばっか〜」
「ははっ、お前達も幾らもしないうちに嫌ってほど呑めるさ」

 カカシさんに礼を言い、再び手の中に戻ってきたジンジャーエールをちびちびやりながら、おやつの篭を探る。
「――ん? これはマシュマロでもチョコでもないけど…なんだろうな?」
 そういえばおやつは三種類あると言っていた。最後に一つだけ残った袋を開けると、その匂いや手触りは間違いなくせんべいのそれなのに、形がぜんぜんそれらしくない。
「平べったい…けど、六つ…いや五つかな? 尖った角があるこの形って…?」
「イルカ先生、それってなんだと思いますか?」
 ヒナタが答えを促してくる。
(うーん???)
 手で触ったものの感じを、頭の中で形作ってみる。そこに浮かび上がってきたものは――
「――手裏剣?」
 途端、周囲のみんながどっと笑った。
「え? あれ? 違うのか?? …あぁそうか、星か?!」
「ええぇ〜〜、イルカ先生、その発想絶対おかしい〜! そこはどう考えても星よ〜!」
「イルカ先生ってば、ホントは学校の先生じゃねぇんじゃねぇのォ? ニンジャでもない限り、そんな考え出てこねぇってばよ?」
「普通じゃないな」
 参った。普通の中の普通を自認していたはずが、いつの間にかすっかり変な人認定だ。真の暗闇では、心の奧で密かに考えていたことや自分でも気付いていないようなことまでが、うっかり露わになってしまったりするものらしい。真っ暗だと目の前も心の中も似たような状況だから、ついつい地続きのように感じてしまうんだろうか。
 とにかく(何も見えないんだから何も知られないはず)なんて思っていたら、大間違いかもしれないのだ。暗闇を侮るなかれ。





        TOP   文書庫   <<  >>